重い荷物を小舟に載せバランスを取りながら、日常生活という川を漕ぎ渡っていく人を、仮に「行人」とする
読みかけの本を久しぶりに開く。
そのページで何が問題になっているかすぐには思い出せないので意訳しながら抜書きしてみよう。
まず、重い荷物を小舟に載せバランスを取りながら、日常生活という川を漕ぎ渡っていく人を、仮に「行人」とする。病気は川の流れを遮るもので、行人は応えざるをえない。したがって病気も行人にとってはこなさなければならない人生の作業である。
患者となった行人の視点からその作業を見ることについては多くの研究がある。しかし、ここでは、病気に遭遇した行人の作業に対する医師の役割を考えたい。支えるのか壊すのか。
末期癌の19人へのインタビュー:行人と苦痛体験。
三通りの物語が浮かび上がる。
多くの行人は日常生活を維持する。乱流に影響はされながらも。
数人は日常生活が骨折したように止まる。病気の破壊性に圧倒されるので、小舟のバランスを維持するためには他者からの支援が必要だ。
一人の行人が過去のしがらみから開放されて始まる「末期の物語」を生む。生き直し。そこでは日常生活が支えとなって強化される。これこそが私が重要と思うことだ。
行人の誰もが病気の破壊性に組み敷かれてしまいながら、援助を求める人間だけにとどまらず、父や妻であるという他者を支える人間でもあるというコアな自己像を思い出す。
コアな自己像が錘になって、小舟はバランスを維持する。片方には支援があり、別の側には病気の脅威があるという日常生活のバランスが病気の行人に実現されるのである。
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