2025年5月23日 (金)

今日ー藤津章智市の死去と 山口県保健医療計画

今日は、大学卒業後に僕らの医療生協に就職し、退職して(安倍晋三氏の実家のある)日置町の町会議員になり、ずっと後には僕が彼の担当医を務めた長期療養時期もある藤津章智さんが、僕より10歳も若く亡くなったというのをFBで知ることから始まった。亡くなった病院に転院するための紹介状を書いたのも僕である。


僕が定期的に寄稿している『山口民報』を病床上で編集していた姿を思い出す。今月の締切が迫っているが、彼が編集してくれることはないと思うと、何を書こうかと思う。


午後は、医療生協の山口市事務所に行き、山口県からの出前講座として「第8次山口県保健医療計画」の概要を講義してもらう。

山口市事務所から見ると定期開催の「山口学」の一環である。


そこで思ったのは、「保健医療計画」と言っても、大目的は県民の幸福のためにあるのであって、「予防と医療」にとどまってはいられないということである。貧困と格差こそ健康破壊の最大の元凶なのだから、それと戦うことなしに県民の健康と幸福は獲得できないのである。

そのためには医療側に積極的に福祉に関わるセクションを実装する必要がある。


実は地域福祉室「メロス」設置はそれを示すための壮大な構想だった。


つまりは、多くの病院が、医療+保健(予防)に携わるだけでなく、貧困・格差との戦いの先頭に立つ福祉セクションを設置すると県民の安心が質的に変わるので、県はそれに援助を惜しんではならないことを示したかった。

例えば、各病院の雇用するソーシャルワーカーの人件費は助成するくらいの気概が望ましい。


そのさい、つくづく思うのは、県がどのように病院に支援を振り向けるかという戦略的課題である。


いまはやはり高度急性期を担う大病院への支援が突出している。地域枠で優遇する医学生の卒後の勤務先も公的病院に限られている。公的病院の中には美祢市立病院のような病院家庭医療を特徴にし始めた中小病院や僻地診療所も含まれているが、それは例外に過ぎない。

多くの人が考えるのは、大病院への医師集積を強めれば病院の競争力・医師吸引力もついて、山口県を去る傾向の顕著な若手医師を県内に引き止められるということだろうが、結局は大都市部の急性期大病院に勝てるわけがないので、残念な傾向は変えられない。


ではどうしたら山口県の医療の全体像に魅力を感じる若手医師を増やせるかというと、ヒューマンで個性に富んだ中小病院を育てることである。地域福祉室「メロス」が「自ら壁や限界を作らない住民支援」をしている宇部協立病院をその先駆けの一つと思ってほしい。


いまひたすら落日の途上にある中小病院が再び強くなれば、救急医療も潤滑さを取りもどす。疲弊のあまり「救急車、救急室利用」を自分たちの判断による有料制にしたいと考える大病院勤務医の気持ちも変わるはずである。

県は思い切ってそこを支援する必要がある。


そのためには山口県独自に「公的病院」の枠を広げつつ、意図的に中小病院の公共的な性格を高めて、それを積極的に「公的病院」に取り込み、若手医師配置の対象とするのがいい。公共的な性格の強い医療生協立の健文会の病院診療所はその時真っ先に上がる対象である。


中小病院の支援に格段の力を注ぐというスタイルは実は、県の戦略として普遍的なものである。


いろんな市町で比較的最近制定された「中小企業振興基本条例」は知る人は少ないかもしれないが、自立した地域経済づくりの大黒柱である。

中小病院振興はその主要な一環であり、次に制定されるべき「生活保障基本条例」を生んでいくものでもある。


以上のことを理解してもらえれば、深刻な貧困・格差と気候危機に直面している山口県において、先進的に「ケアの倫理」に貫かれた地方自治・住民自治を作って行く第一歩は、心の通う・個性ある中小病院育成にあることが見えてくるのではないかと思う。


そういうことを、1時間半考えた山口市事務所企画となった。


もちろん、病院に帰ってくると、留守の間に思いがけないことが生じていて、先程までその処理に追われるというおまけのあったのであるが。

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2016年5月29日 (日)

振り返り

まったく実も蓋もなくいうと、医療生協理事会は、出資者代表としての組合員理事が、職員がその労働によって生み出した利益のうち自分の取り分の使い方を議論するところである。

職員には職員の自治を認めよ。勝手に号令するな。必要なのは、職員と組合員という相違う二集団間の節度とレスペクトだ。

(レーニンは労働者と農民という相違う階級の対立が起こればソヴィエト政権は崩壊すると予言した。全集第32巻)

こんなことをいう理事長なら辞めさせようというなら、辞めさせてもいい、勝手にしろという構えで臨もう。

だが、一方には、労働法も組織原則も無視の権威勾配集団も出来上がっているから、これに対抗するためには辞めるわけには行かないかなぁ。

・・・経験では、こうして自分が組織内の多方面に向いた「正義の使者」に思えるときは、点検すると自分が気づきにくい大きな間違いを抱えていること、たいていは大きな相手を見失っていることが多い。振り返りが大切だ。

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2016年5月12日 (木)

避難者健診の必要性

熊本民医連の歯科医師が避難所訪問で避難者の健康悪化を危惧したとSNSに投稿しているのを読んだ。

東埼玉病院の中野智紀先生が大略

「東日本大震災の避難者健診をしたら、問診では大半が異常なしと答えながら、健診結果は大半に異常があった。

これは被災者は訴える力も失っているからだ」

と教訓を引き出していたのを読んだことがある。

まさにいま自治体が早期の避難者健診を企画するときではないかと思う。

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2016年5月10日 (火)

人間の復興

日本国憲法25条「生存権」の源を探ると、大正時代に活躍した東京商科大学(現在の一橋大学)教授 福田徳三に行き当たる。

さらに福田徳三に影響を与えたのはドイツのアントン・メンガーという法学者だと言われている。メンガーの思想はドイツのワイマール憲法に結実している。

したがって、憲法25条「生存権」の実現を使命とする民医連にとって、福田徳三、アントン・メンガーは、人的なつながりは全くないにしろ、思想的な先行者として尊ばれなければならない人たちである。

それは置いておくとして、福田徳三の生存権思想がもっとも顕著に示されたのは、関東大震災時に著された「人間の復興」論である。

被災者の生活、生業、人間性の復興を抜きにしたハードの復興はナンセンスだというその明白な主張は、「地域住民主権」思想に結びつき、阪神大震災、東日本大震災の際に声高に唱えられた「選択と集中」による「創造的復興」という惨事便乗型資本主義、ショック・ドクトリンと真正面から厳しく対決するものである。

「人間の復興」論は今回の熊本地震のみならず、災害復興における僕たちの不変の原則である。

と同時に、災害時の活動こそ「生存権」実現への姿勢が最も鋭く表現されるものであることも改めて意識しなくてはならない。

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2016年5月 8日 (日)

被災地の振り返り

まったく私的な振り返りに過ぎないが、被災地に出かけた2回の経験を比べてみよう。

2011年3月の宮城県松島町・東松島市での経験は、周囲の医療機関が完全に機能を失って、かつ他の医療支援チームも十分には来ない中で、避難所にいる人たちの薬物治療継続に目標を限定したようなものだった。

可能な限り自分の病院から持ち込んだ降圧剤や胃薬、抗痙攣薬やインスリン、鎮痛剤その他をなるべく長期処方して行った。そして薬が底をつく頃に帰った。そんなことに意味があったかどうかはいまだに分からない。睡眠導入剤を多くの人に処方したのは軽率だったと反省している。

現地の民医連には宿泊と避難所までの運搬をお願いしただけで、内容は統制されない我流のものだった。

今回の2016年5月の熊本での経験は完全に民医連の組織の統制のもとでの活動で、十分に機能している急性期病院の外来診療の補佐に限定されていた。

その病院の電子カルテ他のシステムに慣れればいいだけだったが、来院する患者さんの誰からも深い不安が感じられて、次第にこんな短期間でこの人たちから離れて地元の日常にこのまま帰っていいのだろうかという罪悪感のようなものが生じてきた。

問診に割く時間が比較的長く取れたことによると思うのだが、そのために現れる不全感が今回の特徴だった。

思い出すと、松島での場合にも一緒に行った看護師さんには罪責感のようなものは大きかったようで、帰途山形県鶴岡市の病院に寄り、慰労のため居酒屋に連れて行ってもらった時、久しぶりに食べたまともな食事を前に激しく嘔吐していたのだった。

ただ、今回は被災後の医療連携の変化、長期的な支援のあり方などに視野が及んだのは、組織の後方にいるという立場が背景にあったからだと思う。

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2016年5月 7日 (土)

益城町

5月6日の夕方、熊本民医連 くわみず病院を出発して、熊本市東区から益城町を通り菊陽町をまわって、くわみず病院に帰ってきた。

特に全潰の家屋が並ぶ益城町の惨状に声が出ない。

問題はここに対する当事者意識を僕たちの中にどう永続させるかという方法だと思う。

その後くわみず病院の当直。

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地震の熊本民医連で

5月7日土曜日、当直明けで熊本民医連くわみず病院朝会に出席。

土曜日なのに集まる医師が多い。ちなみに僕のいる宇部協立病院では土曜朝は人がいない。

そこで聞いた院長の池上あずさ先生の話によると、損傷の大きかった熊本市民病院は入院患者はすでにヘリコプターを使って全員転院させて、外来だけ継続しているが、まだ断水していて、できる検査が血液・尿・単純XPに限られ、外来患者さんの移動を大規模に図っているとのこと。

そのため、同院の地域連携室が24時間体制で診療情報提供書作りに応じているらしい。

電子医療情報EHRのサーバーあるいはクラウドを用いた公開はこれまでしていなかったので、ここにきて相当苦労している模様である。

昨日、5分ほど歩いて市民病院を見にいくと、巨大な建物の屋上あたりに作業員がいたが、おそらく建物の使用可能性を確かめていたのだろう。

今朝の熊本日日新聞によると、次のような記事がある。

「厚生労働省は2015年に全国の8477病院全部に、震度6強から7程度の地震で倒壊しないIs値 0.6以上を確保しているかどうか調査し、全病院から回答を得た。

熊本県の14救命救急センター は92.9 %で全国で9番目に高いが、熊本県内病院全体を見ると耐震化率62.6% で 全国で7番目の低さ (全国平均69.4%)ということである。

熊本市民病院は南病棟が老朽化し耐震化していなかったとのこと。」

実は、この病棟は建て替えの話があったのだが、熊本市長の反対で実現しなかったらしい。

後に確認すると一旦確定していた予算を凍結して、別の商業施設に回したらしい。失政というほかはない。

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2016年4月26日 (火)

若い女医さん

パートの当直医の先生たちはたいてい病院給食の朝食を食べない。

いかにも貧しい食事に見えるからだろうか。

そうして残った食事は、それで命をつないでいる某先生の胃袋におさまるのが僕らの病院の不文律のようになっている。

たまに朝食を食べる当直医がいると、消えた朝食をむなしく探す某先生の姿を認めることもある。

しかし、今朝、夜勤明けに豪快に朝の給食を食べているパートの若い女医さんに出会った。これだけで僕は好感をもたざるをえなかった。

当直医はこうあるべきだよな。

あとで聞くところによると、家庭医志望で、まもなくロンドンのマーモットさんのところに留学するのだそうだ。

つくづく若いということが羨ましくなった。

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同じ大都市のなかの生命の格差

マーモットさんの書いたものにはしばしば地下鉄で結ばれた大都市内の地区間の平均寿命の格差が取り上げられる。

ロンドンの最富裕地区であるケンジントン・チェルシーと最貧困地区トッテナムは地下鉄(tube)で10駅は離れていないところだが平均寿命が20歳違う。

また同じロンドンのウェストミンスターボロ内でもおしゃれなメイフェアやナイツブリッジと荒れたチャーチ・ストリートでは20歳の差がある。

アメリカの首都ワシントンDCでも黒人地区サウスイーストと高級住宅地メリーランド州モントゴメリー郡は地下鉄(Metro)で結ばれ10マイルしか離れていないがやはり20歳の差がある。半マイル進むごとに1歳平均寿命が伸びていくのである。

日本ではどうだろう。

東京都立大学当時の星旦二さんたちが23特別区の比較をした研究がある。1998年だから相当古いのだが。

http://www.ues.tmu.ac.jp/cus/archives/cn17/pdf/67-04.pdf…'

それによると「東京都23特別区別平均寿命平均値をみると、男性は、75.95歳、女性は、81.83歳であった。

男性で最も短い平均寿命は足立区の74.7歳であり、女性では足立区の80.7歳であった。

男性で最も長命だったのは世田谷区の77.4歳であり、女性では目黒区、世田谷区、杉並区の83.0歳であった。」とある。

足立区と世田谷区の間に男女とも確実に3歳弱の差はある。

20歳にならないのは、特別区単位で見ているからだろう。

もっと小さい単位で見てみるとさらに開くだろう。

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2016年4月23日 (土)

チョムスキー「我々はどのような生き物なのか ソフィア・レクチャーズ」岩波書店2015年の第一講演 「言語の構成原理再考」

這うようにして、ようやくたどり着いた休日だったので、午後、病棟に出かけるまではチョムスキー「我々はどのような生き物なのか ソフィア・レクチャーズ」岩波書店2015年の第一講演 「言語の構成原理再考」をゆっくり読んだ。

*この本については雑誌「民医連医療」2015年5月号に野口昭彦さんが短いが的確な書評を書いている。実はそれを読んで、買ったまま放置していた本をごそごそ取り出したのである。*

いわゆる普遍文法=生成文法が人間の脳内の器官として存在しているというチョムスキーの年来の主張がこれまでになくわかりやすく、かつ新しい知見を踏まえて話している。

言語はおよそ7万5千年前の1人の人間の脳内で、神経線維の新たな結合が起こることにより一気に完成されたというイアン・タタソールの主張が肯定的に引用される。

これは心=脳の中にある一器官、すなわち思考の道具としての普遍文法と、音声によってそれを外在化する感覚運動的な方法の結合が進化上の時間感覚では瞬きする間に不意に生じたということである。

言語が外形的にどう違おうと、奥にある構造は全く同一である。

したがって、そのレベルで発見されることは、日本語研究での発見にしろ、手話研究での発見にしろ、直ちに英語の研究やフランス語の研究に影響を及ぼす。

また、言語は思考の道具であることがその本質なのであって、本来コミュニケーションのためにあるのではないとチョムスキーは言う。非言語的コミュニケーションの膨大さを考えると全くその通りだが、現在のようにもっぱら言語でしかコミュニュケーションできない状態が訪れると、それはそれで人間にとって難しい局面も生むのである。

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