2025.10.22 県連理事会挨拶
2025.10.22 県連理事会挨拶
急に涼しくなって過ごしやすくなりましたが、この秋も短い模様です。
全国的にクマ被害が問題になって、山口市から周防灘に突き出した半島である秋穂(あいお)地域でさえクマが出没するという事態ですが、以前、宇部学でもお話を聞いた広島の環境問題研究者の金井塚務さんによると、これは「クマが爆発的に増えたから」でなく、奥山の中心部の生態系が壊れ、クマが生きる場所と食料を失い、放棄地が増えた人里に押し出されている状態です。クマも環境破壊の犠牲者だということですが、気候変動の一つの現われだとすると、人間にとっての生きにくさがまた一つ出現したということかもしれません
今日は、手前味噌の話になって申し訳ありませんが、先日の全日本民医連の学運交で私が発表したものについて簡単にご紹介させていただきます。
その後10月15日の朝日新聞の記事をみんなで読みあって挨拶に代えたいと思います。
まず、私の発表ですが、あまり普通の発表ではなくて、民医連の理念の歴史と構造を捉えるという話でした。私も今年度で民医連歴満50年になるので少し振り返っておこうという気になったものです。
以下がその大要です。
「20世紀初めの西欧由来のマルクス主義と日本社会の遭遇で日本共産党と民医連が生まれ、それ以降は日本共産党とともに歩んだことは確かだが、そもそもマルクス主義を日本で受け止めた主体は何だったのか。つまり受容する素地は何だったのかということが問題になる。
公式的には、日本に資本主義が発達し労働者階級が誕生していたということが回答ではあるだろうが、それはおいておくとして、受け入れる素地を仮に日本の民衆の平等志向だと仮定すると、
マルクス主義が日本に入って来る明治より前の歴史を遡れば民医連の先行者というべき人が必ず見つかるかどうかを調べる必要が出てくる。先行者を見つけることができれば、民医連運動の全部が外から持ち込まれたものでないこと、また資本主義の産物としての労働者階級が作ったというだけではないことが証明できるのではないか。
その候補として、忍性、三浦梅園、大石誠之助を挙げてみた。
また民医連の理念の現代史として、1990年以降の日本国憲法との合流、その後の国際人権規約、SDH、ケアの倫理の摂取は日本共産党とは異なる独自の道程だった。
それにより生まれた構造
近代医療への批判から生まれた三つの倫理の不可分の組み合わせこそが現在の民医連の理念の構造だとも言える。
それを、一般企業と共通の企業倫理である医療倫理、政治を通じた社会正義を目指す「公正としての正義」の倫理、人間同士との関わりの中にある、フェミニズム運動の中で確立した「ケアの倫理」の三角形を考案した。これは総合臨床モデルとしても表せる。
今後の展望
多くの病院には三つのうち企業倫理一つしか存在しないが、新自由主義はその企業倫理さえ破壊した。
逆に、気候危機の中のまちづくりはこれまでの枠には収まらない、倫理の拡大が望まれる。共同統治、コモンズの倫理というものだろうか。明治大学の重田園江さんの造語を使わせてもらうと、シン・アナキズムの倫理の摂取こそが今後のテーマとなるだろう。
具体的には地方自治主権主義の形態となるだろう。」
10月15日朝日新聞記事は、長谷部恭男加藤陽子、杉田敦3氏の鼎談ですが、高市ワ-クライフバランス発言や石破戦後80年所感他について鋭い解説をしているので、高市政権について考える際の頭を整理する意味でもぜひお読みください。
それから、10月からの介護情勢の変化ですが、2015年以降改悪が進んでいた、介護認定で要支援とされた人たち向けの介護予防・日常生活支援総合事業がついに、介護認定で要支援とされた人たち向けの新規の訪問介護や、通所介護がなくなり、行き場を失う人が続出しようとしています。
「ホープ」と名付けた週1回2時間の訪問サービス3ヶ月が代わりに準備され、記念病院、尾中病院、第一病院系列が手あげしていますが、なくなるサービスを補えるものではありません。その辺含めて今日は部会形式ですが、熱心な議論をよろしくおねがいします。
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