« 「ケアの倫理」は「医療の倫理」や「正義の倫理」と対になる言葉だった | トップページ | 勢力圏思想・構想から抜け出す国際的協力、つまり新しいインターが必要だ »

2025年6月19日 (木)

無力であるという自由

ガザ、ウクライナ、イラン。
突然攻撃してきた奴らが「無条件降伏しろ」と喚く。
はぁ、1925年の日本なのか、お前は。
それにしても2025年の日本で誰一人、これらをコントロールできるものはいない。
どんなに優秀で、複雑な国際情勢を立板に水で語れる人も何もできない。TVの前で怒りを抑えられない僕は輪をかけて無力だ。
視点を変えて、
こういう状態に無限の自由を感じる人がいることを、白石正明「ケアと編集」(岩波新書)で知る。
それでいいのだ。本当に大事なことの前では、誰も無力で自由なのだ。
そこから始めていく。

|

« 「ケアの倫理」は「医療の倫理」や「正義の倫理」と対になる言葉だった | トップページ | 勢力圏思想・構想から抜け出す国際的協力、つまり新しいインターが必要だ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「ケアの倫理」は「医療の倫理」や「正義の倫理」と対になる言葉だった | トップページ | 勢力圏思想・構想から抜け出す国際的協力、つまり新しいインターが必要だ »