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2025年11月25日 (火)

フランソワ・オゾンの映画「秋が来るとき」(フランス 2024年)

連休中はフランソワ・オゾンの映画「秋が来るとき」(フランス 2024年)を見た。アマゾンプライムの有料レンタル。
不幸な2家族の物語なのに、分かりやすく、テンポがよく、曖昧さや謎は全くなく明晰さに貫かれる、伏線は全て回収されるという作品。それでいて余韻は深い。
画面は飽くまで悲しく美しく、息を呑むシーンも一瞬で終わらせてしまう抑制のきびしさ。
どんな形であろうと家族=人同士の結びつきは続くことへの安堵だけが、理屈抜きで見たものの中に残る。

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2025年11月16日 (日)

院内紙「メロス通信」寄稿

「メロス通信」寄稿

 先日、宇部協立病院で「ケアの倫理」カンファレンスの第3回目が開かれ、温かい雰囲気のもとに様々な真剣な発言がありました。胸を突かれるような発言もありました。
 「ケアの倫理」の背景はフェミニズム(女性解放・男女平等)運動にあり、理解は相当難しいものですが、人間がお互いを大切にすることを目指す考えや実践の一環であることは間違いありません。
 障害や病気があってケアされなくてはならないからといって価値が低いものとされたり、人生の中で何かを諦めさせられてはいけないというのは当然ですが、人をケアする責任を担うことで(特に女性の医療介護職が)不利になったり、批判されたり、自信を失わされることもあってはならないことも大きな構成要素です。
 今回の特徴として僕が感じたことは、これは数十年前の民医連が各地で取り組んだ「全職種参加の症例検討会」が形を変えて帰ってきたものだということです。そのころは、病院に下足番とう職種があり、医療専門職からは最も遠いと思われがちだったのに、患者の真実を知っていたのはその人だった、というようなことが語られていました。その症例検討会は、病院規模が大きくなるにつれて次第に廃れ、残っているところでは研修医の激励企画になっているようです。
 しかし、今の「『ケアの倫理』カンファレンス」が昔の「全職種症参加の例検討会」の再帰だと僕が思うのは、特定の視点を強く打ち出すことで、職種を超えた平等な場を実現している点で共通しているところです。
 かって、それほど職種が分化していないときは「労働と生活の視点から疾患を診る」という立場で全職員が容易に平等になれました。現在は少し難しいかもしれません。
 しかし、いま「ケアされる者とケアする者の尊厳を守る」という意味では無条件に全職員が平等になることを発見したのが「ケアの倫理」カンファレンスです。
 全職員が平等の立場で人生を語ることができる場を作ることほど、僕たちの組織の未来を保障するものはありません。そういう意味で「ケアの倫理」カンファレンスこそが本質的に未来を作り出しているのです。

 なお「倫理」とは何か?というと難しい話について一言。それは平等を実現する道筋だというのが、いま僕が考えていることです。

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2025年11月13日 (木)

ローカル政治新聞への寄稿

父に教えられたことは多くない。「右は満ちる、左は退(ひ)く」というのは月の満ち欠けの順番のことである。「流れに沿って上から下へ眼球を動かす」というのは滝の止まった姿を知る方法。つまり、そういう父だった。
 広島の奥深い寒村に生まれ14歳で海軍少年兵になった。防府の海軍通信学校に入って、呉軍港で空襲に遭いながら終戦を迎えた。その前にキノコ雲は見た。16歳だった。
 村に帰って中学校の代用教員になったのを契機に、慶應大学のやっていた通信教育で中学理科の教員免許をとり、地元周辺の学校に長く勤めた。母の死後、20年近く独居生活をしていたが、88歳のある日、通っていた病院の側溝に脱輪してパニックになり、そのままそこに入院した。その病院から宇部協立病院までの100kmを移動したのは1ヶ月後のことで、途中にサ高住への入所を経て、最期を協立病院で迎えたのは約3年後になる。
そういうことを改めて思い出したのには訳がある。
隣県に家庭医療学専攻のM君という優秀な若手の医師がいて、年齢は僕の半分くらいなのに海外の医学雑誌に次々と論文が採用されている。その彼も最近自分の病院で父を自ら看取った。いまの僕より若い父君ではなかっただろうか。医師が主治医として肉親を看取る経験の先行研究が少ないことに気づいたM君が、その研究の協力者を募ったのは2ヶ月前のことである。M君の研究に興味を持った僕は早速応じることにして、最近の夜、遠隔のインタビューを受けた。癌末期のケアが難しかったM君の場合と違う平穏な老衰死のケースだったのでインタビューはあっけなく短く終わった。
それでも、僕としては気付かされたことがある。こういう研究の対象となること自体が僕自身の省察の機会になり、結果として癒やされたということである。コロナ禍の中の二人だけの葬儀が傷になって残り、まだ納骨もしていないが、それでもあの時期毎日診察できたことは稀な幸福だったのだ。そうした感慨を参加者に与えなければそもそも医療研究の意味がないのではないかとも思った。
 しかし、もしそうなら自分は何という長い年月を無駄に過ごしてしまったのだろう。機会はいくらでもあったのに、「研究という技術」を持たないばかりに、省察し自らを癒やす経験を誰にも提供しなかったのだから。

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