2016年6月 4日 (土)

雑誌 現代思想 6月号

雑誌「現代思想」6月号は「日本の物理学者たち」特集。

関心を持って読むところがあるだろうかと思ったが、とりあえず以下の二つは面白い。

益川敏英インタビュー『「二足のわらじ」をはいて」

塚原東吾「ポスト・ノーマル・サイエンス」の射程からみた武谷三男と廣重徹」

特に後者は今ではすっかり過去の人になった武谷三男への奇妙な共感を語っていて読ませる。

こんな誰も読まないだろうことを書いても、さっとコメントしてくれた坂口志朗先生が亡くなられてもうコメントしてもらえないのは寂しい限りだ。

たしか藤井博之先生に聞いたところによると、彼は川上 武先生の読書会のメンバーであったので、武谷三男とも縁がないわけではなかったのに。

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2016年5月11日 (水)

内田 樹「街場のメディア論」光文社新書2010年

急に何か内田 樹の本が読みたくなって、「街場のメディア論」光文社新書2010年を手にとってみた。

あまり期待はしていなかったのだが、これはメモしておきたいというところが何カ所かあった。

例えば、次のようなところは、「人間的発達のできる組織」としての民医連とも関係があるだろう。

「人間がその才能を爆発的に開花させるのは、『他人のため』に働くときです。人の役に立ちたいと願うときにこそ、人間の能力は伸びる。

それが『自分のしたい』ことであるかどうか、自分の『適性』に合うことかどうか、そんなことはどうだっていいんです」

「他にやってくれそうな人がいない中で、『しかたないなぁ、私がやるしかないのか』という立場に立ち至ったときに、人間の能力は向上する。他ならぬ私が、余人を以っては代えがたいものとして召喚されたという事実が人間を覚醒に導くのです。

宗教の用語では、これを『召命』(vocation)と言います」

そして、災害多発時代の今、次のような言葉も印象的である。

「人が『無意味』だと思って見逃し捨てて行きそうなものを『なんだかわからないけれど、自分宛ての贈り物ではないか』と思った人間は生き延びる確率が高い」

「それは言い換えれば疎遠な環境と親しみ深い関係を取り結ぶ力のことです」

「世界が広がっているのを当然のことと考えるのでなくて、『絶対的他者のからの贈り物』だと考えて、それに対する感謝から一日の営みを始めること、それが信仰の実質である」

「信仰の基礎は『世界を創造してくれてありがとう』という言葉に尽きます」

「今遭遇している前代未聞の事態を『自分宛ての贈り物』だと思いなして、にこやかにかつあふれるほどの好奇心を以ってそれを迎え入れることのできる人間だけが危機を生き延びることができる。」

 

・・・これは、しかし、ごく当たり前の人生訓のようでもある。

「逃げたいことにぶつかって行ったときの成果はたいていの場合大きい」

「どんな危機も気の持ちようでよい方向に変えられる」

とたいていの人が言ってきたことの内田版なので多くの人に受け入れられやすいだけかもしれない。

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2016年5月10日 (火)

「『生存』の東北史 歴史から問う3・11」大月書店2013年

京大経済学部の岡田知弘先生たちの書いた「『生存』の東北史 歴史から問う3・11」大月書店2013年を読んでいて、熊本地震について僕が感じていたもやもやが少し解けた気がした。-まだ誤解かもしれないが。

いまあれだけの被害が続きながら、なぜか社会の関心が急に低下しているようなのはなぜか。

東京の中央財界から見て、今回の地震の課題は自動車、IT部品供給地としての中部九州の機能の回復でしかなかったからではないか。

すでに高度に産業が組織化されている九州においてはこの地震を好機として道州制を進めるという意図は前面には現れず、上記のことが新幹線、高速道路、空港などの復旧によってめどがつけばそれでよかったのではないか。

それでもショック・ドクトリン(ナオミ・クライン)=惨事便乗型資本主義の衝動は発動されていくのだとは思えるが。

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2016年5月 4日 (水)

デヴィッド・ハーヴェイ「『資本論』入門 第2巻・第3巻」作品社2016/3  序章

まず序章でつまずく。
 
マルクスは生産、交換、分配、消費という資本の全体像を、その連関のなかで捉えるべきだという立場を表明しながらも、実際には生産は法則性のある一般性の次元に、交換・分配は偶然に支配される特殊性の次元に、消費はカオスに満ちた個別性の次元にそれぞれある、とする古典派経済学の枠組みに閉じこもって資本論第2巻を書いた。
 
これは結局、生産に対して、交換・分配・消費を周辺に追いやることとなった。
 
こうすることでマルクスは彼の時代の歴史的な特殊性を乗り越える認識を獲得して第2巻を今日も読む価値のあるものとできたが、そこでの彼の主張を現実に適用することはそれによって著しく困難になった。
 
今日の読者は、第2巻を現実にどう適用するかということを自らの課題としながら読むほかはないが、実はそれは、第2巻、第3巻を実質的に編集しなおし、第1巻と同等の重要性を抽きだしてくるきわめてエキサイティングなことなのだ。
そのように第2巻を理解することなしには、第1巻を理解することも本当はできない。
 
・・・と、まぁ、こんなことが書いてある。
 
入門書の段階で頭の中がかき乱される。

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2016年5月 2日 (月)

柄谷行人 「憲法の無意識」岩波新書2016/4/20

面白そうな本と雑誌を買い込みすぎて、読む時間がなくて困っているのに割り込んできた一冊。
 
多くは以前読んだことの繰り返しであまり新味はない。
 
ただ、憲法9条は、占領軍に強制されたものに違いはないが、あとから日本社会が内発的に、すなわち無意識の深いところで選んだものなので、意識という浅いところで変えようとしても変えられるものではない、という主張は面白い。
 
これが題名の「憲法の無意識」の所以である。
 
憲法9条を変えない無意識の強迫的衝動・欲動の実体は、明治維新以来70年間の戦争の時代に対する悔恨だということができる。
 
この第2次大戦後の状態は、室町からの戦国が秀吉の朝鮮侵略までに至った時代の後始末のために徳川幕府が開かれたときによく似ており、その回帰ともいえるので、9条を選択する日本人の無意識は極めて強固なのである。
 
いっぽう、世界は1880年ごろの帝国主義時代に回帰している。新自由主義とは新帝国主義の美名にすぎない。再び世界戦争が起こる可能性は低くない。戦争が起これば、大きな犠牲の後、世界は真の国連、すなわち世界共和国を選ぶだろう。しかし、その犠牲を避ける方法はある。日本が憲法9条を実行し、世界に贈与することがそれだ。犠牲を避けるにはそれしかない。
 
常識的にものを考える人には、なんだそれ、ということかもしれない。

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2016年4月12日 (火)

マイケル・マーモット「the Health Gap」序章(4)

僕が臨床を離れたのは病気や健康の不平等の原因は医師の仕事に関係が深いとは思わなかったからである。僕らは社会を改善するべきだった。

だから、2010年から11年のイギリス医師会長になるよう招請されたのは、口で言えないくらい驚いた。人違いだと思ったね。
任命されると演説しなければならなかった。聴衆にはたくさんの医師がいるんだし幾つか有益なアドバイスを取り上げなきゃと考えた。この本に書いてある仕事をする一方で、僕は三つの医学的コンディションを発達させたと医師たちに話した。それはおそらく役に立つんじゃないかな。

第一はオプティミズムだ。僕はいつだって根拠なく楽観的に感じている。すべての不運予言者、つまり全てはだめになったと主張する人々の存在にもかかわらず、エビデンスは物事は良くなりうることを示していると僕は決め込んでいる。このコンディションのために幾らか錠剤が必要だ。

第二は、一に関連するが、選択的な聴力障害を発達させたこと。僕は 皮肉は聞かない。もし人々が誰もものごとをこれまでとは違ったふうにはしないというなら、なにも起こらないだろうし、人々が変わることはない、などなど、それは跳ね回る。僕はもはやそれを聞かない。僕はリアリスティック イエス、シニカル ノーだ。

第三は目の湿っぽさを発達させたこと。

僕らはバンクーバーでCSDHの会議を開いた。その終わりにパスコウル・モクンビ、モザンビークの前首相でCSDHのメンバーだけど、彼がこう言ったんだ「私の国が独立して以来こんなに力づけられたと感じたことはありませんでした。」
僕の目の湿っぽさはぐんぐん増した。

インドのグジャラートで、自営女性協会Self Employed Women's Assosiationがそのメンバーといかに働いてるかを見た。そのメンバーとは、インドで最も貧しく、最も隅っこに追いやられた女性たちなのだ。逆境を乗り越えて勝利しようと働いていた。僕は僕の目が濡れてしまったのが分かった。

リオのスラムで若い人たちが自尊心を育てているのを見たとき、あるいはニュージーランドでマオリ族の人々が自らの尊厳を発見しようとしているのを見たときも僕の目は濡れた。

人々が 苦しんでいるのを見るときだけでなく、それ以上に困難を超えて勝利しようとしているのを見たとき、この目の湿っぽさはやってくる。

この本を書いた僕の目的は僕らが人々の生活を改善するためにできることのエビデンスを君に知らせることだ。その人々が世界で最も貧しい人々だろうと比較的楽であろうと同じだ。

僕らがチリのサンチャゴでCSDHを発進させた時、僕はチリの詩人パブロ・ネルーダを引用した。
もう一回そうしよう、そして君に一緒にやろうと呼びかけよう。

「悲惨を生み出すものと戦うために立ち上がろう」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上が、ざっとした内容だが

以下が僕の感想。

「4/11

午後外来が終わり、久しぶりに最上階の療養病棟に回診に出かけるまでの短い時間にマイケル・マーモットとアマルティア・センという大スター間の冗談めいたやり取りを訳していると、世界の隅っこでそんなことに喜びを感じている自分がかわいそうになってきた。こんなことが何になるわけでもないのにねぇ。

寝たきりだけど、視線を合わせながら呼びかけると目を開けて笑う人たちを一渡り回って帰ってくるとくだらない自己憐憫はいつのまにか消えているが・・・。」

 

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2016年4月11日 (月)

マイケル・マーモット「the Health Gap」序章(3)

初めて行ったロンドンのホワイトホールはサンフランシスコの日本街と同じくらいのカルチャーショックだった。ホワイトホールは、イギリス公務員制度の本拠地でございますって感じだ。東は「シティ」だ。金融の巨人たちはバカ高いガラスの建造物を空に届くまで伸ばして、空に住んでいるみたいな思い上がりを見せつけてる。それに対しホワイトホールのビル群は重厚で鈍感な感じ、安定性を主張している。新しい方に入るビルディングでさえ、権力的な回廊はあたかもかっての栄光の帝国の日々が続いているように感じさせるよ。間違いなく、そこは階級差を研究する場であり貧困を研究する場ではない。ホワイトホールには貧困はないんだ。

ホワイトホール研究は1万7千人の男性を対象にしてドナルド ライド教授と、僕のもう一人の大先生ジェフリー ローズ先生が始めたものだ。なぜ公務員を対象にしたのかって?もう少しカルチャーショックが続くよ。ドナルド ライドが公務員組織の医師の長をしている友だちとアテナイオン クラブで昼飯を食べていた時、その研究は誕生したってわけだ。アテナイオン クラブが何かって?紳士のクラブを想像したらいいな、クラシックなファサード、まぁ立派な玄関のようなものがあって、前面にはアテネ様式の彫刻があって、ロンドン王立公園から遠くない綺麗な場所にあって、息がつまるような旧式のダイニングルームとパッドで膨らませたアームチェアがあるところだ。

二度あることは偶然だが、三度あることは必然だ。1970年代に僕はたった二つだが大きな研究をした。日本移民と今のホワイトホールの公務員だけど、どちらも伝統的な知恵の地面から湧き出したものだつた。

その頃、誰もが「知っていた」ことは、職場のトップは心臓発作のリスクが高い、なぜならストレスだらけだからということだったね。サー ウィリアム  オスラーは知ってるね。ジョンス ホプキンス大学とオックスフォードの偉い医学教育者だったけど、1920年頃、心臓病は高位の職業者により多く見られるなんて書いている。オスラーさんが人々を殺すのは仕事のストレスだという推察を応援したのは間違いないけどね。

僕らが発見したのは逆のことだった。位の高い男性は心臓発作どころか他のたいていの死亡原因で死ぬ率が下の誰よりも低いんだ。前にもそれは社会勾配だと僕は表現したけど、雇われている位が低くなればなるほど手に手をとって死亡率が高くなるんだ。

さらに、伝統的な説明ではうまくいかないことがある。本当のところ、喫煙率は階級の梯子を下りていけばいくほど高くなって誰もがタバコを吸うところまで行くが、血漿コレステロールは梯子の高いところでほんの僅かに高いだけ、そして肥満や高血圧についての社会的勾配はあまりはっきりしない。

全部一緒にして、伝統的な危険因子では死亡率の社会勾配の約1/3しか説明できないんだ。何か別のことが起こっている。その意味では、僕の日系米人の研究に似ているよ。

伝統的な危険因子も作用している、しかし何か別のものが社会階層間の病気のリスクの違いの原因を担っている。
日本人のケースでは、僕はそれを伝統的な日本文化のストレス減退効果だと考えたけどね。

君はきっと考えるな、公務員組織のストレス?って。そうだよ、違うよ!
僕の同僚にTores Theorellというストックホルムの人と、ロバート カラセックという人がいる。
何を隠そう、カラセックがマサチューセッツで卵を食べていた男なんだ。
2人は労働ストレス説を苦労して創り上げた。
それによると、ストレスフルなのは、仕事の上で求められるレベルが高いってことだけじゃなく、求められるレベルが高くてかつ仕事に自分の意見が通らないことなんだ。

この発見をアルキメデスが大発見して風呂を飛び出した時、それをユーレカ モーメントEureka momentっていうのは知ってるね、それに匹敵することのように書くことも遠い昔になってしまったなぁ。しかしともかくそれはホワイトホールでの発見を説明できる可能性を開いたってわけだ。

いったい誰が組織のトップにいることがストレスフルだという噂を広げたんだろう。上の人は心理的に追い詰められるけれど、自分の好きにできるんだからね。

好きにやれるってことが、富裕な国ではなぜ社会的地位が高い人の方がより健康なのかを説明する仮説として大きくなった。

ホワイトホール研究については僕の前の本「ステータス症候群」で長々と書いてしまったので、ここで全部のエビデンスについてお浚いするのは止めておこう。最新のエビデンスはこの本の先で見つかるだろう。
しかし、ホワイトホール研究の中で僕が発見した社会的勾配の存在は、イギリスの国民全体データでも見つかったし、今や世界中で見つかっているということだけは言っておこう。それを理解しようとするもっとたくさんの研究が進んでいる。この点では他でもなく、イギリスの公務員制度がなお全世界をリードしているのじゃ!なんて。

さらにオックスフォードの社会科学者たちが僕につながってきた。道を踏み固めながらやってきたというところかな。

彼らは公務員制度だけではなく、より総合的に労働をヒエラルヒーに分類する方法を示して見せた。彼らは裁量の範囲を中心にしていた。地位が高いほど裁量は大きい。第二次ホワイトホール研究は裁量範囲が健康にとって重要だということを証明した。彼らは次のように言うの が好きだった「僕らが理論化したエビデンスがみんなの命にとって大切なんだ」。

この節の最初のところで、僕は少しとっぴにイギリスの公務員制度=ホワイトホールが僕の人生を変えたと書いた。確かに社会勾配と裁量(好きにできること)は健康と健康の不平等への僕のアプローチを変えた。つまり僕らは貧困だけでなく、社会全体に目を配らなくてはならないということなんだ。

貧困は健康に悪い。貧困を減らすために何かしたいと思わせる根拠はたくさん挙がっているし、その根拠のなかに貧困が健康に与える損害があるんだね。

しかし、勾配は違う。幅広く社会のトップから底の底までのあいだで、君が低いところにいればいるほど健康は悪い。この勾配はてっぺんの1%以下の僕ら全部を含んでしまう。

もちろん君は思うだろう、そうはいうけど門番や受付やお偉いさんのお世話係りはいつの時代だって必要じゃないかってね。

確かにこの世にヒエラルヒーは避けがたいものだ。しかしそのことは、健康の不平等、すなわち健康の社会的勾配も避けがたいって意味にならないんじゃないか。

続けて読んでほしい。健康の社会的勾配を減らすために僕らができることがたくさんあるというエビデンスはある、しかし、それには社会的行動に足を踏み出し、政治的な決断をする必要があるんだ。

だがそこに行く前に、僕らは巨大な量の作業がなされたことについて考えてみる必要がある。それは富裕な国の健康の決定要因に対する僕らの理解と、世界と世界の健康不平等のグローバルな姿を結びつけた作業のことだよ。

2012年にすごいことが起こった。WHOによると世界の平均寿命は70歳だった。聖書式に言えば「three score years and ten」だね(註 score =20)。

気の毒なことにその統計はほとんど完全に役に立たない。中国そのほか平均寿命が70歳以上の国と、インドそのほか、おもにアフリカだね、平均寿命70歳未満の国が丁度釣り合っていることが分かる。上げられている数字には38歳ものばらつきがある。シエラレオネの平均寿命46歳から、日本の女性の86歳まで。

僕が初めて平均寿命の最も悪いところを経験したのは、ニューギニアとネパールだった。確かに僻地の村々には医療施設がほとんどなかったが、健康が悪い原因を探し始めるのは難しそうだった。水が不潔なのと栄養が悪いところから始めるのが何よりいい場所だったからだ。ニューギニアの低地ではマラリアも特に問題だったが、人々が病気になるのを待ち、そこからやおら治療するより、蚊帳を普及し蚊を退治して予防するのがよほど良い選択肢に思えた。高地では誰もが咳をしていた。寒い高原の夜に暖をとるため、小屋の中で焚き火をするのが原因だった。安全なクッキング ストーブを使えば違うはずなのに。

こんな見込みのない状況で1970年代前半には健康が改善できると考えるのはちょっと希望が持てなかったな。しかし、そんなことはなかった。ネパールでは1980年から2012年までの間に平均寿命が約20年も改善して69歳になった。これはびっくりだよね。数字は多かれ少なかれ正確だと仮定しよう。この30年間に20歳分の改善ということが意味するのはカレンダーの1年毎に2/3歳の改善だよ。つまり24時間毎に16時間の改善だ。 富裕な国では今改善率は24時間毎にたった(!)6ー7時間ぽっちだ。

僕の言っていることには二つ意味がある。第一、世界を横切って健康と平均寿命の巨大な格差がある、単にシエラレオネと日本の間においてというのでなく、両者にはさまれたすべての光の影の部分、闇の部分においてだね。第二、健康は本当に素早く改善できるってことだ。そんな早い改善が僕のいう「エビデンスに基づくオプティミズム」を煽ってくれるのだけど。

2008年ごろ僕はサンフランシスコで講演した。その後友人が言って来た。「君の講義は何回も聞いたけど、君が指を振っているのは初めて見たよ。やっぱり何かいつもとは違うことが起こっているんだな。単に科学的なエビデンスがどうのというんじゃなくて、緊急事態、行動することを求める何かがさ」

彼は正しかった。僕は病気の社会的原因を研究し続けて、リサーチしたり論文を書くのに夢中の時間をすごしてきたけど、その日々の底には、(註 日本の丸山真男の用語をここになげこむと)通奏低音とでも言えばいいものが響いていた-すなわち、世界全体に社会的条件がこのように不平等に分布させられているのは正義にもとる、一国内での社会グループの間が不平等なのも同じだ。それは僕が見る健康の不平等の大半が不公正だということも意味している。

その通奏低音は次第に大きくなってきた。研究はすごく褒められたが、僕らは-僕はもちろんそこに含まれる-それについて何かしようと行動し続けるべきではないのだろうか?

どんな科学論文でも最後には見慣れたコーダ(註 音楽・劇の終結部)が付いている。

「もっと研究が必要だ、もっと研究が必要だ」 

馬鹿らしいったらない。新しいコーダを考えろよ。

「もっと行動が必要だ」くらいは。まあ、最初のコーダを否定する必要もないけどね。

今日について言えば、千年紀の折り返しにあたって(註 999年ー1000年が終わってまた001年からはじめるのだから折り返すというのも変ではない)、いまコロンビア大学にいるジェフリー・サックス教授、あの偉大な世界の貧困をなくす開発の唱道者、その彼がWHOのなかに設置された世界経済と健康委員会CMHを率いている。

CMHは致死率の高い病気を減らすためグローバルに大規模な投資が必要だという結論を出した。その結果としての健康改善は経済成長をもたらすだろうということだった。

僕の考えはこうだった。

結核、HIV/AIDS、マラリアという三つの重荷を減らす投資は拍手喝采だ。軍事費に使うよりよっぽどいい。

疾病コントロールが経済成長につながると主張することが行動を起こすのに役立つならまことに結構。しかし、しかしだ。僕の観点からはみんなは逆立ちしているんだなぁ。(註 マルクスがヘーゲルは逆立ちしているといったようなもの)

健康は強い経済という目的の道具では決してない。まちがいない、健康と幸福(health and well-being)はもっと次元の高い目標なのだ。

僕らは全ての人々(population)のより高い健康と幸福のためにこそよりよい経済と社会条件を希望するんだ。

若い理想主義的な学生として、僕はいっそうの経済成長への願望なんてものからスタートして医学を学ぶことを決めたりしなかった。僕が医学を学んだのは個々の人がより健康になれるようにと願ってのことだ。僕が公衆衛生分野、そして健康の社会的決定要因論へ進んだのは、社会がより健康的になるのを手伝いたかったからなんだ。

僕はこのことを経済学者にして哲学者のアマルティア・センと議論した。彼はそのときイギリスのケンブリッジにいて、今はマサチューセッツのケンブリッジにいる。

そして一緒にグループを作ろうと提案した。健康を改善するためには社会的条件を改善することが重要だと主張するグループだよ。CMHを批判しているわけじゃない。しかし、健康の社会的決定要因に基づいてグローバルに行動することが必要だというのはぜったいに重要なんだ。

アマルティア・センは賛成したよ。

いいことは別のいいことにつながっていく。2005年WHOの事務総長J.W.リーは健康の社会的決定要因委員会CSDHを設置し、僕を委員長に、アマルティア・センを特別委員にしてくれたのである。

僕らは委員会が正式にスタートする前に打ち合わせの会議を持った。名声高い学者は、委員会が開かれる前に委員会の最終報告書が実質的に書かれてしまっているような委員会の委員をいくつも引き受けてきたと言った。彼は「この委員会ではそれを嘘にしてしまおう」

なにしろ「マイケルはうぶだからな」。(註 これを言ったのはもちろんセンである)。

これは絶対に正しかった。僕は互いに学びあう運動としてCSDHを運営した。僕は政府の前首脳たちや、今の閣僚たち、学者、グローバルな委員会を立ち上げている市民団体の代表から学んだ。そして僕らみんなは自分たちが作ったグローバルな『知識のネットワーク』から学んだ。

CSDHからの学び、そして以下に言及する二つの引き続く実践(  註 マーモットレビュー、ヨーロッパレビュー)を、この本は伝えよう。

(註:WHOの事務総長について調べていたら、あのマッシー池田さんの次のような文章に出会った。そのまま引用

「2003年1月にWHOの事務総長として,前任の豪腕女傑ブラントラントの後任として,Lee Jong-wookが,WHO史上かつてなかった大激戦の末,選ばれた.東アジア系の事務総長と言えば,すぐに思い出すのが,彼の二代前,1988年から98年までの10年間の長きにわたってWHO事務総長を務めた,我らが中島宏博士である.しかし,2003年6月号のScrip Magazineは,リー氏と中島氏は,流暢な日本語を操る他には,何ら共通点がないとしている.

極端に悲観的な見方をする人たちは,リー氏の就任は中島宏博士が事務総長だった時代の再来になると懸念している.この懸念はWHOの職員を震え上がらせる.中島氏の在任中,WHOの信頼性,保健医療に対する貢献は最低の状態になった.WHOの評価を修復不可能なほど低下させたのである.しかしリー氏に関して同様な懸念を抱いている人たちは多くの過ちを犯している.(中略)

リー氏は中島氏とは全く対照的な人物である.第一に,中島氏は意思疎通に関して大きな問題を抱えていた.英語もフランス語も操れなかったため,最高レベルの会議や各国首脳との会合の際,大きな障害となった.しかし,リー氏はフランス語は話さないものの,流暢に英語を話し,日本語や韓国語にも通じている.また,事務総長以前の経歴は,中島氏の場合,地域事務局の運営に限られていたが,リー氏は大規模な国際的計画に関わっており,前任のブラントラント氏の最高政策顧問でもあった.つまり,リー氏は事務総長の職務に向けて十分に鍛えられている」 )

君が委員会報告を作り読み上げるとする。誰が聴いているだろうか?

たいていの報告書は棚でホコリまみれになる運命をたどるぜ。

それと違って、CSDHのレポートはグローバルなレポートだった。

最も貧しいところから最も富裕なところまで、国内的に国際的に健康の不平等に僕らは目を向けた。

インドのグジャラートとスコットランドのグラスゴー、ナイジェリアとニューヨーク のように似たような響きの土地の間の幾分かの違い、それをレポートの「推奨」という章ではしっかり見ようとしている。

僕らはその国に合ったやりかたで 僕らの「推奨」を「翻訳する」機構を立ち上げるよう、おせっかいしながらお勧めしている。

ブラジルは自分たちのSDH委員会を設置した。CSDHとブラジルの委員会はわかってきたことを共有した。チリも活動的になった、北欧にあわせてね。

イギリスではゴードン・ブラウン首相の労働党政府がCSDHレポートに照らした健康の不平等のレビュー作りを指揮するよう僕を呼んでくれた。目的はCSDHの推奨をイギリスに適した形に翻訳することだった。そのレビューを報告するため僕は九つの作業グループを立ち上げた。主要な領域のそれぞれの知識に貢献できるエキスパートをたくさん集めた。

これがマーモット レビューだ。「Fair Society,Healthy Lives 公正な社会にこそ健康的な人生はある」って題名で2010年に出版された。

もっと国際的な作業グループの結成、もっとたくさんの知識結集の現れとして、「社会的決定要因と健康格差Heath Divideに関するヨーロッパレビュー」(2014年出版)の製作・宣伝・普及がある。
 
ヨーロッパレビューはWHOヨーロッパ事務所長Zsuzsana Jakob医師が委員長となって作った。ここでいうヨーロッパ地域は、下のヨーロッパに旧ソ連の全部の国を加えたものだ。
 
ヨーロッパははるばるベーリング海峡まで延び、もうちょっとでアラスカに行ってしまいそうだ。
 
これは僕らがSDHを多くの国々の政策課題にできたってことだ。
 
CSDHレポートは棚の上でホコリにまみれて忘れられてなかったってことだ。

社会と健康はその正確がら高度に政治的な問題だ。僕らがCSDHレポートを出版したときある国はそれに「エビデンスつきのイデオロギー」というレッテルを貼った。それは批判のつもりだったらしいが、僕は賞賛だと思ったね。

僕は答えた「そうだ、僕たちはイデオロギーを持っている」 「避けられる健康不平等は不正義だ」-この本で後に示す例のようにね。「その不平等を正すことこそ正義に関わることだ。しかし、エビデンスは本当に重要だ」

週刊紙の「エコノミスト」は僕らの声明について思ったことを書いた。見開き両面を使って委員会のレポートを報道してくれた。ありがたいね。その記事の終わりはこうだ。

「新しいレポートの正気のアイデアが、著者たちのドンキホーテ的な『完全な政治的、経済的、社会的公正』に到達しようという決意によってあいまいにされるとしたら残念だ」

僕は格別「ドンキホーテ的」が好きだ。セルバンテスの傑作のなかで、ドン キホーテは或る朝目覚めて自分自身を中世の騎士だと思い込み、騎士道的行為をしまくる。風車に槍を持って突進し、ワイン壺を殺す。みんな彼を笑う。

僕は「ドン・キホーテはスペインの魂の一部だ」というスペインの保健相に言ったことがある。

「兜でも帽子でも僕に似合っている」
ちょっと馬鹿げた理想主義の騎士、世界をよりいい場所にしようと願っている、誰も彼をまともに相手にしない、これは僕そのものだ。
あぁ、その時保健相はこう言ったんだ。
「私達は夢見る人、ドン・キホーテの理想主義を必要としています。同時にサンチョ・パンザのプラグマティズムも必要としています」
僕はそれをエビデンスを備えたイデオロギーと呼ぶよ。
 
CSDHの発表の中で、僕たちは自分たちが行動に押し出されるのは経済的理由でなく、道徳的理由だということをはっきりさせた。本の裏表紙にはこんなことまで書いた。
 
「社会的不正義が大量に人を殺している」。
今ではそれはむしろ政治的に聞こえるな。だが、当時は僕らの分析はまだまだ政治的に十分じゃないと批判されたものさ。
 
健康は政治的なものだ、その通り。
しかし僕は政党政治からは離れて舵を取ろうと努力した。
できる限り、エビデンス自身に語らせたかった。
国家の役割と個人の自由 それぞれを強調しながら社会がディベートのためのディベートに耽るときこそ、僕は健康と健康の不平等の意味を前に押し出したい。
 
研修医としてシドニーの病院の病棟をうろついていたときから、僕は社会と世界の健康格差の大きさが僕らの社会の質そのものについて、そして僕らのなすべき仕事の仕方についてたくさん教えてくれるという考え方を守ってきた。

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2016年4月 7日 (木)

マイケル・マーモット「the Health Gap」序章(2)

僕にとってのDamascus moment(註:使徒パウロがダマスカスでキリスト教の弾圧者から信者になったことに因んで「改心の日」の意味)はシドニーにあったのかもしれないが、エビデンスを集める旅はバークレーで始まった。レオナード(レン) サイムと言えばまだバークレーにいる。
僕があんまり変な質問を連発するので、シドニーの指導者は僕をそこに追いやったのだが、1960年代の学生反乱の経験の直後のバークレーは変な質問をするにはいい場所だとも考えたわけだ。実際にサイコーの場所だった。

バークレーでサイムはこう言って僕に衝撃を与えた。「お前は医学の学位を持っているが、それで健康が分かるってものじゃない。健康がお前が見る通りの偏りをしている理由を分かりたけりゃ、社会を知らなきゃいけない。俺はずっとそれに苦労しているんだ」

僕のアメリカ人のある同僚は朝食にスクランブルエッグを食べるのを楽しみにしていた。彼はストレスが健康に与える影響を研究していたが、脂肪が多い食事の害を否定していなかったので、卵道楽は日曜日の朝だけにしていた。ある日、彼が卵のカートンを開けると印刷された紙が入っているのが分かった。錠剤の入った箱のような小さいもの。貧しく絶望した魂よ、僕ら活字の虫よ、今でもその紙は卵のカートンの中にあって、読むことができる。
その紙は彼にマーモット氏のカリフォルニア日本移民の研究を発見させるための陰謀だったのだ。1970年代の研究で、コレステロールは心臓に悪くない、ストレスが一番悪い、悪いのは食事ではないと書いてあった。
いやはや。

僕はもちろんマサチューセッツの研究者がたった卵のカートンの中に入っているもので朝食時間いっぱいかかって僕の研究について学ぶことができたのを喜びにする。
それ以上に宣伝文句を考える人が正しく理解したことの方が嬉しい。もちろんそこにはちょっと複雑なものもある。二つのアイデアを同時に頭の中に保持する能力が必要なんだ。しかし、卵のカートンの宣伝員にはそれができたに違いない。

日本人移民が太平洋を渡って来た時、彼らの心臓病発症率は上昇し、脳卒中発症率は低下した。僕がこれでバークレーの博士号が取りたかったって?そうとも!すごい自然実験じゃないか。もし君がある病気の遺伝的、環境的寄与を分類しきろうとしているときに、ここに、多分同じ遺伝的な生まれつきで、違う環境で生きた人々がいるんだよ。ハワイの日本人は日本にいる日本人よりも心臓病発症率が高いが、カリフォルニアの日本人はハワイの日本人よりさらに高率だ。白人のアメリカ人はもっと高い。

これは恐るべきことだ。君はこれ以上に誰もが納得するような環境の健康に対する影響を評価する良い実験をデザインできるかい。最もありそうなことは、病気の発症率が変化することは文化や生活様式についての環境に関連した何かを僕らに示しているということだ。生活がアメリカ化するということは心臓病につながる、逆に日本の文化は心臓病を防いでいる。しかし、そのことは実践上は何を意味しているんだろう?

当時の伝統的な知恵は、今でもそれは生きているが、脂っこい食事が犯人ってやつだ。実際に僕はまさにそれを言っている委員会の議長になったんだからね。日系米人はいくらかアメリカ化した、伝統的な日本食より脂質の多い食事をとっていたから、日本の日本人より血漿コレステロール値が高かった。食事とコレステロール高値は心臓病発症率を高める役割を果たしそうだ。おまけに、血漿コレステロール値が高ければ高いほど心臓病のリスクも高いと来る。だったら、卵パッケージに入っていた紙片は終わりだ。アイデア1を見逃した。そう言われることは僕にとって実に遺憾だ、しかし伝統的な知恵もいつも間違っているというわけではない。

今アイデア2がある。日系米人は故国の日本人より背が高く肥っていて、ハンバーガーが大好きだ、しかし、彼らの家族や友人との付き合い方は、より緊密な日本文化の方に、より社会的に地理的に移動しやすいUSの文化よりも似ている。

それは面白い、しかし健康にとって重要なことか?
いかにも日系米人らしい名前の日系米人社会科学者であるスコット・マツモトは 日本文化の凝集性はストレスを減じる強力なメカニズムだと推察している。
このストレス減少が心臓病を防いでいる。僕はストレス研究を転換させてしまったそのアイデアが格別好きだ。プレッシャーのもとにいることがいかに心臓や血管を損ないきるかということを見ないで、人々の社会的関係がいかにポジティヴで支持的かに注目する。

僕ら人類は噂話をし馬鹿話をする。猿はグルーミングをする。もしもだ、人類にしろ、非人類の霊長類にしろ、僕らが相互に助け合うとしたら、それは内分泌環境を変え、心臓発作のリスクを低くするだろう。

これがもし本当なら、僕が思うに、ハワイの日本人はカリフォルニアの日本人より文化を維持している点でより好条件にある、だからハワイの方が心臓病発症率が低い。もっともな推察だと思うが検証はしていない。
カリフォルニアの日系米人についてはもっと直接的にこの仮説を検証するデータを僕は持っている。日本文化により深く巻き込まれ凝集した社会関係を持つ日系米人男性は、日本文化的でなくアメリカ的生活様式をより取り込んだ日系米人男性に比べ心臓病の率が低い。それが僕の発見したことだ。そして、その研究成果がおそらく卵のカートンがその「ニュース」を手に入れた源なのだ。

文化と社会性でより日本人らしさのあるカリフォルニアの日系米人男性が明らかに心臓病から守られているということは食事のパターンや、喫煙や血圧や肥満からでは説明できなかった。(註 日本文化的かどうかで2種類に分けられる日系米人グループの間には、食事や喫煙、血圧、肥満の差がなかったことを意味する)
文化の効果は食事や喫煙というありきたり原因の代理指標ではなかったのだ。(註 それが独立して原因になる)

そこで二つのアイデアについて。伝統的な知恵は正しい。喫煙や食事は心臓病の重要な原因だ。そして、一方も正しい。伝統的な知恵にも制約がある。別のことも起こっているのだ。日系米人の場合、それは文化的に日本的であることによる防護効果だった。

この本を通じて君に示したいことはどれも単純な主張だ。病気の原因についての伝統的な知恵は正しい、しかし制約がある。例えば富裕な国では ある個人が病気になり、別の人はそうはならないのは何かについて僕らは随分のことを知っている。喫煙習慣、食事、飲酒、運動不足、さらに遺伝的な体質ーこれらを伝統的な知恵と呼ぼう。しかし、配偶者から感情の上で虐待されていたり、家族の揉め事があったり、失恋したり、社会の片隅に追いやられたりしたら、それらはすべて病気のリスクを高めるのだ。だからこそ、人の支えがあったり、みんなで集まる社会的グループは防護的なのである。
もし僕らが健康や病気が目の前にあるような偏った分布をしているのはなぜかを理解したければ、僕らはこれらの社会的原因について理解しなければならない。 まして、それを何とかしたいというのであればなおさらのことだ。

British Civil Service 以下イギリスの公務員制度は僕の人生を変えた。全然ロマンティックなものでなく、公認会計士からちょっと儲け話を吹き込まれたようなことなんだけどね。

女王陛下の忠臣の規則正しいペースと注意深いリズム(註 逆、これじゃ仕事にならない)は僕の仕事にどうしたって深い影響を 与えないではおかなかった。うーん、公務員組織の実際面での保守主義というだけでなく、僕らが発見した健康パターンのドラマだよね。不平等が真ん中にあるな。

公務員制度はドラマチックとは真逆だよね。我慢して話を聞いてくれる?長官との会議に招待されるとするね。考えてみて。それは階級制度による審判trial(註 カフカの小説「審判」の英語題名)だ。君がビルに到着する、すると誰かがドアを守っている。警備員の一員だ。君のカバンをチェックした人物がセキュリティ・ゲートを通してくれるだろう。

事務補助官が君の名前を確かめて5階のオフィスに電話する。上級の事務官が君を5階にエスコートしてくれるね。
そこでは長官補佐が出迎えてくれるわけ。同席する予定の技術職、医者と統計屋だね、これはもう来て待っている。
それから大物の男、あるいは大物の女の野心的な次官が「リチャードやらフィオナやらは間も無くいらっしゃる」と言う。

そしてついに君は密かに研究していたことが今や公になる本物の駆け引きに案内される。最後の10分で公務員制度の階段を登る旅を完成したというわけだ。その旅は誰かにとっては一生かかるんだ。

警備員、事務補助官をすり抜けて、管理職クラス、専門家、次官そして頂上すなわち長官だ。ここまでのところは退屈至極だ。民間の保険会社も全然違わないんだけどね。

官僚組織のこの階段の驚くべき性質は健康マップをそれに重ねるとピッタシ一致することだね。
底の方、つまりドアのところにいた男は一番健康状態が悪い。平均しての話だけど。それからだよ、僕らがあった人物はみんな一つ上の階段にいる人より健康が悪く余命が短いのさ。逆に下の段にいる人よりは良い。健康は位によるんだ。

僕らの公務員の死亡率についての最初の研究は 1978年から1984年だったのだけど「ホワイトホール研究」って言います。対象は、不幸にも全員男性だったのだけど、一番底にいる男性は頂上にいる男性の4倍の死亡率だった。ある時の特定の期間に4倍も死にやすかったということなんだ。

底からトップに向けて健康は確実にランクごとに良くなっていく。この社会的地位と健康の関連ーランクが高ければ、健康も良いーを僕は健康の社会的勾配と名付けた。
この勾配の原因の研究をすること、こんな健康の不平等の政治的意味の秘密を探り出すこと、そして変革を唱えること、これが、それからの僕の仕事の中心になり続けたんだ。

ようやく僕は知的に地理的にもちょっと回り道してホワイトホール(註 イギリスの霞が関)にたどり着いた。

君は公衆衛生には興味がないかもしれないけど、それともちょうど興味を持ったとこで、そして、貧しい国では有病率が高くて、人々が富裕な国に比べると若いうちに死んでしまうことに気付いていないかもしれない。間違いなく貧困は健康を破壊する。だが富裕な国には貧困はないのだろうか。
その問題は1970年代のUSでは隙間に落ちていた。結局USAは自分自身を階級のない社会だと考え、健康や病気の率に社会階級間の差はありえないってことにしたんだ。ね。間違ってるよね。完全に間違った伝統的な知恵の一端だよ。

本当のことはかってのソ連のサミズダート(地下文書)のようにわずかな数だけ印刷した論文の形で手渡しされていた。そのうちの一つはレン サイムと僕の同僚リサ バークマンが書いたものだ。リサは今ハーバードにいる。
USAでは社会的不利を背負った人々は健康の悪化に苦しんでいた。しかし、それはみんなの関心からは遠く離れていた。人種や民族特性が関心の大半を占めていたんだ。階級と健康なんて真面目に研究するものじゃなかった。不平等と健康は完全に問題外のことだった。資本主義の害悪について書いている、たった数人の先駆者を除けばね。

もしこの惑星に社会階級差に気づき、健康の社会階級間の違いを研究している国があるとすれば、それはイギリスだ。そして、もしイギリスの中に社会の階層化が際立ったところがあるとすれば、イギリスの公務員制度だ。ホワイトホールって名前で有名だ。

バークレーから我が家に僕は帰って来た。ここのところはちょっと説明が必要だ。生まれはノースロンドンなんだよ。家族でオーストラリアに渡ったのは4歳の時だった。それからシドニーに住んで、数年は街の通りでクリケット遊びをやったりしながら学校のディベートチームで演説し、医学を学んだ。そしてカリフォルニアのバークレーに送り出されたってこと。

ロンドンの熱帯医学研究所で疫学の教授だったドナルド・ライドが僕に来ないかと誘ってくれたんだ。もし僕が安い賃金でも我慢して、他の場所(ハワイやその他だね)で研究するチャンスも諦めて、研究資金が乏しくても、知的な議論だけはとびきり熱い所で働きたいなら、ロンドンはそういう場所だと勇気付けてくれた。どうしてこんな魅力的なオファーを断られるだろう。ドナルド ライドは「ロータスランド」つまりなんでもやりたい放題のところにいる君が心配だと言った。バークレーのことだね。めちゃ面白い。彼はスコットランドの長老教会派で僕の暮らしがうまくいくとはちょっと思えなかったのだ。ロンドンの生活はまさにそうだった。1976年のイギリス経済はIMFによって苦境を脱したばかりだった。破滅感がはびこり、労働党政府はよたよたと断末魔に近づき、まるで明日は来ないかのように公共支出を切りまくっていた。僕らはうまくやっていけるかどうかわからなかった。

しかし、ロンドンに来て6カ月後(僕は1976年10月に着いた)、日が照って、みんながウールのセーターを脱ぎ、道路が乾き上がり、花々が咲いたのを見た。僕はカリフォルニアに残してきた友だちに毎日手紙を書くのをやめた。そして、ドナルド ライドが約束したものを楽しみ始めた。それは苦しい生活なんかではなく特権だった。


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2016年4月 5日 (火)

マイケル・マーモット「the Health Gap」序章(1)

おおよそ、以下のような内容。ざっと紹介した後、簡単に感想を書くつもりだ。

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なぜせっかく病気を治療した患者を、その病気を生んだ環境に返すのか?

その女性は悲惨を絵にしたようだった。まるで謝っているかのような足取りで受診し、医師の前の椅子に縮こまって座り込んだ。外来診察室の退屈さは、愛想がなくて手入れもされていなくて救いようもなかった。僕が気分良くされるものは何もなかった。

「調子が良かったのはいつまで?」と中欧なまりで精神科医は質問した。だいたいに精神科医は中欧なまりで話すもので、オーストラリアでさえ例外ではない。

「先生」 患者は言った 「夫はまた大酒飲んで私をぶつし、息子は刑務所に送り返されたし、娘は二十歳にならないのに妊娠しているし、私は毎日泣いています。何もする気力がなくて眠れません。生きていても無意味です」

女性が鬱状態だとすぐわかる。僕の気分はさらに落ち込んだ。1960年代の医学生として僕はロイヤル・プリンス・アルフレッド病院(シドニー大学の教育病院の一つ)の精神科外来で見学していたのである。

精神科医は女性に青い錠剤をやめて赤い錠剤を試すように言った。医師が1ヶ月後の予約票を書くと、女性は悲惨を絵にしたままで帰って行った。

「これだけですか?他には何もないんですか」という目を向ける疑り深い医学生に精神科医は「私にできることなんてほとんどないよ」と言った。

女性は赤い錠剤のなかの物質が欠乏して苦しんでいるなんてとても納得できなかった。鬱状態が生活環境と関連しているのは誰が見ても明らかだった。

個人的にできることはほとんどないといった精神科医は正しかったのかもしれない。しかし、僕がこの本に書くのは、僕がそれにずっと疑問を呈してきたということだ。僕にとって、できることが何もないなんていうことはありえない。「僕ら」はこの女性の鬱状態の原因に注意を払うべきだ。「僕ら」がどういう人間であるべきで、僕らが何をなすべきかという疑問こそが、僕の精神科への浮気を棄てさせ、病気の社会的原因を探求させ、ずっとのちにはそれを指導して回る道を「追求させた理由である。

この本ははるか昔のあの荒涼とした精神科外来から始まる僕の長い旅の結論である。

精神疾患への疑問に限らない。人々の生活は身体疾患の原因ともなるのである。僕がシドニーで研修していた市中教育病院はギリシャ、ユーゴスラビア、南イタリアからの大きな移民グループの面倒を見ていた。彼らは腹痛のため救急外来によく来ていたが、自分の症状を説明するのに英語がうまく使えなかった。僕ら若い医師は制酸剤を与えて返すよう教えられていた。

それはだめだと僕は気づいた。人々は生活の中にある問題を抱えて病院に来るのに僕らは制酸剤の白濁液のボトル(註 マーロックス)で治療しようとするのである。僕らには何か道具が必要だ、と僕は考えた、生活の中にある問題を扱うための道具である。

周囲から尊敬されていた先輩は精神生活には連続性があると僕に述べた。おそらくストレスに満ちた環境が精神疾患をもたらすというのは驚くほどのことではないが、と彼は言った 「生活ストレスが身体疾患を引き起こすことは本質的にありそうにない」。もちろん先輩は間違っていた。そのとき、僕は彼に反論する証拠を持っていなかった。だが今ならある。

精神生活と避けることが可能な病気とに関した証拠はこの本の中を貫いている。たとえば、死も精神の中にあるだけでなくむしろ身体的なものだ。精神疾患のある人は、精神疾患のない人に比べ10-20年寿命が短いことが分かっている。

精神の中で何が起こっていようと、それは精神疾患におけると同じように身体疾患のリスクや死のリスクにおける影響をもたらすのである。

そして、精神の中に起こることは、人々が生まれて、育って、生きて、働いて、年をとる状況によって深く影響されるし、また日々の暮らしの中でそれらに影響する権利や経済力や利用できる資源の不平等にも深く影響される。

この本の大半はそれがどのように作用し僕らがそれについて何ができるかについて費やされている。

そのころの医学は考えれば考えるほど予防に失敗していた。

社会の隅っこにいる人たちの腹痛やDVで苦しむ女性のうつ病についてだけでなく、医学の大半について僕は言っているのだ。外科手術はがんに対してはやはり粗漏なアプローチのように思える。喫煙をなくせば肺がんはほとんどすべて予防できる。当時は知らなかったが、癌の1/3が食事で予防できるのだ。心臓病こそは、ただ発作を待って治療するより予防したいと思うものだ。脳卒中も食事と高血圧治療で予防すべきものである。もちろん外傷には外科手術が必要だが、外傷そのものを減らすような手立てを取らなくてもいいのだろうか?

とはいえ自転車事故を起こしてしまったとき、無料で受けられた手際のよい外科治療にとても感謝している僕なのだが(ありがとう、NHS)。

予防のためといえば、以前は推測であり今は証拠があることなのだが、生活や運動や食事や飲酒を賢く自分でコントロールできること、幸せな休日にくつろぐことは、お金の苦労や社会的な苦労から快適に解放されているのなら、まことに結構なことである(ついでに、僕のような医者が働いていた貧乏人向きの公立病院にかかるのではなく、金持ち向きの開業医にかかることも付け加えておこう)。

だけど、あの精神科外来にいた女性に「タバコを止めるべきだ、夫が殴るの止めるやいなや、二人は一日に5種類の果物や野菜を取るよう努力しなければならない(たとえ一日五つのスローガンがなくても健康な食生活について知ったのだから)」と教えるべきだったのだろうか?

社会の隅っこの孤独な存在である移民にフィッシュ アンド チップスを食べるのをやめて、ジムの会員になれと僕らは教えるべきだったのか?

そして、健康は自己責任に属することだと主張する人々のために、僕らはあのうつ病の女性に気を引き締めて(pull her socks up=褌しめなおして)自分で解決しろというべきだったのか。

それから続いて僕が考えたことは、僕が観察している患者の特徴は社会的に不利であるということだった。それは絶望的貧困とは限らない―というのは、うつ病の女性の夫は働いていたし、あの移民は他の移民と同様に社会に足がかりを得るため激しい労働をしていたからである。

事実、あのうつ病の女性に起こっていたこと―DV、息子の入獄、ティーンエージャーの娘の妊娠は、最下層の人々の中ではごく普通のことである。

僕は社会的不利を行動のなかに見てきた―貧困だけでなく、社会的地位の低いことも、病気をもたらす生活問題をひきおこすのである。

彼女は病気だった。すなわち火事はもう荒れ狂っていたのだ。彼女を薬で治療するというのは火事を消すのに役立つかもしれない。しかし、僕らは火事を予防する仕事をしてはいけないのか?

なぜ、治療した人をわざわざ、病気を生み出している状況の中に送り返すのか?

そして、これは自分に言い聞かしたのだが、そのことは次のことに必然的に結びつく。病気を生み出す環境に関わること、単に錠剤の処方を書くのに終わらせないこと、予防に関心をもってもらったら、人々によりよく行動することを教えること。

しかし、医学生だったその頃、そして、それ以降も、医者から言われたので体重が減ったという患者に出会ったことがない。

僕らは医師として病気を治すように訓練されている。当然だ。しかし、振る舞いや健康が患者の社会的条件に関連しているのであれば、自分自身に質問するのだが、その社会的条件を改善するのは誰の仕事になるべきか?この問題に医師一般は、少なくともここにいるこの医師は巻き込まれないでいるべきなのか?

僕は人々がより健康であってほしいと思うからこそ医師なのである。

単に人々が病気になったとき治療しているだけなら、せいぜい間に合わせの対策でしかない。医師は進んで人々を病気にしている条件を改善することに巻き込まれるべきだ。

僕はそのための根拠を得た。これからもそうする。

根拠とまではいえないが、しかし、僕の医学の先輩たちの多くが僕に支持を与えてくれた。彼らは余りに忙しく消火に当たっていたので、火事を起こしている条件の改善のために力を割くことはできなかったのだ。

こんなことを考えながら、僕は呼吸器病棟の研修医として働いていたが、ある日、結核のロシア人患者を担当した。指導医に患者をプレゼンテーションしたとき、僕は医学的な病歴をすっ飛ばした、今思い出しているのだが、こんな風にやってしまった。

「Xさん、ロシア人ですが、まるでドストエフスキーの小説の登場人物です。人生という高速道路でつまづきました(おどおど)。ギャンブラーのように幸運を使い果たして、アルコール中毒で、恋愛に失敗、いまは、あたかもロシアの小説のなかにいるごとく、結核になってしまいました」

2、3日後呼吸器科の主任医師が僕を医局の隅に引っ張っていき「君ににぴったりの分野を見つけたぞ。疫学って言うんだ」

(厄介者の僕を追い出せれば何でも良かった)

「医者と人類学者と統計学者が一緒に仕事して、住むところや暮らし方によって発病率がなぜ違うかを明らかにしようとしている。君を、カリフォルニア大学のバークレーに研究員資格で派遣して レオナード・サイムの元で疫学の学位をとらせる」

社会的条件が健康や病気にどのようにして影響するのかを実際に研究できるというアイデアは僕にとって一つの天啓だった。病棟を歩き回りながら僕は自分に言い聞かせていた。

「もし社会的条件が身体的あるいは精神的な病気の原因になるのなら、ある社会の有病率は僕らに社会自体についての何かを教えてくれるはずだ」

今ではこれが当たり前に聞こえることは分かっているが、当時の僕は医学の訓練を受けていただけで、哲学については教えられていなかった。

それは「健康的な社会」という用語が二重の働きをすることも意味していた。健康的な社会はきっと市民のニーズに応えるためよく働く社会だろうし、だからこそ、そこにより良い健康がある社会であるのだろう。

スペイン語ではSalud(健康)、ドイツ語ではprosit(あなたにいいことがありますように)、ロシア語ではVashe zdorovye(あなたの健康のために)、ヘブライ語ではLChayyim(命に)、マオリ語ではora(命に)。英語ではCheers、Bottoms up、Here's lookin' at you kidと言わないときにはGood healthという。人々はどこでも健康に価値を置いている。人々は一緒になって健康に良くない何か、すなわち飲酒をやらかす時でさえ、お互いの健康を願って乾杯することを忘れない。健康は僕たちの全員にとって重要なことである。

しかし、じっさいは他のことが優先されている。

シドニーでの経験の40年くらい後に、僕はロンドンの貧困層の何人かにどんな気持ちで暮らしているのかを質問した。

家族や友情の大切さ。子どもの心配ー安全な遊び場、いい学校、たちの悪い友人に引きずられてトラブルを起こしたりしないこと。家族を養い、暖房し、たまに息抜きするのに十分な収入。快適な家。緑地があり、便利な公共交通機関、商店や娯楽施設があり、犯罪のない地区に住むこと。しっかりして興味を持てる仕事があり、失業する心配のないこと。年寄りがゴミ捨て場に投げ出されないこと。

ロンドンの富裕な地域で質問しても、実際に答えはほとんど違いが なかった。

ついで、僕は健康についてどう考えているか聞いた。

貧しい国々では病気は非衛生的な生活環境と医療の欠乏によるとみんなが言った。

豊かな国々では誰もが清潔な水と安全なトイレを使っており、病気は医師に面会しにくいことと僕ら自身の気ままな行動、おそろしく無鉄砲な飲酒、喫煙、ぐうたらして肥ること(僕が控えめに翻訳)、それから単に遺伝上の運の悪さだとみんなが言った。

僕がこの本で言いたいことは、これらの情報は健康にとって何が重要かという点で間違ってはいないが、あまりに偏っているということである。

精神科外来のうつ病患者、腹痛の移民、結核のロシア人-これらは普遍的なものであり例外なんかではない。

僕らは本当の原因は生活の中にあり、一秒一秒、一日一日、一年一年健康に深刻な影響を与え続けているのだということをもはや知っている。人々が生活する条件、ロンドンでの情報提供者がその気持ちを語ってくれたこと全部が、彼らの健康を決める主原因なのである。

中心課題は、子どもの未来にしろ、社会にしろ、経済にしろ、決定的には健康にとってにしろ何がいいかということより、日々の生活の好条件、すなわち本当に大切なことが不平等に分配されていることなのだ。

生活上のいろんな機会の不平等な分配の結果は健康が不平等に分配されることである。

君がもっとも幸せな環境に生まれれば、不幸な生まれの人に比べ健康な生活が19年以上延びることを期待できる。不平等の悪いほうの端にいれば、能力を伸ばすこともできないし生活のコントロールも奪われる。結果的に健康が損なわれる。そして、そういう効果は勾配がある。社会的不利が大きくなるにつれてその分だけ健康も悪くなるのだ。

このことを見つけるのはすばらしく興味深くスリリングでもあるだけでなく、、エビデンスは回答も与えているのだということに転回する。僕らの生活条件をどう改善するか、健康をどう改善するかはこの後の章で述べる。

僕らは変えられるという知識は僕らを励ます。僕らは変えなければならないという論争では僕は絶対に自信がある。

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2016年3月28日 (月)

葛西・草葉訳の「マクウィニー家庭医療学」パーソン書房2013

○初歩的な話だが、「家庭医療」の家庭とは何かという疑問は誰しもが感じることだろう。家庭、その背景になる家族のどちらも変化が早い。例えば一人世帯の人が急増する社会の中で家庭医療が普遍的に成立するのだろうか。
 
葛西・草葉訳の「マクウィニー家庭医療学」パーソン書房2013を読み始めた当初、僕は早々と、家庭=家族=文脈contextと考えることにした。
家庭医療学ではなく、文脈医療学 cotext oriented medicineではないのか?
 
その後マクウィニーさん自身が「家族とは何か」という項目を立てて解説しているのに気づいた。
 
〈家族を特定の血縁集団と同一視することは間違いだ。
「歴史と未来を共有する親しい関係にある集団」と定義するのがよい。
典型的でない家族の様式は珍しくない。極めて多様であるのは当然だ。
しかし、工業社会の中で大家族が消滅したことを強調しすぎてもいけない。通信交通手段が発達している中で、どのように地理的に分散していようと、家族は頻繁に連絡し、重大な局面では団結し、地球の果てからでもやってくる。〉
 
簡単に家族=context としたのは、いつもの僕の粗放すぎる理解の仕方だったようだ。
○本を読み終えることにも軽い喪失感はある。
葛西・草葉訳「マクウィニー家庭医療学 上巻」
読み直せばよいのではないか、と言われるかもしれないが読み始めたときの気分は戻ってこない。
原書を注文しよう。

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