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2025年3月31日 (月)

重い荷物を小舟に載せバランスを取りながら、日常生活という川を漕ぎ渡っていく人を、仮に「行人」とする

読みかけの本を久しぶりに開く。

そのページで何が問題になっているかすぐには思い出せないので意訳しながら抜書きしてみよう。

まず、重い荷物を小舟に載せバランスを取りながら、日常生活という川を漕ぎ渡っていく人を、仮に「行人」とする。病気は川の流れを遮るもので、行人は応えざるをえない。したがって病気も行人にとってはこなさなければならない人生の作業である。

患者となった行人の視点からその作業を見ることについては多くの研究がある。しかし、ここでは、病気に遭遇した行人の作業に対する医師の役割を考えたい。支えるのか壊すのか。

末期癌の19人へのインタビュー:行人と苦痛体験。
三通りの物語が浮かび上がる。
多くの行人は日常生活を維持する。乱流に影響はされながらも。
数人は日常生活が骨折したように止まる。病気の破壊性に圧倒されるので、小舟のバランスを維持するためには他者からの支援が必要だ。
一人の行人が過去のしがらみから開放されて始まる「末期の物語」を生む。生き直し。そこでは日常生活が支えとなって強化される。これこそが私が重要と思うことだ。

行人の誰もが病気の破壊性に組み敷かれてしまいながら、援助を求める人間だけにとどまらず、父や妻であるという他者を支える人間でもあるというコアな自己像を思い出す。
コアな自己像が錘になって、小舟はバランスを維持する。片方には支援があり、別の側には病気の脅威があるという日常生活のバランスが病気の行人に実現されるのである。

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2025年3月30日 (日)

2025年新入職員歓迎挨拶

4月になると新入職員が来るので、簡単な自己紹介を考えてみた。
その日までに忘れてしまうといけないのでメモしておこう。

皆さん、就職おめでとうございます。心から歓迎します。
毎年、いろんな挨拶を試みているのですが 今年は挨拶に代えて自己紹介しておくことにします。
①僕は73歳、今年50年目を迎える医師です。最近、仕事の途中で疲れたり四肢先端のしびれが強くなることがちょっと深刻ですが、仕事の総量は30年前と変わらなくやっているつもりです。ある領域ではスキルが毎年改善していると思うこともあります。①僕は73歳、今年50年目を迎える医師です。最近、仕事の途中で疲れたり四肢先端のしびれが強くなることがちょっと深刻ですが、仕事の総量は30年前と変わらなくやっているつもりです。ある領域ではスキルが毎年改善していると思うこともあります。対人や医療に関わる技量はゆっくりいつまでも向上しますから、みなさんも不断の努力を忘れないでください。

②病院のなかで今打ち込んでいるのは家庭医療学の勉強です。これは医師と患者が「本当に平等である」にはどうすればいいかを探るためにやっています。具体的には、どんな辛いことがあっても患者のこれまでの人生行路を維持すること、やむなく挫けていれば支えること、さらにはそこから新しい人生を始めることができるように並んで歩くことです。
時折、誰でも参加できる事例検討会をしたいと思います。

③病院の外では第一に貧困対策、第二に環境維持、とりわけ緊急なこととしては気候変動による災害に負けないための地域づくり、これを「二正面作戦のまちづくり」と呼んで取り組んでいます。
具体的には、医療、介護、教育、住宅、交通、農業など地域社会の共有財産を市民本位に厚く築くことです。
それをより深く考えるためジェイソン・ヒッケル「資本主義の次に来る時代」か齋藤幸平「マルクス解体」の読書会を市民と一緒に一年くらいかけるつもりで始めます。利潤と成長のための生産を根本的に変えることが必要だし、それは地方からしか始まらないのです。


④番外編で小説の読書会を続けたい。すでに韓国のハン・ガン「少年が来る」を1年以上かけで読み終えたが、次はガッサン・カナファーニー「ハイファに戻って」に取り掛かります。

どれか一つでも参加してくれる人が現れることを期待して、この自己紹介を挨拶に代えます。末永くよろしくおねがいします。といっても、僕に「末永く」は無理ですが。

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2025年3月26日 (水)

「山猫」

ルキノ・ヴィスコンティの1963年の映画は見ていないのだが、netflixの新しいドラマで、そのリメイク版らしい『山猫』を見た。

見終わって思ったのは、ドラマには全く関係のないことだったが、どこかではつながっているのだろう。

いろんな人生を同時に生きている。医師人生なら1976年、24歳の時に始まって、まだ続いている。子ども人生は1952年0歳の時に始まり、2021年69歳で父の死をもって終わった。
政治人生というものがあるなら1970年18才で始まっている。それについて思うのだが、「1970年代のおそくない時期に民主連合政府の樹立を」はその時強く刷り込まれた号令だった。
それは僕にとってずっと遠くで鳴り続ける太鼓のようなものだった。
しかし、それは終わらなければならない。器用にはできないが、50年後の今には今に相応しい太鼓がある。
それは「無数の草莽崛起(そうもうくっき)が世界を覆う」だろうかと、深夜考えた。

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2025.3.26県連理事会あいさつ

もうすぐ桜が咲きそうな陽気ですが、不気味な黄砂と、広がる山火事が心配な3月下旬となりました。
声が出にくくなる風邪が流行っていて、私も例外ではないので、今日はなるべく簡単なあいさつにさせていただきます。

この間、ずっと人口減少で衰退していく過疎の地方で、住民のいのちと暮らしをどう守ればいいのか考えて来ましたが、それに何か答えをくれるような本を読みました。

まだ42歳の経済人類学者ジェイソン・ヒッケルの『資本主義のつぎに来る時代』東洋経済新報社刊2023年です。日本ではさほど知られていませんが、欧米では超有名だと斎藤幸平氏が言っていました。先日、名古屋周辺の市民活動団体の主催する読書会にオンラインで参加しましたが、熱心に読んでみようという人がたくさんいました。みなさんにもぜひおすすめします。

そこで、私が得た仮の結論というのは、やはり、今後東京一極集中を強めて今の延長線上で生産消費を加速して経済成長を目指し続ければ、人類と自然環境の間の亀裂は深まり、ごく短期間で生存不可能な状況に陥るのは確実ということです。そしてそれを防ぐには、地方への分散を促進するしかないということです。

それを可能にするためには今ある地方の生活インフラを絶対に縮小しない、さらに拡大して地方分散を呼び込むことが欠かせません。
地方のインフラを拡大するというのなら、結局は経済成長路線ではないかと思われるかもしれませんが、決してそうはなりません。資源を浪費せず人類と地球を守りながら人間の活動範囲を別の次元で拡大することになります。医療介護、教育、居住、農業、交通など、一般にコモンと言われるものがインフラ拡大の主役です。
そこから、地球の環境を壊しても止まらない資本主義的な生産力拡大が大きく方向転換します。私達も生き延びることができます。
私たちがこれまで唱えて来た「まちづくり」とは結局これだったのだなと思うのですが、その意を強くする企画が3月23日にありました。渡辺治、後藤道夫、岡田知弘先生などを中心に進んでいる「新福祉国家構想研究会」の公開研究会なのですが。テーマは「生活保障基本条例」案でした。
地方自治体の存在する目的を住民の生活保障におくことを宣言する基本条例を制定しようということです。
つまり、新福祉国家構想の当面の課題は地方自治体なのです。東京都杉並区の岸本聡子区政の影響もあって、地方自治体から日本の社会を変えていく、そのなかで国家も変わるというように戦略が変化してきているのではないかと思います。これをミュニシパリズム=地方自治体主義と呼びます。

そう考えていると、実は見逃せないことがここ山口でごく最近あったことに気づきました。
3.22の上関原発反対山口県民集会での、田布施町会議員 小中進さんの挨拶が話題を呼んでいることに関連するものです。

実は、小中さんは元田布施町会議員だったのが山口県議会議員になって、2023年の選挙で落選した人です。上関原発建設反対運動の現状を知るということで県連の「宇部学(山口学)」にもお招きしたことがありますが、上関での使用済み核燃料中間貯蔵施設建設計画に地元の田布施町で反対するため、今年2025年2月2日の田布施町議会選挙で、定数12名中6名の反対議員を誕生させたのです。6名のうち最後の候補は2年前の県会議員に落ちたばかりの自分だったということです。
3月21日に田布施町議会での中間施設貯蔵反対決議の模様と、県民集会での小中さんの発言をこれから動画で見てもらいますが、足元の自治体から日本を変えて行けるという震えるような予感を感じてもらえるのではないかと思います。

今日は部会に分かれて議論しますが、担当部門だけでなく、ぜひ県連活動全体についてもしっかり議論していただきたいと思います。ではよろしくお願いします。

https://www.shinshunan.co.jp/news/politics/other/202502/039329.html

https://www.asahi.com/sp/articles/AST3P4253T3PTZNB01BM.html

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2025年3月21日 (金)

AIと私 : 画家ルドンと宮崎駿について

孤独の色が深いルドンという20世紀初めの画家に興味があったので、Geminiに質問すると以下のような返事。これは僕に迎合しているのかな

「宮崎駿監督がフランスの画家、オディロン・ルドンから影響を受けている可能性についてですね。
宮崎駿監督の作品は、世界中の様々な文化や芸術から影響を受けていると言われています。オディロン・ルドンは、象徴主義の画家として、幻想的で神秘的な作品を数多く残しており、その独特な世界観は、多くの芸術家に影響を与えてきました。
宮崎駿監督も、ルドンの作品からインスピレーションを受けている可能性は十分に考えられます。例えば、
* 幻想的な世界観: ルドンの作品に共通する、現実離れした幻想的な世界観は、宮崎駿監督の作品にも通じるものがあります。『千と千尋の神隠し』や『ハウルの動く城』など、宮崎作品に登場する不思議な風景やキャラクターは、ルドンの絵画を彷彿とさせます。
* 光と影の表現: ルドンは、光と影のコントラストを効果的に用いて、幻想的な雰囲気を醸し出すことを得意としていました。宮崎駿監督も、光と影の表現にこだわりを持っており、作品の中で印象的な光の描写を数多く見ることができます。
* 内面世界の探求: ルドンの作品は、人間の内面世界や精神性を深く探求している点が特徴です。宮崎駿監督も、作品を通して人間の心の奥底にある感情や葛藤を描いており、ルドンと共通するテーマを持っています。
ただし、宮崎駿監督自身がルドンからの影響について具体的に語ったという情報は見つかりませんでした。しかし、宮崎駿監督の作品に込められたメッセージや表現方法を考えると、ルドンの作品から何らかの影響を受けている可能性は否定できません。
宮崎駿監督の作品とオディロン・ルドンの作品を比較してみると、新たな発見があるかもしれません」

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二段階革命論のその後

ブルジョワ革命がプロレタリア革命の直接の序曲になるということ、つまり現在も残る二段階(連続)革命論の起源は、マルクス&エンゲルス『共産党宣言』(1848)の最終部分にあり、これはプレハーノフ、レーニン、ブハーリン(=コミンテルン)さらに日本の講座派、宮本顕治に引き継がれていく。

しかしその後、同書のロシア語版序文(1882)では、ナロードニキへのエールのような「ロシアの農村共同体から、資本主義を経ずに、共産主義的な共同所有に直接移行する」ことの可能性が示唆される。エンゲルスもこのときはこの立場だった。

ただ、このときすでにロシアでの資本主義の発展がそうとう高度に進行していたので、プレハーノフ、その後立場を変えたエンゲルス(1893年頃)、さらにレーニンはロシア語版序文の立場を取らなかった。
森田成也訳『共産党宣言』(光文社文庫)の森田成也による解説ではそう書いてある。

では、1883年3月14日に64歳で死亡するマルクスがもっと長生きしたらどう考えたかというと、ロシア語序文の立場を強めていた気がする。これは森田解説の10年後予想と逆だが、齋藤幸平の『マルクス解体』での脱成長コミュニズム論を読むとそう思えてくる。

さて、日本に視点を変えると、明治維新から明治資本主義に行かないで違う社会にならなかったものだろうか。
自由党、秩父困民党、中江兆民、幸徳秋水、大石誠之助をたどるような線は引けないものだろうか。

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「各人はその能力に応じて働き、各人はその必要に応じて受け取る」

「各人はその能力に応じて働き、各人はその必要に応じて受け取る」というフレーズは多く誤解されている。
前半は能力の多様性に立脚する平等を強調したものである。
後半は、必要についての理性的制御を求めている。つまり、自然と社会的生産力の間の亀裂を防ぐ理性の発達によって自らの必要を取捨選択できるということである。
この理性を獲得することが必然から自由への飛躍なのだ。

*これはエンゲルスの、自然法則を知ることによる「必然の国から自由の国への人間の飛躍」論に似ている。よく知られるマルクスの「労働から解放される自由の国」論のほうが、後にマルクス
自身から否定される古いマルクスなのではないか。

 

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2025年3月19日 (水)

リアルな認識

①民医連の幹部層においても大半が「就職してみたら民医連だった派」に置き換わっている。良くも悪くも民医連を外から見ている人たちである。そういうなかで民医連の方針については一切の惰性(慣習に従う押し付け)は許されず、常に平等な議論の俎上になければならない。
②資本主義による地球と人間の破滅的な破壊を避ける方向に地域社会を変えるには「総力戦」が必要で、民医連は重要ではあるがあくまでその一翼にとどまる。総力戦の戦線構築は不可避な課題である。

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2025年3月13日 (木)

徳とか共通善とか

人間は平等であるべきだ、というのが人間の社会が行き着いた、証明不要の公理なのだろう。

そういう約束事のような公理を認めず、個人の認識の精緻さを徹底して正義の原則を抽出しようという試みはあったが、結局は平等を公理とせざるをえなかった。
(それを徹底できなかったところから、新自由主義の跋扈を許す、最後にはトランプの出現を許すという敗北に陥った)
個人を超越する共通善や徳というものは、平等以外にはないのではないか。逆に言えば、平等だけが超越的で普遍的な徳や共通善ということになる。

平等をどのような経路で達成しようとしたか、あるいは排除しようとしたかが、その社会の特性である。

もし日本社会の歴史というものが考えられるのであれば、それも平等がどう現れて消えたかによって表現されるのではないか。

民医連の歴史も、日本社会の平等志向の一端である。平等志向はずっと歴史をさかのぼっていけるから、民医連の先行者もどこまでもさかのぼって発見することができるはずだ。

そのとき、見つけるのは、直線的な発展ではなくて、繰り返される類似の試みなのではないか。

明治時代の末期にいた大石誠之助には家庭医療学を見つけるし、
江戸時代の三浦梅園や、鎌倉時代の忍性には、「住み続けられるまちづくり」「住民自治」への挑戦を見つけるだろう。

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2025年3月10日 (月)

ローカル政治新聞の連載エッセイ2025.3.12

前回でも触れたが、熊本民医連で水俣病のため奮闘している藤野糺医師も高岡滋医師も山口県出身者である。高岡医師は県東部の高水高校出身で、山口大学医学部1985年卒である。卒業前年に水俣の見学に訪れたことをきっかけに、卒業後は山口民医連でなく熊本民医連に入り、はやくも1987年には藤野糺医師が水俣診療所から発展させた水俣協立病院に勤務している。

その高岡医師が2022年に大月書店から『水俣病と医学の責任 ―隠されてきたメチル水銀中毒症の真実』を出版した。この本は2023年の「日本医学ジャーナリスト協会選定優秀賞」を受賞した。メチル水銀による大脳・頭頂葉皮質の中枢性障害でありながら、症状は四肢末梢優位の全身性の感覚障害を呈する水俣病の特異な病像が丁寧に説明される。原田正純医師の岩波新書「水俣病」1972年の現代版とも言える優れた解説書である。その一方、実際に患者を診ることなく裁判で証言したり、行政と一体化する中で世紀の大公害の幕引き係を務める権威的な医師たちへの批判は厳しい。2023年の某学会誌には熊本大学側の反論書評も現れたが、無内容に近く反論と言えるものではなかった。

しかし、この本を読みながら、僕も内心忸怩とすることが多かった。民医連の一員として水俣に近いところにいながら、全体像が見えていなかった。その例はいくつも挙げられるが、ここでは一つだけ振り返っておきたい。

実は、高岡君より10年早い1975年に、学生の僕も2泊3日の見学に行っていた。後に病理医となるY君が快く同行を了承してくれたのは懐かしい。水俣診療所では藤野先生が二人の相手をしてくれ、漁民部落の集会で「これから水俣病に取り組んでくれる医学生」と紹介され拍手を浴びた。

だが、今になって気づくのだが、水俣診療所が開設されたのはその1年前の1974年で藤野先生も余裕のある日々ではなかったはずだ。見学終了の日の昼、水俣駅前の寿司屋で藤野先生と何故か喧嘩になった。「水俣からも学びながら山口で民医連を作りたい」とのんきに言う僕に、藤野先生は「それは違う、今は何より水俣に力を集中させる時なのだ」と急に怒り始めた。そういう覚悟でなくてなぜ水俣に来るのかということだったのではないだろうか。藤野先生の思いに正確に応えたのは10年後の高岡君だったのである。

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2025年3月 7日 (金)

トランプ現象は普遍的だ

民医連も、内部の階層分化が過度になれば、容易に能力主義に乗っ取られる。
それは職員下層の賃金を職員上層の賃金に転移するという分断である。

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トランプ現象は普遍的だ

民医連も、内部の階層分化が過度になれば、容易に能力主義に乗っ取られる。
それは職員下層の賃金を職員上層の賃金に転移するという分断である。

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東洋経済のマイケル・サンデルインタビュー

https://www.youtube.com/watch?v=xtc6oa5o6gA


サンデルのこのインタビューは、アメリカの民主党だけでなく、日本の左派にも復活の道筋を示す良いものになっていると思う。必要なのは高学歴層からの、ブランド大学を卒業することのなかった労働者階級、とりわけエッセンシャル・ワーカーに対する敬意と尊重の初心なのである。


左派の医師にとってもこれは当てはまる。内輪のテクニカルな話題で盛り上がり、キャリア形成に余念のないスマートな青年医師たちにも少しは考えてほしい。
気づけば足元は掘り崩されている。誰も左派の味方ではない。
たとえば看護師集団、医療技術者集団の上層に全く左派がいなくなっていることなど気づいているだろうか。

左派の医師と経営幹部はエッセンシャル・ワーカーにきちんと敬意と尊重を捧げて味方にしようとしてきただろうか?

自分たちをエッセンシャル・ワーカーに含めてしまうことでこの問題を蔑ろにしなかったか?


そもそも、それは何らかの手段(マニューバー)というより、左派の医師の存在理由に深くつながった態度なのである。
民医連が「ケアの倫理」を唱えているのも、突き詰めて言えば、医師層や経営幹部層が、看護師、看護助手、医療技術者、介護士、一般医療事務員、清掃員たちに敬意を表し、平等性を達成するということにほかならない。最初の関門は、ケア・ワーカーの倫理でなく、医師の倫理なのである。

そのために医師は患者との平等を特徴とする家庭医療学を学び、それを組織論に拡張しなければならない。

左派が内輪もめする要素を減らさないといけない。脱成長論の安易な否定、性自認をそのまま性別の制度化につなげることへの支持、買春容認に向かうセックス・ワーカー論への支持、これらについての自由な議論を抑圧する権威主義的態度などが大きな障壁になっている。

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