ローカル政治新聞への寄稿
ローカル政治新聞への寄稿
今日は人口に膾炙する3つの数字について触れたい。8020,8050、8080である。それぞれハチ・マル・二イ・マル、ハチ・マル・ゴォ・マル、ハチ・マル・ハチ・マルと読む。なんとなく旧日本軍や自衛隊の時刻の呼び方に似ているのが気になるが。
「8020運動」は1989年に厚生省と日本歯科医師会が始めたもので、80歳になっても永久歯32本のうち20本が残る人を50%にしようというものだった。運動開始時は達成率わずかに7%だったのが、2022年には51.6%になり、次の目標が80%となると同時に、口腔機能の老化オーラル・フレイル防止が次の課題に浮上してきたという成功談である。しかし、最新の雑誌「月刊保団連」2025年4月号の特集は「追い詰められる歯科医師たち」となっている。相次ぐ診療報酬改悪で保険診療の枠内では必要な最低限の歯科医療が不可能となっているのだ。輝く8020の将来は実は暗いのである。
「8050問題」も深刻である。80代の親が50代の子どもの生活を支える状況を言う言葉だが、1980年代以降の青年の孤立、精神状態の危機、雇用の悪化、低賃金の蔓延、介護保険と年金制度の後退など、日本の社会保障の困難が全てここに流れ込んでいる。医療生協健文会の地域福祉室「メロス」が日々苦闘している事案の多くがこれに関連する。その意味ではこの言葉は表面的で軽すぎる気がする。
最後の「8080前提」は大半の人が知らないだろう。「前提」をくっつけたのが僕のとっさの命名だからである。厚生労働省は2029年以降に医師が過剰になるとして、今後の医師数削減を計画し、問題は「医師の偏在」のみとしている。そして、この政策における前提こそ、病院勤務医の「月80時間の時間外労働」と、開業医80歳引退なのである。つまり、これが「8080前提」なのである。どこにそんな医師によるケアを望む患者・国民がいるのかを訊きたい。
思うに、医師数の飛躍的充足は医師の労働条件だけの問題ではない。実は人類の切迫した未来にかかることだ。医療・介護・保育などのケアをはじめとして、教育、交通、住宅、食糧生産などが、単位となる地域経済の主力に位置づけられる時代こそ「資本主義の次に来る世界」(ジェイソン・ヒッケル)そのものなのではないか。そしてその実現はゆっくり待ってはいられない。到来が必至の大災害時代に間に合わせなければならない火急のことなのである。
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