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2026年2月15日 (日)

ケアの倫理と民医連

①マルクス主義フェミニズムがケア労働の中に女性の搾取を発見して立ち止まった地点で、ラディカル・フェミニズムはケア労働の中に、不利な状態におかれた女性だからこそ認めることのできた人間の本質を発見した。

人間は生産労働もするが、同時に互いにケアもしなくてはならない。

ここから女性と男性を分け隔てない「ケアの倫理」論が始まる。

しかし、社会共同性という人間の本質があるというのはマルクス主義がすでに探究しようとしていたことでもある。人類の歴史はそれを完成させるための過程だと思うくらいに。

しかし、それはフェミニズムを経ないと実を結ばないものだったのだろう。

 ケアの倫理は、新しい生産関係の中で変化する生産力の量より質を問うという点で、脱成長論と親和性が高い。

ケアの倫理を突き詰めると、生産性向上ではなく、生産の意味自体を問い直す脱成長論に行き着かざるを得なくなる。

ケアの倫理を格別重視するとき、民医連もそこは理解しないといけない。

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