2025.7.30 山口民医連理事会挨拶
災害的な猛暑が続いています。私が産業医を務めているある工場では、障害があってバスと徒歩で通勤している労働者が、始業まもなく気分が悪くなって病院に運ばれるということもあったそうです。職場は22度くらいの涼しさなので、労災ではないと判断したらしいのですが、通勤途上に熱中症を発症して、始業後に明らかになったわけですから、立派な通勤災害、つまり労災なわけです。私自身も朝から照りつけている中を自転車通勤しているせいか、始業後1時間位は調子が出ずに辛い感じが毎日しています。
県連4役会議では、まちなか避暑地、クーリングシェルターがもっと必要だという議論をしていますが、健文会のいろんな支部のたまり場が早速それに応じて頂いて、たまり場を地域にまちなか避暑地として提供するという試みも始まりました。災害的猛暑を逆手に取ってまちづくりの契機にするということであります。いっぽう病院・診療所などの事業所は、事業所であることが足かせになって、地域に施設をオープンすることができないという皮肉なことにもなっていますが、これは工夫が求められることではないかと思えます。
さて、今年2025年は、1947年から49年までに生まれた800万人という飛び抜けて大きい人口の塊である「団塊の世代」全員が後期高齢者になる年でありました。今は1年間の出生数が70万人前後で、3年間では200万人強ですから、800万人というとその4倍になる大きさです。この層を中心にした世代が、人口ボーナスという現象を作って、戦後の巨大な経済成長を実現しました。ちなみに2000年の出生数は120万人弱でその後も減少し続けていますから、日本社会の生産力が低下するのは当然のことです。
このことを背景にして、2025年は日本の医療政策にとって大きな節目でした。
2025年を見据えて2014年に「医療介護総合確保法」という法律を作り、2015年にスタートさせた「地域医療構想」の最終年が2025年でした。
一言でいうと、団塊の世代の後期高齢者化で増える医療需要を抑え込み、上意下達のピラミッド型の医療態勢が上から強力に作られた10年間だったと思います。
「機能分化と連携」という美名で病床が容赦なく減らされていきました。
その結果2015年の125万床は2023年には119万床に減少し、めでたく目標は達成されたことになっています。しかし、これは全国で6万床、山口県で3千床が減ったという程度の話ではありません。2015年当時は高齢者が増える2025年には152万床が必要と推計されていたのです。それから考えると実質33万床が無理やり地域から消し去られたことになります。
本当だったら、医療介護で働く人が増えて、地域の雇用もケアの方向に大きく流れができ、地域経済も自然に活性化したと思えます。
結論から言って「、この地域医療構想は大失敗だったと思います。
新型コロナのパンデミックのまえで無力をさらけ出し、いまは「医療崩壊」という事態を引き起こしたからです。
高度急性期・急性期病床を大幅に減らし、かつ入院日数を14日よりより短く、短くと誘導したため、該当した大病院では患者回転が速くなりすぎ医師・看護師の過密労働から大量の離職が生じています。有名大病院も相次いで病院閉鎖。病棟閉鎖に追い込まれています。
そして、救急の大半を占めるのは高齢の急性期患者であって、当然2週間では治りきらず、早めのリハが早期退院には必要という声も大きいなか、回復期(亜急性期)病棟に転院させられる流れになります。
しかし、そこの主流をなす中小病院は疲弊しきっていて、高齢医師が後継者の見込みもなく勤め、一人で多数の患者や検査を担当してろくに回診することもできないという現状です。
これは先日のNHKのドキュメンタリーで描かれた済生会江津総合病院もそうでしたが、国民の期待に応えられようはずがないのです。
さらに心身機能低下した患者は次の段階の慢性期病棟に向かいますが、介護療養病棟は廃止され医師のいない介護医療院や高齢者施設に変身しています。そこでは増悪時に蘇生しないでいいという誓約を迫られることも多いのが現状です。
そうなってしまった医療体制を、85歳を中心にする高齢者数が最大になり医療介護需要がピークになる2040年までにどう変えるのかというのが、今年これから開かれる通常国会で決まる「新たな地域医療構想」の法制化です。
御存知の通り参議院選挙で自公が過半数割れを起こし、自民党の中では石破首相が辞めるか辞めないかで騒いでいますが、これからの国会で、それが決まります。
「新たな地域医療構想」は従来どおり6年ごとに決める県の「医療計画」より偉いのです。
中長期構想として地域医療計画の上位概念だと決まる予定です。
そのなかで中小病院は、「回復期」改め「包括期」と称して、地域急性期・高齢者救急を担い、それに加え高齢者の在宅復帰、かかりつけ医の在宅医療支援、介護事業所の支援という幅広い役割が押し付けられることになります。
民医連が第3回評議員会方針案に書いている「リポジショニング」もそのあたりのことを意味するものとして強調して書いていますが、
しかしどこからその機能に見合う医師や看護師を持ってくるのか、生み出すのか、極めて疑問です。
そういう時に限って、総合診療がもてはやされます。アラジンのランプのようです。総合診療と唱えればなんでも解決するかのようです。
江津の報道の件もそうでしたが、市民の声は関係なしに、総合診療医が突然赴任して来て、全てが解決したかに描かれます。
しかし、総合診療を育てる土壌作りこそが必要です。国が総合診療を持ち出して来る時こそ、疑ってみなくてはなりません。
医療崩壊に瀕している地域医療の中にいる医療機関、医療従事者にどういう展望があるのかを今こそ真剣に考えなければなりません。
そのためには、地域医療を問う前に、地域を問う、つまり地域自体にどういう展望があるのかを問わなくてはならないと思います。
それは気候危機に立ち向かう地域作りであり、民医連が唱えつづけてきた「まちづくり」のいまの姿なのだろうと思います。
今日は兵庫県丹波市で41.2度という観測史上最高気温を記録しています。渇水もじわじわ進んでいます。これがどんなに恐ろしいことなのかしっかり見定めないといけないのです。
この展望について超駆け足で語って、今日の挨拶の終わりにしたいと思います。
第3回評議員会方針議案は、これを論じていないので、時宜に適した方針案とも、次期総会議論の足がかりにもならないと私は思っています。
展望と呼ぶには思いつきとして温めているものに過ぎませんが、あるべき地域構想は「国家を基礎自治体の連合として構想するこ」た、つまりミュニシパリズムなのではないかと思います。
国家との関係がこれまでとは逆転していることに注目してください。
そのために基礎自治体がどう変わらねばならないかというと、たとえば一つのモデルとして、評論家の内橋克人さんの言っていたFEC、つまり食糧・エネルギー・ケアを自給する地域経済構想などがあります。
しかし、実際問題として食糧とエネルギーの地一気での自給と民主化の壁は厚くて、現段階でプランを語るには程遠いものがあります。
唯一、突破可能なのはケアの地域的自給と民主化だと思います。
そこで期待できるのは、「コモン=共有財産としての医療・介護」の拡大による 地域-医療-介護複合体』の形成ということになるだろうかと思います
産業医大の松田晋哉教授の唱える「病院門前町」に外形は似ていますが、住民主権のあり方が真逆なのです。松田教授の構想では病院が主役で住民はお客に過ぎません。
民医連から始まって地域の中小病院や診療所、介護事業所を巻き込んで、それらを住民の共有財産に仕上げていく運動が、本当の地域構想、地域医療構想だとことです。
おそらく2040年まで、上からの「新しい地域医療構想」と、共有財産としての「地域ー医療ー介護『複合体』」形成の激しい競争が始まるのだと私としては思っています。
相当にわかりにくかったとは思いますが、今後こうしたことを語る時間が次第になくなっていきますので、あえて、今回の挨拶としました。
今日は、第3回評議員会方針案を中心に熱心な議論をお願いします。


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