初めて行ったロンドンのホワイトホールはサンフランシスコの日本街と同じくらいのカルチャーショックだった。ホワイトホールは、イギリス公務員制度の本拠地でございますって感じだ。東は「シティ」だ。金融の巨人たちはバカ高いガラスの建造物を空に届くまで伸ばして、空に住んでいるみたいな思い上がりを見せつけてる。それに対しホワイトホールのビル群は重厚で鈍感な感じ、安定性を主張している。新しい方に入るビルディングでさえ、権力的な回廊はあたかもかっての栄光の帝国の日々が続いているように感じさせるよ。間違いなく、そこは階級差を研究する場であり貧困を研究する場ではない。ホワイトホールには貧困はないんだ。
ホワイトホール研究は1万7千人の男性を対象にしてドナルド ライド教授と、僕のもう一人の大先生ジェフリー ローズ先生が始めたものだ。なぜ公務員を対象にしたのかって?もう少しカルチャーショックが続くよ。ドナルド ライドが公務員組織の医師の長をしている友だちとアテナイオン クラブで昼飯を食べていた時、その研究は誕生したってわけだ。アテナイオン クラブが何かって?紳士のクラブを想像したらいいな、クラシックなファサード、まぁ立派な玄関のようなものがあって、前面にはアテネ様式の彫刻があって、ロンドン王立公園から遠くない綺麗な場所にあって、息がつまるような旧式のダイニングルームとパッドで膨らませたアームチェアがあるところだ。
二度あることは偶然だが、三度あることは必然だ。1970年代に僕はたった二つだが大きな研究をした。日本移民と今のホワイトホールの公務員だけど、どちらも伝統的な知恵の地面から湧き出したものだつた。
その頃、誰もが「知っていた」ことは、職場のトップは心臓発作のリスクが高い、なぜならストレスだらけだからということだったね。サー ウィリアム オスラーは知ってるね。ジョンス ホプキンス大学とオックスフォードの偉い医学教育者だったけど、1920年頃、心臓病は高位の職業者により多く見られるなんて書いている。オスラーさんが人々を殺すのは仕事のストレスだという推察を応援したのは間違いないけどね。
僕らが発見したのは逆のことだった。位の高い男性は心臓発作どころか他のたいていの死亡原因で死ぬ率が下の誰よりも低いんだ。前にもそれは社会勾配だと僕は表現したけど、雇われている位が低くなればなるほど手に手をとって死亡率が高くなるんだ。
さらに、伝統的な説明ではうまくいかないことがある。本当のところ、喫煙率は階級の梯子を下りていけばいくほど高くなって誰もがタバコを吸うところまで行くが、血漿コレステロールは梯子の高いところでほんの僅かに高いだけ、そして肥満や高血圧についての社会的勾配はあまりはっきりしない。
全部一緒にして、伝統的な危険因子では死亡率の社会勾配の約1/3しか説明できないんだ。何か別のことが起こっている。その意味では、僕の日系米人の研究に似ているよ。
伝統的な危険因子も作用している、しかし何か別のものが社会階層間の病気のリスクの違いの原因を担っている。
日本人のケースでは、僕はそれを伝統的な日本文化のストレス減退効果だと考えたけどね。
君はきっと考えるな、公務員組織のストレス?って。そうだよ、違うよ!
僕の同僚にTores Theorellというストックホルムの人と、ロバート カラセックという人がいる。
何を隠そう、カラセックがマサチューセッツで卵を食べていた男なんだ。
2人は労働ストレス説を苦労して創り上げた。
それによると、ストレスフルなのは、仕事の上で求められるレベルが高いってことだけじゃなく、求められるレベルが高くてかつ仕事に自分の意見が通らないことなんだ。
この発見をアルキメデスが大発見して風呂を飛び出した時、それをユーレカ モーメントEureka momentっていうのは知ってるね、それに匹敵することのように書くことも遠い昔になってしまったなぁ。しかしともかくそれはホワイトホールでの発見を説明できる可能性を開いたってわけだ。
いったい誰が組織のトップにいることがストレスフルだという噂を広げたんだろう。上の人は心理的に追い詰められるけれど、自分の好きにできるんだからね。
好きにやれるってことが、富裕な国ではなぜ社会的地位が高い人の方がより健康なのかを説明する仮説として大きくなった。
ホワイトホール研究については僕の前の本「ステータス症候群」で長々と書いてしまったので、ここで全部のエビデンスについてお浚いするのは止めておこう。最新のエビデンスはこの本の先で見つかるだろう。
しかし、ホワイトホール研究の中で僕が発見した社会的勾配の存在は、イギリスの国民全体データでも見つかったし、今や世界中で見つかっているということだけは言っておこう。それを理解しようとするもっとたくさんの研究が進んでいる。この点では他でもなく、イギリスの公務員制度がなお全世界をリードしているのじゃ!なんて。
さらにオックスフォードの社会科学者たちが僕につながってきた。道を踏み固めながらやってきたというところかな。
彼らは公務員制度だけではなく、より総合的に労働をヒエラルヒーに分類する方法を示して見せた。彼らは裁量の範囲を中心にしていた。地位が高いほど裁量は大きい。第二次ホワイトホール研究は裁量範囲が健康にとって重要だということを証明した。彼らは次のように言うの
が好きだった「僕らが理論化したエビデンスがみんなの命にとって大切なんだ」。
この節の最初のところで、僕は少しとっぴにイギリスの公務員制度=ホワイトホールが僕の人生を変えたと書いた。確かに社会勾配と裁量(好きにできること)は健康と健康の不平等への僕のアプローチを変えた。つまり僕らは貧困だけでなく、社会全体に目を配らなくてはならないということなんだ。
貧困は健康に悪い。貧困を減らすために何かしたいと思わせる根拠はたくさん挙がっているし、その根拠のなかに貧困が健康に与える損害があるんだね。
しかし、勾配は違う。幅広く社会のトップから底の底までのあいだで、君が低いところにいればいるほど健康は悪い。この勾配はてっぺんの1%以下の僕ら全部を含んでしまう。
もちろん君は思うだろう、そうはいうけど門番や受付やお偉いさんのお世話係りはいつの時代だって必要じゃないかってね。
確かにこの世にヒエラルヒーは避けがたいものだ。しかしそのことは、健康の不平等、すなわち健康の社会的勾配も避けがたいって意味にならないんじゃないか。
続けて読んでほしい。健康の社会的勾配を減らすために僕らができることがたくさんあるというエビデンスはある、しかし、それには社会的行動に足を踏み出し、政治的な決断をする必要があるんだ。
だがそこに行く前に、僕らは巨大な量の作業がなされたことについて考えてみる必要がある。それは富裕な国の健康の決定要因に対する僕らの理解と、世界と世界の健康不平等のグローバルな姿を結びつけた作業のことだよ。
2012年にすごいことが起こった。WHOによると世界の平均寿命は70歳だった。聖書式に言えば「three score years and ten」だね(註 score =20)。
気の毒なことにその統計はほとんど完全に役に立たない。中国そのほか平均寿命が70歳以上の国と、インドそのほか、おもにアフリカだね、平均寿命70歳未満の国が丁度釣り合っていることが分かる。上げられている数字には38歳ものばらつきがある。シエラレオネの平均寿命46歳から、日本の女性の86歳まで。
僕が初めて平均寿命の最も悪いところを経験したのは、ニューギニアとネパールだった。確かに僻地の村々には医療施設がほとんどなかったが、健康が悪い原因を探し始めるのは難しそうだった。水が不潔なのと栄養が悪いところから始めるのが何よりいい場所だったからだ。ニューギニアの低地ではマラリアも特に問題だったが、人々が病気になるのを待ち、そこからやおら治療するより、蚊帳を普及し蚊を退治して予防するのがよほど良い選択肢に思えた。高地では誰もが咳をしていた。寒い高原の夜に暖をとるため、小屋の中で焚き火をするのが原因だった。安全なクッキング ストーブを使えば違うはずなのに。
こんな見込みのない状況で1970年代前半には健康が改善できると考えるのはちょっと希望が持てなかったな。しかし、そんなことはなかった。ネパールでは1980年から2012年までの間に平均寿命が約20年も改善して69歳になった。これはびっくりだよね。数字は多かれ少なかれ正確だと仮定しよう。この30年間に20歳分の改善ということが意味するのはカレンダーの1年毎に2/3歳の改善だよ。つまり24時間毎に16時間の改善だ。 富裕な国では今改善率は24時間毎にたった(!)6ー7時間ぽっちだ。
僕の言っていることには二つ意味がある。第一、世界を横切って健康と平均寿命の巨大な格差がある、単にシエラレオネと日本の間においてというのでなく、両者にはさまれたすべての光の影の部分、闇の部分においてだね。第二、健康は本当に素早く改善できるってことだ。そんな早い改善が僕のいう「エビデンスに基づくオプティミズム」を煽ってくれるのだけど。
2008年ごろ僕はサンフランシスコで講演した。その後友人が言って来た。「君の講義は何回も聞いたけど、君が指を振っているのは初めて見たよ。やっぱり何かいつもとは違うことが起こっているんだな。単に科学的なエビデンスがどうのというんじゃなくて、緊急事態、行動することを求める何かがさ」
彼は正しかった。僕は病気の社会的原因を研究し続けて、リサーチしたり論文を書くのに夢中の時間をすごしてきたけど、その日々の底には、(註 日本の丸山真男の用語をここになげこむと)通奏低音とでも言えばいいものが響いていた-すなわち、世界全体に社会的条件がこのように不平等に分布させられているのは正義にもとる、一国内での社会グループの間が不平等なのも同じだ。それは僕が見る健康の不平等の大半が不公正だということも意味している。
その通奏低音は次第に大きくなってきた。研究はすごく褒められたが、僕らは-僕はもちろんそこに含まれる-それについて何かしようと行動し続けるべきではないのだろうか?
どんな科学論文でも最後には見慣れたコーダ(註 音楽・劇の終結部)が付いている。
「もっと研究が必要だ、もっと研究が必要だ」
馬鹿らしいったらない。新しいコーダを考えろよ。
「もっと行動が必要だ」くらいは。まあ、最初のコーダを否定する必要もないけどね。
今日について言えば、千年紀の折り返しにあたって(註 999年ー1000年が終わってまた001年からはじめるのだから折り返すというのも変ではない)、いまコロンビア大学にいるジェフリー・サックス教授、あの偉大な世界の貧困をなくす開発の唱道者、その彼がWHOのなかに設置された世界経済と健康委員会CMHを率いている。
CMHは致死率の高い病気を減らすためグローバルに大規模な投資が必要だという結論を出した。その結果としての健康改善は経済成長をもたらすだろうということだった。
僕の考えはこうだった。
結核、HIV/AIDS、マラリアという三つの重荷を減らす投資は拍手喝采だ。軍事費に使うよりよっぽどいい。
疾病コントロールが経済成長につながると主張することが行動を起こすのに役立つならまことに結構。しかし、しかしだ。僕の観点からはみんなは逆立ちしているんだなぁ。(註 マルクスがヘーゲルは逆立ちしているといったようなもの)
健康は強い経済という目的の道具では決してない。まちがいない、健康と幸福(health and well-being)はもっと次元の高い目標なのだ。
僕らは全ての人々(population)のより高い健康と幸福のためにこそよりよい経済と社会条件を希望するんだ。
若い理想主義的な学生として、僕はいっそうの経済成長への願望なんてものからスタートして医学を学ぶことを決めたりしなかった。僕が医学を学んだのは個々の人がより健康になれるようにと願ってのことだ。僕が公衆衛生分野、そして健康の社会的決定要因論へ進んだのは、社会がより健康的になるのを手伝いたかったからなんだ。
僕はこのことを経済学者にして哲学者のアマルティア・センと議論した。彼はそのときイギリスのケンブリッジにいて、今はマサチューセッツのケンブリッジにいる。
そして一緒にグループを作ろうと提案した。健康を改善するためには社会的条件を改善することが重要だと主張するグループだよ。CMHを批判しているわけじゃない。しかし、健康の社会的決定要因に基づいてグローバルに行動することが必要だというのはぜったいに重要なんだ。
アマルティア・センは賛成したよ。
いいことは別のいいことにつながっていく。2005年WHOの事務総長J.W.リーは健康の社会的決定要因委員会CSDHを設置し、僕を委員長に、アマルティア・センを特別委員にしてくれたのである。
僕らは委員会が正式にスタートする前に打ち合わせの会議を持った。名声高い学者は、委員会が開かれる前に委員会の最終報告書が実質的に書かれてしまっているような委員会の委員をいくつも引き受けてきたと言った。彼は「この委員会ではそれを嘘にしてしまおう」
なにしろ「マイケルはうぶだからな」。(註 これを言ったのはもちろんセンである)。
これは絶対に正しかった。僕は互いに学びあう運動としてCSDHを運営した。僕は政府の前首脳たちや、今の閣僚たち、学者、グローバルな委員会を立ち上げている市民団体の代表から学んだ。そして僕らみんなは自分たちが作ったグローバルな『知識のネットワーク』から学んだ。
CSDHからの学び、そして以下に言及する二つの引き続く実践( 註 マーモットレビュー、ヨーロッパレビュー)を、この本は伝えよう。
(註:WHOの事務総長について調べていたら、あのマッシー池田さんの次のような文章に出会った。そのまま引用
「2003年1月にWHOの事務総長として,前任の豪腕女傑ブラントラントの後任として,Lee Jong-wookが,WHO史上かつてなかった大激戦の末,選ばれた.東アジア系の事務総長と言えば,すぐに思い出すのが,彼の二代前,1988年から98年までの10年間の長きにわたってWHO事務総長を務めた,我らが中島宏博士である.しかし,2003年6月号のScrip Magazineは,リー氏と中島氏は,流暢な日本語を操る他には,何ら共通点がないとしている.
極端に悲観的な見方をする人たちは,リー氏の就任は中島宏博士が事務総長だった時代の再来になると懸念している.この懸念はWHOの職員を震え上がらせる.中島氏の在任中,WHOの信頼性,保健医療に対する貢献は最低の状態になった.WHOの評価を修復不可能なほど低下させたのである.しかしリー氏に関して同様な懸念を抱いている人たちは多くの過ちを犯している.(中略)
リー氏は中島氏とは全く対照的な人物である.第一に,中島氏は意思疎通に関して大きな問題を抱えていた.英語もフランス語も操れなかったため,最高レベルの会議や各国首脳との会合の際,大きな障害となった.しかし,リー氏はフランス語は話さないものの,流暢に英語を話し,日本語や韓国語にも通じている.また,事務総長以前の経歴は,中島氏の場合,地域事務局の運営に限られていたが,リー氏は大規模な国際的計画に関わっており,前任のブラントラント氏の最高政策顧問でもあった.つまり,リー氏は事務総長の職務に向けて十分に鍛えられている」 )
君が委員会報告を作り読み上げるとする。誰が聴いているだろうか?
たいていの報告書は棚でホコリまみれになる運命をたどるぜ。
それと違って、CSDHのレポートはグローバルなレポートだった。
最も貧しいところから最も富裕なところまで、国内的に国際的に健康の不平等に僕らは目を向けた。
インドのグジャラートとスコットランドのグラスゴー、ナイジェリアとニューヨーク のように似たような響きの土地の間の幾分かの違い、それをレポートの「推奨」という章ではしっかり見ようとしている。
僕らはその国に合ったやりかたで 僕らの「推奨」を「翻訳する」機構を立ち上げるよう、おせっかいしながらお勧めしている。
ブラジルは自分たちのSDH委員会を設置した。CSDHとブラジルの委員会はわかってきたことを共有した。チリも活動的になった、北欧にあわせてね。
イギリスではゴードン・ブラウン首相の労働党政府がCSDHレポートに照らした健康の不平等のレビュー作りを指揮するよう僕を呼んでくれた。目的はCSDHの推奨をイギリスに適した形に翻訳することだった。そのレビューを報告するため僕は九つの作業グループを立ち上げた。主要な領域のそれぞれの知識に貢献できるエキスパートをたくさん集めた。
これがマーモット レビューだ。「Fair Society,Healthy Lives 公正な社会にこそ健康的な人生はある」って題名で2010年に出版された。
もっと国際的な作業グループの結成、もっとたくさんの知識結集の現れとして、「社会的決定要因と健康格差Heath Divideに関するヨーロッパレビュー」(2014年出版)の製作・宣伝・普及がある。
ヨーロッパレビューはWHOヨーロッパ事務所長Zsuzsana Jakob医師が委員長となって作った。ここでいうヨーロッパ地域は、下のヨーロッパに旧ソ連の全部の国を加えたものだ。
ヨーロッパははるばるベーリング海峡まで延び、もうちょっとでアラスカに行ってしまいそうだ。
これは僕らがSDHを多くの国々の政策課題にできたってことだ。
CSDHレポートは棚の上でホコリにまみれて忘れられてなかったってことだ。
社会と健康はその正確がら高度に政治的な問題だ。僕らがCSDHレポートを出版したときある国はそれに「エビデンスつきのイデオロギー」というレッテルを貼った。それは批判のつもりだったらしいが、僕は賞賛だと思ったね。
僕は答えた「そうだ、僕たちはイデオロギーを持っている」 「避けられる健康不平等は不正義だ」-この本で後に示す例のようにね。「その不平等を正すことこそ正義に関わることだ。しかし、エビデンスは本当に重要だ」
週刊紙の「エコノミスト」は僕らの声明について思ったことを書いた。見開き両面を使って委員会のレポートを報道してくれた。ありがたいね。その記事の終わりはこうだ。
「新しいレポートの正気のアイデアが、著者たちのドンキホーテ的な『完全な政治的、経済的、社会的公正』に到達しようという決意によってあいまいにされるとしたら残念だ」
僕は格別「ドンキホーテ的」が好きだ。セルバンテスの傑作のなかで、ドン キホーテは或る朝目覚めて自分自身を中世の騎士だと思い込み、騎士道的行為をしまくる。風車に槍を持って突進し、ワイン壺を殺す。みんな彼を笑う。
僕は「ドン・キホーテはスペインの魂の一部だ」というスペインの保健相に言ったことがある。
ちょっと馬鹿げた理想主義の騎士、世界をよりいい場所にしようと願っている、誰も彼をまともに相手にしない、これは僕そのものだ。
「私達は夢見る人、ドン・キホーテの理想主義を必要としています。同時にサンチョ・パンザのプラグマティズムも必要としています」
僕はそれをエビデンスを備えたイデオロギーと呼ぶよ。
CSDHの発表の中で、僕たちは自分たちが行動に押し出されるのは経済的理由でなく、道徳的理由だということをはっきりさせた。本の裏表紙にはこんなことまで書いた。
「社会的不正義が大量に人を殺している」。
今ではそれはむしろ政治的に聞こえるな。だが、当時は僕らの分析はまだまだ政治的に十分じゃないと批判されたものさ。
健康は政治的なものだ、その通り。
しかし僕は政党政治からは離れて舵を取ろうと努力した。
国家の役割と個人の自由 それぞれを強調しながら社会がディベートのためのディベートに耽るときこそ、僕は健康と健康の不平等の意味を前に押し出したい。
研修医としてシドニーの病院の病棟をうろついていたときから、僕は社会と世界の健康格差の大きさが僕らの社会の質そのものについて、そして僕らのなすべき仕事の仕方についてたくさん教えてくれるという考え方を守ってきた。
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