山口民医連「ケアの倫理カンファレンス」
自己破産、離婚、子供との生別、同居の母や姉の病気、自分の病気、工場労働の収入激減という経過のなかで、「助けて」と言えない自立至上倫理に囚われ治療中断、その結果のように脳心事故に至った事例について「ケアの倫理カンファレンス」で話し合った。
このカンファレンスは事後的なもので、ケアに当った当事者の心情に焦点を当てるので、あのときどうすれば脳心事故が防げたのかというレトロスペクティブな議論はしない。それは医療事故後の検討に似ている。そもそもSDHの視点から言えば、たかが医療ごときが逆立ちしても、このような悲劇的なコースを変えることはできないというのが前提である。
このカンファレンスは患者とケア担当者になったつもりで話を聞く、そのとき浮かんでくる考えから、そのように考える「自分」を発見し、それを話すということに重きを置いている。
円形に並んで話しあう、わずか75分のカンファレンスだが、終わると全員が何故かケアされている。
ひたすら医学的な正しさを追うのでなく患者の「感情」と「解釈」という2つの「か」を捉える接し方が良かったなどという教科書的なまとめ発言をしたあと、いやそれを言うより「(長時間の安全靴使用のせいで)ともかく足の胼胝(たこ)のすごい人だったんです」という担当看護師のの事前のつぶやきをに参加者に紹介すべきだったと反省した。
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