ローカル政治新聞への寄稿
宇部の歴史を振り返ると、資本家階級は早くから結成されている。経済は「共同義会」、政治は「達聡会」という形で村の上層が結社化したのがそれである。それが宇部興産という統一した近代的企業になる(1942年)。
これに対して、労働者階級が出現するのは戦後である。1917年のストライキや、陸軍が出動し炭鉱夫13人が銃撃で死んだ1918年の米騒動はまだ自然発生的なものに思える。戦後になって労働者階級が立ち上がり、いろんな運動を宇部の中に生み出した。日本全国から比べるとずっと遅れて誕生した山口民医連もその一部をなすものにほかならない。
つまり労働者階級は遅れてやってくる。資本主義における生産力と生産関係の間の矛盾が直接生み出すのは社会主義社会ではなくまず労働者の「階級」化なのだろう。
その上で、民医連の未来については深刻なものがある。病院や診療所という事業体はこれまでの蓄積という慣性で存在し続けるだろうが、運動としては大きな曲がり角の局面である。生産力と生産関係の矛盾が気候危機や諸格差の解決の展望を奪っている今、「階級」の新たな具体化は猶予がない。
思い悩んでいたある日、2025年末に亡くなった元参議院議員聴濤弘さんの古い本、『レーニンの再検証――変革者としての真実』(2010年、大月書店)が本棚の奥から「もう一度読み直してみろ」と囁いている気がした。すでに鉛筆の線が無数に残っていたのだが。
実は僕にもレーニン全集の何巻かだけが支えだった時期がある。16年間努めた医療生協理事長(年数だけを理由に厚生労働大臣表彰を受けた)の前半時期。「労働者と農民の同盟が破綻すれば、ソビエト政権はすべてを失う」としたレーニンの演説を下敷きに「医療従事者と医療生協組合員の同盟が破綻すれば医療生協運動は消失する」と語ったこともある。
それはそれとして、聴濤さんのこの本で「ソヴィエト」がマルクスにもレーニンにも無関係の自然発生的な組織であることを改めて知った。それはロシアの土着の「自治」志向なのではないか。グラムシにも地域や工場の自治の探求がある。考えれば、民医連にも「階級」出現以前の土着の平等・自治志向が底流としてあった。いまはそれに注目するべき時に思える。室町時代の山城国一揆、江戸時代の明和義人事件、幕末の隠岐の島騒動、明治の秩父困民党なども、歴史の主流が滅ぼそうとして滅ばせなかった「自治」の伏流水なのではないか。


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