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2025年8月28日 (木)

ローカル政治新聞寄稿

(架空インタビュー)
―勤務先の病院の経営が好調だとか。いま、全国的な病院団体はかってない経営の危機を訴える声明などを出しているが。

「偶然の要素が大きい。それでも強いて理由を探せば①無料低額診療などで低収入の患者さんを支援して『受診抑制』に抵抗している、②職員全員参加の経営めざしていつも議論しているためか、看護師退職が少なく看護師不足による病床削減をせずに来れた、③少数高齢の医師が無理して安く働いている、それを他職種が必死に支えているということかな」

―全国的な病院団体は経営困難の原因を、物価高騰、賃金上昇、新技術を支えられない低い診療報酬としているが。
「間違ってはいないけど、いくぶん表面的かな。僕が思うに、全国の病院がここまで追い詰められたのは2015年から2025年まで展開された(旧)地域医療構想による。2015年時点で高齢化による患者増加に備えるには30万床分病院を拡張しなくてはならないと計算されていたのに、逆に10年間で4万床減らしてしまった。この病床削減と病床の機能縮小による収入源こそが経営難の本当の原因だと思う。少し詳しく話すと、病床削減は別に行政の命令などではない。主に看護師不足によって病棟維持ができなくなったところに、病床数を減らすと行政から援助金が出るという甘い誘いがかかって実現するわけだ。看護師不足の原因は賃金や待遇の低さが原因になっている」

―でも、病院のベッドが埋まらないことに市立の病院などは困っている。こちらのほうが原因では?
「鋭い指摘だ。無理な病床削減の勢いを超える何かがある。これが『受診抑制』と呼ばれるもの。社会保障費削減で患者の自己負担が増やされ続けていることが大きい。加えて、より大きい要素として国民生活全体の貧窮化がある。」

―貧困や孤独が病気を生むことが世界的に実証されているが。
「そう、だから国民は不健康になりながら受診の機会も奪われるという二重の被害を受けている。若い人は『最低賃金が1500円になったら何をするか』という質問に『医者に行きたい』と答えている」

―最後に。無理して働く医師がとても疲弊しているらしいが
「それはいい考えがない。一緒に患者さんの生活支援をするソーシャル・ワーカーが増えれば、少しは仕事がしやすくなるのだけど」

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2025年8月27日 (水)

山口民医連 理事会挨拶 2025.8.27


記録破りの暑さと豪雨が各地で続く8月となりました。
山口県西部も線状降水帯を経験し、上宇部クリニック、上宇部あおば薬局が床上浸水という被害を生じました。
こうした気候変化は、さらに規模を拡大しながら、今後続くと予想されるので、対策を積み重ねていく必要があります。

一方、医療介護機関の事業と経営が危機に瀕し、地域医療も崩壊に直面していることから医療供給サイドからの動きが強くなっています。日本医師会と6病院団体は2024年度診療報酬改定後の経営悪化が著しい、例えば8月20日の全国自治体病院協議会の声明では、2024年度経常収支が赤字の病院が約9割におよび過去最悪、ということで、2026年改定はもとより、今すぐの期中改定も求めており、民医連も当面最大の課題として「緊急行動」を続けています。
山口民医連は少し出遅れましたが、明日から県への要請行動他、アイデアを絞って運動していこうと考えています。
日本医師会と6病院団体は、経営悪化の原因を物価高騰、人件費上昇、最新技術に応えていない診療報酬だとして運動していますが、それはやや表面的な気がします。
本当の原因は、一つには2015年から2025年までの旧地域医療構想で激しく病床削減と入院日数制限が進んだことにあると思えます。2015年当時で見れば、病床は当時の123万床から152万床に増える見込みだったのですが、実際には旧地域医療構想で119万床にされました。旧地域医療構想が地域医療をずたずたにしたと言えます。
病院が病床削減を決意するのは、一つには看護師不足です。看護・介護従事者の低賃金・低待遇がそれを生んでいます。それは病院の経営努力不足ではなく、政治の不作為です。
つまり故意に、看護師不足を病床数削減に使っていると言えます。
もう一つは病床利用率の低下です。激しい病床削減にもかかわらずかなりの病院が利用率低下に悩んでいるところから考えれば、病床削減を上回る勢いで、国民の経済状態が悪化し受診抑制が進んだことが、もっと深い原因として存在することがうかがえます。
このことは、経済状態の悪化から生じる国民健康状態の悪化が深刻になっていることも意味するので、医療機関の危機つまり医療機関から国民に提供するサービスの減少の持つ意味は更に大きいと言えるかもしれません。

いま、政府では2040年を見据えた新しい地域医療構想の策定準備が進められていますが、若手医師数の減少が著しい山口県ではそんなことを構想する前に地域医療自体がなくなってしまうと思います。

現に宇部協立病院も救急告示病院として夜間休日の2次救急を引き受けていますが、その背景となる休日夜間の日当直体制を常勤医で組むことができず、8月で見ると39単位/45単位、87%が外部医師によるものでした。その半分以上が業者紹介によるものです。
今後、毎日二次救急を引き受ける急性期拠点病院と、毎日高齢者救急を引き受ける中小病医院とに役割分担が進むことも予想されますが、それぞれにその実力はなく、その役割が担えるかどうかも難しいところだと思えます。

ここから後退しないために、医療機関と県民・住民が力を合わせる必要があることはいくら強調しても足りないと思います。

できれば山口県の医療を守る県民集会や、県民会議結成なども視野に入れながら秋の闘いを展開していきます
理事の皆さんもそれぞれの持ち場で奮闘していただくことをお願いして、今回のご挨拶といたします。

なお、資料として「非営利・協同総合研究所 いのちとくらし」の研究所報 2025年8月号に、私の連載の最終回が掲載されたので添付しました。参考にしてください。

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2025年8月 7日 (木)

8月7日

午後6時過ぎてそのまま診察室で仮眠に陥ると、信じられないほどの盗汗にまみれて目が醒めた。8月6日の翌日だったからだろう。

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8月7日

午後6時過ぎてそのまま診察室で仮眠に陥ると、信じられないほどの盗汗にまみれて目が醒めた。8月6日の翌日だったからだろう。

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2025年8月 6日 (水)

自分たちにしかやれないことを自分たちでやっているのは、実は怠慢であり退歩なのだ

日本医師会雑誌2025年7月号に 鈴木邦彦さんによる
常陸大宮市での民間病院によるまちづくり実践のレポートが掲載されている。

民医連や医療生協でもない民間病院が、大胆に病院をコモンとして鍛えて、地域づくりの核になって行く例という話である。

これはむしろ、民医連や医療生協がこうしたことを自分たちだけしかやれないことと思い込まずに、どんな医療法人とも公共的な目標、つまりコモンづくりを共同できるのだという展望を指し示してくれるものではないだろうか。

自分たちにしかやれないと思いこんで、自分たちだけでやっているのは、実は怠慢であり退歩なのだ。

これは地域医療連携推進法人が政府の政策の道具でなく、医療をコモンにする様式になるのではないかという話でもある。

どこかの経営センスに優れたリーダーに率いられるのでなく、そのあたりの冴えない病院が力を合わせれば地域に命を吹き込めるという可能性。

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ドイツ農民戦争

整理も掃除もしない居間の隅に大月書店版のマルエン全集の一冊が長いこと放置されていた。

悪夢から醒めて起き出した夜更けにそれが気になり、やはり書棚に戻しておこうと思って埃を払うと、マルクスの「フランスにおける階級闘争」が収められている巻で、僕の若い頃の汚い字の書き込みがある。いやだなぁと思いながら他のところを見るとエンゲルス「ドイツ農民戦争」もある。つまり1850年頃の著作を集めた巻だった。

「ドイツ農民戦争」はちょっと気になる作品である。
柄谷行人「力と交換様式」2022年の序論で、柄谷がこれにふれ、「史的唯物論の創始者」として機械論的にものを考えがちのエンゲルスが示した別の側面の例として取り上げていたのである
(34ページ)。

それから、ジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る世界」2023年の第1章に、1350-1500年にヨーロッパでは封建社会が覆された革命的な自由な時代があり、生態系もめざましく回復したという記載がある。この時代が支配層の巻き返しで叩き潰され、資本主義が現れてくるのだが、その勃興する醜い資本主義に対する反抗こそが1524年のドイツ農民戦争であったとされている(53ページ)。そしてその敗北の過程をマルクスは資本主義の「本源的蓄積」の時代と呼んだのである。

ジェイソン・ヒッケルはエンゲルスの名前を出してはいないが、このように「ドイツ農民戦争」やその指導者トマス・ミュンツァーは、これからの時代を考える上で重要そうなのである。

読まないでゴミにしておいてもいけないと思って、優先順位はずっと後の方ながら、ぼちぼちとこれも読んでおこうと思ったのが今朝の話である。

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2025年8月 1日 (金)

秦恒雄「ひろひと天皇年代記 ー一九四五年八月ヒロシマ」琥珀書房2025年7月

なぜ米軍は、広島や長崎という地方都市を狙うのでなく、東京の千代田区あたりの中枢を相手が逃げるまでもなく急襲しなかったのだろうか。
もしそうしていれば、戦後を歪め、新たな戦争の準備にかかった巨大な旧悪の群れが生き延びることはなかったのに、と著者は言う。
それは、広島20万人の死者は終戦を早めてその後の数十万の他都市住民の死を防いだことになったのかもしれないというごく僅かな慰めをもっていた著者に直接明かされた、中枢は広島・長崎の如き取替可能な人民の損失で終戦を決めたのではなく、ソ連参戦こそが終戦の決定的動機だったという軍参謀の告白をきいたことによる絶望に基づく感想だった。
(これをうらづけるかのように、1975年の広島で「戦争責任などという文学的アヤを自分は研究していない。広島市民には気の毒だが原爆投下は仕方なかった」とひろひと天皇は語った。それはまさに無垢な良心の対極にあるどす黒い保身だった)
原爆を、あたかも抵抗し難かった天や自然の猛威のように考える戦後の現地風潮にも決して同意しなかった人の「オート・エスノグラフィ」。
これまで被爆体験記を敬遠してきたような人に必ず読んでほしい本である。2025年7月の復刻新刊。

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日本医師会雑誌7月号 特集「地域医療構想と地域包括ケア」

日本医師会雑誌7月号「地域医療構想と地域包括ケア」を読んでいると、ここのところの不勉強が身に沁みる。
政府側の政策を集中的に勉強したのは5年くらい前までで、しばらく興味を失っていたからである。

宇部にも縁がある江澤和彦 日医常任理事の寄稿からもハッと気づくことがある。

2024年の同時改定で
「生活に配慮した医療」
「医療の視点を踏まえた介護」
「高齢者施設と医療機関間の定期的情報連絡会議=介護施設の高齢者救急問題への注目」
とすでに、地域・医療・介護を包括的に捉える今後のキーワードが出ていたのだ。

2040年を見据えた今後の新しい地域医療構想では病床機能分類の「回復期」が「包括期」という名称に変わる。
それも中小病院が高齢者救急=地域急性期を担うだけでなく、早期リハビリ、在宅医療支援、高齢者施設支援を担うという意味にほかならない。これが「治し支える医療」の実態である。

たとえば包括期病棟と介護保険3施設は誤嚥性肺炎の発生などによる急変において①いつでも相談に乗る②いつでも診る③いつでも入院させるという協力関係を求められていく。

そのような包括期病棟に注目すると、今のような巨大2次医療圏の設定が疑問となる。それは急性期拠点を担う大病院に適合した区域設定である。大合併以前の市町村くらいが「包括期病棟」の守備範囲としてふさわしいとされる。

こういう記述を読んでいくと、やはり2015-2025年に展開された地域医療構想は、地域に医療崩壊をもたらした大失敗だったという認識がそこにあると推測される。それは正しい認識である。

そして過酷な病床削減にもかかわらず、一般病床・療養病床稼働率が低下し、介護保険3施設の利用率も低下している。
この稼働率・利用率の低下が病院や施設のかってない経営悪化を生み、「明日にでもあなたの近くの病院が消える!」と病院団体に悲鳴を挙げさせているのである。

これは雇用や賃金の悪化による国民生活の低落が受療抑制をもたらしていること、医療現場の破壊によってまともに働く医師・看護師他の医療労働者を失っているからと言う以外にあるだろうか。

「治し支える医療」ができる中小病院を軸にした地域生活・医療・介護の再建は、もともと民医連がやろうとしてきたことであり、旧地域医療構想の破綻を是正するため、そこに力点が置かれるのであれば、まさに望むところである。

しかし、問題は、今の多くの中小病院に、「新しい地域医療構想」のまともな側面を担う余力が残っているのかということである。ひとり民医連が力みかえっても、何をどうすることもできないレベルの話である。

つまり、こうして旧政策の破綻と、それに応じた新政策の行き先はほぼ明らかになった。問題は、それを正面から解決する中小病院の地力を高める展望をどう打ち出すかにかかっているとも言える。

医師不足がすぐに解消できないのであれば、ソーシャル・ワーカーやコミュニティ・ナースを増やして支援力をつよめるくらいからしか足を踏み出せないのではないか、と思う。

ともあれ、「地域医療・介護を救う中小病院・介護保険施設同盟」を、市民の力で下から作り上げられるかどうかなのだ。

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ケアの倫理カンファレンスのあいさつ用メモ

2015年から2025年の地域医療構想は高齢者排除の病床削減の強行で、医療介護を砂漠にしました。
人を見ないで、在院日数や介護報酬ばかりを気にするようになりました。
その反省から、もっと人と人との関係を大切にしようとしたのが、ケアという概念への注目です、
政府もその反省は共有しているらしく、2026年から始めようとする新しい地域医療構想では「治し支える医療」と呼ぼうとしています。
しかし人と人の支え合いを強くしようということは、陰性感情が湧いて来る人を平等な人間として支えるという専門性を求められること、同時に、なすべきことができないでいる自分に向かい合うことでもあります
このジレンマを意識する、言語化する試みがケアの倫理カンファレンスだと言えます。

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