2016年2月19日 (金)

江戸東京博物館 レオナルド・ダ・ヴィンチ展

出張先で少し手が空いたので、江戸東京博物館のレオナルド・ダ・ヴィンチ展に。

博物館の雰囲気が温泉旅館にも似てくだけた感じで良い。自分が国立新美術館で落ち着かない感じになりいつまでも嫌いな理由がわかる。

展覧会自体も予想より面白い。

「糸巻きの聖母」には人だかり。聖母の表情が魅力的だが、こういう表情だけを長い間求められ続けてきた人々にふと同情した。
幼いキリストは全然可愛くないがこれでいいのだろうか。

糸巻き棒が2重の十字架になっているのを実物展示で確認したのは拾い物だった。

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2015年10月 3日 (土)

東京都美術館「モネ展」

東京健生病院の根岸先生から勧められていたので、東京都美術館の「モネ展」を見た。

早くに空港に着いて買ったばかりの本を読むというのもいいかと思ったのだが、「印象、日の出」を見ておかなければ後悔するだろうと考えたのである。

混雑は中等度。

「印象、日の出」は照明も工夫されていて暗い中にぼうっと光っている。

太陽の位置と地上の構造物の関係、港の様子から、描いた日、時間帯まで突き止められたようだ。

立ち止まっていることが許される位置で、それも限界だろう10分ぐらいも眺めていると、なんとなく伝わってくるものがある。

他の睡蓮の絵などは、近くの国立西洋美術館の常設展にあるモネの部屋の方が良さそうだったが、最晩年に白内障で視力低下した後の鬼気迫る「バラの小道」は西洋美術館の展示からは想像できないもので、見ておいた方が良いように思えた。そばに置いておきたいものではないが。

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2015年3月 7日 (土)

国立西洋美術館 グエンチーノ展

早朝の無理がたたって、午前中の会議はつい居眠りしてしまった。
しまったと思ううちに会議が終わり、思わぬ空き時間が訪れた。

事務局次長のKさんがちょっと相談があると言うのに救われた。このまま帰ると、結局後藤道夫名誉教授と雑談をして宿題をしたというだけの出張になるところだった。後藤さんも20年前は雲の上の人のようだったわけだから、これはこれですごいことなのだが。

Kさんとの相談はある病院が思い切ったダウンサイジングに踏み切り、初心から再スタートを試みれば、ある画期を作れるのに、過去に引きずられてそのチャンスを失い、むしろ深い危機に直面しそうだという話だった。それは自分の病院にも通じることで、対策を考えているうちに少し元気を取り戻した気がした。

それから、久しぶりに国立西洋美術館に行ってみた。国立新美術館の方にフェルメールの「地理学者」が来ているのは知っていたが、あの建物に行くのはあまり気が進まない。

こちらはグエルチーノという17世紀のイタリアの流行画家でもうすっかり忘れ去られた人の展覧会だった。先年、地震学者が予知できなかったということで訴えられた大地震で彼の作品を保存している美術館が壊れて、同じ地震国の日本に一気に貸し出されたのである。
もう誰も知らなくなってしまったような人だったが、飾りげのない普段着姿の聖母子像が良かった。母親の指に止まる小鳥が30年後の不幸を予言しているのである。

http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2015guercino.html
のしたの方にその絵がある。

それから丸善にいって、高井正夫さんから教えてもらったテリー・イーグルトンの岩波文庫「文学とは何か」上下2014年を見つけて買う。

その後、4階に上がってハヤシライスを食べているのが今である。

東京の人混みが嫌でまっすぐ空港に行き、端っこで誰もいない待合室で5時間を潰していようかとも思っていたのに、一旦街中に出かけると帰るのが惜しくなってしまうのは、よほど意志薄弱に出来上がっているのである。

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2014年10月 4日 (土)

新国立美術館「オルセー美術館展 印象派の誕生」

4役会議が早く終わり、鹿児島のM先生と話していると11月の医師養成集会への自分のスタンスも先ほどの投稿のように決まったので、千代田線で新国立美術館の「オルセー美術館展 印象派の誕生」に行った。
以前は、会議が終わると美術館に直行というのが普通だったのに、最近は全くそうできないでいる。

せいぜい、東京駅近くの丸善に行ってハヤシライスを食べるというだけ。

オルセー美術館展はとても充実した内容だった。
僕のように美術に素養がない者がなぜ絵を見るのかということが今日は少し分かった。

印象派の誕生は1848年の2月革命に重なっている。

マルクスやエンゲルスのいたフランスがそこには描かれているのだ。

映画はその時代を描いてもどうしたって現代の産物である。

しかし、絵はまさにそのときのもので、マルクスやエンゲルスの見たものに直接つながる気がする。
それに、文章と違って、絵は翻訳ではない。

それにしても、マネの「笛を吹く少年」の持つ楽器の演奏をヘッドフォンで聞いた時、絵の中の少年が動いたように思えたのは驚いた。
モネの「カササギ」、画家の名前は忘れたが「干し草」という作品の農婦を包む光の描写は、僕の中で常識的な印象派像を壊してしまうほどの衝撃があった。

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2013年9月 9日 (月)

通俗的不条理劇としての「赤ひげ」

週末の会議では体調を完全に壊していた。

せっかく都留文科大学の後藤道夫さんとも直接討議できる機会があったのに、全身倦怠感で座っているのがやっとだった。

会議が終わったあとどこにも行けず、羽田空港の待合い室に4時間座っていたが、だるさは強くなる一方で、這うような感じで山口に帰還した。

8日日曜日は前進座「赤ひげ」の今回連続公演の初日を宇部に迎えたが、ぼんやりと見たので、気持ちが入らず「これは通俗的な不条理劇だな」という奇妙な感想を抱いた。

長崎からの遊学から帰ってきて意欲に満ちた青年医師が、理由も明かされず小石川養生所という貧民相手の病院に突然閉じ込められ働かされる。そこの生活の中で、彼はボスの赤ひげの論理に次第にからめ取られていく。そしてある日突然に自由が訪れ、思いどおりの出世もできるという場面が来ても、青年医師はその貧民病院から出て行かないと決意する。

彼を小石川養生所に閉じ込めたり、解放したりするのは、幕府という大きな権力のようだ。ボスの赤ひげは常にそれと闘っているようだが、幕府の意思を伝えるのも赤ひげであり、本当のことは最後まではっきりしない。

観客が赤ひげの論理を正しいと最初から信じている場合は、青年医師の変化を赤ひげの感化による成長だと捉えて何も違和感が生まれないのだろうが、青年医師が自らの力で正義を発見していく過程を劇の中に見ようとすれば、不思議だらけの展開になる。

奇妙な劇だったなぁ、と思って外にでると、言いようのない倦怠感が再び襲ってきた。

今日9日月曜日、血液検査やMRIなど受けてみたが、軽い脱水程度で格別の異常なし。やむなく、日常業務続行中である。

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2013年7月24日 (水)

Istanbul Duo・・・Classical kamenceを初めて聞く

テオ・アンゲロプロスの映画音楽の大半を作曲しているエレニ・カレインドルーの検索をしていたら、Istanbul Duo というトルコのアルバムに遭遇した。

i-tuneではすぐに探し出せるし、youtubeでも全曲聴けるものの、ネットではよい紹介記事がない。以下で短い部分のみを聞いてもらえるだろう。

http://www.music-bazaar.com/turkish-music/albums/view/id/187204/name/%C4%B0stanbul-Duo

ピアノとClassical kamenceというトルコの民族楽器による演奏だが、この民族楽器の音がとても印象的。

弦楽器がまるで日本の琴やさらには尺八のように聞こえたと言えば、僕の耳が疑われてしまうのだろう・・・。

CDの最初に入っている「永遠と一日」もまるで初めて聞く曲のようだった。

そして、youtubeでみつけた、僕にはものすごく珍しいEleni Karaindrou自身が歌うthe price of love という歌、

http://www.youtube.com/watch?v=C9Old8xFcds

これを深夜に聞いていると、これだけが僕をこの世につなぐ一本の糸のように思えてくる。

次第に記憶があいまいになり、画面に出てくる写真の残影が初老期に入ったEleni Karaindrouその人なのか故人なのかも区別がつかなくなる。

そして、この糸が自然に切れるとどんなにいいだろうと感じられてくる。

しかし、それはただ不安で不確かな眠りに落ちるサインにすぎなかった、と翌朝は思うのだが。

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2013年3月 5日 (火)

2013.3.4 NHK-BS マエストロの肖像「ウォルフガング・サヴァリッシュ~音楽に愛された男~」

僕は音楽のことなど全く分からないのだが3月4日深夜にNHK-BSプレミアムで放送されたマエストロの肖像「ウォルフガング・サヴァリッシュ~音楽に愛された男~」は興味深く見た。その日の昼間の仕事に由来する強い頭痛に我慢できずにアセトアミノフェンの錠剤を服用したばかりだったのだがそれもいつの間にか忘れてしまった。

特に印象に残ったのは最後のシーンで、年老いた指揮者が自ら指揮している音楽に聴き惚れて何度も微笑みを浮かべるところである。

厳しい練習を経て公演に臨む時、指揮はもうほとんど不要なのだろう。そこでは指揮者は自分の作りあげた音楽を聴きとるだけの役割しかない。

その時に演奏されていたのは現代音楽だったが、彼がにやりと笑うとき、確かにオーケストラは僕が聞いても分かる意表を突く音を鳴らしていた。それに気付くと、普段の僕ならけっして興味を抱かないだろう新しい音楽が楽しみに満ちたものに変わっていた。

音楽を構造の全体として受け止めるときの無限の豊かさにとらわれてしまったら、退屈な読書の世界に帰って来れないのではないかと心配になるほどだった。

もちろん、僕にはその感興を持続させるほどの素養や経験の蓄積は何もないので、番組が終わるとまもなく何事もなかったように「哲学の起源」などの方向に帰ることができたのだけど。

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2013年2月17日 (日)

都立美術館「エル・グレコ展」・・・患者の苦しみを自分のものとするという負担感の一点では、どの時代の医師も同じなのだ

4日間の出張が終了。
後半2日間は評議員会だったので、執行部の末席にいる僕はひたすら聞き役、ときに、いやごく僅かに居眠り役である。そもそもここで執行部の発言が目立つようでは評議員会にならない。しかし、もう少し、活発な質疑応答があってもいいかもしれない。

前半2日間は大半は報告をチェックする役回りで、積極的に発言できたのは、2時間の短い会議でしかない。それも、提案しては婉曲に断られることが多かった。ぼくの提案が突飛だからだろう。

だいたい、いつもそんな風なのだが、全日程が終わると空虚感が襲ってくる。もちろん、持ち帰る宿題は多いのだが、それも遠いことに思えて気は沈む。

それをなんとかするために、たいてい、美術館によって地元に帰る。

今日は、都立美術館で「エル・グレコ展」をみた。

16世紀にヴェネツィア領だったギリシアのクレタ島に生まれ、35歳からはスペインのトレド(タホ川で三方を囲まれた丸い島のようなあの街だ)で活躍した。

自画像をみると、痩せているが賢くて堅実な職人風の人である。今日の評議員会で最後の挨拶をした東京民医連のI先生や、福岡のk先生に似ていなくもない。

カトリックの対抗改革時代に生きて、聖人やキリストの誕生の絵を多く描いている。聖人像の多くは自画像に似ている。キリストの誕生においては、マリアが極めて可憐な少女のように描かれている。一方、マグダラのマリアが官能的なのは、その後の女性像の先駆けのような気がした。

それから、一点だけ、同時代の医師の肖像があった。16世紀の医師と現代の医師の仕事の間にはほとんど共通性はないが、なぜか、この老医の表情には同じ職業に従事する者として共感を感じた。

それは何のためなのかをしばらく考えたが、患者の苦しみを自分のものとするという負担感の一点では、どの時代の医師も同じなのだと、冬晴れの上野公園からスカイツリーを見て帰りながら気づいた。

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2012年11月 4日 (日)

東京都美術館「メトロポリタン美術館展」

11月2、3、4日と続いた出張が終わったので、この前行きそびれたリニューアル後の東京都美術館に行った。

秋晴れの上野公園を歩いて行くのは気持ちがよい。

今回の企画展、「メトロポリタン美術館展」は工芸品が多くて、そういうものが好きな人は嬉しいだろう。

ティファニーのガラス細工もうっとりさせるようなものだった。映画でも有名なティファニーの創設者の父だったか?

僕個人はレンブラントの肖像画「フローラ」の前にしばらく立っていた。1年前、妻サスキアを乳癌で喪ったレンブラントががその記憶を重ねた儚げな女性像だった。

ゴッホの「糸杉」は、日本初公開で、坂本龍一のオリジナルテーマ曲付き。ああ、ゴッホだなと思ったという程度。

セザンヌのマルセイユ湾と山と町を描いた一点は、いつものように、透明な空気と幸福感を感じさせるよいものだった。

初期の風景写真作品を集めた展示も新鮮な気がした。

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2012年6月 5日 (火)

松山善三の訳詞で太田真季が歌う「百万本のバラ」

iTune で音楽を購入する方法をようやく覚えたので、いつの間にかなくしてしまったCDをいくつか改めてダウンロードした。

普通「百万本のバラ」は加藤登紀子の訳詞で聞くが、松山善三さんの訳もある。歌っているのは太田真季という人。

加藤訳詞と松山訳詞は微妙に違う。というか、二人の本質的な違いが現れているのかもかもしれない。

貧しい絵描きがバラを買うのは同じだが、それを贈られるのは、加藤訳詞では華やかな女優、松山訳詞では町から町へと流れる貧しい踊り子と全く違う。

女優は絵描きのことをすぐに忘れるが、踊り子は夜汽車の窓から空を見ながら、その不幸な人生の中に一つの光を見出す。

松山善三さんが監督した映画「名もなく貧しく美しく」1961は小学生のころ、村の公民館で見た。聴覚障害がある夫婦が、障害ゆえに泣き声に気付かず、囲炉裏の中に落ちた子どもの命を失う場面だけを覚えている。

周囲の大人たちがなぜ泣いているのかはまだよく理解できなかったが、あの映画も僕の人生の始まりの一つだった。

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