今日ー藤津章智市の死去と 山口県保健医療計画
今日は、大学卒業後に僕らの医療生協に就職し、退職して(安倍晋三氏の実家のある)日置町の町会議員になり、ずっと後には僕が彼の担当医を務めた長期療養時期もある藤津章智さんが、僕より10歳も若く亡くなったというのをFBで知ることから始まった。亡くなった病院に転院するための紹介状を書いたのも僕である。
僕が定期的に寄稿している『山口民報』を病床上で編集していた姿を思い出す。今月の締切が迫っているが、彼が編集してくれることはないと思うと、何を書こうかと思う。
午後は、医療生協の山口市事務所に行き、山口県からの出前講座として「第8次山口県保健医療計画」の概要を講義してもらう。
山口市事務所から見ると定期開催の「山口学」の一環である。
そこで思ったのは、「保健医療計画」と言っても、大目的は県民の幸福のためにあるのであって、「予防と医療」にとどまってはいられないということである。貧困と格差こそ健康破壊の最大の元凶なのだから、それと戦うことなしに県民の健康と幸福は獲得できないのである。
そのためには医療側に積極的に福祉に関わるセクションを実装する必要がある。
実は地域福祉室「メロス」設置はそれを示すための壮大な構想だった。
つまりは、多くの病院が、医療+保健(予防)に携わるだけでなく、貧困・格差との戦いの先頭に立つ福祉セクションを設置すると県民の安心が質的に変わるので、県はそれに援助を惜しんではならないことを示したかった。
例えば、各病院の雇用するソーシャルワーカーの人件費は助成するくらいの気概が望ましい。
そのさい、つくづく思うのは、県がどのように病院に支援を振り向けるかという戦略的課題である。
いまはやはり高度急性期を担う大病院への支援が突出している。地域枠で優遇する医学生の卒後の勤務先も公的病院に限られている。公的病院の中には美祢市立病院のような病院家庭医療を特徴にし始めた中小病院や僻地診療所も含まれているが、それは例外に過ぎない。
多くの人が考えるのは、大病院への医師集積を強めれば病院の競争力・医師吸引力もついて、山口県を去る傾向の顕著な若手医師を県内に引き止められるということだろうが、結局は大都市部の急性期大病院に勝てるわけがないので、残念な傾向は変えられない。
ではどうしたら山口県の医療の全体像に魅力を感じる若手医師を増やせるかというと、ヒューマンで個性に富んだ中小病院を育てることである。地域福祉室「メロス」が「自ら壁や限界を作らない住民支援」をしている宇部協立病院をその先駆けの一つと思ってほしい。
いまひたすら落日の途上にある中小病院が再び強くなれば、救急医療も潤滑さを取りもどす。疲弊のあまり「救急車、救急室利用」を自分たちの判断による有料制にしたいと考える大病院勤務医の気持ちも変わるはずである。
県は思い切ってそこを支援する必要がある。
そのためには山口県独自に「公的病院」の枠を広げつつ、意図的に中小病院の公共的な性格を高めて、それを積極的に「公的病院」に取り込み、若手医師配置の対象とするのがいい。公共的な性格の強い医療生協立の健文会の病院診療所はその時真っ先に上がる対象である。
中小病院の支援に格段の力を注ぐというスタイルは実は、県の戦略として普遍的なものである。
いろんな市町で比較的最近制定された「中小企業振興基本条例」は知る人は少ないかもしれないが、自立した地域経済づくりの大黒柱である。
中小病院振興はその主要な一環であり、次に制定されるべき「生活保障基本条例」を生んでいくものでもある。
以上のことを理解してもらえれば、深刻な貧困・格差と気候危機に直面している山口県において、先進的に「ケアの倫理」に貫かれた地方自治・住民自治を作って行く第一歩は、心の通う・個性ある中小病院育成にあることが見えてくるのではないかと思う。
そういうことを、1時間半考えた山口市事務所企画となった。
もちろん、病院に帰ってくると、留守の間に思いがけないことが生じていて、先程までその処理に追われるというおまけのあったのであるが。
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