2025年 民医連の学術運動交流集会で発表したこと
民医連の「まちづくり」と「地球の限界(プラネタリー・バウンダリー)」
はじめに:民医連の理念の進化
民医連は、1953年の創立以来、これまでに3回綱領を改定し、現在は第4番目の綱領のもとで活動しています。私は、特に2010年の綱領改定の背景を、日本や世界の情勢から深く考察したいと考えました。
前回の金澤での発表では、1990年以降の民医連理念の変遷を私なりに分析しました。その結論は、民医連の理念は、綱領制定以前から一貫して存在する**「日本の民衆社会の平等志向」という強い基盤に、時代ごとの主要な思想潮流が絶えず組み合わさって(ベクトル合成して)形成されてきた、ということです。このダイナミックな理念の形成過程**をある程度は捉えられたと思います。
理念の具体的な変遷
• 2010年綱領改定の背景: 1990年のソ連崩壊、天安門事件に象徴される中国の強権化、そして世界を席巻した新自由主義といった激動の中で、民医連は活動の根拠をもっととも影響の強かったマルクス主義にくわえて、改めて日本国憲法や国連憲章に求めました。
• 「正義の倫理」の取り込み:
その後、国際人権規約などのリベラル平等主義と合流を深めます。
特に、マイケル・マーモットらが提唱した**「健康の社会的決定要因(SDH)」の知見が大きな転機となりました。これにより、健康を害する格差を「不正義」とみなし、「公正としての正義」や「ケイパビリティ(能力)の平等」といった「正義の倫理」**を理念に組み込みました。
• 「ケアの倫理」との合流:
2020年代には、社会経済的な格差是正を目指す「正義の倫理」に加え、フェミニズムから生まれた**「ケアの倫理」との合流が顕著になります。
これは、ケアの受け手と与え手の平等だけでなく、ケアを引き受けることの平等や、人間にとってのケアの本質的な意義**を理念に取り込むことを意味します。
今回の試み:民医連の理念と近代医療への批判
今回の考察では、これまでの検討を土台としつつ、視点をより医療活動に引き寄せて再考しました。
民医連の理念の変化は、20世紀後半の近代医療に投げかけられた以下のような3つの大きな批判への応答として捉えることができます。
1:近代医療の有害さ
薬害や医療事故が多くの人命を奪ったことや、医師や病院の「権力」が大きくなりすぎた害が目立ってきたことです。
2:近代医療の視野の狭さ
研究対象が微生物や遺伝など生物的なものに偏り、社会や自然環境を軽視していることへの批判です。生物学的な要因は、健康阻害要因全体の20-40%程度を占めるに過ぎず、残りの60-80%は社会+自然環境要因によると推測される)
3:近代医療の過度の分業
人間が臓器の集合体に置き換えられ、全人的な幸福や尊厳という目標を見失ったのではないかという批判です。
民医連はこれらの批判に対し、以下のように応答しました。
1. 第1の批判(有害さ)への応答:
「臨床倫理」「医療の質」「医療の安全」の重視。
これは、民医連の方針における「安全、倫理、共同の営みを軸にした総合的な医療介護の質の向上」に相当します。(臨床倫理は他産業でいう企業倫理にあたります。)
2. 第2の批判(視野の狭さ)への応答:
マイケル・マーモットらの社会疫学を取り込み、**健康の社会的決定要因(SDH)**に先進的に取り組みました。
民医連の普及活動がなければ、SDHが医学部カリキュラムの必修項目になったのは難しかったと言えるほど、先駆的な役割を果たしました。
3. 第3の批判(過度の分業)への応答:
総合診療・家庭医療学の推進です。
患者の感情や人生のプロセス、医療者との心の交流を重視するこの学問が、民医連の医師研修の主流となり、医療活動全体に影響を及ぼしています。この学問の背骨となってくるのが**「ケアの倫理」**です。
これらの応答を図としてまとめてみると、このようになります。
これは現時点での民医連医療理念の構造の断面像を示していると思います。ここではいくつかのキーワードに注目していただけるといいかと思います。
医療介護において常に存在する**「3つの倫理」のどれを重視するかで、その組織や社会の性格が表現できることも示しています。
また、これを実践に展開すると、「疾患」「人」「社会」の3領域を統合する総合的臨床モデル**となります。
今後の課題:地球の限界(プラネタリー・バウンダリー)と民医連
以上を踏まえつつ、最後に、日本の民衆の平等志向を基盤とする民医連が、今後どのような新たな理念を生み出していくのか、という今回の発表の核心をようやく述べます。
それは、資本主義の生産力拡大が自然環境にもたらす亀裂、すなわち**「プラネタリー・バウンダリー(地球の限界)」**への対応として現れるでしょう。
現代の国際情勢(ガザのジェノサイドやトランプ政治など)も、支配層や富裕層が自らの生存環境を守り抜こうとする戦略と関連しているはずです。
私の予想は、これまで多くの目標の一つであった**「安心して住み続けられるまちづくり」が、「脱成長」論と合流することで、民医連の新たな画期的な理念**へと飛躍する、というものです。
「脱成長論」は民医連でまだ正式に議論されていませんが、生産力至上主義の放棄と、住民主権・自治主権(ミュニシパリズム)を実践の一歩とすることは共通しています。
これは、具体的には生活圏ごとの医療・介護、保育、教育といった「ケア」の自給を目指すことに他なりません。
この「ケアの自給」の実現にこそ、民医連の「まちづくり論」が歴史的に決定的な役割を果たすと確信しています。
これはあくまで私の現時点での予想ですが、地道な努力の積み重ねこそが接近の道であり、今後の「まちづくり」の重要性を強調するために、この考えを発表しました。
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