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2026年2月25日 (水)

ローカル政治新聞への寄稿

宇部の歴史を振り返ると、資本家階級は早くから結成されている。経済は「共同義会」、政治は「達聡会」という形で村の上層が結社化したのがそれである。それが宇部興産という統一した近代的企業になる(1942年)。

これに対して、労働者階級が出現するのは戦後である。1917年のストライキや、陸軍が出動し炭鉱夫13人が銃撃で死んだ1918年の米騒動はまだ自然発生的なものに思える。戦後になって労働者階級が立ち上がり、いろんな運動を宇部の中に生み出した。日本全国から比べるとずっと遅れて誕生した山口民医連もその一部をなすものにほかならない。

つまり労働者階級は遅れてやってくる。資本主義における生産力と生産関係の間の矛盾が直接生み出すのは社会主義社会ではなくまず労働者の「階級」化なのだろう。

その上で、民医連の未来については深刻なものがある。病院や診療所という事業体はこれまでの蓄積という慣性で存在し続けるだろうが、運動としては大きな曲がり角の局面である。生産力と生産関係の矛盾が気候危機や諸格差の解決の展望を奪っている今、「階級」の新たな具体化は猶予がない。

思い悩んでいたある日、2025年末に亡くなった元参議院議員聴濤弘さんの古い本、『レーニンの再検証――変革者としての真実』(2010年、大月書店)が本棚の奥から「もう一度読み直してみろ」と囁いている気がした。すでに鉛筆の線が無数に残っていたのだが。

実は僕にもレーニン全集の何巻かだけが支えだった時期がある。16年間努めた医療生協理事長(年数だけを理由に厚生労働大臣表彰を受けた)の前半時期。「労働者と農民の同盟が破綻すれば、ソビエト政権はすべてを失う」としたレーニンの演説を下敷きに「医療従事者と医療生協組合員の同盟が破綻すれば医療生協運動は消失する」と語ったこともある。

それはそれとして、聴濤さんのこの本で「ソヴィエト」がマルクスにもレーニンにも無関係の自然発生的な組織であることを改めて知った。それはロシアの土着の「自治」志向なのではないか。グラムシにも地域や工場の自治の探求がある。考えれば、民医連にも「階級」出現以前の土着の平等・自治志向が底流としてあった。いまはそれに注目するべき時に思える。室町時代の山城国一揆、江戸時代の明和義人事件、幕末の隠岐の島騒動、明治の秩父困民党なども、歴史の主流が滅ぼそうとして滅ばせなかった「自治」の伏流水なのではないか。

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2026年2月15日 (日)

ケアの倫理と民医連

①マルクス主義フェミニズムがケア労働の中に女性の搾取を発見して立ち止まった地点で、ラディカル・フェミニズムはケア労働の中に、不利な状態におかれた女性だからこそ認めることのできた人間の本質を発見した。

人間は生産労働もするが、同時に互いにケアもしなくてはならない。

ここから女性と男性を分け隔てない「ケアの倫理」論が始まる。

しかし、社会共同性という人間の本質があるというのはマルクス主義がすでに探究しようとしていたことでもある。人類の歴史はそれを完成させるための過程だと思うくらいに。

しかし、それはフェミニズムを経ないと実を結ばないものだったのだろう。

 ケアの倫理は、新しい生産関係の中で変化する生産力の量より質を問うという点で、脱成長論と親和性が高い。

ケアの倫理を突き詰めると、生産性向上ではなく、生産の意味自体を問い直す脱成長論に行き着かざるを得なくなる。

ケアの倫理を格別重視すること民医連もそこは理解しないといけない。

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2026年2月14日 (土)

宇部の歴史と労働者階級

宇部の歴史を振り返ると、資本家階級は早くから結成されている。経済は「共同義会」、政治は「達聡会」という形で村の上層が結社化したのがそれである。その自治性は高度で、宇部興産という統一した近代的企業体にたどり着く。

これに対して、労働者階級が出現するのは戦後である。
陸軍が出動し炭鉱夫10数人が銃撃で死んだ1918年の米騒動は階級の出現というより自然発生的な事件に近い。
戦後になってようやく立ち上がってきた労働者階級はいろんな雑多なものを宇部の中に生み出す。日本全国の視点からみればずっと遅れて誕生した山口民医連もその一つにほかならない。

簡単に言うとこれが宇部の歴史である。

資本主義における生産力と生産関係の間の矛盾が大きくなれば社会主義社会への移行が必然的に起きるわけではない。その矛盾が直接生み出すのは労働者の「階級」化である。
階級闘争はそこから動きだして社会主義社会への長い歩みが始まる。
つまり資本家階級がいれば労働者階級が自然に存在するわけではなく、後者は遅れてやってくる。
そいういうものだから、資本家階級の組織性がさらに高度化される前で、労働者階級が一見崩壊していくような状況も当然ありうる。
そうなれば「階級」をどう再組織するかという課題が、労働者たちに創造性を要求してくる。
生産力と生産関係の矛盾は、気候危機と格差という形をとってこれ以上もないほど大きくなっているので、その再組織は必ず起こる。

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2026年2月13日 (金)

宇部・山陽小野田見学プラン

宇部・山陽小野田見学プラン
  座学担当は私

1歴史 座学
前半
地方における鉱工業の勃興 石炭採掘
村の名士層による共同資本家階級形成「共同義会」と「達聡会」

流入労働者による急速な都市化
米騒動 陸軍による鎮圧 銃殺されたもの10数人
石炭鉱山から重化学工業へ 近代的企業体「宇部興産」への糾合
敗戦後は素材産業への転進 瀬戸内コンビナートの一員
労働者階級の出現
民医連の誕生 公害闘争

後半
グローバル化 国内空洞化 東京一極集中
海外金融資産による収奪
地方の衰退
人口減以上の労働人口の減少
農業の政策的後退
生活維持、政治参加の困難
極端な貧困層の集積

2 今後の展望論 フィールド
生活自衛の生協運動
地産地消、地域自給を目指すコモンの拡大
基本自治組織の拡大と連帯
中小企業と農業を幹にした産業再編成
気候危機大災害に耐えられる地域作り
「地方の時代」に向けての対中央、対グローバル・ノースとの闘う仲間との連帯

これらの総称としての地域主権主義、ミュニシパリズムの理念の確立、新しいマルクス主義

3その中での医療生協の努力 フィールド

政府から独立した自治的病院としての技術•.倫理・経営水準の維持
医療-市民同盟の強化
貧困層、孤立層への直接支援事業、医療生協組合員活動
市民の組織力の強化
対自治体の影響力増大

4特別見学 
長生炭鉱
上関原発関連
岩国基地
伊藤博文記念館ー安重根記念館との対比

5観光
萩歴史地区 東アジア史の中の明治維新
草莽崛起のテロリスト・特殊な平等主義者としての吉田松陰
 
周防大島 宮本常一記念館 日本の庶民像 海から見た日本

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2026年2月12日 (木)

NODAというスローガン

つまり

No One  Dies  Alone !

誰も一人では死なせない!

MAGAキャップのように仕立てて 配りたい。

実はスコットランドの小さな町(山陽小野田市くらいの面積と人口)で実験中である。

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日本の土着的自治

昨年末に亡くなった聴濤弘さん(1935~2025)の晩年の出版物はたいてい読んだ。『レーニンの再検証――変革者としての真実』2010年もちろん読んでいる。
しかし、本棚の奥から「もう一度読まなくては」と語りかけて来たのはこの本だった。

実はレーニンを懸命に読んだ時期が2回ある。一つは普通に学生時代。国民文庫本になっているレーニン著作にはだいたい目を通した。しかしその何が今の自分に残っているかというと皆無に近いのではないか。この年齢になって『国家と革命』を生きる指針にしていますとかいうと具合が悪いだろう。

二度目は54歳から16年間医療生協の理事長を務めた(これだけを理由に厚生労働大臣表彰を受けた) 時期の前半部分である。。理事長の職務は誰も手引してくれないので、この時期の僕の唯一の師であり友であったのが1921年前後NEP時代のレーニン全集だった。生まれたばかりのソヴィエト政権と医療生協が同じに見えていたのだろうか。「労働者と農民の同盟が破綻すれば、ソヴィエト政権はすべてを失う」としたレーニンの演説から、自分のモットーを「医療従事者と医療生協組合員の同盟が破綻すれば医療生協運動は消失する」と語っていた。後半は全日本民医連の副会長になってSDH(健康の社会的決定要因)の普及に全力を尽くしたので、レーニンは読まなくなった。

聴濤さんの本を読み返している最中で、3回目のマイ・レーニン・ブームは来ていないのだが、「ソヴィエト」がマルクスにもレーニンにも無関係の自然発生的自治組織であることを彼の本で改めて知って急に関心が湧いた。
もしかすると、今後の地域主権主義につながるものかもしれない。また、それは有名な歴史的農村共同体「ミール」などともつながっているのだろうか。
1905年の第一次ロシア革命から1917年の第2次ロシア革命の間のレーニンに何か鉱脈がありそうである。

そう思うと、日本の歴史の中に生まれた自治組織にも関心が向く。山城国一揆、加賀一向一揆、秩父困民党。最近知ったところでは幕末の隠岐の島コンミューン、江戸時代の明和義人事件などなど。誰か、日本の土着的自治について研究していないものだろか、グーグル・スカラでも検索してみよう。

そうか、宮本常一『忘れられた日本人』のなかの対馬の寄り合いもあった。

 

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2026年2月 7日 (土)

選挙着前 ローカル政治新聞に寄稿

選挙直前 ローカル政治新聞に寄稿

山口県の高齢化と人口減少のスピードはそれぞれ全国3位、8位という高さです。

年齢を問わず貧困と孤立の中で健康を害して支援を待つ人は引きも切らず、その一方で医師・看護師・介護従事者不足は日に日に深刻です。

この閉塞した状況を打開するのが住民主権・地域主権の「まちづくり」です。

これに対して自民党政権の進める「地方創生」は地方を東京にとって利用できる対象、稼げる対象に再編成し、そうでないものは切り捨てるものでしかありません。

県知事選の大久保雅子さん、総選挙の日本共産党の政策に共通しているのは、生活保障、中小企業振興、災害対策という「まちづくり」の3本柱です。 

真の自治を担う多様な組織の発展を追求する者として、両選挙の成果に期待します。

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2026年2月 6日 (金)

山口民医連「ケアの倫理カンファレンス」

自己破産、離婚、子供との生別、同居の母や姉の病気、自分の病気、工場労働の収入激減という経過のなかで、「助けて」と言えない自立至上倫理に囚われ治療中断、その結果のように脳心事故に至った事例について「ケアの倫理カンファレンス」で話し合った。

このカンファレンスは事後的なもので、ケアに当った当事者の心情に焦点を当てるので、あのときどうすれば脳心事故が防げたのかというレトロスペクティブな議論はしない。それは医療事故後の検討に似ている。そもそもSDHの視点から言えば、たかが医療ごときが逆立ちしても、このような悲劇的なコースを変えることはできないというのが前提である。

このカンファレンスは患者とケア担当者になったつもりで話を聞く、そのとき浮かんでくる考えから、そのように考える「自分」を発見し、それを話すということに重きを置いている。

円形に並んで話しあう、わずか75分のカンファレンスだが、終わると全員が何故かケアされている。

ひたすら医学的な正しさを追うのでなく患者の「感情」と「解釈」という2つの「か」を捉える接し方が良かったなどという教科書的なまとめ発言をしたあと、いやそれを言うより「(長時間の安全靴使用のせいで)ともかく足の胼胝(たこ)のすごい人だったんです」という担当看護師のの事前のつぶやきをに参加者に紹介すべきだったと反省した。

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2026年2月 4日 (水)

今日の私の発言

今日の私の発言

振り返ると私達が2010年の全国会議で日本国憲法と理念において完全に合流したあと、1947年生まれの日本国憲法より発展した新しい国際的な人権規範のあることを知り、それに追いつくために学んできたこの15年だった。「ケアの倫理」との合流もその一部である。
しかし、その課題を15年も追求したあとの現時点においては、現場からはより実践的な目標の提示が求められている。

特に、トランプの「法の支配」の否定、「力による支配」への転換を日本でも現実化しようという右派勢力が伸張している最新情勢においては、それにそった方針でなければ支持は得られない。

気候危機、格差・貧困の深まり、戦争への傾斜が大情勢であるなら、今後の第一の課題はそれと闘う陣地の構築である。
人口減少・少子高齢化・地域衰退に見舞われている、私達の各事業所が立地する各地域での新たな「自治」の確立と言い換えて良い。

ボトム・アップ型の自治の有力な担い手としての私達の像を創造していくことが必要だ。
それは以前からFEC自給圏、地域循環経済、ミュニシパリズム、分権型社会、地域主権などの名称でさまざまに主張されてきたことの統一した目標化である。

同時に自治を真剣に考えるなら、事業所自体に自治が貫かれているかどうかも点検課題に挙がる。その始まりが事業所運営における「心理的安全性」(誰でもリスク無しに方針・運営について発言できる)であることも強調して良い。

私達に限らず、本来自治的であった組織が自治を奪われるとどんな腐敗が起こるかは東大医学部事件などでも明らかだ。山口大学でも、学費値上げに反対する学生によるビラまきが禁止されるという事態が起こっている。
これを変革して、地域に存在する各種組織が自治を取り戻し、その力で自治体を変え、それが国に及ぶというという展望は時期尚早ではない。

以上とは別のことになるが、ジェンダー平等の目標については、女性の経済的困窮とジェンダー不平等を解消する目的を掲げる前提として、 売春防止法改定の必要性を強調しなければならない。構造的に女性が性搾取され続ける現状を変えるためには「性を売る側を被害者とみなして処罰せず、性を買う側(買春者)や斡旋業者などを処罰する」という北欧型の制度創設が必要である。ジェンダー平等・女性差別撤廃のための現時点での最優先課題である。

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2026年2月 3日 (火)

2026.2.04 県連理事会挨拶

2026.2.04 県連理事会挨拶

大変な寒さのあと、少し暖かくなりましたが、会議参加ご苦労さまです。

突然の総選挙、県知事選挙が進行中である上に、全日本民医連第47回総会方針案の討議も今日中にやっておかないといけません。

 

そこで私の挨拶はごく簡単に済ませたいと思います。

 

総選挙についてですが、資料4は今朝の朝日新聞です。国論を二分する問題、軍拡、スパイ防止法などたくさんありますが、それらを丁寧に議論して合意を作るというのでなく力で押し切るから、それに必要な議席数がほしいと宣言して始まった選挙です。そこに出てくる金森ひろたか医師は島根民医連のひかわ医療生協の前理事長でした。トランプがやっているような異論弾圧を日本でもやらせないよう、考えて投票しましょう。

突然のようですが、資料1は2.2の医療活動委員会で学習した「心理的安全性」についてです。お配りしたのはプライマリ・ケア連合学会の季刊誌「プライマリ・ケア」2026年冬号にあった小西竜太先生の連載です。

これは診察室における医師―患者関係について述べられたものですが、どんな職場にも共通したものだと思います。

例えば1ヶ月に一度の外来診察であれば、診察は1ヶ月続く探検の作戦会議にあたるものだと言えます。医師はベースキャンプに残るコーチです。1ヶ月の探検に出かけるのは患者さんです。

ここで患者が自分の経験報告や医師の指示が適当かどうかについて意見を自由に言えないと探検=療養が成功するはずがありませんし、ひいては患者の人間としての自己実現もありません。診察時間のすべてを検査結果や薬の一方的説明に使ってはだめなのです。

そこが保障されているのが、心理的安全性を備えた診察だとすれば、心理的安全性は自然発生的に生まれるものでなく、医師が包摂的なリーダーとして意識的に診察室の中に作り出すものです。

民医連総会方針にも心理的安全性の大切さが何度も出てきますが、その理解に少しでも役立てばと思って資料提供させていただきました。

総会方針の詳細な説明は事務局長が後ですると思いますが、討論に入る前に、本筋から少し外れて気づいたことを3点ご紹介したいと思います。。

① 山口で始めた「ケアの倫理カンファレンス」が正当に評価されている。

② 民医連職員の個人名が出てくるのは山口県出身で山口大学卒、いま水俣で活躍している、我らが高岡滋医師だけ。

③ 民医連とフェミニズム運動の遭遇あるいは合流から「ケアの倫理」が方針に取り込まれるに至ったという動的(ダイナミック)な記載があること。これは僕も以前から強調していたことです。

 

以上に加えて、届いたばかりの「いのちとくらし研究所報 第93号」2026.1.31 から 宮沢由美「汐田総合病院における外国人技能実習生の現在」も資料につけました。資料3

現在10名のベトナム人技能実習生を受け入れている同病院の経験は、外国人労働者受け入れのリアルがわかって貴重と思います。外国人受け入れには費用も相当かかりますが、看護学生奨学金3年分とほぼ同じだというのは皆さんにとっても新知識だと思います。

 

また、資料4は日本科学者会議山口支部だよりからの引用ですが、授業料値上げを決めた大学生では反対ビラも自由に配れなくなっています。

最近の東大医学部皮膚科、戦前は木下杢太郎が教授をしていたところですが、そこで起こった前代未聞の事件と合わせ、独立行政法人化で自治を奪われると、大学は腐敗するという証拠だと思います。民医連の総会には地方自治体含め自治の大切さがあまり出てこないので、そこは議論することを提起しようと考えます。

 

簡単に済ます、と言った挨拶はこれくらいにします。2年間分の方針討議にはとても足りない時間だとは思いますが、ぜひ熱心にご討議お願いします。

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大学の腐敗

大学の腐敗は独立行政法人化で自治を取り上げられたことと深く関連しているだろう

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監督 コゴナダ

コゴナダという監督の「アフター・ヤン」という映画を配信で見た。2022年の作品。
小津安二郎がSFを撮ったらこうなるだろう、という感じ。コゴナダという名前は、小津映画の撮影に当たった野田高梧によるという。つまりナダは本当は野田なので、どこかで縁がある。

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探検隊の前線のプレーヤーは患者

例えば1ヶ月に一度の外来診察であれば、それは探検隊が今後1ヶ月間にどう活動するかの作戦会議「ハドル(Huddle)」なのだ。

医師はベースキャンプの居残り役。探検隊の前線のプレーヤーは患者だ。

雑誌『プライマリ・ケア」2026年冬号、小西龍太 から思ったこと

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2026年2月 2日 (月)

ソヴィエトとはなんだったのか

冬の寒い日曜日に、意外なところにヒントを見つける勘で、最近亡くなった聽濤弘さんの『レーニンの再検証 変革者として真実』(2010年大月書店)の最初のところを再読してみた。


https://www.otsukishoten.co.jp/book/b67695.html


ここはもはやまったく人気のない領域で、誰も触れることがないのが古い本を引き出してみる動機だった。


1905年、1917年の革命については何度も読んだ気がするが、やはり曖昧のままである。出発点がスターリン下の「ソ連党史」だったのが災いしている。


トロツキーが首都ペテルベルクのソヴィエト議長だったのは1905年革命だったか、1917年度革命だったか忘れていたが、正解は両者ともに、である。

1905年1月の革命ではトロツキーは2月にジュネーブからロシアに帰国しており、11月にようやく帰ることのできたレーニンに比べて圧倒的に目立つ存在となった。


それはともかくとして、ソヴィエトという組織はマルクスやレーニンの発明ではなく、労働者が自主的に作り出したいわば自治組織だった。

これは今僕がまちづくりから出発して考えていることと一致するところが多い。

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2026年2月 1日 (日)

今後深めるべきこと

今後深めるべきこととして、憲法と国際人権規約を挙げるのは全国組織の全国部分としては理解できるが、それは全国組織の現場の共通課題としては不十分である。

現場の課題は、現場の存在する地域の自治の実現である。ミュニシパリズムの探究と言い換えても良い。

そして、自らの自治の確立がその前提になる。

それができそうもない組織がある一方、私たちがその可能性を持つことこそが最大の希望である。

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