ローカル政治新聞への寄稿
僕の勤務する宇部協立病院5階の医局からは福岡県、大分県の山と海岸線がよく見える。湖のような周防灘を挟んだ対岸なので、そこがなんだか自分の住んでいる場所のパラレル・ワールドのように思える。
実際に、そこに行ってみると行橋市から豊前市方向を見るときに前方に広がる英彦山付近から海岸になだらかに伸びる山のシルエットは、新山口から宇部に向かうときに見える裾を長く引いた丘のラインと左右対称である。
さらに別府・大分を超えた先のことで周防灘の向こうになってしまうが、佐伯(さいき)という小さな城下町があり、そこは萩の毛利氏とは関係ない毛利家という大名がいて、明治期には山口県にゆかりの深い作家・国木田独歩が1年足らず住んでいた。独歩はここ佐伯を舞台にした『源叔父(げんおじ)』という初めての小説の着想を得ている。これは今読んでも面白い。佐伯から少し戻ると臼杵というもう少し小さい城下町がある。ここには小手川酒造いう酒屋があるが、店の一角がここに生まれた作家・野上弥生子の「文学記念館」になっている。野上弥生子と山口は直接は関係がないものの、1936年から45年までの10年間を舞台にした長編小説『迷路』は長州藩閥が生み出した戦前社会のほとんどすべてを知ることができる、僕が知る限りの日本文学の最高傑作である。
そして国東半島の中に入ると、両子山の麓に江戸時代の哲学者・社会活動家・村の医師である三浦梅園(1723—89)が、そこからほとんど出ることなく生きた村がある。「枯れ木に花咲くに驚くより 、生木に花咲くに驚け」と考えた理性の人であり、「反観合一」という言葉で知られる独創的な弁証法を駆使する哲学者だった。より重要なのは慈悲無尽講という協同組合の先駆的な組織を作り運営したことであり、僕はひそかに彼こそ民医連の源流の一人だと思っている。医局の窓から周防灘を超えて国東半島の独特の稜線を見るたびに、三浦梅園のことを思い出す。
しかし、周防灘はそんな平和な海ではない。1185年の壇ノ浦合戦は古すぎるとしても、1945年には戦艦大和はここを通って豊後水道に抜けて沖縄に向かって撃沈された。そして今、山口宇部空港、北九州空港、大分空港と狭い周防灘の中にひしめく3空港がそろって「特定利用空港」となり、呉、岩国、築城という米軍・自衛隊基地と密接に連携するようになった。時折、戦闘機が宇部上空を南に向かう轟音も聞こえる。梅園が生きていたら黙って見過ごすことは絶対になかっただろう。
| 固定リンク


コメント