2014年9月 3日 (水)

フランスの認知症患者家族の負担は大きい

ジネストさんのユマニチュードのDVD(医学書院2014)を見ていて不思議に思うのは、フランスでは家族介護が当然の前提とされているところである。

介護が社会化されて、家族の負担がない社会という先入観からは大きく外れる。(国立社会保障・人口問題研究所から出ている資料では、75歳以上で子どもと同居するものは少ないとある)
その辺りが、自助を強調する勢力から支持されて、流行が作られているのであれば要警戒である。

また、看護師、介護士の感情労働を動員する面が強いので、その人たちへのケアが必要となるが、それに言及されることがないので、そこも不安である。


*少し検索してみると 日医総研のレポートで、フランスの認知症患者家族負担の大きさを指摘しているものがあった。http://www.jmari.med.or.jp/download/fr018.pdf

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2012年5月18日 (金)

健康の社会的決定要因SDH の日常診療への活用

まず、目の前の患者さんがなぜ病気にかかったかの大きな背景を捉える枠組みとして有効である。

次に、この患者さんが、病気を治す、あるいは病気と共存して生活していく、あるいは可能な限り穏やかで充実した終末期を過ごすうえでの資源を探すうえに役立つ。

死に臨んだこの人をこの世界につなぎとめている健康さというものは何かが推測できるからである。

前者は、健康の剥奪要因、後者は健康増進要因の意味合いである。どちらにしても同じ要因の不利の克服と、積極的部分の活用の2側面がある。

どちらかと言えば、後者の方が役立つような気がする。

マクロな一国や地域の人口全体の健康へのアプローチにおいても、ミクロな個人診療においても、双方を一つの視点で貫いて指針とできる点がSDHの画期的な特長だろう。

もちろん具体的な用い方は、一方は国や地方の政策全体のアセスメントや立案、片方はケア方針の方向付けと相当違うことは当然である。

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2011年7月12日 (火)

WHO「Closing the Gap in a Generation」「一世代のうちに格差をなくそう」仮訳再掲

WHO欧州事務局が1998、2003年と2回に分けて「健康に関わる確かな事実 ソリッド・ファクト」という画期的な報告を発表したのを受けて、WHO本体が2005年上記の委員会を立ち上げ、2008年に最終報告を出した。

「Closing the Gap in a Generation」・・・「一世代のうちに格差をなくそう」と訳すべきであろうが、意訳すれば、「世代から世代への格差の連鎖を断ち切ろう」となる。私としてはこちらの方がよい気がする。

報告は
http://www.who.int/social_determinants/thecommission/finalreport/en/index.html で読むことができる。

その中の「THE FINAL REPORT OF THE COMMISSION、Executive Summaries」 約40ページのみを訳したのでアップしておく。

Executive Summariesとは適切な日本語訳がないが、忙しいエグセクティブたちのために作ったサマリーという意味で、サマリーとだけ言ってもいいはずのものである。

エグゼクティブ・サマリーを読む者は皆エグゼクティブである、とドラッカーのようにいうこともできるだろう。「成果を挙げようとする者は、新入社員だってだれだって経営者=エグゼクティブだ」とドラッカーは「経営者の条件」の最初のところで言ったのだが、今考えると、随分民主的ないい発言である。

話がそれた。

誤訳も多いはずだが、少なくとも、web上では本邦初訳である。なるべく日本語として読んで分かりやすいものになるよう努めた。

*訳語として注意すべきなのは equityとequalityの訳の違いである。前者は「公正」「公平」と訳し、後者は「平等」と訳す。

**記述の特徴は、政策の提唱、その背景になる実証的事柄、政策の評価法という3っつの側面で構造化されていることである。




「『委員会』はこの世代のうちに(健康)格差をなくすことを呼びかける」


 社会正義は生と死に関わることである。社会正義の状態が人々の生き方、病気になりやすさ、早世(若くして死ぬこと)の危険を決定している。

 私たちは世界のある地域では平均余命と健康状態が改善し続けているのを驚異の目で眺めるが、別の地域ではひたすら悪化しているのを憂慮のうちに見ているのだ。

 今日生まれた女の子がある国では80歳以上まで生きると期待できるのに、別の国では45歳になるまでに死んでしまうのだ。国際比較では社会的不遇に密接に関係して健康の激しい格差が存在する。これほどの格差は、国内比較であっても国際比較であっても、起こってはならないことであると断言できる。

 これらの健康の不公平、しかも避けることが可能な健康の不公平は、人々が成長し、生活し、労働し、老いていく環境と、医療保健システムの中から生じている。ひるがえって(in turn)、人々の生死を決める条件は政治的、社会的、経済的な諸力で決まるということになる。

 政治的経済的政策は、子どもが成長して能力を全開させ、生き生きした生活を送ることができるか、それとも成人になってからの生活が荒廃するかを決定する。

 豊かな国でも貧しい国でも、解決すべき健康問題は一つに収斂しようとしている。(*すなわち健康を決定する社会的要因の存在に対する対策のことである)

 ある社会の発展度、貧しい社会か豊かな社会であるかは、人々の健康や生命がいかに公平に社会階層の別なく保障されているか、そして健康障害による不遇から保護されているかによって判定される。

 「健康の社会的決定要因委員会」は2005年WHOによって、社会正義の精神にもとづいて健康の公平を促進し達成するための世界的な運動を前進させるのに必要な証拠(エビデンス)を揃えるために設置された。

 委員会がその仕事を進めていくなかでは、いくつかの国や機関がそれぞれの制約を超えて、健康の社会的決定要因に挑んで健康の公平を前進させる政策やプログラムを作る協力者になってくれた。いまや、これらの国々や機関が世界的な運動の先頭に立っている。

 委員会は、WHOやすべての政府に、健康の公平を達成するための健康の社会的決定要因に対するアプローチをリードすることを求める。

 いまこそ各国政府や市民社会、WHO,そしてそのほかの世界的組織が世界の人々の生活を改善するために連帯して行動することがどうしても必要な時である。

 この一世代で健康の平等を達成するのは可能なのであり、そしてそれはなすべき正義であり、いまこそそれをなすべき時なのである。


「健康の公平のための新しい世界的課題」

 今の世界の子どもは、どこで生まれるかだけの違いで、極端な生活格差を背負わされている。

 日本やスウェーデンで生まれれば、80歳以上の平均寿命が保証される。ブラジルでは72歳、インドでは63歳である。しかし、アフリカの国々では50歳に達しない。

 そして同じ国のなかでも、人生のチャンスの格差はきわめて大きい。それは世界中で認められることである。

 確かに貧困な国の最貧困層には病気と早期死亡(早世)がきわめて多い。しかし、健康状態の貧しさはこうした最貧困層だけのものではない。一つの国の国内に目を向けると、すべての所得階層にわたって、健康と病気がその社会階層の勾配に従っていることが分かる。

 すなわち社会経済的地位が低ければ低いほど健康も悪いのである。

 こんなことがあってはならないし、それは正義にもとるものだ。構造的な健康格差が合理的な行動で回避できるのであれば、健康の不公平は不正義というに値するというのは誰でも理解できる話である。

 どんなに巨大であっても回避可能な国際的・国内的な格差、すなわち、健康の不公平と私たちが評価するものをなくすことは、まさに社会正義の課題である。
 

 健康の不公平を軽減することは、健康の社会的決定要因のための委員会(以下、単純に「委員会」)にとって、倫理的な緊急案件である。

 いまや社会的不正義は大規模に人々を殺しつつあるのだ。


「健康の社会的決定因子と健康の公平」

 委員会は、健康の公平を達成しようとするグローバルな運動を前進させる上で役立つエビデンスを揃えるために作られたのだが、それは政策決定者、研究者、市民社会の全地球的コラボレーション(協働)であり、政治上、学問上、人権擁護活動上のユニークな経験を持つ委員たちによって進められている。大事なことは、南半球についても北半球についても、所得や発展度の違うすべての国々に関心が向けられていることである。

 健康の公平はすべての国ぐににとっての問題点であり、世界の政治経済システムから強い影響を受けるものなのである。

 委員会は健康の社会的決定要因の全体像を提供する。

 貧困者の劣悪な健康状態、各国の国内に生じている健康格差、国家間での著明な健康の不公平は、世界的なるいは国内的な、能力、収入、財産、サービスの不平等な分配と、それらの結果として生じる直接的に眼に見える人々の生活環境(すなわち保健医療、学校、教育へのアクセス、労働と休養、家庭、コミュニティ、町や市、福祉)の不公平によって生じている。

 この健康の不公平は、どんな意味合いでも自然現象とは呼べず、貧しい社会政策、不公平な経済秩序、劣悪な政治が悪い方向に結合したための結果である。

 それとともに、日常生活状態の構造的決定要因は健康の社会的決定要因を構成し、国際的、国内的な健康の不公平の大半に関与する。

 世界的レベルの協力で健康の公平の権利を推進できるが、それには世界的、国内的、地域的な迅速かつ継続的な行動を必要とする。

 世界的レベルでのその国の政治力や経済的順位での深刻な不公平こそ、健康の不公平を生んでいる要因である。

 もちろん、このことはそのほかのレベルの行動を無視するということではない一国家や一地方政府だけでできることがたくさんある。小さな地域社会や地域の活動は目の前にある必要な住民援助を自ら実行しつつ、より上位の政府が変わるよう働きかけているが、委員会はそれに強い感銘を受けてきた。

 そして、気候変動は当然、世界システムに深い関わりあいを持っている ― それはどんなふうに人間個々や惑星の生命と健康に作用するのだろうか。我々は、健康の公平と気候変動という二つのアジェンダ(議題)を同時に議論する必要がある。

 我々の中心的関心である健康の公平は、全世界人類の社会経済的発展と、健康の公平と、気候変動への対処という緊急な必要性の間のバランスを取って進む世界的な協力の一部分をなすべきである。

「発展への新しいアプローチ
 委員会の仕事は前進への新しいやり方を具体化している。健康の公平はすべての政策の目的ではないかもしれないが、それを考慮することは重要な結果をもたらす。
 

 経済成長政策が占めている中心的位置そのものについて考えてみよう。

 経済成長は疑いもなく重要である。とくに貧困な国々にとっては特に重要である 。

 ― それは、その国の国民生活の改善に役立つ資源を作り出すというスタート地点になるということにおいて、である。

 だが、成長自体は、その利益の分配において道理ある公正さを保障する正しい社会政策が同時に存在しないと、健康の公平にはほとんど役立たない。

 伝統的に、地域社会は、健康と病気に関する利害関係を取り扱うために医療保健部門=健康セクターに頼ってきた。おそらく、ヘルスケア分配の失敗(ケアを最も必要とする人にケアを届けないこと)は、健康の社会的決定要因の一つである。

 しかし、早過ぎる死(早世)の原因になる病気の戦慄的な脅威は、(診療機関の整備によるのではなく、)大半が人々が生まれ、成長し、生き、働き、老いる条件によって生じているのである。

 さらに、貧困で不公平な生活条件は、貧困な政策・計画、不公正な経済的取り決め、そして悪い政治という全体の帰結なのである。
 

 健康の社会的決定要因に対する行動は政府全体、市民社会、地域共同体、企業、世界的なフォーラム、国際機関を巻き込まなくてはならない。政策や施策は健康セクターだけでなく社会のキーセクターを取り込まなくてなくてはならない。ということは各国の保健大臣と彼の役所は世界的な変革に直面しているということなのである。彼らは到達できる最高水準の健康めざして健康の社会的決定要因を強化できるし、彼らは健康の公平を促進する政策を創造するため他の省庁を応援できるのである。

 WHOは、健康のための全世界的機構として、世界政治の舞台で同じ役割を果たさねばならない。

「この一世代で(健康)格差をなくそう」

 委員会はこの一世代で(健康)格差をなくそうと呼びかける。それは期待であり、命令ではない。

 過去30年間に世界的に、また国内的に劇的な健康の改善が起こったことからみて私たちは楽観的である ― 人びとの生命保持の巨大な格差をつくりだすものが何か、したがって健康の公平の著しい改善を作り出すにはどうしたらいいかのについての知識は確実に存在する。

 私たちは現実的でもある ―行動はまさに今から始まるに違いない。

国際的な、また一国内においての不公平の総量を良い方向に解決するための素材はこの委員会報告の中にこそある。



「委員会の主要な勧告項目」

1 日常生活条件を改善しよう
 
 少女や女性のwell-being (幸福な生活)と、子どもが生まれてくる環境を改善しよう。

 子どもの発育早期と少女・少年の教育に重点をおこう。

 生活と労働の条件を改善しそれら全てを支える社会的保護政策を創造しよう。

 高齢者の生活を活発にする条件を創造しよう。

 これらのゴールに達するための政策は市民社会、政府、世界規模の団体を巻き込むものである。

2 権限、資金、資源の不公正な分配の解決に努力しよう

 健康の不公平と日常生活の中の不公平な状態の解決に着手するためには、男女間にあるような不公平の解決にも着手する必要がある。

 このためには、権限を委譲され、適切に資金を与えられた公共セクターが必要である。それを実現するには強力な政府以上のものが必要である。

 ―必要なのは強化された「政治」である。

 すなわち政権としての合法性や領土を備え、市民の共通の関心事項に合意を示し、共同行動のもつ価値に対して資金投下できる政府という意味合いである。

 さらに市民社会や行動責任を持つことのできる民間セクターや人々に対して、もれなく援助することができる政府ということである。

 グローバル化された世界で、公正のために捧げられた「政治」の必要性は、地域コミュニティレベルから世界的組織に至るまで平等にあてはまるものである。

3 問題を測定し理解し、行動の影響を評価しよう

 問題が存在することを認め、健康の不公平が測定されるのを確実にすることは

 ― 一国内においても世界においても―  

 行動のための不可欠の宣言である。

 一国の政府や国際的組織は、WHOに支援されながら健康の不公平の日常的モニタリングのための健康の公平と健康の社会的決定要因の調査活動を開始すべきであるし、政策や行動の健康公平への影響を評価すべきである。

 健康の不公平のため効果的に活動する組織の活動空間を作り出すためには、政策作成者や保健実践者の訓練と健康の社会的決定要因についての公衆の理解が必要である。公衆衛生調査において社会的要因にもっと焦点を当てることも求められる。

行動の3原則

①日常生活の条件=人々が生まれ、成長し、生活して、働いて、年取っていく環境を改善しよう。

②権限、資金、資源 ―上記の日常生活条件の構造的な推進力である― の不公平な分配に挑戦しよう。世界的にも、一国内でも、地域でも。

③問題を測定し、行動を評価し、基礎知識を拡大し、健康の社会的要因についてよく訓練された労働力を開発し、健康の社会的要因についての公衆の気付きを起こそう。

これら三つの行動原則は上記の三つの主要な推奨のなかに体現・具体化されている。委員会最終報告の執行要約・行動綱領の残りの部分はこの三つの原則に従って構成されている。



第1章
日常生活の条件を改善しよう


 社会構造における不公平は、生き生きと生活し健康を楽しむ自由が、社会間比較でも社会内比較でも、不公平に分配されていることを意味する。

 この不公平は、幼少期と就学時期、雇用の性質と労働状態、住宅環境の物理条件、居住する自然環境の質において認められる。

 これらの環境の性質の違いによって、人々の異なるグループは物質的条件、心理社会的サポート、行動の選択において異なる経験をし、それによって人々は健康悪化圧力に対し脆弱であったり、なかったりする。

 属する社会階層も同様に医療保健(ヘルスケア)のアクセスや利用の違いを決定し、健康増進や良好な生活、病気の予防、病気の回復、生存における不公平をもたらす。


「出発地点での公平」

≪何をなすべきか≫

 幼少期の数年に対する包括的アプローチは、国際的レベルでも国内レベルでも政策的な首尾一貫した関与、リーダーシップを必要とする。それはまた世界的なECD(子ども時代早期の発達)の包括的パッケージと教育プログラム、すべての子どもへのサービスも必要とする。

 幼少期への包括的アプローチに関与し、手段を提供しよう。現存の子ども救済施策に立脚しながら、社会/感情的、言語/認知的発達を包含するよう幼少期への介入を拡大しよう。

・政策の首尾一貫性を確実にするために、諸機関相互の連携を立ち上げよう。そして、諸機関を横断して幼少期の発達への包括的アプローチが実行されるようにしよう。

・すべての子供、母親、その他の子どもの世話をする人が幼少期の発達プログラムとサービスの包括的パッケージの恩恵を被ることを確実にしよう。それは経済的な支払い能力で格差があってはならない。

教育の対策と視野を幼少期の発達の原則を包含するまでに拡大しよう。(原則というのは肉体的、社会的/感情的、言語的/認知的発達である)

・すべての少女少年のため義務教育の質を保障しよう。支払い能力に関わりなくそうすべきである。教育対象の少女少年が学校に登録されなかったり、在学できないという事態の原因を突き止めて公表し、義務教育の利用者負担をなくそう。

(解説)ECD(幼少期の発達) ―身体的、社会的/感情的、言語的/認知的領域を包含する― は子どもがその後の人生でつかむ幸運と健康に決定的な影響を及ぼす。

 生き方の巧拙、教育、職業上の幸運が全く違ってくるからである。

 間接的にか直接的にかの違いはあるが、幼少期の状況は肥満、栄養障害、メンタルヘルス問題、心臓疾患、犯罪性に影響していく。

 少なくとも20億人の子供たちが全世界で彼らが持つ最大限の発達可能性を損なわれている。このことは彼らの健康と、社会全体の可能性に対して巨大な意味をもっている。

≪行動のためのエビデンス≫
乳幼児期への投資は一世代の中で健康の不公平を減じるのに最も効果があるものの一つである。

乳幼児期(胎児期から8歳までと定義される)の経験や、早期のあるいは後期の教育は全人生がたどるコースにとって決定的な基礎的部分である。

ECDについての科学的研究は、脳が子ども時代の早期の外部からの影響にきわめて感受性が高く、それが一生続く効果を持つことを示している。栄養が良いことも決定的で、それは栄養の良い母体の子宮の中から話は始まる。母と子は妊娠前、妊娠中、出産、人生早期、人生の長い期間にわたってケアの連続性を必要とする。

子どもは安全、健康性、支持、養育、世話、自分に反応してくれる生活環境を必要とする。就学前の教育プログラムと学校は、子供の発達に貢献するより広範な環境の一部として、子どもの潜在能力を築く上で極めて重要で決定的な役割を担っている。乳幼児期へのより包括的なアプローチも必要である。

現在ある子ども救済プログラムに立脚しながら、人生早期への介入を拡大すること。それは社会的/感情的、言語的/認知的発達をふくまなければならない。


図:恵まれない子どもたちへの栄養補給と心理社会的刺激の効果(ジャマイカにおける2年間の介入研究 )

発達スコア(DQ)でみて、恵まれた子ども107 対 恵まれない子ども98 だったのが、2年後には、108対107 になった。

 
「健康な場所でこそ 人々は健康になる」

≪何をなすべきか≫
地域社会と近隣同士というものは、基礎的な物資の入手を保障し、社会的に密着し、身体的・心理社会的な良好な状態を促進するようになっており、自然環境の脅威に対しても守ってくれるので、健康の公平にとって必須のものである。

健康と健康の公平を都市政治と都市計画の心臓部におこう。

・誰でも購入可能な住宅が大幅に利用可能になるように都市の開発を管理しよう。

都市のスラム改善に投資しよう ― それは優先的に、水と衛生施設、電気、舗装道路をすべての家庭に支払能力を考慮することなく供給することを意味する。

・都市計画が、人々の健康で安全な行動様式を公平に促進するようにしよう。それは、活発な移動への投資、不健康な食品購入を制限する小売計画、さらに良好な環境デザインや、アルコール安売り店の数を制限するなどの規制強化などを通じて行われる。

都市と農村間の健康の公平を促進しよう。

それは農村開発への継続的な投資と、農村の貧困や、土地を持てないことや、故郷からの人々の強制排除につながる追い出し政策や方法に対決することによってなされる。

・都市の拡大による不公平に反対しよう。それは農村での土地所有を促進する行動を通じて、また健康に生きていくことを支える農村の暮らしぶりを確保すること、農村のインフラストラクチャーへの適正な投資、農村から都市に流入した人々を支える政策を通じてなされる。

気候変動そのほかの環境荒廃に責任を持つ経済社会政策が健康の公平をも同時に考慮することを普通のことにしよう

(解説)人々がどこに住むかは人々の健康と人生の成功へのチャンスに影響する。2007年という年は都市環境に住む人が初めて多数派になった年である。そのうち約10億人がスラムに住んでいる。

≪行動のためのエビデンス≫
今後とも感染症や栄養不良は世界中の特定の地域やグループで問題となり続けるだろう。しかし、都市化は公衆衛生の課題を一変させる。

特に都市貧困層の中での、非伝染性疾患罹患、事故や暴力性の外傷、環境災害による死亡や打撃が問題である。

人々が暮らす日常的条件が健康の公平に強い影響を与える。

良質な住居と避難場所と清潔な水と衛生施設を入手できることは人間の権利であり、健康な生活のための基礎的なニーズである。

自動車への依存の増大によって、自動車利用本位の土地利用となり、自動車以外での移動の不便さが増して、地域的な空気の質や温室ガス排出への甚大な影響や運動不足が生じる。都市環境の設計とデザインは、人間の行動と安全性への影響を通じて健康の公平に大きく作用する。

都会と農村の居住のバランスは地域によって極度に異なる。都市人口はブルンジやウガンダでは10%未満だが、ベルギー、香港行政区、クエート、シンガポールでは100%近い。

都市型志向の成長パラダイムによる政策や投資パターンのため、世界中の農村共同体は、そこにいる先住民とともに、インフラやアメニティへの投資不足の進行という苦しみに直面する。そこには貧困と貧しい生活条件があり、それが住民には、不案内な都市中央部への脱出の理由の一部となっている。

最近の都市化モデルは重要な環境問題に、特に気候変動に挑戦する姿勢をとっている。

気候変動は収入の少ない国々や脆弱な人口部分でより影響が大きい。

現時点では、温室効果ガス排出は主として先進国の都市部の消費パターンによって決定されている。自動車や飛行機による移動と都市建設がCO2排出の21%を占め、農業活動によるものは約1/5でしかない。そしていまだ穀物生産は気候条件の如何に大部分依存している。

気候秩序の崩壊や消耗と全地球的な健康の不公平を減らすべき課題の大きさは手に手を取って進むものである。


「公正な雇用と人間らしい労働(Decent Work)」

≪何をなすべきか≫
公正な雇用と人間らしい労働条件の保障を通して、政府、雇用主そして労働者は貧困をなくし、社会的な不公平を緩和し、身体的かつ心理社会的な危険を減少させることができ、健康と幸福へのチャンスを強化できる。そして健康な労働力が生産性向上に役立つのは当然である。

完全かつ公正な雇用と人間らしい労働を国内的、国際的な社会経済政策作りの中心的目標としよう。

・完全かつ公正な雇用と人間らしい労働は国際機関の共通目標にされるべきだし、国内政策課題と開発戦略の中心部分であるべきだ。同時に、それは雇用と労働に関わる政策、立法、計画の創造における労働者の代表者の強化を伴うべきである。

健康の公平を達成するためには安全、安心、賃金が公正に支払われる労働、一年を通して労働機会が欠けないこと、そして全員にとっての健康的なワーク-ライフバランスが必要である。

・質の良い労働を男女の隔てなく与えよう。それは現実的で今日的な健康的生活にかかるコストに見合う生活賃金を伴わなければならない。

・すべての労働者を保護しよう。国際機関は、国々が正規・非正規労働者にとってのコアとなる労働基準を備えることができるように支援しなければならない。

ワークライフバランスを保障する政策を発展させよう。

不安定な労働協定の中で労働者の抱く不安の悪い効果を減らそう。

有害物質、労働起因性のストレス、健康阻害行動への曝露を減らすよう労働条件を改善しよう。

(解説)雇用と労働条件は健康公平に強力な影響を及ぼす。

これらが良好な時、それらのことは経済的安定、社会的地位、人格発達、社会関係、自己評価、身体的・精神社会的危険からの保護を提供しているのである。

雇用と労働の改善のための行動は全世界的、国内的、地方的でなければならない。

≪行動のためのエビデンス≫
労働は多くの重要な健康への影響が発現する領域である。

ここには雇用条件と労働の性質それ自体とがある。

【雇用条件】

柔軟な労働力というものは経済競争においては役に立つものだが、健康への悪影響をもちこむものでもある。

正規雇用労働者に比べ非正規雇用労働者の死亡率が有意に高いというエビデンスがある。

メンタルヘルスの悲惨な結末が不安定労働(固定した期間のない臨時契約、契約なしの雇用、およびパートタイム労働)と関連している。

労働から不安を感じる労働者は有意な身体的精神的悪影響を経験するものである。

【労働態様】

労働の条件もまた健康と健康の公平に影響を与える。

不利益な労働条件は、身体的健康障害を生じるレベルまで労働者を陥れるし、それはより地位の低い職業に集中する傾向がある。

所得の高い国々での労働条件の改善は、何年にもわたる労働者の組織的行動と雇用者への規制によってなんとか勝ち取られたものであるが、多くの中程度または低い所得の国々ではひどく欠けているものである。

労働におけるストレスは冠状動脈心臓疾患のリスクを50%増加させるし、高い仕事上の要求を突きつけられること、低い裁量、努力と報酬の不均衡は精神的・身体的健康問題であるという一貫したエビデンスが存在する。

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図 スペインの筋肉労働者、雇用契約別でみたメンタルヘルスに問題ある者の頻度

永久契約<臨時だが固定的契約<臨時で非固定的契約<契約なし

図 1日2米ドル以下で暮らす労働者のパーセンテージの地域別の違い

1997年、2002年、2007年の経過を追っている。
サハラ以南のアフリカ、南アジアでは90%に達し、10年間全く改善していない。


「どんな人生上の境遇にあっても社会的保護を」

《何をなすべきか》
健康格差を少なくするためには、生活の中で何を健康とするかのシステムの標準を政府が打ち立てなければならない。

その標準とは、そのもとでは誰もその人の責任の範囲外では病いに倒れてしまうことが許されないというものである。

社会的保護のスキーム=実践方法は開発や発展の到達度に依存するというより、開発や発展の実現の手段と考えることができる。そのスキームは貧困を減じるために有効な方法であり、地域経済が恩恵を受けるものでもある。

普遍的包括的な社会的保護政策を確立し強化しよう。

それはすべての人にとって健康に生きるために十分な所得レベルを支えるものである。

・健康的に生きていくために十分なレベルに向かって社会的保護システムの潤沢さを次第に向上させていこう。

・社会的保護システムが、これまでは締め出していた人々も包含していくことを確実にしよう。不安定な(プレカリアスな)労働に従事している人々のことである。不安定な労働とは非正規労働、家内労働、介護労働などを含む。

(解説)どんな人生上の境遇にあってもすべての人々は社会的保護を必要とする。幼い子どもでも、労働するべき年齢でも、年老いてもそうである。特別な打撃を受けた場合、すなわち病気、障害、仕事や収入を失う場合においても、人々は保護を必要とする。

《行動のためのエビデンス》
ある社会が定めた低い生活標準は健康の不公平の強力な決定要因である。それは全人生の軌道に影響を与えるが、とりわけECD(乳幼児期の発達)に及ぼす効果を通じて現れる。子どもの貧困と、世代から世代への貧困の連鎖は公衆の健康の改善と健康の不公平の減少に対する主要な障害物である。世界中で5人のうち4人が基礎的な社会保障の援助を欠いている。

福祉制度の再分配は、人々が労働市場で健康的生活を手に入れることができる範囲まで拡大されれば、貧困レベルに影響を与えることができる。

潤沢で普遍的な社会的保護は、より良好な公衆の健康と相関し、高齢者の過剰な死亡率を低下させ、社会的に不利な立場の人々の死亡率を低下させる。

全般的な保護システムを持つ国々では社会保護向け予算は大きくなる傾向をもつが、保護が成功すればもっと楽に維持できるものとなるだろう。

これらの国では貧困と収入の不平等さは、貧困だけにターゲットを向けたシステムしかない国に比べてより小さくなる傾向にある。

社会的保護をすべての人々に拡大することは、国内的にも全地球的にも一世代のうちに健康の公平を保障しようとする方向に向けての大きな一歩となるだろう。

このことは、不安定な労働(非正規労働、家内労働、介護労働を含む)をしている人たちに向けて社会的保護を拡大することを意味している。

このことは貧しい国にとっては決定的である。そこでは人々の大半が非正規労働をしている。また、女性にとっても決定的である。というのは家族への責任のため彼女たちは有用性の高い社会保護スキームによる適切な便益からしばしば排除されるからである。

制度的なインフラストラクチャー整備や財政的な余裕が十分でないことが多くの国では重要な障害物として残っている一方で、世界中の経験からは、所得の低い国々でさえも社会的保護システムの創造をスタートすることは可能だと言える。


図 2000年前後における世界20カ国の総家族政策支出と子どもの貧困


縦軸に子どもの貧困率(平均可処分所得の50%以下を貧困ラインとする)、
横軸に生産労働者の賃金平均に占める社会保障支出給付割合(パーセント)。最も悪いのはアメリカで子どもの貧困率22% 家族政策支出10%、逆にノルウエーやスウェーデンでは子どもの貧困率3%、家族政策支出95%である。

すなわち、後者では、労働者の賃金とほぼ同額の社会保障給付があるということになる。


「全般的ヘルスケア(医療保健)」

≪何をなすべきか≫
公平、疾患予防、健康増進の原則にのっとったヘルスケア(医療保健)システムを打ち建てよう。

・プライマリヘルスケアに焦点を当てた世界の全員に適用される良質のヘルスケア(医療保健)サービスを作り上げよう。

・公的セクターのリーダーシップを強めて公平なヘルスケアシステム財政を強化しよう。それによって誰もが支払い能力に関係なくケアを受けられるようにしよう。

健康専門職を確立し強化しよう、そして健康の社会的決定要因に働きかける能力を拡大しよう。

・国内の健康専門職に投資しよう、そして農村と都会の健康専門職の密度バランスを良くしよう。

・健康専門家の流出を正すよう働きかけよう。そのために健康のための人的資源増やその訓練に投資し、獲得と流出を規制することに双方が賛成することに努めよう。

(解説)
ヘルスケアすなわち医療保健機関の利用が自由に可能なことは、良好で公平な健康の肝心な部分である。

医療保健機関のシステムそれ自体が健康の社会的決定要因であり、他の要因から影響を受けるし、それらへ影響を与える。

性別、教育、職業、所得、民族性、居住場所はすべて人々の医療保健機関へのアクセス、利用経験、恩恵に緊密に関係している。

医療保健機関のリーダーは社会の全関係部署にまたがって重要な奉仕者としての役割を果たしうるし、それが他の機関の政策や行動が健康公平を改善するのを確実にするのである。

≪行動のためのエビデンス≫
ヘルスケア(医療保健)なしにには基礎的な健康の改善の機会は失われてしまう。

部分的なヘルスケア(医療保健)システムあるいは不公平な供給しかしないシステムでは、社会正義の課題としての全般的な健康の機会は失われてしまう。これはすべての国の中心的課題である。

所得の低い国々ではより差し迫って、アクセスが自由で適切に構想され管理されたヘルスケア(医療保健)システムが「ミレニアム開発目標」(MDGs)の達成の上で効果的である。
それらなしにはMDGsを達成するチャンスはすっかり弱まってしまう。いまだにへルスケア(医療保健)システムは多くの国でぞっとするほど弱体である。それは貧しいものと富むものとのの間で供給、アクセス、利用での大変な不公平を抱えているのだ。

委員会はヘルスケア(医療保健)を共通の財と考え、市場で買うべき商品とは考えない。

実際にすべての高所得国家はそのヘルスケアシステムを全般網羅原則で組織している(健康への資金供給と現物提供を組み合わせて)。全般網羅はその国の誰もが(良質の)サービスを必要と選好に従って同じ内容で受けられることを必要とする。それは、所得レベルや社会的地位、居住地域に関係なくあるべきであり、人々がこれらのサービスを使いこなせるよう教育されることも必要である。そして、全人口に向けて同じ給付量があるように拡大していくべきものである。

その他の国についても、最も貧しい国々を含めて、長期間適切な援助を受けつつも全般的なヘルスケアの網羅を熱望すべきであって、それを妨げて騒ぎ立てるような議論は存在すべきでない。

委員会はヘルスケアシステムに一般税や強制保険を使いながら財政支出することを弁護する。

公的なヘルスケアに支出することが所得の再分配に役立つことは、いろんな国から国へと次々に認められていることである。

ヘルスケアシステムが公的であることを肯定する感銘すべきエビデンスがある。特にヘルスケアにおいては窓口負担(out-of-pocket spending)を最小にすることが肝要である。

低から中レベルの所得の国におけるヘルスケアのための政策的利用者負担設定はヘルスケア利用を全体的に減少させることにつながり、健康のアウトカムを悪化させる。

毎年1億人以上の人が家庭での破産的に高額な医療費用のため貧困の中に追いやられている。

これは受け入れがたいことである。

ヘルスケアシステムはプライマリヘルスケア(PHC)の上に築かれて初めてより良いアウトカムを得る。

このときPHCモデルは二つあるが双方ともに必要である。

一つは予防と健康促進が治療とバランスがとりながら、社会的決定要因群のそれぞれの領域を横断して地域的に適切な行動をとることを強調するもの(「プライマリヘルスケア」PHC)、

もう一つは高度な治療に適切につないでいくことを条件にして初期レベルの治療を強調するもの(「プライマリケア」PC)である。

すべての国で、とりわけ最も貧しい国や頭脳流出中の国では緊急に、十分な技術を持った健康領域の技術者が地域レベルで十分な数だけ存在することが、ケアの対象範囲を拡大し、ケアの質を改善するうえでの基礎的条件となる。

ヘルスケアで働く技術者の訓練と確保への投資はヘルスケアシステムの必要な成長のため肝要なことである。

このことには、健康領域の技術者の流れについて、国内、地方での財政投資や技術開発同様へ向けるのと同様な注意深い関心を向けることも含まれる。

医療と保健の技術者 ―WHOから地方のクリニックまで― は、健康に関する地域社会の理念や意思決定の上で力強い発言力を持っている。彼らは、健康障害の社会的原因にヘルスケアシステムを通じて力を合わせて働きかけることが倫理的に求められていることの証人になることを、(効率価値に対してと同様に)引き受けている。


所得5分位の中で最も低い層と高い層とで基本的な母子ヘルスサービスの利用を比べる

出生前ケア、経口的脱水治療、ワクチンを全部受ける、風邪の治療、出産援助、下痢治療、発熱治療、避妊剤の使用のいずれにおいても2倍以上から1.5倍の格差がある。



第2章 権限、資金、資源の不公正な分配に対決していこう

日常生活の中の不公正は、より深い社会構造と過程の中で形成される。不公正は体系的であり、分配の不公平や、権限・富・その他の必要な社会的資源へのアクセスの不公平に対して、それを許してしまったり促進してしまったりする社会規範や政策、実践によって生み出されるのである。


「すべての政策、システム、施策に健康の公平を」

≪何をなすべきか≫
健康と健康の公平のための行動責任を政治の最高目標としなければならない。そして全政策にわたって健康と健康の公平に対する首尾一貫した配慮を貫かなければならない。

・健康と健康の公平を政府全体の共通課題にしよう ―国家の長の支持を受けながら、健康の公平を統治能力を測る基準として確立することによって。

・全政策、全施策について健康と健康の公平に与える影響を測定しよう ―全ての統治行為の首尾一貫性を目指して築きながら。

保健省の政策と施策諸機能にすべてについて社会的決定要因の枠組みを採用しよう、そして政府全体の社会的決定要因へのアプローチを支える世話役としての保健省の役割を強化しよう。

・健康セクターはそれ自体健康の社会的決定要因と健康の公平に基づく行動を鼓舞する援助と構造を築き始める種の好位置にいる。このことは、WHOからの支援を受けながらも、保健省大臣の強いリーダーシップを必要とする。

(解説)
政治や経済のすべての側面が健康と健康の公平への影響力を持っている

―財政、教育、居住、雇用、交通、そして健康と、これだけで六つの政策方向(省)の名前があげられる。

全政治を貫いての首尾一貫した行動が健康の公平の改善にとって必須である。

≪行動のためのエビデンス≫
政府の政策の違いが、その性質によって、健康と健康の公平を改善もすれば悪化もさせる。

一例として都市計画を取り上げると、それが近隣へのスプロール現象を起こして、購入可能な住宅もほとんどなくなり、地域のアメニティも乏しく、整然さのない利用しにくい公共交通状態のままだったら、全ての人のための健康を推進しているとは言えないのである。

良い公共政策というものは当面においても未来においても健康上の利益をもたらすものなのである。

政策の首尾一貫性は決定的である ―これは政府の内の異なる省庁の政策が、健康と健康の公平を産み出すために、互いに対立しあうのでなく相補うべきだということを意味している。

例を挙げれば、貿易政策において、それが規制のない生産、貿易、脂肪と糖分に富んだ食料の消費をどんどん進ませれば、果実と野菜の生産は損害を受け、健康政策には矛盾する。

健康政策は高脂肪、高糖分の食品をなるべく減らし、果実と野菜消費を増やすことを勧めているのである。健康のためのセクター間共同行動 ―健康セクターと非健康セクター間で調整調和させられた政策と行動― こそ、これを達成する鍵となる戦略である。

政府を超えて、市民社会やボランティアや民間セクターを巻き込んでいくことは健康の公平に至るうえで極めて重要なステップである。政策の過程のなかでのコミュニティの関わり、社会参加の統合の拡大が健康の公平課題でのフェアな意思決定を確実にする。

そして、健康は異なるセクターや関係者にとって象徴的な存在となる ―そこでこそ地域社会自ら健康プランをデザインするのであり(ダル・エス・サラーム、タンザニア連合共和国の健康都市プログラム)、あるいはウォーキングやサイクリングをしやすい場所をデザインすることに地方政府を含めて全コミュニティを巻き込むのである(デザインによる健康、オーストラリア・ビクトリア州)

諸セクターを横断して、健康と健康の公平を共通の価値観にしていくことは、全地球的に必要なことの一つというだけではなくて、政治的に挑戦すべき戦略である。


図:カナダ諸州において強制的なヘルメット着用法の有無別で自転車関連の頭部他の外傷の頻度を検討

頭部外傷はヘルメット法的強制州が1994年には10万人当たり18人だったのが、1998年には10人に低下、法制化しなかった州では18人から13人に低下。それ以外の外傷でもヘルメット強制着用は効果を見せている。


「公正な資金投下」
≪何をなすべきか≫
健康の社会的決定要因に基づく行動のための公的資金投下を強化しよう。

・累進所得課税に対する国の能力を築き、新しい国内的また全地球的な公的資金投下の可能性を評価しよう。

健康の公平のための国際的資金投下を増やそう、そして健康の社会的決定要因行動の枠組みを通じて増加した資金を調整しよう。

・GDPの0.7%まで全地球的援助を増やそうという公約によって現在進行中の計画を讃えよう。そして多国間の負債救済計画を拡大しよう;貧困軽減戦略企画のような現存する枠組みのなかで、首尾一貫した社会的決定要因の焦点になることを発展させることによって、健康の公平活動を強化しよう。

健康の社会的決定要因に対する行動のため、政府の資源を公正に割り当てよう。
・健康の社会的決定要因に基づく政府横断的行動に融資し、また地理的地域間や社会的グループ間に公正に融資を割り当てる機構を確立しよう。

(解説)
健康の社会的決定要因を横断しての行動に資金を与えるための公的資金投資は福祉や健康の公平にとって基礎的なものである。

《行動のためのエビデンス》
経済発展段階のいかんを問わず、いろんな国々が、健康の社会的決定要因全体にわたってその行動に資金を与える公的資金投下を増やしていること 

―子どもの発達や教育から、生活と労働の諸条件を経てヘルスケアまで― 

は福祉や健康の公平にとって基礎的なものである。

富んだ国々の社会経済的発展は、公的資金投下を受けたインフラストラクチャーと進歩的で全般的な公的サービスによって強力に支えられているというエビデンスがある。

公的資金投下については、生活に欠かせない資材やサービスを公平に供給することにおいて市場が大失敗している状況を受けて、公的セクターの強力なリーダーシップと適正な公的支出の必要が強調される。

このことはひるがえって言えば累進所得課税の強調である 

―穏健なレベルの再分配でも貧困の減少に対して、経済成長単独の効果に比べて大きな効果があることについてはエビデンスがある。

そして、貧困な国々においてはより大きな国際的資金援助が必要である。

低所得の国々は弱小な税徴収機関や直接税の仕組みしか持たず、労働人口の大半は民間で働いていることが多い。その国々では多くの場合政府の収入を貿易関税などの間接税に頼っている。関税引き下げを求める富んだ国と貧しい国間での経済的合意は、所得の低い国の利用できる国内歳入を減少させやすい。

それに代わる資金投下の流れが確立される以前の話である。

累進所得課税を拡大することは、公的な資金投下の重要な源泉であり、今後のどんな関税切り下げ合意においても必要な前提条件である。

同時に、タックスヘブン地域の金融センター利用と闘って非倫理的国内税制回避=脱税を減らしてしまう方法は、少なくとも新税を用いる方法に比べて開発のための資金源になりうるだろう。

グローバリゼーションが国々の間での相互依存を強めるにしたがって、課税に対する全地球的な議論も強まっていく。

援助は重要である。援助が経済成長を促進しうるし、実際に促進もする、また直接的に健康の改善に貢献しうるというエビデンスはあるが、委員会の見解では、援助の第一の価値は、社会的発展への通常の努力のなかでの理にかなった資源の再分配の仕組みとしてというものである。しかし援助の総量はぞっとするほど少ない。絶対量で(一般的にも、健康面に限っても)少ない;与える側の国ぐにの富から見た相対量でも少な;1969年に提供国でGDP(国内総生産)の約0.7%レベルの援助と決めた約束と比べても少ない;ミレニアム開発目標(MDGs)に対して影響を維持できるうえで必要な量に対しても相対的に少ない。一段づつの増加が求められる。援助をふやすこととは別に、委員会はより広く深い負債免除を熱望する。

援助の質もまた改善されなければならない ―パリ合意に従って― 提供国間のよりよい協調と、受け入れ国の開発プランへのより強い連帯に焦点をあてながらである。

提供国は、単一の多国間組織を通じて援助の大半を渡すよう配慮すべきであるし、受け入れ国側の全国的、地方的レベルでの貧困軽減計画は、健康の社会的要因枠組みを採用することによって、首尾一貫した分野横断的な資金投下というものを創造できるように恵まれるだろう。

このような枠組みは受け入れ国が、援助がどのように割り当てられどんな効果があったかを証明する上での説明責任を改善するのを助けるだろう。

とくに受け入れ側の政府は、利用できる公的資金投下を公平に各地域や人々のグループにわたって割り当てるための彼らの能力と説明責任を強化しなければならない。


大きくなっているギャップ・・・この40年間、先進国はほとんど開発途上国への援助を増やしていない!!
1960-2000年 提供国の一人当たりの援助額と一人当たりの富とを比べると

一人当たりのGNPは1960年を100(11303米ドル)とすると2002年には260(28500米ドル)、
一方、一人当たりODAは1960年100(61ドル)に対して110(67米ドル)に過ぎない。


「市場への責任」

≪何をなすべきか≫
国内的な、また国際的な経済的合意と政策作成における健康と健康の公平の影響について考慮することを制度化しよう。

・すべての国際的または国内的経済合意の健康影響アセスメントができるよう制度化し技術的能力を高めよう。

・国内的、国際的な経済政策交渉における健康問題関係者の発言力を強めよう

健康についての基本的サービス(水や衛生施設など)の整備、そして健康に多大な影響のある商品とサービス(タバコ、アルコール、食品)の規制
という国家の基本的役割を強めよう。

(解説)
市場は新しい技術や商品やサービス、改善された生活水準という形で健康の役に立つ。

しかし市場は、経済的不平等、資源枯渇、環境汚染、不健康な労働、危険で不健康な商品の流通という形で健康にとってネガティブな状態も作り出す。

≪行動のためのエビデンス≫
健康は交換可能な商品ではない。それは権利の課題であり、公的セクターの義務である。健康のための資源は公平で普遍的でなければならない。

そこには3つの関連した問題がある。

第一に、教育や医療・保健(ヘルスケア)といった中枢部の「社会財」の商品化は健康の不公平を作りだすことは経験が教えているということである。このような中枢をなす社会財は、市場に投げだされるのでなく、公的セクターで管理されるべきである。

第二に健康を害したり、健康の不公平を導くような生産物、活動、諸状態を効果的に国家的・国際的な統制下におくことには公的セクターのリーダーシップが必要だということである。

これらのことはともに第三のことを意味する。すなわち、すべての政策作成における有能で正規の健康影響アセスメントと市場規制は国内的・国際的に制度化されるべきだということである。

委員会は特定の財やサービスを基礎的な人間的・社会的ニーズと見ている 

―たとえば清潔な水や医療保健制度を利用できることである。

これらの財やサービスは支払い能力に関係なくどこでも利用できなければならない。

この場合は、だから、適切な供給と利用を保障するの公的セクターであって、市場ではないということである。

健康と福祉のための中核的な財やサービス―たとえば水・医療保健・人間らしい労働条件―の提供を確実にすることと、健康を傷害する商品(たとえばタバコや酒)の流通規制という双方の観点から、公的セクターのリーダーシップは強固なものである必要がある。

労働の状態や作業条件もまた―貧富に関わらず多くの国で―しばしば不公平で、搾取的で、不健康で危険なものである。

人口全体の健康と健康的な経済活動に対する良質な労働の中核的な重要性は公的セクターのリーダーシップを必要とする。

そのリーダーシップは全地球的な労働基準をだんだんと満たしていくことを確実にし、一方で中小企業の成長を助けることを確実にするのである。

全地球的な管理機構―タバコ規制のための枠組み会議など―は、市場への統合が拡張し健康傷害性の商品の流通と入手が加速されている現状のなかで緊急性を求められている。

加工食品とタバコは全地球的、地域的、全国的な規制を強めるべきものの二つの主要な対象である。

最近の数十年において、グローバル化のもとで市場への統合は増大した。

国際的・全地球的な経済合意の範囲を拡大しながら、財やサービスの商品化を加速しながら進んだ―それらのうちいくつかは疑いもなく健康に有益だが、いくつかは有害であった― 。

委員会はこの警告が、新しい全地球的な・地域的な・貿易と投資双方の経済的政策協定に参加している諸国のあいだで採用されることを強く促すものである。

このような協定を作成する前に、現存する健康のための合意枠組みのインパクト、健康の社会的決定要因、そして健康の公平というものを理解することこそが肝心かなめなのである。

さらに健康影響アセスメントは、もし健康と健康の公平にとって不都合な影響があるのなら、国際的協定に調印した国々に協定を修正することを許す弾力性がスタート時点で確立されているべきだということを繰り返し示唆している。そのさい、修正を開始する上で透明性のある基準(クライテリア)が必要である。

公的セクターのリーダーシップはその他の関係者(=市民組織と民間セクター)の責任や能力と置き換えられるものではない。

民間セクターの関係者は影響力があるし、全地球的な健康の公平に対して多くのことをなす力がある。

しかし、今日まで、私企業の社会的責任のもとになされたイニシャティブ(発議・先導)が本当に有効だったかどうかのエビデンスは限定されたものでしかない。

企業の社会的責任は先々価値があるものではあるが、それを言うにはエビデンスが必要である。企業の説明責任は、民間セクターと公的セクターの信頼性と協働性の伴った関係を築くためのより強力な基礎になりうるものである。


ヨハネスブルグの水の値段
現存の補助金制度で40KL/月を超えれば料金が同じなので富裕層に有利。彼は水を使い放題にしている。これに対して理想的な料金表は40KL/月までは安く、それをを超えると急に料金が増えるもので、貧困層への供給に補助金をつけ、大量の水使用を妨げるものである。


「男女の公平」

≪何をなすべきか≫
男女の不公平は不公正である。それはよい効果を生まず効率も悪くする。男女の公平を支えることにより、政府、援助提供者、国際機関、市民社会は数百万、数千万、何億の少女、女性、その家族の生活を改善することができる。

社会構造の男女差別による歪みに迫ろうー法律とその実施において、組織が動き介入が計画される仕方において、一つの国の経済効果が測定される仕方において。
・男女の公平を促進し、性別を理由にした差別を不法なものとする法制度を創造し実施しよう。
・政府の中心的な省庁と国際組織とともに男女公平のための部局を創造し予算を与えることにより、男女問題の主流を強化しよう。
・家事労働、人の世話、無償労働の経済的貢献を国家会計に含めよう。

教育や技能の格差をなくし、女性の経済的参加を支援する政策や施策を開発し融資しよう。
・正式のかつ職業に役立つ教育や訓練に投資しよう、法律によって公平な賃金支払いを保障しよう、すべてのレベルでの雇用の機会均等を確実にしよう、家族―互助的政策を立ち上げよう。

性と生殖の健康にへのサービスと施策への投資を増やし、すべての人の保護と権利を築こう。

(解説)

一世代のうちに健康格差を減少させることは、少女や女性 ―人類の約半分を占める― の生活が改善され、男女の不公平が解決に向かって努力されて初めて可能になる。女性のエンパワーメントは健康の公正な分配を達成するうえでの鍵である。

《行動のためのエビデンス》

男女の不公平は全ての社会に蔓延している。政治権力・資源・資格・基準や価値、そして組織が構成され施策が行なわれるやり方における男女差別による歪みは、何百万、何千万、何億という少女や女性の健康にダメージを与えている。女性の社会的地位は少年少女の健康や生存にも関連がある。男女の不公平は健康に影響を与える。他の経路もあるが、とくに差別的な食事パターン、女性に対する暴力、意思決定権限の欠如、不公正な労働・余暇・自分の生活を改善する可能性における区別を通じてそれは現れる。

男女の不公平は社会的に作り出されるものだからこそ、変えることができるものである。女性の地位は何世紀もののなかの最後の世紀をかけて劇的に改善されたが、しかし進歩は不均等で、多くのなすべき挑戦がまだ残っている。女性は男性と同等の仕事をしても男性より稼ぎが少ない。少女や女性は教育や雇用の機会で遅れた状況にある。多くの国で母親の死亡率や有病率が高いし、妊娠・出産時の健康サービスは、一国内でも国々の間の比較でも、巨大な不公平が続いている。男女の不公平の世代間効果は緊急にもっともっと強力に行動しなければならない事柄である。今、男女の公平と、女性の地位向上の改善のために行動することは、この一世代で健康格差を解消することにとって決定的に重要である。


名目上の賃金において女性は男性より有意に低い

サハラ以南のアフリカ4カ国では70%、ラテンアメリカ8カ国では73%、過渡期の10カ国では76%、工業国22カ国では80%。東南アジア6カ国では80% 中東と北アフリカ4か国では81% 。



「政治的権限付与(ポリティカル・エンパワーメント)ー受容と発言権」

《何をなすべきか》

社会がどう動いていくかについて、とくに健康の公平に与える影響との関連での意思決定には社会の全てのグループに公正な代表・表現を通じての.権限を与えよう。そして政策決定のための社会的参加の枠組みを創造し維持しよう。

・人権を守る政治的・法的システムを強化しよう、社会の辺縁に追いやられているグループ、特に先住民の法的地位を確立し、その人たちの必要と要求を支援しよう。

・健康権の必須な特徴をなすものとして、健康の意思決定において個人とコミュニティの公正な代表・表現と参加を保障しよう。

健康の公平に影響を与える政治的・社会的権利を促進し現実化するやするやりかたで市民社会を組織し行動することを可能にしよう。

(解説)

自分が生きている社会に仲間として受け入れられることは、社会的福利や公平な健康を下支えする物質的、心理社会的、政治的な権利付与にとって中核的なことである。

《行動のためのエビデンス》

到達可能な最も高度の健康水準に至るのに必要な状態への権利は普遍的なものである。これらの権利が破られるというリスク
は、強固な構造的不公平の結果である。

社会的不公平は様々な社会的カテゴリーの交差 ―階級、教育、性別、民族、障害、地理― によって明らかになる。それは単に違いを意味するのでなく、ヒエラルヒー(階層性)を意味し、違う人々やコミュニティの、富や力や名誉もおける深い不公平を反映している。すでに正当な権利を取り上げられている人々は健康面に関してもさらに恵まれない―経済的、社会的、政治的、文化的関係に参加できる自由を持つことは、本源的な価値を持っている。受け入れること、世話すること、制御することはそれぞれ社会的発展・健康・福利にとって重要である。そして参加を制限することは人間の潜在能力の剥奪に帰着する。すなわち、ある一塊のもの、たとえば教育・雇用・生物医学と工業技術上の進歩の享受といったことにおける不公平の中に置いて行かれるということである。

社会的不公平を減らそうとするどんな真剣な努力も、社会と世界中のあちこちのなかでの力の分配を変えようとし,個人やグループが自分たちのニーズや関心を強く効果的に表明できるように力をつけさせようとし、不公正や社会資源の分配が不当に傾斜づけに挑戦し変えるためのいろんなことをする。その社会的資源とは健康のためにすべての人が市民として要求と権利を有する条件なのである。

力関係を変えるということは個人・家庭・コミュニティというミクロレベルから経済・社会・政治上の関係者や組織の間での構造的関係というマクロレベル間の様々なレベルで起こりうる。社会的グループが力をつけ、政治に関係した課題設定と意思決定においてい意志表明をすることは権利の包括的な一認識する上で決定的に重要であり、一般的人口中で生活必需品と社会の公正な分配を確固としたものにする一方で、下から上への草の根的なアプローチを通じての行動のための能力向上もまた必須である。社会のなかで最も恵まれない人々が出会う不正と闘うこと、これらの人々を組織することは地方の人々のリーダーシップを築くことになる。それは権限向上につながる。それは人々に自分たちの人生と未来を自らコントロールするより崇高な感覚を与えるだろう。

コミュニティまたは市民社会の健康不公平に対する行動は、権利を包括的な1セットとして保障する国の責任と分離できないし、生活必需品と社会財をいろんな人々のグループの間で公正に分配することを確実にすることである。トップダウンとボトムアップの両方のアプローチが等しく不可欠である。

図 韓国において最終学歴別に男女の死亡率を検討 1993-1997
男女とも学歴が短くなるにつれて死亡率が高くなる。大学卒を1とすると
高校卒男1.7 女1.2 中学卒男3.2 女1.9 小学校卒男5.1 女3.3.

実に大学卒と小学卒では死亡率が5倍以上も違う(男の場合)。女性は若干、学歴の影響が少なく現れる。


「良好な全地球的な政治」

≪何をなすべきか≫
健康の公平を全世界の発展のゴールとしよう、そして健康の社会的決定要因枠組みを発展のための多面的な行動を強化するために取り入れよう。

・国連は、WHOや経済社会理事会を通じて全世界的発展の核となるゴールとして健康の公平を採用し、健康の決定要因指標枠組みを前進を測定するために用いるべきだ。

・国連は主要な健康の社会決定要因について多面的なワーキング・グループを設置すべきである ―第一に、早期の子どもの発達、男女の公平、雇用及び労働条件、医療保健システム、そして住民参加を尊ぶ政治。

健康の社会的決定要因に対する全地球的行動におけるWHOのリーダーシップを強化しよう。それはWHO内の各局と国家の施策を横断して健康の社会的決定要因を指導的な原則として規定することである。

(解説)世界中の人々の健康と生存のチャンスの劇的な違いは国々の力と繁栄のアンバランスを反映している。グローバリゼーションの莫大な利益の偏在は著しい。

≪行動のためのエビデンス≫
第2次大戦後の時代には激しい成長があった。

しかし世界の富と知識の成長は政界の健康の公平の増加に直結しなかった。

より貧しい国々をOECD(経済協力開発機構)へと結びつける集中よりも、グローバリゼーション後期(1980年以降)では勝ち組(winner)と負け組(loser)が世界中の国々の中に現れ、とくにサハラ以南のアフリカと旧ソ連諸国のいくつかでは平均寿命の停滞と逆転の警告が鳴った。

1960年から1980年の間の全地球的経済成長と健康公平の進歩は引き続く時期(1980-2005年)において完全に失速し、そのとき世界経済政策は社会セクターへの支出と社会発展を激しく打ちのめした。グ

グローバリゼーションの第二の時期(1980年以降)に関連して世界は、金融の危機、増え続ける紛争、強制・あるいは自由意思の移住が相当に増加し、定期的な発生するのを見たのでもあった。

グローバリゼーションのもと、共通の関心と相互依存的な未来という認識によって、国際的な共同体は、多くの国、すなわち富む国も貧しい国も一緒に一つの声に合わせていくことのできる多面的なシステムに再び頼ることが避けられなくなっている。

全地球的に健康の公平へ首尾一貫して注目していくことが可能なのだということは、健康の公正を発展課題の心臓部におき、さらにその意思決定の心臓部に純粋な平等をおきながらの全地球的な政治システムというものを通じて初めて本当になる。

図 平均寿命に対する死亡率による分散効果の傾向1950-2000
1950年6.5年・・・2000年5.8年

通常、経済が成長すれば死亡率は低下し、国々の間の平均寿命の差、すなわち分散の程度は小さくなっていくことが北押される。しかし、実際には、経済成長にもかかわらず、国々の間での死亡率の差は収斂せず、50年同じ程度の差が続いている。すなわち、経済成長によって消えるはずの格差がなんら縮小されていないことになる。



第3章 問題を測定して理解し、行動の影響を評価しよう

世界は速いスピードで変わっているし、社会的・経済的・政治的変化が一般的な意味で健康に対して持つ影響、そして特別の意味で国内的・全世界的に健康の公平に対して持つ影響は明確ではない。健康の社会的決定要因に基づく行動は次のような時により効果的になるだろう。すなわち人口登録(国勢調査)や健康の不公平や健康の社会的決定要因の日常的モニタリングなどを含む基礎的データシステムが設定され、そのデータが解釈されて、もっと効果的な政策、システム、施策に適用されることを確実にする仕組みがある場合である。健康の社会的決定要因に基づく教育と訓練が必須である。



「健康の社会的決定要因:モニタリング、研究、そして訓練」

≪何をなすべきか≫
いまや、行動のための健康の社会的決定要因によるエビデンスは十分すぎるほどである。政府は、国際組織に支援されて、地方的な・国家的な・国際的なモニタリング、研究、そしてインフラストラクチャ―の訓練を改善することによって、健康の社会的決定要因に対する行動をもっと十分に効果的できるはずである。

健康の公平と健康の社会的決定要因のルーチーンのモニタリングシステムが地方的にでも国家的にでも、国際的にでも設置されることを確実にしよう。
・家庭の経済的な負担なしにすべての子どもが誕生時に登録されることを確実にしよう。
・健康の社会的決定要因のルーチーンなデータ収集によって国家的な・全世界的な健康の公平サーベイランスシステムを確立しよう。

社会的決定要因が公衆衛生に影響を及ぼす経路についてと、社会的決定要因に基づく行動を通じて健康の不公平を減少させる方法の効率性についての新しいエビデンスを見つけ共有することに投資しよう。
・健康の社会的決定要因と健康の公平についてのエビデンスの発見と世界的な共有のために提供される予算を創造しよう。

政策関係者、利害関係者、現場の実践者に健康の社会的決定要因についての訓練を施し、社会の認識を引き上げるために投資しよう。
・健康の社会的決定要因を医療・保健教育に組み入れ、健康の社会的決定要因に関する教養をもっと広く改善しよう。政策作成者や計画者に健康の公平の影響評価について訓練を施そう。
・健康の社会的決定要因に基づく行動についてのWHOの支援力を強化しよう。

(解説)
データがなければ問題の認識もしばしばありえない。健康とその分配についての、また健康の社会的決定要因のための良いエビデンスは、問題のスケールの理解のため、行動の効果の評価のため、そして全身のモニタリングのために必須のものである。

≪行動のためのエビデンス≫
経験の示すころによれば、社会経済的指標による死亡率、罹患率の基礎的データをもたない国々では健康の公平の課題の前進に困難を生じる。健康問題が最悪の国々、紛争中の国々がそれに含まれるがよいデータがほとんどない。多くの国々がいまだ誕生と死亡の基礎的登録システムをもたない。誕生の登録システムがないことは子どもの健康や発達のアウトカムに大きな影響を及ぼす。

健康の公平、健康の社会的決定因子、そして何がそれらを改善させるように作用するかということについてのエビデンスは一層強化されなければならない。

残念なことに、たいていの健康研究は圧倒的に生物医学的なところに焦点を置いたままだ。

かつ、多くの研究は性別の問題で偏りを残している。

エビデンスの伝統的な階層づけ(ヒエラルヒー)(それによると無差別コントロール試験RCTと研究室での実験が頂上に位している)は一般に健康の社会的決定要因の研究に役立たない。

むしろ、エビデンスは目的に適合しているかどうかで評価されることが求められる ―すなわち、まず質問があって、それに説得力を持って答えるものなのである。

エビデンスは政策決定に影響を与えるものの一部分にすぎない―政治的意思や組織の能力もまた重要である。

政策関係者は公衆の健康に影響を及ぼすものについてや、地位の上下勾配がどのように作用するかを理解する必要がある。

健康の社会的決定要因にもとづく行動もまた、現場の実践家のなかでの能力づくりを要求する。それには保健・医学人養成のカリキュラムに健康の社会的決定要因の教育を組み込むことが含まれる。



図 地域と発展度別にみた未登録の出生児数(1000人あたり)2003年

世界中で見れば36%、 サハラ以南55%、中東と北アフリカ16%、南アジア63%、東アジアと太平洋 19%、ラテンアメリカとカリブ海諸国 15% バルチック海の旧ソ連 23%、工業国 2% 発展途上国40%、未開発国71%

「実践者」

以上、私たちは勧告項目の中で求められる鍵となるべき行動を詳しく述べた。ここで、私たちは行動の効果がその手に握られている人々について述べる。公的セクターの行動を通じての政府の役割は健康の公平にとって基礎的なものである。しかし、その役割は一人政府だけのものではない。健康の公平のための本当の行動が可能になるということは、むしろ、市民社会の参加と公的な政策作成という民主的なプロセスとを通じてのことであり、地域的なあるいは全地球的なレベルで支えられてのことであり。健康の公平に作用するものについての探求に裏付けられてのことであり、民間の関係者とのコラボレーション(協働)を伴ってのことなのである。

(解説)
多方面の組織

委員会の推奨事項の中で全体に関わるものの一つに、健康の社会的決定要因に基づく効果的な行動を強めるためと健康の公平を達成するために―政策作成と行動において―セクター間の首尾一貫性の必要性ということがある。多方面の専門家と融資機関が一緒になって、健康の社会的決定要因と健康の公平への彼らの集合的な影響を強めるためにできることは、以下のようにたくさんある:

・全世界的なモニタリングと行動の首尾一貫性:
健康の公平を共有のゴールとして採用し、開発の前進をモニターするための指標として共通の全世界的枠組みを使おう。

・首尾一貫した透明性の高い融資:
援助の増加と負債の免除が、首尾一貫した健康の社会的決定要因政策作成と受け入れ側政府間での行動を支援することを確実にしよう。それは受け入れ国の透明性(説明責任)の中核条件として、健康の公平と健康の社会的決定要因の実行指標を用いながら行われるのである。

・世界政治のなかでの国連メンバー諸国の参加の改善:
全世界的な政策作成フォーラムへのメンバー諸国と利害関係諸国の公平な参加を支援しよう。

WHO
WHOは世界の健康において権限を付託されたリーダーである。いまこそWHOのリーダーシップ役割を健康の社会的決定要因と世界の健康公平に基づく行動の課題を通じて強化する時である。これは以下のような行動の幅を持っている:

・全世界と一国内での政策の首尾一貫性:
健康の社会的決定要因の能力向上を支援する幹事機能と、多面的なシステムでの協力機関同士を横断する政策上のの首尾一貫性を身につけよう。全てのメジャーな多面的フォーラムにおいて公衆の健康について意見を表明できるよう、全世界的にもメンバー諸国の間でも、技術的能力を強化しよう;首尾一貫した政策のための開発機構と、健康の社会的決定要因のためのISAにおいてメンバー諸国を支援しよう。

・測定と評価:
開発の中心的目標として、健康の公平にゴールとして設定することと、国々の間で・国々の内部で健康の公平の前進をモニタリングすることを支援しよう;加盟国の間で健康の公平のサーベイランスシステム確立することを支援し、国々の必要な技術力を作り上げよう;発達途上の加盟国を支援し、健康影響指標のツールやそのほかの健康の公平関連のツールを国民の公平の指標として用いよう;周期的に全世界の状態を点検するために世界的会議を定期的に招集しよう。

・WHOの能力を強化しよう:最高指導部から地域責任者、各国の企画担当者者までWHO組織を横断的に、内部の健康の社会的要因に関する能力を築こう。

国家と地方政府

健康の社会的決定要因と健康の公平に基づく行動を下支えするのは権限を与えられた公的セクターである。それは正義、参加、セクター間のコラボレーション(協働)の原則のもとに ある。このことは政府と公的組織のコアになる機能の強化を必要とする。それは国家的、準国家的にであり、とくに政策的一貫性、参加を尊ぶ統治、計画、開発規制、執行、基準設定と関連している。それはまたWHOに支援された健康省のリーダーシップと幹事・執事的役割の強化にかかっている。政府の行動は以下のようなものである。

・政府を横断しての政策の一貫性:政府の最も高いレベルにおいて健康と健康の公平に責任を持とう、そしてすべての省庁と部局の政策策定を横断して一貫した考慮を確かなものにしよう。健康大臣たちは世界的な変化をもたらすのを援助できる―彼らは国のトップと他の大臣たちによる採用を作り出すのを援助する上での中枢になるだろう。

・公平のための行動強化:全世界的なヘルスケアサービスの前向きな建設を約束しよう;政府の政策策定を横断して男女の公平を促進するための中央の中心的な性差問題ユニットを確立しよう;農村の暮らし、インフラストラクチャー投資、とサービスを改善しよう;スラムを底上げし、地域ごとの参加を尊ぶ健康都市計画を強化しよう;完全雇用と人間らしい労働政策・施策に投資しよう。;ECD(子ども時代早期の発達計画)に投資しよう;支払い能力によらない中心的健康の決定要因サービス・施策の全世界での供給の方向を築こう、それは社会防衛の全世界的な施策により支援される;健康を損なう商品の規制のための枠組みを確立しよう。

・融資:新しい国際的な融資(援助、負債免除)を健康の社会的決定要因を通じて透明性を伴いながら合理化しよう;累進的な国内税制の改善によって歳入を強化しよう;そして他の加盟国と協働して地域的かつまたはあるいは全世界的な国際的公的融資の提案の発展を図ろう。

・測定、評価、そして訓練:全世界的なたんじょうとうろくの方向を築こう;国家的な健康の公平サーベイランスシステムを確立することを通じて健康の公平のための実行指標を政府横断的に設定しよう;健康の公平の影響アセスメントを、きな政策決定の標準的実施要綱として用いる溜めの能力向上を図ろう;そして健康の社会的要因への公的な気づきを引き起こそう。

市民社会

自分が生活している社会に受け入れられることは物質的・心理社会的・政治的権利獲得の視点からみて肝心なことである。その権利獲得が社会的な幸福と公平な健康を下支えするのである。コミュニティの一員・草の根(隣人としての)援助者・サービスと施策の提供者・そして行動結果のモニターとして、全世界から地域レベルに至るまでの市民社会の行為者は、政策と計画と、すべての人の生活における現実の変化と改善への生きた橋を建設する。あい異なるコミュニティを横断して多様な声を組織し促進することを援助しながら市民社会は健康の公平のパワフルなチャンピオンになりうる。上に列記された多くの行動は、少なくとも一部分では、市民社会からの圧力と鼓舞の結果である;一世代のうちに築く健康の公平に向かってのたくさんの一里塚はー達成されたか失敗したかー注意深い市民社会の行為者の観察によって記録されるべきである。市民社会は健康の社会的決定要因に対する行動において以下のような経路で重要な役割を果たすことができる:

・政策・計画・施策・そして評価への参加:全世界レベルにはじまって、国内のセクター間フォーラムから、さらに地域レベルでのニーズの評価・サービスの分配・援助にいたるまでの、健康の社会的決定要因の政策策定・計画・施策実行・評価に参加しよう;そしてサービスの質、公平・影響ををモニターしよう。

・成果の評価:特殊な健康の社会的決定要因をモニターし報告し宣伝しよう。たとえば、スラム、正規・非正規の雇用状態、子どもの労働、先住民の権利、男女の公平、健康と教育のサービス、諸活動間の協力、貿易協定、環境保護などの改善とサービスのことである。

民間セクター

民間セクターは健康と幸福に深い影響力を持っている。委員会が健康の公平に対する公的セクターのリーダーシップの中的な役割を繰り返し断言している部分でも、民間セクターの活動の重要性を否定することを意味するものではない。しかし、生じうる逆影響への認識は必要だし、民間セクターに注意を払って規制を行う責任はある。健康と健康の公平に対しての望ましくない影響をコントロールすることの傍ら、民間セクターのヴァイタリティは健康と幸福を強化することを多く提供する。その行動は下のようである:

・説明責任を強化する:国際的合意、基準、雇用行為の慣例について認識し説明の責任を果たそう;雇用と労働の条件が男性にとっても女性にとっても公正であることを確実なものにしよう;児童労働を減らすか無くそう、そして産業衛生と安全の基準に関する法令順守を確実なものにしよう;教育と職業訓練を雇用徐研の一部として援助しよう、とくに女性の機会については特別の強調をもって行うべきである;民間セクターの活動とサービス(たとえば救命的な薬品の生産や特許取得や健康保険企画の提供)が健康の公平に貢献し、それを掘り崩してシムことのないことを確実にしよう。

・研究への投資:無視されている疾患と貧困地域の疾患の研究と治療の開発に関与し、救命的な可能性のある領域での知識(たとえば制約上の特許)を共有しよう。

研究機関

知識―全世界的に、地域的に、国内的に、地方的に健康状態はどうなのかという知識;その状態について何ををなしうるかという知識;そして健康の社会的決定要因を通じて健康の不公平を変えるためには何が効果的に作用するかという知識―は委員会の心臓部に位置し、その推奨項目のすべてを下支えするものである。研究が必要とされている。しかし、単純にアカデミックな仕事という以上に、研究には上に挙げたすべてのパートーナーが実践的に受け入れられる形で新しい理解を生産しそれを普及する必要がある。健康の社会的決定要因と健康の公平のために行動する方法の研究と知識は持続的なアカデミックな研究者と現場の実践者の係わり合いに依拠するだろう、しかしそれは新しい方法論にもまた依拠するだろう ―すなわちエビデンスの或る範囲のものを認識し利用すること、研究過程に入り込む男女平等問題の偏見を認識すること、全地球に広がる知識のネットワークと共同体の付加価値を認識することである。この領域の実践者の行動は以下のようなものである。

・健康の社会的決定要因の知識を生産し普及する:研究資金を健康の社会的決定要因の仕事に割り当てることを確実にしよう;世界の健康の観測所や多方面・国家的・地方的なセクター横断的な作業を支援しよう。それは健康の社会的決定要因の指標や介入影響の評価の開発とテストを通じてなされる;オープンアクセスの原則の上に組織されたヴァーチャルなネットワークと広報機関を確立し拡大しよう。それは高所得状況のサイトからでも、中所得状況のサイトからでも、低所得状況のサイトからでもアクセスしやすさを強化するよう管理されなければならない;低所得国、中所得国からの頭脳流出が逆転するように貢献しよう;研究チームや提案や企画、実践、そして報告ににおける男女差別の偏見に取り組み解消していこう。

 
終章

「健康格差を一世代のうちになくすことは可能なことだろうか?」

この質問 ―健康格差を一世代のうちになくすことは可能なことだろうか?― には二つの明確な答えがある。

もし私たちが今までと同じならば、そこにはチャンスはまったくない。

もし、変化したいという純粋な願いがあるのであれば、どこで生まれるかという偶然や皮膚の色、両親に与えられる幸運によって人々の機会や健康がそのまま枯れてしまうことなどのないより良い、より公正な世界を作るという展望があるのであれば、答えはこうだ:

私たちはそれを求めて長い道を行かねばならない。

私たちがこの報告を通じて示したように、行動は実行できる。

しかし、首尾一貫した行動が決定要因を横断して 

―上に設定した行動領域を横断して― 

形成されなければならない。

それはより直接的な幸福を可能な限り確実にするため構造的不公平を根絶しながら進められる。

これを達成することは人生の始まりから開始して全人生のコースを通じて生じる変化を起こすだろう。

健康格差を一世代のうちに終わらせようという呼びかけにおいて私たちは、国々の中での健康の社会的勾配、あるいは国々の間での劇的な違いが30年間でまったく消えてしまうとは考えていない。しかし、健康が改善するスピードと、変化を達成するの必要な方法の双方についてこの最終報告で産み出されたエビデンスは、かなりの規模で格差をなくすことが実際に達成可能であると私たちを勇気づけるものである。

これは長期間にわたる課題である。それは今すぐ財政投資を始めることを要求し、社会政策・経済秩序・政治行動の大きな変化を伴うものである。

この行動の中心には、人々やコミュニティや今日公正な分配を受けていない国々の権限向上(エンパワーメント)がある。

変化のための知識や方法は手の中にあるし、ともにこのレポートに紹介されている。今何をなすべきかは政治家がこれらの抜群に難しいが、しかし可能な変化に備えることである。

行動しなければ、来るべき数十年において、われわれの肩に担われるべき責任をはたすことの大規模な失敗が見られるだろう。


(終わりに)

健康の不公平を軽減することは健康の社会的決定要因委員会にとって倫理的緊急事項である。
いまや社会的不正義が大規模に人々を殺しているのだ。

(終了)

 

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 マーモット・レビュー「Fair Society,Healthy Lives」(公正な社会と健康な人生)仮訳 再掲

2011年日本母親大会の分科会で助言者を依頼されたことから、子どもの健康がなぜ大切かについて考えなくてはならなかったため、2年前に訳したものを改めてアップした。この機会に訳についても、これからもう一度改善していこうと考えている。
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2008年に最終報告を出したWHO「健康の社会的要因」委員会(CSDH)の委員長だったマイケル・マーモットさんが、イギリスの保健省の援助のもとに設置された委員会から2010年2月に新たなレポートを発表した。「マーモット・レビュー」と言われるものである。さすがにまだ日本語訳がないので、私の方で急遽エグゼクティブ・サマリーの仮訳を作ることにした。作業の進行とともに更新を続けていく予定である。

web上では[Marmot,fair society,healthy lives]で検索すれば容易にPDF版を入手できるので、原文で読みたい人はぜひそちらにあたって頂きたい。

なお、このレビューではhealth inequity 健康の不公平 という用語は用いられず、health inequality 「健康の不平等」 というより直接的な表現が用いられている。よそいきのWHOでなく、ホームグラウンドで書いているという事情によるものだと推測される。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1ページ
「公正な社会と健康な人生」(Fair Society,Healthy Lives)

マーモット・レビュー
エグゼクティブ・サマリー

イングランドにおける2010年以降の健康不平等に対する戦略的レビュー

2ページ
「私とともに立ち上がり
『悲惨を作りだす世界構造』と闘おう」
 パブロ・ネルーダ

*註(野田)ネルーダは有名なチリの共産主義者詩人。上記の詩は1952年出版の「the Captain's verses」(「船長の歌」?)のなかにあるものである。この詩集はイタリアのカプリ島に3番目の妻と一緒に亡命していたころのもので、その時のことは映画「イル・ポスティーノ」に描かれてたので見た人も多いはずだ。この詩の日本語訳が、出版されているかどうかは分からなかった。
3ページ

「議長からの覚書」

社会の中で社会的経済的に高い位置にいる人ほど人生上のチャンスが次々起こりやすく、華々しい生活に導かれる機会に恵まれやすい。同時に彼らはより健康でもある。この二つのことは関連している:社会的にも経済的にも恵まれれば恵まれるほど健康も良好である。この社会的状態と健康の間にある関連は、決して健康に関する「本当の」関連群―「ヘルスケア(医療保健)と不健康な行動」など―の「脚注」という程度のものではなく、まさに中心的焦点となるべきものである。社会的状態の一つの尺度を考えてみよう:教育はどうだろう。大学卒の人たちはそうではない人たちに比べてより健康であるし、長く生きるのである。30歳以上の人々の場合、学歴がない人たち全員の死亡率が、学歴がある人たちの死亡率まで減ることがあれば、毎年20万2千人の早過ぎる死亡が減るのである。確かに、これは懸命に努力するに値する目標である。

このレビューに関係した私たちはみんなはよく分かっている―今は少数の人だけが享受している人生のチャンスをもっと多くの人に与えることによって目覚ましい改善を達成するには長い道のりがある。このような努力の効果は直接生命を救うより広範なものになるだろう。そうなれば、社会にいる人々はいろんな経路で健康になっていく:生まれ、育ち、生き、働き、年をとることが起こる環境の中においてである。人びとは改善された福祉、よりよい精神衛生、障害による不利がより少なくなっているのを目の当たりするだろうし、彼らの子どもたちは生き生きし、みんな持続可能な仲の良いコミュニティに暮らせるだろう。

私はWHOの「健康の社会的決定要因委員会」の議長を勤めた。ある評論家は委員会の報告に「エビデンスを備えたイデオロギー」というレッテルを貼った。同じようなレッテルはこのレビューにも貼り付けられるだろうが、私たちは喜んでそれを受け入れるものである。私たちは一つのイデオロギー的な立ち位置にいる:合理的な方法で回避できるはずの健康の不平等が存在するのであれば、それは不公正である。それらを正すことは社会正義にかかわる事柄である。エビデンスがどうのこうのではない。意図だけは良い というのも不十分である。

このレビューの主要な任務はイングランドにおける健康の不平等戦略の発展のためにエビデンスを集め、アドバイスすることであった。私たちは9つの機動グループに助けられた。彼らは素早く徹底的に働いて、役に立つと思えるものについてのエビデンスを集めてくれた。彼らのレポートはwww.ucl.ac.uk/gheg/marmotreview/Documentsで利用できる。これらのレポートはこの報告の第2章でエビデンスのまとめの基礎を提供し、第4章で政策上の勧告を示している。

もちろん、健康の不平等というのは新しい関心事項ではない。私たちは19世紀、20世紀に問題の解決を探求した巨人たちの肩の上に立っている。最近の経験からの学びは第3章の基礎を作っている。

私たちは科学的な文献に深く頼りながら、それだけが私たちの考慮するエビデンスのただ一つのタイプとしなかった。私たちは利害関係者と幅広く関わり、彼らの洞察と経験から学ぼうと努めた。実際のところ、このレビュー過程のエキサイティングな特徴は、私たちが中央政府や、右から左を横断する諸政党、地方政府、ヘルスサービス機関、第3セクターや民間セクターに関わっていくために示した関わり方や関心のレベルの深さなのである。変化を起こそうというこれらのパートナーとの関わりは第5章の主題である。

問題の性質と大きさを知り、格差を作り出すものが何かを理解することは健康の配分をより公平にするための行動の心臓部分である。そこで私たちは第5章と付属の2で健康の社会的決定要因と健康の不平等のモニタリングの枠組みを提案する。

最初から、私たちは金ののかかりすぎる勧告になってしまうのではないということを恐れていた。経済的な計算が不可欠だということが私たちを押しつけていた。これ対する私たちのやり方は、(逆に)何もしなければどれだけコストがかかるかを計算するということであった。その数字は、第2章に再現されているように途方もないものである。何もしないことは経済的に選択肢たりえないものである。人間コストとしてもまた莫大である―イングランドでは毎年、早すぎる死亡という形で、健康の不平等に対して250万年分も人生を失っている可能性がある。

私たちは二人の保健省長官に非常に感謝している:アラン・ジョンソンはこのレビューを始めるという計画を持ってくれた。アンディ・バーンハムには熱意をもってそれを継続してくれた。WHOの健康の社会的決定要因委員会が2008年8月に報告を発表したとき、アラン・ジョンソンはその成果をイングランドに適用できるかどうか尋ねてきた。この報告が彼の挑戦への私たちの答えである。

賢明な理事会は知識と経験と意見を与えてくれることでこのレビューを導いてくれた。また事務局が知識と私心のない献身を提供してくれたので作業は極めて活発に進められた。私は双方にとても感謝している;いずれにしても、保健省、研究委員会、機動グループの優秀な同僚たちとの、相談や議論を通じて、多くの人と関わった。その人たちがこのレビュー全体を通じて反映されている彼らの影響を見つけることを私は期待する。
私は世界委員会を始めたときパブロ・ネルーダを引用した。彼を引用することは今なおふさわしいと思える。

’Rise up with me against the organaization  of misery' 「私とともに立ち上がり『悲惨を作りだす世界構造』と闘おう」

マイケル・マーモット(議長)

4ページ

「考慮事項 タームズ オブ リファレンス」

2008年11月に、サー・マイケル・マーモット教授は保健省長官に2010年からのイングランドにおける最も効果的なエビデンス・べーストな健康不公平改善戦略を提案する独立したレビュー(概説)を議長になってまとめてほしいと依頼された。その戦略は≪健康の不平等の社会的要因≫に着目して解決しようという政策と企画を備えるものだった。

レビューには4つの任務があった。

1 イングランドで直面する健康の不平等に対し、将来の政策と行動に根拠を与える最も関連あるエビデンスを同定する

2 このエビデンスがどうしたら実行に移せるかを示す

3 乳児死亡率や平均寿命に標的を置いた最新のPSAの経験を踏まえて、可能な目標と方法をアドバイスする

4 2010年以降の健康の不公平戦略の発展に貢献するようなレビューの成果を公刊する

「お断り・免責事項(disclaimer)」

この出版物はイングランドにおける2010年以降の健康の不公平に関する戦略的レビュー(議長はサー・マイケル・マーモット教授)の集団的見解を収録しているが、必ずしも保健省の決定や公式政策を示しているものではない。

個々の組織、会社、工業生産物への言及は、同様の性格の他のものに比べて、保健省が保証や推薦を与えているものではない。

イングランドにおける2010年以降の健康不平等への戦略的レビューは、この出版物に含まれる内容の正しさを保障するために、あらゆる根拠ある想定対応を行った。しかし出版された素材は表現や含意についていかなる類の保証もないことを条件に普及されてよい。この素材の解釈と使い方の責任は読者に任されている。どんな場合でも、イングランドにおける2010年以降の健康不平等への戦略的レビューはその使用から生じる損害について法的責任を負うものではない。

5ページ

謝辞

このレビューの研究は委員会の議長と委員によって擁護され 、教えられ導かれた。

以下省略

6ページ

委員名簿

議長 マイケル・マーモット

以下省略

7ページ

図の一覧

第1図(11ページ) 平均寿命と健康寿命(障害のない寿命)、各地区の所得レベル別、イングランド。

第2図(11ページ)社会経済的階層別の年齢補正死亡率、東北地域と南西地域、25歳から64歳までの男性、2001年-2003年

第3図(13ページ)貧困度5分位分類における総合的健康質問紙(GHQ)でスコア4以上の人の年齢補正パーセンテージ、女性、2001年と2006年

第4図(13ページ)概念枠組み図

第5図(14ページ)人生コース全体に関わっていく行動

第6図(17ページ)1970年英国コ―ホート(追跡)研究における小児の早期の認知能力発達における不平等

第7図(19ページ)2001年、学歴別に標準化された特定疾患の有病率、2001年、16-74歳

第8図 (21ページ)1981年の国勢調査で記録された社会階層と雇用状態別のイングランドとウエールズの男性、1981-92年の死亡率

第9図(23ページ)5分位別の直接税と間接税、およぼその総所得中の割合2007/2008

第10図(25ページ)貧困度別にもっとも好ましくない環境の地域で暮らしている人口数 2001-2006

第11図(27ページ)10-11歳の小児における地域別、貧困の5分位別品頻度(95パーセンタイル以上)2007/2008

8ページ   白紙

9ページ エグゼクティブ・サマリー

このレビューのキー・メッセージ

1 健康の不平等を減らすことは公正と社会正義に関わる事柄である。イングランドでは多くの人が今日も健康の不平等のために早すぎる死に見舞われている。そのため、総量で見ると本当は楽しんで生きられたはずの130万から250万年の人生が毎年不当に失われている。

2 健康の社会的勾配が存在するー社会的地位が低くなればなるほど健康は悪くなる。健康の勾配を軽減することを標的として行動しなければならない。

3 健康の不平等は社会的不平等の結果である。健康の不平等に対する行動は健康の社会的決定要因全部に関わる行動でなくてはならない。

4 最も困窮した層にのみ焦点を当てることは健康の不平等を十分軽減することにならない。社会勾配の急峻さを軽減するためには、行動は全般にわたらねばならない、しかし活動の規模や強さは困窮の度合いに応じるべきである。私たちはこれを「バランスのとれた全般主義」と呼ぶ。

5 健康の不平等を軽減するための活動はいろんな経路で社会に利益をもたらす。経済的には、健康の不平等によって生じた疾患からくる損失を軽減するという利益がある。健康の不平等による疾患は現在生産性損失、税収減少、福祉経費増大、治療費増大をもたらしている。

6 経済成長は我が国の成功を測る最も重要な基準ではない。健康、幸福の公正な分配と持続可能性こそが重要な社会的到達目標である。健康の不平等に挑戦すること、気候変動に挑戦することは一緒に進まなければならない。

7 健康の不平等を軽減させるには6つの政策目標に対する行動が必要だろう。

 ①人生の最初の地点で最善の状態をすべての子どもに与えよ

 ②すべての小児、青年、成人がその潜在能力を最大限伸ばし、自分の人生全体をコントロール(*が他人に  支配されないよう)できるようにせよ

 ③全員に公正な雇用とよい労働を創出せよ

 ④すべての人のための健康的な生活基準を確定せよ

 ⑤健康的で維持可能な場所とコミュニティを創設せよ

 ⑥健康悪化の予防の役割と影響を強化せよ

8 この政策が実施されるには中央政府、地方政府、NHS(ナショナル・ヘルス・サービス)、第3セクター、民間セクター、コミュニティグループの活動が必要である。国家的政策は全政策において、健康に焦点を当てた効果的な実行のためのシステムが地方になければ実現しない。

9 地方での効果的な実行は、地方での効果的な意思決定を特に必要している。このことは個人と地方コミュニティの能力向上・権限付与のもとで初めて可能となる。

10ページ

「初めに」

≪健康の不平等を軽減することは公正や社会的正義に関わる事柄である≫

不平等は生きることや死ぬこと、健康や病気、幸福や悲惨に関わることである。今日のイングランドで、人々がその社会的環境の違いによって、避けることが可能な健康、幸福、寿命の格差を経験しているという事実は、不公正以外の何物でもない。より公正社会を創造することはすべての人々の健康を改善し、良好な健康状態をより公正に届けることを確実にするために不可欠である。

健康の不平等は社会の中の不平等 ―そのなかで人々は生まれ、育ち、生活し、働き、老いるのである― が原因である。社会経済の姿と、人口の中での健康の分布がこんなにも緊密に関係しているので健康の不平等の大きさはより公正な社会を作ろうという過程の良い道標となる。健康の不平等を軽減しようという活動を行うには、個別の健康課題ではなく社会全体を横断した活動を必要とするのである。

WHO健康の社会的決定要因委員会は、その他の研究があるなかでも、保健省によるこのレビューの委託を引き受けるにあたっての刺激になった。それは世界の様子を探究して「社会的不公正が大規模に人々を殺している」と結論づけていた。一方、イングランドでは死亡率や罹患率において世界的にみられるような不平等の極端さに近いものはないが、不平等はなお実質的で緊急な行動が必要である。イングランドでは、もっとも貧しい地区に住んでいる人々は7年も早く死ぬ(図1の一番上の曲線)。もっと心をかき乱されるのは、障害を持たない平均期間(=健康寿命)ではその平均的差が17年にもなるということである(図1の一番底の曲線)。そのように、住む地域が貧しければ貧しいほど人々は早く死ぬが、彼らはただでさえ短い人生のうち、より長い時間を障害のある生活に費やさなくてはならないのである。勾配の重要性を説明しよう:最も貧しい5%と最も富んだ5%を除外してみても、低所得者と高所得者の間の平均寿命の差は6年になり、障害のない寿命の差は13年なのである。

図1は地区別の社会経済的な性質と、平均寿命・健康寿命双方の間の微細に等級づけされた関連を示していいる。イングランドの飛びぬけていいところと悪いところの劇的な違いだけでなく、社会経済的環境と健康の間の関連は等級づけされた部分にも存在するのである。これが健康の社会的勾配である。個人を住んでいるところで分類した図1だけでなく、教育、職業、住宅状況で分類することで似たようなグラフを描くことができる ―そして同様な勾配を見出すことができる。つまり、社会的地位が高ければ高いほど健康も良好のようだということである。

これらの重大な健康の不平等は偶然生じたものではないし、単純に遺伝子組成や、『悪い』不健康な生活習慣、医療ケアへのアクセスの難しさのせいにするわけにもいかない ―それらの因子は重要であるかもしれないが。健康状態のなかの経済社会的違いは、社会の中にある社会的経済的不平等を反映し、それによって引き起こされているのでもある。

このレビューの出発点は、理性的な方法で回避可能な健康の不平等は不公正だということである。それらを正すことは社会正義に関わる事柄である。どうやって健康格差をなくすかについての論争はどんな社会を人々が望むかという論争であるべきである。

私たちには健康の社会的勾配を完全に消し去ることはできないように見える、しかし健康や幸福の社会的勾配を、今日のイングランドの実情よりは浅くすることは可能だ。このことは、図2で示されるように、ある地域は別の地域より健康の社会経済勾配が険しいという事実によって立証される。

健康の社会的勾配の険しさを軽減するために、行動は全般的でなければならない、しかし行動の規模や強さは困窮の度合いに応じるべきである。私たちはこれを「均衡のとれた全般主義」と呼ぶ。社会経済的な困窮度が大きい人ほどより強力な行動が必要とされるようだが、単に最も困窮した人たちのみに焦点を当てることは健康の勾配を軽減することにならないし、問題の小さな部分にのみ挑戦することになるだけだろう。

「健康の不平等に対する行動はすべての健康の社会的決定要因を横断する行動を求める」

健康の社会的決定要因委員会は、健康における社会の不平等は、日常生活条件の不平等群とそれらを引き起こす基礎的駆動因子(権限、資金、資源における不公平)を原因として生じると結論した。

これらの経済社会的不平等は健康の決定要因(すなわち健康

「健康の社会勾配への挑戦するため行動が必要だ」

健康の社会的勾配が持つ意味は深い。それは資源を最も必要とする人たちに絞って有限の資源を与えようという気持ちに誘い込ませるものだ。しかし、図1の示すように私たちは全員が資源を必要としている ―とびきり良好という人より下にいる私たち全員が、である。もし焦点が最も下にいる人だけに当てられて、社会的行動は飛びぬけて状態の悪い人の苦境を改善することだけに成功するというのなら、ちょうど最低より一つだけ上、あるいは中央あたりにいる人たち ―彼らは自分たちより上にいる人より健康状態が悪いのだが― には何が起こるのだろうか?より公正な社会を創造するためには全員が対象とされるべきである。

と幸福を形成する相互作用要因の範囲)を下支えする。健康の決定要因は以下のようなものからなる:物質的条件、社会的環境、社会精神的因子、生活習慣、生物学的因子。さらに、これらの因子は社会的地位から影響され、教育、職業、所得、性別、民族、人種によってそれ自体が形成される。これらすべての影響は彼らがその中に存在している社会‐政治的、文化的および社会的な文脈によって作用される。

私たちが健康の社会的決定要因について考えるとき、健康の不平等がなぜ続くのかは不思議ではない。主たる領域を横断して継続する不平等は豊富な説明を提供する:子ども時代早期の発達と教育のの不平等、雇用と労働の状況、住宅と地区の状況、生存の標準基準そして、もっと一般的に社会の利便性への平等な参加の自由。(続く)

11ページ

図1 註:横軸に貧富を示す人口パーセンタイル、縦軸に年齢。地区別の平均寿命と健康寿命がプロットされると、見事に貧富にしたがって平均寿命と健康寿命の違いが勾配をなしているのが示される。

図2

12ページ

(続き)そこで、このレビューの中心的なメッセージは、行動にはこれらすべての健康の社会的決定要因を横断することが求められるということ、そしてすべての中央政府、地方政府部局を第3セクターや民間セクター同様にまきこんでいく必要があるということである。健康省やNHSによる行動だけでは健康の不平等を軽減できないだろう。

健康と寿命の不公正な分布は、すべての健康要因を横断した行動に十分な説得力ある理由を与える。しかしそのほかの重要な行動をとるための理由も存在する。子ども時代早期の発達における、青年時代の教育的達成と技術の習得における、持続可能で健康的なコミュニティにおける、社会的で健康なサービスにおける、雇用と労働条件における不平等の持続に着目して解決しようとすることには健康の不平等の軽減を超えて広がる多数の利益がある。

「健康の不平等を軽減することは経済にとって肝心なことである」

健康の不平等を軽減する利益は社会的であると同様に経済的なものでもある。健康の不平等のコストは人間の言葉で測定できる、すなわち失われた人生の年数と失われた活動的人生の年数である;経済の言葉では必要以上にかかった病気の経済的費用ということになる。もしイングランドすべての人が最も恵まれた人と同じ死亡率だったとすると、今日健康の不平等の結果早めにしんでしまっている人たちは130万年から250万年分、余分に人生を楽しめたはずである。付け加えれば、病気で活動を制限されたり生涯を持ったりすることにない人生を280万年以上送れたはずでもある。健康の不平等は毎年310億ポンドから330億ポンドもの生産性の損失に達すると推計されている。税収損失と社会福祉支出拡大は毎年200億ポンドから320億ポンドに上がる。そして健康の不平等関連の余分なNHSヘルスケア経費は毎年55億ポンドの過剰支出である。もし対策を何もしないのであれば健康の不平等の結果としての様々な病気の治療にかかる費用は、肥満だけのレベルで見ても年20億ポンドから増加しはじめ、2025年には年50億ポンド近くになると推計される。

さらに解説すると、私たちは図1に重ねて68歳の線を引いてみた。この年齢はイングランドが年金開始年齢をそこに動かそうとしている年齢である。示した障害のレベルでは、人口の3/4以上が68歳より遅くまで障害のない寿命(健康寿命)を持っていない。もし社会が、(年金がもらえる)68歳まで働く健康な人口を持ちたいと願うなら、全体の健康レベルあげることと、社会的勾配をフラットにすることが必須である。

この報告は経済の悪天候の中で出版される。私たちは危機はチャンスだという声に唱和する。いまこそこれまでとは違うように計画し実行する時である。節約は福祉国家を削減することに導く必要はない。実際は反対のことが必要なのである:イングランドの福祉国家、NHS自体はもっとも切り詰めた戦後状態の中で誕生したものである。これにも勇気と想像力が求められたのだった。今日、私たちは再び勇気と想像力を呼び起こし平等な健康と幸福を未来の世代に保障しようではないか。

「経済成長を超えて社会の幸福へ:持続可能性と公正な健康の分配」

いまこそ社会的成功の唯一の方法としての経済成長を超えて移動するときであるこれ。これはけっして新しいアイデアではなくて、サルコジ大統領により設置され、ジョセフ・スティグリッツを議長とし、アマルティア・センとジャンポール・フィトゥーシも加わった最近の経済行為と社会進歩の測定委員会でも新しく強調されているものである。幸福は単純な経済成長よりも重要な社会的目標である。幸福を測定するもののなかで卓越したものとして健康の不平等のレベルがある。

環境の持続可能性もまた単純な経済成長より重要な社会的目標である。その環境影響に注意せず、原状を維持しようとしない経済成長は国や惑星にとっての選択肢ではありえない。全地球的な気候変動とそれに対する闘いの試みは最も貧しくて最も脆弱な人々に最悪の影響を与えてきた。気候変動影響が最小になる代替措置、気候変動への適応が必要だということは私たちは血がった方法でことをなさねばならないことを意味している。持続可能な未来の創造は完全に健康の不平等を軽減する行動と両立する:持続可能な食糧生産、そしてゼロカーボンな住居は社会を横断して健康に利益がある。私たちは気候変動の影響が最小となる代替措置への援助し、健康の不平等も軽減する方法を企画しよう。

単純に経済成長を回復すること、現状の戻ろうと努めること、その一方で公共消費をカットすることは選択肢となるべきではない。相対的不平等を軽減しない経済成長は、健康の不平等も軽減することはないだろう。過去30年経済成長は所得の不平等を狭めなかった。そして所得に限らないより広範な不平等が存在するが所得は相当数の人生のチャンスの主要な経路と関連している。アマルティア・センが言うように所得の不平等は人々が導かれうる生活に影響するのである。公正な世界は人々を生き生きした生活に導くもっと平等な自由を人々に与えなければならない。

このレビューの中心的な大望は人々が自らの生活を支配できる状況を創造することである。人々が生まれ、育ち、生き、働き、老いるその状況が好ましいものであり、もっと平等に文あぱいされていれば、人々は自分自身の健康や生活習慣や家族のそれらに影響を与えるやり方で自分自身の生活をより上手にコントロールするだろう。しかし、生ききk生活する自由は階層づけられている。たとえば、図3は一般的健康アンケートGHQへの答えがいかに女性の貧困に関連しているかを、2001年と2006年のイングランドの健康調査で示しているものだ。スコアで4以上は精神障害の徴候を意味する。

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図3 2001年も2006年も貧困度に応じてGHQでスコア4以上の人の割合いが増えているが、2006年は若干緩和している

図4

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「健康の不平等を軽減する6つの政策勧告」

行動のための枠組み

このレビューは双子の目的を持っている。すべての人の健康と幸福を改善することと、健康の不平等を軽減することである。これを達成するため私たちは二つの政策上の目標を掲げている。

①個人とコミュニティの可能性を最大限に引き出す力のある社会を創造する。

②社会正義、健康、持続可能性がすべての政策の心臓部にあることを確実にする。

私たちが集めたエビデンスに基づいて、私たちの勧告は図4に示したように六つの政策た目標にグループ分けできる。この六つの政策対象における私たちの勧告は二つの政策メカニズムに下支えされている。

①ただ健康関連の部局だけでなく、政府全体を横断して、すべての政策において平等と健康の公平を考慮する

②エビデンスに基づく効果的な介入と実施のシステム

ライフコースを横断する行動(対策)

レビューにとって中心にあるのはライフコースを見渡す視点である。人生の不遇は誕生以前に始まり、人生を通して蓄積する、それは図5に示すとおりである。健康の不平等を軽減する行動は誕生以前から始まり子ども時代に続くものでなければならない。そうした時にのみ人生初期の恵まれなさと人生を通じての貧困という結果の間の密接な関連を断ち切ることができる。それが2010年に生まれた子供たちに寄せる私たちの大望である。この理由で、すべての子どもに最良の人生にスタートを与えること(政策目標A)は最も優先度の高い勧告なのである。

ところで、すでに学齢や労働年齢、それ以上に達している人々の生命や健康を改善するためにできることもたくさんある。それは次のセクションにあるエビデンスによって示されている。健康や幸福や高齢者の自立を促進するサービスは、そうすることによって同時に、より強力な施設ケアの必要性を予防したり遅延させたりするが、健康の不平等を改善するのに相当な貢献がある。たとえば「高齢者のためのパートーナーシップ」プロジェクトは健康の平等を改善するためのコストを下げることが証明されている。

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政策目標A 

すべての子どもに最良の人生のスタートを与えること

優先目標

1 身体的・情緒的健康と、認知的・言語的・社会的能力の早期発達の不平等を軽減する。

2 社会的勾配を横断しての妊婦への質の高いサービス、育児の訓練、養育と必要に応じた早期教育の確立

3 社会的勾配を横断しての若年者の回復力と幸福の建設

政策的勧告

1 子ども時代に割り当てられる総支出の割合を増やそう、そして子ども時代の発達への支出が社会的勾配を横断して次第に焦点を絞られていくことを確実にしよう。

2 子ども時代早期の発達の漸進的な改善が達成されるよう家族を支援しよう、それには以下のことが含まれている:

①妊娠や乳児期の悪い結果を軽減する産前産後への介入に優先性を与えること

②健康的生活に必要な最低限の所得を備えた1年間の有給育児休暇を与えること

③育児の教育プログラム、子どもセンターとキーワーカーを通じて日常支援を家庭に与えよう、それは家庭への援助を介して社会的必要を満たすものである。

④就学期への移行のための発達プログラム

3 社会的勾配を横断して早期教育と養育の質を釣り合いのとれた形で提供しよう。個の提供は以下のようでなければならない:

①恵まれない家族の中から子どもの受給率を増やすための援助と組みあわせること

②評価の定まったモデルの基礎に基づいて提供し質の標準に合わせよう

(解説)

「もしあなたがひとり親で、外に出ることもほとんどなければ、あなたは本当に誰にも会わないことになる」 このレビューのため引き受けられた定性的な研究の参加者から引用。この研究はハクニー(ロンドン)、バーミンガム、マンチェスターに住む特定のグループの中での健康的な生活に対する障害物(バリア)を探究したものである。附録1とwww.ucl.ac.uk/gheg/marmotreview を見よ。このサマリーの残りの引用もこの研究からのものである。

子ども時代早期の発達における不平等

すべての子どもに人生の最も良いスタートを与えることは全人生過程にわたって健康の不公平を軽減する上で決定的に重要である。人間の成長 ―身体的、知的、感情的な― の事実上のあらゆる局面の基礎は子ども時代の早期に築かれる。この早期の数年間に(子宮の中から始まる)は健康と幸福の多くの局面で生涯にわたる影響を与える ―それは肥満、心臓疾患、メンタルヘルスから教育達成度と経済状態までに及ぶ。健康の不平等に影響を及ぼすために、私たちは子どものポジティブな早期経験のチャンスにおける社会勾配に着目して解決する必要がある。後期の介入も重要ではあるが、良好な早期の基礎が欠如している場合は効果はかなり低下する。

図6に示すように22月で認知能力スコアが低くても高い社会経済的地位のなかで成長すれば10歳になるころに相対的スコアが改善する。逆に低い社会経済的地位の家庭で成長すれば、22月齢でスコアの高かった子どもの相対的地位も、10歳になるころは悪化してしまう。


子ども時代早期の発達における不平等を軽減するためになにができるか?

子ども時代早期に対して政府の強い関与が続けられてきた。幅広い政策指導力を通じての立法措置にはSure Start や「健康な子どもプログラム」がある。この姿勢をを長期間維持することが肝心である。さらにライフサイクル中における子ども時代早期(すなわち5歳以下の子ども)への支出を確固としたものにすること、かつ効果的であることが証明された介入にもっと多くの投資をすることに、より大きな優先順位が与えられなければならない。

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政策目標B

すべての子ども、青年および成人が彼らの潜在能力を最大化し彼らの生活を自らコントロールできるようにしよう

優先目標

1職業訓練や資格における社会勾配を軽減すること

2 子どもや青年における健康・幸福・回復力の社会勾配を軽減するため、学校、家庭、コミュニティがパートナーシップをもって行動することを確実にすること

3 社会勾配を横断して良質の生涯教育の利用機会と利用そのものを改善する

政策的勧告

1 生徒の教育結果における社会的不平等の軽減を引き続き優先事項にすることを確実にしよう

2 職業訓練における社会的不平等の軽減を優先化しよう。それは以下の方法による:

①家庭やコミュニティを支援する学校の役割を拡大し教育に「子ども全体」アプローチを取り入れること

②拡大された学校のアプローチに「フル・サービス」を一貫して備えること

③学校―家庭の境界を横断して働くうえでの技能を建設するために、学校に基盤を置く作業力を開発すること。

そして社会的で情緒的な発達、身体と精神の健康と幸福にとりかかること。

3 社会的勾配を横断して良質の生涯学習の利用機会と利用自体を増やそう:それは以下の方法による

①16歳から25歳の人のための職業訓練と雇用機会について、利用しやすい援助とアドバイスを提供すること

②若年者や仕事や職業を変えた人のための見習い期間など、労働を基盤にした学習を提供すること

③人生の経路を横断して職業的ではない生涯学習の利用可能性を増やすこと

(解説)

今日、教育もなければ仕事もないというのであれば、本当に不安なことだ。もしあなたの子どもたちがいい教育を受けていないのなら、彼らに何が待ち受けているかわからない

(研究対象グループの参加者からの引用)

教育と職業訓練における不平等
学歴における不平等は、所得、雇用、生活の質と同様に身体的・精神的な健康に影響する。社会経済的地位学歴の等級づけされた相関はひきつづく雇用と所得と生活水準、生活習慣、身体的・精神的健康に有意な予想通りの影響をもっている(図7)
スタート時点の公平(=機会の平等)を達成するためには、子ども時代早期への投資が肝心である。しかし、社会勾配を横断して不平等の軽減を維持するためには教育期間を通しての小児、青年への継続的配慮が求められる。このことに対する中心になるのは認知的、非認知的技能の獲得である。それは学歴や、良い雇用、所得、身体的・精神的健康などからなるほかの要因の結果にも深く関連している。
教育の成功には多くの利点をもたらす。もし私たちが社会的、健康的不平等のけいげんについて真剣であるなら、私たちは社会的勾配を横断して学歴の改善に焦点を当て続けなければならない。
教育と職業訓練における不平等を軽減するために何がなされうるか?
学歴の不平等は健康の不平等と同様に持続しており、同様に社会的勾配の影響下にある。何十もの政策が教育の機会の平等化を目標としたにもかかわらず、到達点は格差を残している。健康の不平等と同じく、教育の不平等の軽減は学歴の社会的決定要因とのあいだの相互作用の理解と関係がある。学歴の社会的要因には家庭的背景、地区や学校の中で起こるのと同様な仲間との関係などを含んでいる。実際に教育的な到達に影響を与える最も重要な要因についてのエビデンスは、最も影響を与えるのは学校ではなく、家庭だということを示している。学校と家庭とコミュニティとの間の緊密な連携が求められる。
子ども時代の早期に投資すること、したがって早期の認知的、非認知的発達と子どもの就準備の改善は、よりのちの学歴に対して決定的に重要である。学校については、資格を得るのと同じに子どもや青年が生活や労働の技能を発達させることができることが重要である。
それを達成するためには学校と家庭と地域コミュニティの緊密な連携が重要なステップである。学校の中と周辺でのサービスの拡大の発展が重要である。しかし教員、非教員スタッフが家庭-学校境界を横断して働くための技能を発展させるためや、子どもや青年のより幅広い生活技能を発達させるためには、もっと多くのことが必要である。
16歳で学校を離れる人たちにとって、職業訓練、人間関係のマネージメント、物品の誤用へのアドバイス、借金の仕方、教育の継続、住宅への関心、妊娠、育児の形式で、引き続きのサポートが肝心である。こうしたトレーニングやサポートは、とくにこの年齢層のグループのために企画されて発展させられるべきだし、すべてのコミュニティに備えられるべきである。
我々のビジョンに向かう中心には社会的勾配を横断しての人々の潜在能力の完全な発達がある。教育の達成と同様に、生活技能や労働の準備なしには、青年は彼らの可能性を満たすことができないし、生き生きと生活し自らの生活をコントロールすることもできないのである。

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政策目標C

すべての人のための公正な雇用と良好な労働を創造しよう

優先目標

1 社会的勾配を横断して良好な労働に就く機会を改善し、長期間の失業を軽減しよう。

2 労働市場で不遇な人たちが仕事を入手し維持することをより容易にしよう。

3 社会的勾配を横断して労働の質を改善しよう。

政策的勧告

1 長期間の失業を軽減するためのタイムリーな介入を達成するために活発な労働市場プログラムの優先順位を上げよう。

2 社会的勾配を横断して労働の質を改善するために、勇気づけ、動機づけ、適当な場所では、手段提供を実施しよう。それは以下の方法による。

①公共セクター、民間セクターの雇い主が平等の手引きと法律を守ることを確実にすること

②労働におけるストレスマネージメントと幸福の効果的促進と身体的精神的健康のガイドラインを設定すること

3 雇用のより大きな安定と弾力性を伸ばそう。それは以下の方法による:

①退職年齢の弾力性を大きくすることの優先順位を上げること。

②一人親、介護者、精神的・身体的に問題を抱えた人のためふさわしい仕事を創造したり、採用したりするために、雇用主を勇気づけ、動機づけること。

(解説)私が関心ある唯一のことは私の子どもの将来のこと、若い世代の機会のなさ、雇用の欠如 ―それはとても気持ちをくじけさせる。

(研究対象グループの参加者)

労働と雇用の不平等

良い雇用は健康を守る。逆に、失業は健康悪化の原因になる。だから、人々を仕事に就かせることは健康の不平等を軽減する上で決定的に重要である。しかし、仕事は継続的でなければならないし、最低限の質は保障されなければならない、単に人間らしい生活ができる賃金が得られるというだけでなく、仕事の中で人間的に成長する機会があることが求められるし、また健康に打撃を与える悪い労働環境からの防御も求められる。

(解説)私が関心ある唯一のことは私の子どもの将来のこと、若い世代の機会のなさ、雇用の欠如 ―それはとても気持ちをくじけさせる。

(研究対象グループの参加者)

労働と雇用の不平等

良い雇用は健康を守る。逆に、失業は健康悪化の原因になる。だから、人々を仕事に就かせることは健康の不平等を軽減する上で決定的に重要である。しかし、仕事は継続的でなければならないし、最低限の質は保障されなければならない、単に人間らしい生活ができる賃金が得られるというだけでなく、仕事の中で人間的に成長する機会があることが求められるし、また健康に打撃を与える悪い労働環境からの防御も求められる。

 雇用のパターンは社会勾配を反映もするし増強もする、そして労働市場での幸運に近づけるかどうかには深刻な不平等が存在する。失業率は資格や技能をほとんど持たない人たち、障害や精神障害のある人たち、ケアの責任を負っている人たち、一人親、民族的少数派出身者、高齢労働者、そして特に若年者の中で最も高い。働いている場合でも、同じグループが、最も賃金が低く、ほとんど向上の幸運のない質の低い仕事につきやすく、しばしば健康を害する条件の中で働いている。多くの人は、安い賃金、質の悪い仕事、失業のサイクルの中に陥れられているのである。

英国において1980年代初期の期間に起こった劇的な失業の増加は、失業と健康の間にある関連についての研究を刺激した。図8は1980年代初めに失業を経験した人たちの、その後の死亡率の社会勾配を示す。それぞれの職業階層に対して、失業群は雇用群に比べてより高い死亡率となっている。

 不安定で不良な質の雇用もまた身体的・精神的な健康悪化のリスク増大に関連する。労働におけるその人の状態と、そこでその人たちが持っているコントロール(自律)と援助の間には、格付けされた関連がある。これらの要因は、ひるがえって言えば、生物学的影響力があり、健康不良のリスク増大に関連している。

 身体的精神的健康にとって労働は良い ―そして失業は悪い、しかし労働の質も重要な働きをする。人々を利益から切り離し低賃金で不安定で、かつ健康破壊的な仕事に追いやることは望みうる選択肢ではない。

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政策目標D

すべての人にとっての健康的な生活水準を確立しよう

優先目標

1 すべての年齢の人々に健康的な生活のための最低限の所得を保障しよう

2 累進課税とその他の財政政策を通じて、生活水準における社会的勾配を軽減しよう

3 失業手当と仕事の間をさまよっている人びとの崖っぷちの苦しさを軽くしよう

政策的勧告

1 健康的な生活のための最低限所得水準を開発し備えよう。

2 就業と失業を繰り返す崖っぷちの人々をなくし、雇用の弾力性を軽減しよう。

3 健康的な生活水準を保障する最低所得と、生活向上に向かって動く経路を提供するために、課税、給付、年金、税金控除のシステムを再検討し準備しよう。

(解説)

「私は二人の子どもを抱えて働くことがなければもっと楽に暮らせるはずだ。もし働かなければ、もっとお金があったかもしれない。」

(研究対象グループの参加者)

所得における不平等

健康的な生活に導くのに足りる金がないことは高度に有意に健康の不平等の原因である。

 社会がより豊かになれば、十分と考えられる所得と生活資源のレベルも上がる。健康的な生活のための最低限所得(MIHL)は適正な栄養、身体の活動度、居住、社会的つきあい、移動、医療ケアと衛生に必要な所得などを含む。イングランドにおいては健康的な生活のための最低限所得と、多くの人たちが受け取っている公的給付=生活保護給付との間にギャップがある。

 子どもの貧困に立ち向かうため政府によってなされる重要なステップにもかかわらず、英国の貧困人口の割合は頑固に高率のままである。EU平均より上にあり、フランス、ドイツ、オランダ、北欧諸国より悪い。雇用政策が助けているが、英国の給付システムは不十分のままである。

図9は直接税と間接税の双方を考慮に入れれば、英国の税制は低所得者に不利なものであることを示している。低所得者にとっての直接税率の低さの利点は間接税の影響で台無しにされている。低所得者は間接税を伴う商品により大きな比率でお金を払っている。結果として、税金全体で見れば、そのまま消費されてしまう所得の割合は、5分位の最も低い層で、最も高い。

所得における不平等を軽減するために何がなされうるのか?

公的給付=生活保護給付はもっとも状態の悪い層の所得を増やす。1998年以来税金控除は50万人の子どもを貧困から救いあげた。給付金システムが、仕事に就くことに対して意欲を殺ぐものとして働かないことが肝要である。英国の200万人を超える労働者が、税金や減らされた給付金のために、どれだけ稼ぎが増えてもその半分以上を失う立場にいる。ざっと16万人の労働者は余計に稼いだ1ポンドから10ペンス以下しか手元に残らない(1ポンド=100ペンス≒170円)。一人親は労働やより多額を稼ぐことへの刺激が最も弱くなる方向へ顔が向く、というのは彼らの多くが、稼ぎが増えると税金控除がなくなったり、給付金に資産調査が行われる対象になったり、なると心配しているからである。

 現在の税金と給付金システムは、所得の低い人々にとってはたrくきをおこさせるものになるように、そしてより単純な者になるように、家庭にとってもっと確実なものであるように徹底的な点検が必要である。政府は、所得を再分配し、経済を損なうことなしに貧困を減少させるためにもっと多くのことをなすべきである。それは仕事に就き、低い賃金を増やそうということに気持ちが向かない人々にたいして税金総額をカットしてやることによるのである。もっと累進課税を強化することが必要だし、それは人間の所得を構成する直接あるいは間接の所得全体をとらえて行うものである。

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政策目標E

健康で持続可能な場所とコミュニティを創造し発展させよう

優先目標

1 一般的政策を気候変動と健康の不平等の規模と影響を軽減するように発展させよう

2 コミュニティ・キャピタルを改善し、社会的勾配を横断して社会的孤立を減らそう

政策的勧告

1 健康の不平等を軽減し、気候変動を緩和する政策と介入の優先順位を上げよう。それは以下のことによる:

①社会勾配を横断して、活発な旅行ができるように改善すること

②社会的勾配を横断して、良質で開放的な緑の多い空間を利用できる可能性を改善すること

③社会的勾配を横断して、地域での食品環境を改善すること

④社会勾配を横断して、居住のエネルギー効率を改善すること

2 地域的の開発され、エビデンスにも立脚したコミュニティ再生プログラムを支援しよう。そのプログラムとは

①コミュニティの参加と行動のための障害をなくそう

②社会的孤立を減らそう

解説

あんたは貧乏を見つけることができるだろう。あんたのすべきことのすべては外を見ることだ。それがあんたが毎日直面していることだ―どこもかしこもゴミだらけ、ネズミとゴミ、ゴミの山だ。あんたのまわりの人々は生きている意味がないみたいだ。私はときどきカーテンを閉めたままにしておく。あんたには何かなすべき目標は与えられていない。

(研究対象グループの参加者)
コミュニティと地区における不平等

コミュニティは身体的・精神的健康と幸福のために重要である。コミュニティの身体的・社会的特性、それが可能にし促進する健康的生活習慣の程度、これらすべてが健康の社会的への不平等に寄与する。しかし、「健康的な」コミュニティの特性には明確な社会勾配がある(図10)。

人々はそれに関わりたい、それを助けようと思っている、ボランティアをしたいと思っている、役割を果たすために教育を受けたがっている。そしてそれは成長していくし、おれは人々がコミュニティの外からそうするのではなくて、コミュニティの内側からそうしてほしいと思う、というのはそれはおれたちのためだから。おれたちがそれを世話しているんだ。

(研究対象グループの参加者)

コミュニティにおける不平等を軽減するために何がなされうるか?

ソーシャルキャピタルは個人と個人の結びつきを表現する:すなわちコミュニティ内のまたコミュニティ間において人々を結びつけ連結する結びつきである。それは回復力の源を提供し、健康不良リスクに対する緩衝剤である。身体的・精神的幸福に対して必須である社会的サポートを通じてのことであり、人々が経済的あるいはそのほかの物質的困難を通り抜けて仕事を見つけたり得たりするのを助けるネットワークを通じてのことである。コミュニティのなかでの人々の参加の程度と、そのことがもたらす彼らの生活へのコントロールの増加はかれらの精神的社会的幸福に貢献する可能性を持ち、結果として、そのほかの健康成績にも貢献する。

地方レベルでソーシャル・キャピタルを築くために、政策がもっとも影響を受ける人のものになることと、彼らの経験によって形成されることの双方を確実にすることが、真に必要である。

より健康的でより持続可能なコミュニティを築くことは、これまでと違った風に投資することの選択に関わる。たとえば、「建築と建築環境委員会」は、新しい道路の建設のための予算は、違った風に使われれば、それぞれ1000万ポンド(1億7千万円)の初期資本コストのもとに1000個の新しい公園を作ることができるかもしれない ―イングランドの地方自治体にそれぞれ2個づつ―ということを推計する。1000個の新しい公園は7万4000トンの炭素を節約する。10ヘクタールの公園に2000本の木があることを前提にしてのことである。

健康不平等を軽減するために私たちが刊行する多くのこと ―活発に体を動かす旅行(たとえば歩いたりサイクリングしたり)、公共輸送、エネルギー効率の高い住宅、緑の空間を利用できること、健康な食事、、炭素を燃やすことによる汚染を減らすこと― は持続可能性についての課題にも益することが多いだろう。

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図10 好ましくない環境に住む人口ー地域の貧富差別に

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政策目標F

健康不良予防の役割と影響の強化

優先項目

1 健康の不平等に最も強く関連した条件の予防と早期発見の優先順位を上げよう。

2 社会勾配を横断しての健康不良予防のために、長期間で維持し続けられる財政支援をもっと活用出来るようにしよう。

政策勧告

1 社会的勾配を軽減するため政府各部門を横断して、健康不良の予防と健康促進への投資の優先順位を上げよう。

2 健康不良への社会的勾配を横断して効果的な予防的介入の、エビデンスに裏付けられた施策を設置しよう。それは以下の方法による:

①医療での薬物治療計画の量と質を増大し改善すること

②社会的勾配の軽減に向かって禁煙計画や節酒のような公衆衛生的介入に焦点を当てること

③社会的勾配を横断して肥満の原因を解決する施策を改善すること

3勾配を横断して比率よく健康の社会的決定要因に関連した介入に向かう公衆衛生部門の核となる努力に焦点を当てよう


慢性疾患の進展に重要なキーとなる健康習慣の多くは社会勾配に従う:喫煙、肥満、身体活動の欠如、不健康な栄養。図11には肥満に関する例が示されている。私たちの勧告の5個の政策領域のそれぞれは疾患の発生率における社会的勾配を予防することに的を置いている。付け加えれば、健康の不平等を軽減することは、これらの健康習慣にこそ焦点を当てることが求められているのである。

人生早期の数年に投資することの重要性はその後の人生での健康不良を予防する上での鍵である。すなわち、健康的な学校や健康的な雇用が、もっと伝統的な薬物治療や禁煙プログラムのような健康不良の予防法と同じくらいに、鍵なのである。一人の子どもが受け取る経験の蓄積が、彼らが成人したときに達する結果と選択を形成するのである。

健康不良の予防は伝統的にNHSの責任だったが、私たちは健康の社会的決定要因の文脈に予防を置く。だから、私たちの勧告の全ては利害関係者全体の積極的関与を求めるのである。学校において、職場において、家庭において、政府サービスにおいてなされ地方的、また国家的な意思決定は、すべてが健康不良の予防を助けたり妨げたりする可能性を持っている。

現、NHS財源のわずかに4%しか予防に使われていない。しかし、プライマリケアと地方自治体と第3セクターとの間のパートナーシップ(協力関係)は、いまでも効果的で全般的でかつ的をしぼった予防的介入を実施するために作用しているのだが、それがもっと重要な利益をもたらすというエビデンスが示されている。

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図11 10歳から11歳の子どもにおける95%パーセンタイルを超える肥満の頻度、地域別、貧富の5分位別、2007/2008

どの地域でも例外なく5分位の順に沿って貧困者のほうに肥満が多い。



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実施システム

最良のエビデンスに裏付けられ、最も注意深くデザインされて十分に資源もある介入方法をもってしても、、地方での実施システムが働かなければ、国の政策は健康の不平等を軽減しないだろう。私たちが作成した勧告は、地方でのパートナーシップと、国の縦横に切り結ぶ政策の双方を必要とする。

中央での方向付け、地方での実施

行動への責任はどこに存在するのか?疑いもなく、中央、州、地方各政府の全てが実行の要の役割を持っているのである。私たちがこの レビューを伝えるとき、イングランドのノースウエスト州とロンドンとの間にパートーナーシップを形成し;両州はその戦略と行動の中心に健康の不平等の軽減を置こうと模索していた。それらはいくつかの別の地方政府、プライマリケアトラスト、第3セクター機構によって結びつけられるだろう。

討論は私たちに、地方の実践者は詳細な個別の勧告よりも行動の原則を求めていつということを教えてくれた。地方は、健康の不平等を軽減させるための地方に適したプランを発展させることに自由をふるいたいことを示唆した。このレビューで私たちが作った政策提案は、健康不平等を軽減するという介入のエビデンスを提供することと、正確にどのように政策が発展し実行されるかについての詳細な処方箋なしに今後の旅の方向を指し示すことである。同様に、レビューは指標の国家的なフレームワークを提案した。そのフレームワークはその中で地方が、自分たちの地域のなかでの地方の活動の改善をモニターするために必要な指標を発展させるものである。

個々人とコミュニティの能力向上

個々人の責任は、行動は中央的か地方的のいずれであるべきかという疑問に関連しており、しばしば政府の責任とならべて論じられる。このレビューは個々人とコミュニティの能力向上を、健康の不平等を軽減するための行動の中心に据える。しかし、個々人の能力向上は社会的行動を必要とする。私たちのビジョンは個々人が彼ら自身の生活をコントロールするための条件を創造するものである。あるコミュニティにとっては、これは参加へのバリアを除去することを意味しているだろうし、別のコミュニティにとっては個人とコミュニティの開発を通じて能力と潜在能力を誘導し発展させることを意味するだろう。

「地方の戦略的パートナーシップ」にコミュニティを結びつけるためには地域レベル、地区レベル双方において もっとシステマティックなアプローチが必要である。それは日常的で短い相談という程度を超えて、個々人やコミュニティが問題を明確にしてコミュニティとしての解決を開発することのできる効果的な参加にまで動きながらのことである。このような参加や、個々人やコミュニティへの権限の移動がなければ健康の不平等への効果的な影響が必要とする介入の貫徹の達成は困難である。

寿命と健康寿命における不平等を改善し軽減するためと社会勾配を横断して子どもの発達と社会参加をモニターするために、戦略的な政策は、意図された戦略的方向を援助する若干数の野心に満ちた目標によって支えられなけばならない。

社会勾配を横断する国の健康成績目標

ごく近い将来の国の目標が以下のことをカバーするよう提案する:

①平均寿命(人生の長さを捕捉するために)

②健康寿命(平均寿命の質を捕捉するために)

いつか、いい生き方(幸福)の指標が開発され、それが大規模実施にふさわしいのであれば、それは健康平等に関する第3の国の目標になるべきである。


社会勾配を横断しての子どもの発達のための国の目標

国の目標は以下のことをカバーするよう提案する:

①就学への準備(人生早期の発達の捕捉のため)

②教育、雇用、職業訓練を受けていない青年(就学期間における能力開発と義務教育卒業者が人生にたいして持つコントロール力を捕捉するため)

社会参加のための国の目標

税金と給付金を合わせたあとの所得が健康な生活に十分な家庭の割合を漸進的に増やすことを国の目標にすることを提案する。

全国的、地方的なリーダーシップが、健康の不平等の底にある社会的原因への気づきを促進し、NHS、地方政府、第3セクター、民間セクターを横断しての介入の規模拡大についての理解を築き、本流の財源を使う強さを維持する。介入はエビデンスに基づく評価枠組みを持ち健康影響評価を行うべきである。このことが実施機関が効果的な介入を形成するのを助け、他の健康分配に関する政策を理解するのを助け、個々人の生活習慣やライフスタイルに焦点をあわせるようなスケールの小さな施策に漂流していくのを妨げるだろう。

結論

社会正義は人間の生死に関わるものである。それは人々の生き方、結果的な病気になりやすさ、早く死ぬ危険に影響する。

これはWHOの健康の社会的決定要因委員会の主張である。その委員会のものは全地球的課題であり、私たちは全員容易に貧しい国に生きている人々の経験する健康の不平等を認識できる。その人たちにとっては絶対的貧困が日々のリアリティなのだ。

29ページ

 多くの人々にとってここイングランドにおいて深刻な健康の不平等が存在することを受け入れるのはより難しいことである。私たちは極めて価値の高いNHSをもち、この国の人口の全体的な健康は過去50年大きく改善してきた。しかしなお、ロンドンの最も富裕な部分、ケンジントンとチェルシーの行政区では男性平均寿命が88歳にいたるのに、そこから数キロメートル離れたトッテンハム・グリーン、首都のより貧しい行政区、では男性平均寿命は71歳である。劇的な健康不平等はいまだすべての地域を横断してイングランドの健康の主要な特徴のままである。

 しかし、健康の不平等は避けられないものではないし、十分に軽減しうるものである。それは社会の不平等から生じるものである。社会の不平等とは所得、教育、雇用、地区の環境の不平等である。誕生以前から存在する不平等は、人生のコース全体を通じて蓄積していく健康の低下とその他の結果のための舞台を用意する。

 このレビューの中心的主張は避けられる健康の不平等は複製でありそれらを正すことは社会正義に関わる事柄だということである。なかに私たちの勧告は受け入れられないという人もあるだろう。とくに現在流行中の経済学の風潮の中にいる人においてである。私たちは、逆に受け入れられないことは 行動しないことであると発言する、というのはそれが人間と経済にとってあまりにも高くつくからである。今日の子どもの健康と幸福は、私たちがこれまでと異なるように物事を処理する挑戦を始めるための、持続性と幸福を経済成長の前に置いてもっと平等で公正な社会をもたらすための、勇気と想像力を持つかどうかにかかっているのだ。

(終わり)

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2009年6月28日 (日)

ソリッド・ファクトを勉強しながら…日本人の糖尿病について

日本内科学会雑誌の最近の糖尿病特集でも、日本人は遺伝的に膵臓のベータ細胞のインスリン分泌能力が低いので、軽度の肥満によるインスリン抵抗性の上昇→インスリン分泌需要増加に対しても、容易にインスリン分泌の相対的不足・破綻を来たし、2型糖尿病が発生する、とごく当たり前のように書いてある。したがって、白人はものすごく肥満してもなかなか糖尿病を発症しないのに、日本人は小肥り段階で糖尿病を発症しやすいというわけである。

しかし、どこに、日本人一般の遺伝的特性などというものがあるのだろう。遺伝的に日本人は単一ではなく、かなり多様である。(たとえば、縄文人と弥生人のように・・・それは俗説らしいが、一つの例として)

ソリッド・ファクトの小冊子に興味深い図が載っている。幼少期、という項目にあるものだが、出生時体重の連続的勾配に対して、64歳男性の糖尿病罹患率が見事に連続的勾配を見せて照応している。すなわち、胎児期の環境が悪く低体重で生まれる子どもは、60歳代になってより多く糖尿病を発症しているのである。これは、選び抜かれた、確かな事実 ソリッド・ファクトの一つである。

わけのわからない「日本民族の遺伝」をまるで大日本帝国時代のようにふりまわすより、胎児期環境を論じるほうが、日本で居住している人間一般に共通する何かを探り当てる率が高いだろう。

成人期の膵臓ベータ細胞のインスリン分泌能に制限を生じるような、日本社会特有の、胎児期、あるいは乳幼児期のありようというものはないか?

それに似たものに第2次大戦中のオランダで生じた「飢餓の冬」というものがある。この時期に胎児だった人たちは、成人後の健康上さまざまな障害をもっていた。糖尿病罹患率も高い。

日本の戦後のベビーブームの時期も食糧事情は悪く、その中で生まれたいわゆる団塊の人たちは、、その不良な胎児期・乳幼児期の栄養環境のため、糖尿病、腎臓病になりやすいのではないだろうか。最近の糖尿病罹患率の上昇にその影響はないのだろうか?

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2009年4月13日 (月)

私の医療観 素描

どうして、いま、こんなものをブログにアップしておきたくなったかは私にも分からない。まだ未分化な形で私の心の底で動いているものの上澄みを、形にしておくというのは何か悲劇的なことを予感しているからかもしれない。そうしたことは多く冗談に終わり、粗末な論稿が人目に触れる恥だけが残るのだろうが、ともあれ、メモをメモのままここに載せてみたくなったのである。

私の疾病観を広げてくれた本はなんといってもマック・ウィニーを中心とする「患者中心の医学」である。医師の主観としての「疾病」、患者の主観としての「病い」が等しい重みで存在するという考え方は、大げさにいえば、革命だった。同等の意義を持つ医師の主観宇宙と、患者の主観宇宙の衝突こそが医療現場なのだという展望に私の心は躍った。医師の働く舞台は患者の主観世界だという言い方も可能であるとも気付いた。患者の主観世界の一登場人物であることを自覚したとき、真に医師としての合理的な振る舞いが可能になるのである。それは診療という場面の真にダイナミックな把握に他ならなかった。

しかし、最近、もう一つ、私にとって革命的な書物にめぐり合った。それはマイケル・マーモット「ステータス症候群」である。なぜ人間は病気になるのかは、時代によって違うが、現代の先進国で人が病気になる由来をいとも鮮やかに解明したのがこの本である。   

「患者中心の医療」が医療の内側を深いところから照らし出したのに対して、「ステータス症候群」疾病の発生原因を大づかみに捉えた。すなわち病気になる人間という生き物の集団的生態を、地上100メートルの高さくらいから見事に描写したのである。ナショナル・ジオグラフィックチャンネルで見るアフリカのサバンナの動物群像空撮をふと思い出したくらいである。

成人病、生活習慣病というくくりもそれなりに新鮮な時代もあったのだろうが、その寿命はすでに尽きている。尽きているどころか、健康の自己責任原理に流用されて害悪のほうが大きくなっている。

まさに、その時期に、どんな疾病にも事故にも社会格差が反映しているということをマーモットは主張し始めた。

その上で、格差と疾病をつなぐ媒介項こそが政策的介入のポイントであることが示されて、WHOは、疫学的に証明された媒介項を「ソリッドファクト」として示し、各国政府・保健関係者に積極的介入を呼びかけた。

「共同の営み」や「生活と労働のなかに疾病の原因を見抜く目と構え」という言葉に象徴される民医連の疾病観・医療観は驚くほどこの内と外に向かう専門家の証明の方向に合致している。提唱された時期は、民医連のほうがはるかに早い。

実践的専門家集団のすばらしい直観であったと思える。

疫学の専門家によってその直観が証明された今、そこから導き出される政策的方向の先導役になり、新たな直観・作業仮説を提供する役割がふたたび課せられている。

その仮説はおそらく「国民の健康度こそが社会に正義が行われているかどうかの最良の指標だ」ということだろう。

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京都で医療倫理の交流集会

4月11日、12日と京都で全日本民医連の倫理問題の交流集会が開かれた。

私には、1日目の模擬倫理委員会の司会や2日目の分科会の座長の役目が回ってきたが、いわばお手伝い役なので気軽な気持ちで出かけた。晴れた日で新山口駅から京都駅までの新幹線の沿線は桜が満開近くに咲き残っていたので、早朝に出発する負担感もあっという間に消えた。

行きの地下鉄でばったり会った同僚のS先生は今回の委員長なので緊張しっぱなしだったのが申し訳ない気がする。

夜は、引き受けの京都民医連の人が先斗町の小料理屋を準備してくれていた。何人かの仲間でタクシーに乗ったが、事務局の人が「せんとうちょう」へと運転手さんに言って通じず、K-1先生に叱られていたのが面白かった。

2日目、K-2先生が話しかけてきて、「先生、会場の少し向こうに誰かの立派なお屋敷があって、昨日、周りから見たのですが、若葉がそれはきれいでしたよ、やっぱり京都ですよね」と 教えてくれた。

分科会の運営がそれなりにうまくいって明るい気持ちだったので、閉会後、お勧めに従ってそのお屋敷のほうに足を向けた。私の予想通り、それは京都御苑・京都御所だった。たしかに誰かのお屋敷には違いないが、天皇の屋敷だったのである。

閑話休題、集会はこじんまりとしているが、それなりにしっかり充実した内容になった。特に聖隷浜松病院の副院長兼看護部長の勝原裕美子さんによる講演「ケアに関わる倫理」は、しっかりした看護学研究者らしくよく整理された内容だった。この人の名が入っている論文は注目しておくべきだろう。

以下に印象的だったところを若干紹介しておく。

医療者にまつわる倫理を①生命倫理 ②臨床倫理と分類するのは普通だが、彼女はこれに③「組織倫理」を加えていた。最近問題になっている諸問題、たとえば患者からの暴言や暴力、不平等な療養環境、医療過誤の開示、医療の質とコストのバランス問題は、②ではなく③に分類されるのである。(組織倫理問題の検討に臨床倫理4分割表はもちろん有効ではない。それなりの方法論が必要なのであり、それは今後の重要な課題であると感じられた。)特に患者の暴力・暴言問題は緊急の課題になっており、聖隷浜松病院も、委員会の前段階と位置づけられる「・・・問題運営会議」が勝原さんの提唱で設置されたとのことだった。

また医師や看護師などの実践的専門家が「倫理綱領」を持つ理由として①実践的専門家の行動指針、自己の実践を振り返る時の基盤を提供するもの、②専門職として自ら引き受ける責任の範囲を社会に明示する、という二つの側面があるとしていたのは、民医連綱領議論の参考にもなると思われた。 綱領は、自らの行動指針でなければならないし、同時に社会に対する約束なのでもある。 たとえば患者の暴言・暴力に甘んじることは医療者の責任範囲ではなく、逆に甘んじないことが責任なのだろう。

倫理的な意思決定力を高めるためには①倫理的感受性を磨くことと、②「道徳的推論」に強くなることが必要だ、というのも共感した。倫理的感受性は、民医連がいう「人権のアンテナ」に他ならない。「人権のアンテナ」より表現としてすっきりしているかもしれない。問題は「道徳的推論」である。これは「社会一般の道徳的基準に照らし合わせながら問題を考える」ことである。 その能力は、話しあう中でしか高まらない、と勝原さんが言ったのが印象的である。 医師の「診断推論」能力も、同僚医師との討論、結果の反省の積み重ねの中でしか向上しないのとよく似ている。

ところで「推論」とはなんだろうか。辞書に当たって調べてみる必要があるが、私が関心を持つ総合医に不可欠な能力の一環としての「診断推論」と、今回取り上げられた「道徳的推論」の共通性から考えるに、それは特に帰納的な推論をさしており(*演繹的推論は、格別に推論と称す必要がなく、「証明」とか「考証」と呼んだほうが分かりやすい)「結論が簡単には決まらないことが分かっていることを、それでも手探りのようにして回答を求めて進むこと」のようである。

勝原さんは「倫理課題に正面から向かい合い苦闘した体験を、次に生かしていくこと」の連鎖が実践的専門家のキャリアそのものだとして講演を締めくくっていた。

それは企業におけるPDCAサイクルに似ているが、実践的専門家特有の態度ともいえる。

実践的専門家にとっては、省察=反省=振り返りこそが命なのである。

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2009年3月 2日 (月)

なぜ医師数や公的医療費の対GDP比がOECD平均並でないといけないのか?

人口1000人あたりの医師数や医療費対GDP比をOECD平均並みにそれぞれ、現在の日本の1.5倍くらいにしないといけないと私たちは常々いっているわけだが、なぜOECD並というのか(本筋から離れて、ついでに言うと、医師数だとキューバ並に3倍にといわないのか)という疑問が湧いてきた。

というか、そういう質問を掲げた講演を聴いたのである。保健所勤務というその講師がどういう結論を出したか、例によって覚えていない。自分なりの回答を考えることにすぐに没入したからである。

よく考えてみても、これにはさしたる理屈はない。

出発点は、ともかくも医師数や、公的医療費が足りないという私たちの日々の実感があるだけである。

そこで統計を見て、同じレベルの経済発展をしていると考えられるOECD加入諸国の平均とはかけ離れているのが分る。となれば、とりあえず、このレベルを目指していこう、それで十分かどうかは、それが達成されたときまた考えようという姿勢は自然に導かれる。

誰でも思いつく実践的な目標設定である。

もう一つ意味があるのは、社会保障や医療に同じように金をかけないと、国際経済における競争上でアンフェアな位置に自分をおいてしまうことになるということがある。(また、労働力の自由な移動の上でも支障になるだろう。ただし、この点、労働力の自由な移動を促進することが労働する当の人々にとって利益があることなのかどうかは、時期や状態によって違うので単純ではない。)

いずれにしても、「現在必要な医師数は何人か」ということについては、あまりに関連する因子が多すぎて、机上で計算できるものではない。

しかし、それがいい加減すぎて、ついていけないという医師がいるのではあろう。ただ、そういう姿勢では臨床医はできないだろう、そういう場合保健所にでもいなさい、ということになる。

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2008年12月22日 (月)

最近の見聞 ①湯浅誠のほうが神野直彦より確りしている ②愛知県の派遣切りが北海道の病院の待合室にまで影響を及ぼしている

①12月15日月曜、上記の二人が出演するNHK-TVの討論番組を短時間見た。したがって、この感想はそのわずかな見聞による。情報としての信頼性は低いことをあらかじめお断りしておく。(このブログ全体がそうだ、といわれると返す言葉がなくなりますが・・・)

私が感心したのは湯浅誠氏の次の発言である。

「いまVTRで紹介されたケースでは、本人が生活保護を受けていることに注目する必要がある。

というのは、生活保護というしっかりした支援があれば、本人は希望に沿った仕事を丁寧に探せるからだ。このケースでも、本人が常勤雇用で働きたいと明確な希望を述べて、不安定な派遣で働くことを拒否することが可能だった。

このように、失業した人が生活保護で守られれば、日雇い派遣のような劣悪な雇用形態そのものが労働力市場から淘汰されて消える運命になる。」

すなわち、違法な派遣を禁止しようとしても抜け道ができやすい表面的な個別の法的措置だけでなく、一般的なセーフティネットを強固にすることにより普遍的な措置を講じることが雇用状態の改善に欠かせない、ということである。

そのとき、アナウンサーはその論旨の明確さに驚いて、口がぽかんと開いていた。社会政策にも通じている賢そうなアナウンサーでもそうなるほど、指摘は鮮やかに的を得ていた。

これに対し、神野直彦先生の意見は、善意だが意味不明瞭という印象が拭えなかった。日本で最も良心的な制度学派の経済学者で、若いとき1年余りニッサンの工場での労働者経験を持っている人といっても、政府の委員会に入ったり、現場につながりがなかったり、財源は消費税からという考えに固執していれば、こうなるしかないのかと思えた。これが無礼で的を外した感想であればいいのだが。

②出張した会議で聞いた話。

愛知県のトヨタの工場で派遣切りにあった兄弟が、地元の市に生活保護申請をしたところ、親族照会で北海道に姉がいるということを指摘され、姉を頼るように指導された。

北海道までのフェリー代をその市からもらって札幌に行ったが、姉も苦しい生活で二人には何の援助もできなかった。ここで兄弟はホームレス状態になるが、寒い北海道での野宿に耐え切れなくて、病院待合室に寝ようとしたところ、守衛さんに見咎められた。

事情を聞いた守衛さんは兄弟を追い出すことはしないで、数日間何も食べていなかったことを聞いてカップ麺を食べさせた。翌日ホームレス支援のNPOに連絡し、当面の宿泊場所は確保された。

そういう話であるが、この年末年始は派遣切り難民とも呼ぶべき青年が全国にあふれるのではないだろうか。そのとき「そこで寝てもらっては困るんだよ」などと追い出さない不完全義務が市民には最低限求められる。もちろん行政の完全義務はもっと別の形で存在する、と私には思われたことだった。

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2008年12月 5日 (金)

転換してみたら大変だった!当たりまえだろう?・・・新型老健の話

厚生労働省は11月28日の社会保障審議会・介護給付分科会で、すでに「療養病床」から新型老健すなわち「介護『療養型』老人保健施設」に転換した8施設の実態調査結果を発表した。

注目されるのは、医師・看護師の数もそれなりに多い療養病床(病院)には入院する必要のない人ばかりを入所させて構成できると思われた「介護老人保健施設」に中等症、重症者が2割存在したこと、また入所者1人あたりの医薬品・医療材料費平均は、重症者が多かった転換の前と変わらなかったことである。

このことは、医師を減らし、看護師を減らした「介護老人保健施設」が、少なくとも2割の入所者には安心できない、危険な施設となっていることである。

さらに、医療費用が変わらないところからみると、軽症とされている群が決して軽症の人ばかりでは構成されていないことを示している。

いったん入院するほどまでに健康破綻を生じたあとの高齢者の状態は不安定で、ある日の断面調査で、軽症、中等症、重症の分類ができるはずはないのである。

そこで、転換した施設側の要求は、もとの療養病床なみの人員が維持できる介護報酬である。

それはそれで、入所者の安全を守る上で正当な要求なのだが、「そもそも転換などしなければ良かったのだ」、という意見が出るのは当然だろう。

厚生労働省の官僚としては、こうなってしまえば、医療費が下がろうと下がるまいと、療養病棟が減ってくれれば、自分の地位を守ることができる、ということに賭けてくるのだろう。それは年金問題での不正が目を覆わせる社会保険庁と同根の姿勢である。

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