6日(土)7日(日)と愛媛県新居浜市に出張した。山口からは新幹線で岡山まで行き、岡山から瀬戸大橋を通る松山行きの予讃線特急に乗るのが最も早い。
香川県から愛媛県に入って川之江を過ぎると、列車は中央構造線に沿って西にまっすぐ進む。いつもは東京行きの飛行機で中央構造線の四国から紀伊半島部分での直線ぶりを見ているのだが、地上からそれを確かめるのも好きだ。線路の南側に壁のようにそびえる山々の中に瓶ガ森や石鎚があるはずだが、区別はつかない。
宇部から4時間かけてついた新居浜市は古くから住友の城下町で、町並みのさびれ加減も宇部に酷似している。
しかし、翌日、朝日を浴びながら町を歩いていると、何かしら違和感を感じる。
しかも、それは別のどこかで感じたことのある違和感なのである。
しばらく考えて分かった。長門から鳥取までの山陰の町にいるときの、あの寂しくかつ圧迫されるような感じによく似ているのだ。
両者に共通しているのは、北側の海に向かう斜面の上に町があり、南に山があるという形である。
考えてみれば、山陽新幹線、東海道新幹線沿いの町は、(北九州と福岡を除けば)すべてその逆に、南側の海に向かって開け、山は北にある。日本の都市の多くはそういう形になっているのだ。
四国中央市や新居浜市、伊予西条市など四国の瀬戸内側の町は中国地方の瀬戸内の町と対称形になっているといってよい。
これまで山陰に行って感じる重苦しさは活気のなさと空の色のせいかと思っていたが、実は南が山にさえぎられているためだったに違いない。
帰りに山陽新幹線に乗ると圧迫感がすっと消えたのは、出張の目的だった役割が終わったためではなかったのである。
さて、以上のことは誰にとってもどんな意味も持たない遊びにすぎないが、私が中央構造線に沿って走る列車の中で考えていたのは、渡辺 治さんや後藤道夫さんがいう「新しい福祉国家」の「新しい」とはなんだろうかと言うことである。
以前は分かっていた気がしたのだが、最近の渡辺さんの本を読んでいるとまた分からなくなった。彼らが黙って意見を変えたのだろうか?
古いタイプの福祉国家が、第2次大戦後にイギリスの経験、とりわけベヴァリッジプラン実施の中でできあがったものだという認識は変わっていない。それは労働者階級が戦争に協力することの見返りに生活保障を約束されたものである。
すなわち、従来の福祉国家の在り方とは、福祉政策と国民の戦争協力義務・国家への忠実義務とが一体になっている状態だということができる。この形式は、福祉の内容が著しく進んだ北欧でも基本的に維持されていると思われる。
したがって「新しい福祉国家」は福祉が国民の戦争協力義務とリンクしていない、言い換えれば戦争を完全に放棄して憲法9条が守られていることを条件に実現するものということができる。後藤道夫さんたちもそのように説明していたはずである。
しかし、これだけでは、新しい福祉国家の成立の条件を述べているだけで、新しい福祉国家の中身に踏み込んでいるとは言えない。
最近ここでも取り上げた「憲法9条と25条・その力と可能性」かもがわ出版、2009で、渡辺 治さんが熱心に新しい福祉国家像を取り上げながら、上記のような定義に触れていないのもそういうことなのだろう。
彼らが意見を変えたわけではなく、説明の重点が形式的なところから、より実質的なところに移ったということなのに違いない。
そこで「新しい福祉国家」の新しさを検討してみよう。
①「貧困線水準以下からの救済」を脱して、生活障害がおこる以前の生活水準を保障する「所得比例型給付」として、中間層の広範な要求にも応えること。
しかし、これはヨーロッパでは戦後すぐに実現していることで、「新しい」とは言えない。古い福祉国家の第2段階とでもいうべきものだろう。
しかし、日本では1980年代の企業社会の正社員に部分的に保障されていたのみでまだ実現していないのである。日本では「新しいとしていいかもしれない」
②貧困線以下の所得を手当てするだけでなく、生活全体を保障すること。
言い換えれば、最低限の生存を守るだけでなく、到達可能な最高の健康を保障することである。
そういう意味で憲法25条に保障されているものを「生存権」と呼ばずに、「健康権」としてとらえなおすことは大きな意義を持っている。
③「新しい福祉国家」は、経済の側面からみれば「ルールなき資本主義」の段階を克服して達する「ルールある経済社会」と照応する。
しかし、そうだとすれば、私たちはEUはすでに「ルールある経済社会」に到達している、すなわち18世紀から始まった市民革命はEUの結成によって完了したとみているので、EUの国々が「新しい福祉国家」だとしなければならなくなる。
しかし、上でも述べたようにヨーロッパでは軍事力は維持されており、軍事と福祉の一体の関係は克服されていない。そのとき「新しい福祉国家」に至っていると評価することは不可能なのではないか。
重箱の隅っ子をつついている議論のようなのだが、なんだか複雑で、未解決という気がする。
*出張中の発言で二宮厚美さんの本にも触れたところ、愛媛が誇る幕末の医学者、二宮敬作(オランダおいねの先生でもある)子孫なのだと聞かされた。悪口は言えない雰囲気であった。
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