2025年2月開催の全日本民医連第46期第2回評議員会方針には「ケアの倫理」が、これまでにない詳細さと熱さで説かれている。今後、民医連の理念に「ケアの倫理」が合流し、一体のものとなっていくことは間違いないように見える。これについては連載第3回で触れた。しかし、まさにケアの実践と言うほかはない医療や介護の現場に「ケアの倫理」をどう活かしていくかはまだ手探りの状態だという気がする。
民医連が「ケアの倫理」を実装するには、もう一つの合流が必要だというのが今回書いておきたいことの半分である。結論から言うと、「ケアの倫理」を診療のなかで実現する枠組みが必要で、それが家庭医療学との合流の中で見いだされるということである。
しかし、それを超えて新たな目標も見えつつあるというのが残りの半分である。「人新世」における健康障害の外部要因の激化、最終的には人類の絶滅の危機のなかで、民医連はどう絶望感に満ちた未来論を変える可能性を見つけるのか。その終わりで私達に馴染み深い莇昭三先生の「共同の営み」の発展と、もう一つは「下からの自治」つまり本当の自治の必要性を発見するのではないかと思う。
家庭医療・家庭医療学とはどういうものか。最近の街には「ファミリー・クリニック」を名乗る開業医も少なくない。「近所にいて、家族まるごと、どんな健康問題でもずっと継続してお世話します」という理想を掲げているように見えるが、どこがこれまでの開業医院と違うのだろうか。また、人口減・高齢化のなか単身高齢世帯が増え家庭も消えつつあるときに、なぜ「ファミリー」なのかという疑問も残る。
私自身は50歳台の遅くに家庭医療学の存在に気付き、まだその周辺から観察している者に過ぎないが、家庭医療学の創始者というべきイアン・マクウィニー(1926-2012,イギリス、後にカナダで活動)の『家庭医療学』(葛西龍樹 草場鉄周訳、パーソン書房2013年)も参照しながら家庭医療について簡単に説明しておきたい。ただしマクウィニーはイギリスと北米中心に述べているので、そのまま日本に当てはまるものではない。
家庭医療の担い手である家庭医はもともと「一般医」と呼ばれて19世紀から20世紀前半までの医療の主役だった。そうなるまでは少数の大学卒の医師と多種多様のヒーラー(治療者)が存在した。外科医は理容師、内科開業医は薬種商、歯科医は香具師由来だと言われる。しかし、次第に処方学(薬学)・外科・助産術を併せて学ぶことが医師の条件となって行き、「一般医」の形が出来上がる。前回に触れた、和歌山県新宮市の医師 大石誠之助も19世紀末にアメリカ西北部のオレゴン州で内科、カナダのモントリオールで外科を学んで一般医となり、帰国して開業している。まだ米国の医学校が整理されず乱立していた時代のことだったと推測される。
しかし、その150年後の20世紀中頃には科学技術革命が医療に及び、医療技術が急速に高度化した。猪飼周平『病院の世紀の理論』有斐閣2011年に倣っていうと、医療には「大病院の世紀」が訪れた。医師は臓器別・疾患別・領域別に専門分化して大型化した病院に集まり、医師を補助する職種が次々生まれ、複雑な病院構造ができあがった。その陰で「一般医」は専門医になれなかった能力の低い医師とされた。
しかし、「大病院の世紀」は主として二つの理由で行き詰まる。 一つは医師―患者関係の崩壊である。大病院に収容された患者の無権利状態から引き起こされる医師患者間の対立の深刻化したためである。 もう一つは細菌感染症治療の発展によって疾病傾向が変化して、成人病が重要性を増し、病院外のヘルス・ケアの重みが増したことによる。
その後、成人病は健康習慣病と言い換えられて、健康の自己責任の意味合いが強調されることとなるが、これをぐいっと健康格差を生み出す社会格差という外部要因に向けさせたのはマイケル・マーモット、イチロー・カワチら公衆衛生学者からの強力な働きかけだった。健康の社会的決定要因「SDH」としてすっかり現代に定着したこの概念は、新自由主義がふりまく健康自己責任論に真っ向から挑戦し、医療現場に影響を与え始めた。
これらを背景に、大病院の医療が解決できない問題の解決を自らの役割と自覚する「一般医」が生まれ、臓器別・疾患別・領域別の専門医と対等な自らの専門性を探り始めた。
その時、彼らが選んだ名称が古臭い「一般医」でなく新鮮な「家庭医」という名称だった。19世紀の「一般医」と違って、病院の外に広がる人々の日々の生活や労働、産業、社会を自らの活動の対象にしようという自覚は新しい名称を求めたのである。振り返れば、大石誠之助は当時の医師のあり方に飽き足らず、1904年に「太平洋食堂」を開き社会的活動を始めているので、すでに今日の「家庭医」を先取りしていたのである。
しかし、社会の変化はその名称を追い越してしまう。先に述べたように単身高齢者の増加が進み、家庭機能が失われた時代に挑もうとするのが「家庭医・家庭医療」だという事態が生じる。これを「解釈改憲?」で乗り切るなら、医療機関が人々のファミリーになるのが家庭医療だと、意味を反転させることになるだろう。そして医療機関は住民にとってのもう一つの「ホーム」だということになる。
ファミリーからホームへという変化は2007年に米国内科学会、米国家庭医療学会を含む4医学会が 「患者中心のメディカルホーム(Patient-Centered Medical Home:PCMH)」という概念を提唱したことにも現れていると思える。日本では2015年には藤沼康樹先生たちによって日本内科学会雑誌第104巻で詳しく紹介された。クリニックを「包括的なプライマリ・ケアを提供する」,「患者とかかりつけ医,さらに家族も含めた協力関係を促進する場」として、いわば住民の「医療的ホーム」にしていこうという呼びかけである。
家庭医療学の中身に触れていくと、代表的な方法論として「患者中心の医療技法」が挙げられる。
この「患者中心の~」というフレーズは、「お客様本位」を謳う商業主義と容易に混ざり合って、あまりに多用され、陳腐になっている。例えば慶應義塾大学病院のホームページには「患者中心の医療」の説明図がある。患者さんを中心に医師、看護師、薬剤師など各職種からなる10人が円になっている。しかし、これは病院の職種紹介でしかなく、どのように患者が中心にいるのかはどこにも説明されない。そうした「患者中心~」と区別されなくてはならないが、「患者中心の医療技法」は起源も命名者も明確で、いわば固有名詞に近い。それは家庭医療学の創始者というべきマクウィニー率いるカナダの研究者たちが、当代きっての優れた南アフリカの家庭医レーベンスタインを招き、その診療をつぶさに観察した結果として1986年に定式化された。
「患者中心の医療技法」は以下の4つの構成要素からなる。①医学的な「疾患」と患者の「病体験」の双方を把握する、②患者の人間関係全体を探る、③患者-医師間の共通基盤を作り意思決定を共有する、④患者と医療者間の相互信頼を深める。
2000年頃に「患者中心の医療技法」を知ったとき、「疾患」と「病い」の区別は私にとって衝撃的だった。これは有名な精神科医・医療人類学者でもあったアーサー・クラインマンの1978年の論文に起源を持つものだということは後で知った。客観的な存在に見える診断名はただ一つでも、患者にとっての「病い」の姿は無限にある。それを知ることなく行なっていた医療がいかにも単純で粗雑なものに思えた。しかし、藤沼によると、この技法のより本質的なところは共通基盤形成と意思決定の共有のほうにあるという。
これは、大病院の医療の最大の弱点でもある。たしかにインフォームド・コンセント(情報を与えられた上での同意)が普及し、医師が行なう「IC」と略称されるその誤用も世にあふれているが、どちらにしても、それは体(てい)の良い患者の「マイルドカツアゲ」でしかないように思える。この若干危なげな用語は森田達也・明智龍男『死を前にしたひとのこころを読み解く 緩和ケア÷精神医学』医学書院2024年によっているが、現場の実態をよく示している。
そのようなものを超えて、医師―患者間の共通基盤形成が行われるために上記①②④が必だとするのが「患者中心の医療技法」である。「患者中心の医療技法」が仮に「共通基盤形成を目指す医療技法」とでも名付けられていれば、あれこれの「患者中心」に紛れ込むことなく普及がもっと幅広くなったようにも思える。
これに加えて、上記のSDH(健康の社会的決定要因)は「患者中心の医療技法」に取り込まれて、医療・保健上の政策形成だけでなく、医療現場での活用も可能となったのである。
以上を別の言葉で表せば、家庭医療学は患者の主体性の探求の医療であるとも言える。これはイギリスの家庭医クリストファー・ダウリック(Christopher Dowrick)に拠っている。その著書『Person-centered Primary Care』(Routledge社 2018年、邦訳なし。題名をあえて訳せば『個人中心のプライマリ・ケア』)は患者を、疾患でも、抽象的な人でもなく、一つの人生を生きるかけがえのない個人つまり主体として捉えるということを強調する。病気という患者の主体性の危機の中から回復し、周囲の人々との相互依存の中で主体性を再生することが医療の目標となる。孤立した人を様々な小集団につなぐ「社会的処方」を重視するのはそのためである。
ここまで書いてくると、連載3回目、および今回の冒頭で述べた「ケアの倫理」を医療の場で実践するということと、今日の家庭医療の目標の重なりは自明のことのように思われる。
ただし、そこでは「患者中心の医療技法」の本質は④患者と医療者間の相互信頼を深める」に移動すると思える。
そのための具体的な仕組みを医療現場に設置することが大事だ。私自身は、アウトリーチに徹して患者とその周辺の伴走支援に専念する「地域福祉室」を一つの事業所に準じる形で立ち上げた。言ってみれば重心を医師から社会福祉士の方向に少し移動させたのである。
このようにして「ケアの倫理」と家庭医療を一つのものとして学びながら、現場で創造的に鍛え上げていくことが民医連医療の次の理念を生むと私は予想している。
しかし、それはまだなお「個人」と社会の関連、両者間の亀裂の回復を論じているにすぎない。「人新世」という時代認識を得てみると、SDH(健康の社会的決定要因)の向こうに、もっと直接的で強力な健康阻害要因群が押し寄せているのが見える気がする。資本主義が発生後500年の間に積み上げて来た社会と自然の間の亀裂の致命的な拡大によるものである。 マイクロ・ナノプラスチックやPFASによる健康障害はそのごく一部である。それより早く気候変動による水害・旱魃・海水面の上昇など直接的な被害が複合的に生じる危機は日々強まっている。
そしてまさにそういう時に、それを増幅するものとして2025年から始まるトランプ政権の諸政策がある。アメリカの覇権がさらに縮小し、複数の大国が合縦連衡し、世界中の各地で軍事力がことを決め、弱小国・弱小民族からの略奪が激化する政治状況が現れている。国連の弱体化も著しく、解散を予想する人も現れている。それはあたかも、大石誠之助が生き、処刑された20世紀初頭の再現のようである。齋藤幸平はベストセラー『人新世の「資本論」』集英社新書2020年で未来の選択肢を①気候ファシズム ②野蛮状態 ③気候毛沢東主義 ④脱成長コミュニズムとユニークに分類してみせたが、その中では①か②に当たるだろう。
こういう絶望的な未来図に民医連はどう反撃していくのだろうか。とはいえ、「民医連はどう反撃するのか?」という設問はとても滑稽なものに見えるかもしれない。全人類的な課題に、日本の民間の一医療団体が何らかの構想を持ちうるものだろうか。その感想は当然と思うが、実は今の日本で可能性のある反撃は、もしかすると民医連にしか望めないのではないかと考える。なぜなら民間にありながら「まちづくり」を継続的に探求し、今後も発展させられる立ち位置にあるからである。
もちろん全国的な視点で兵器生産、石炭・石油・原子力発電、個人用ジェット機などの奢侈品の生産は制限しなければならないが、一定の地域を単位にした医療・福祉・教育、農漁業、公共交通、再生可能エネルギー生産の営為は格段に増やさないといけない。上からのお仕着せに束縛された地方自治体の強化ではなく、生産者協同組合、消費協同組合、サービス協同組合など様々な協同組合が協力しあって下からの「公(おおやけ)」「本当の自治」の創造していくプロセスこそが、これからの「まちづくり」である突飛と思われるかもしれないが、網野善彦の説く中世の「公界(くがい)」の再生といえばわかりやすいものかもしれない。実践的には、すでに多く地方自治体に広まっている「中小企業振興基本条例」、今後広まるであろう「生活保障基本条例」案を足がかりに、エネルギー・食糧・ケアを自給できる地域めざした変化の積み重ねになるだろう。
そのような変化を、すでに自らの生産・労働手段を所有していることを利点として唱道していくことのできるのが民医連である。
それは、莇昭三先生が1984年に唱えて民医連全体に定着した「共同の営み」のアップデートと呼ぶのがふさわしい。
もちろん、「ケアの倫理」や家庭医療との合流の中にも患者と医療従事者の「共同の営み」があった。それは新自由主義が作りだした個人と社会の間の亀裂を回復しようするものであったが、いま展望する「共同の営み」は、資本主義そのものの結果としての社会と自然の間の巨大な亀裂を回復しようとするものである。両者は次元の違う課題であるが、「共同の営み」と呼ばれて統一される可能性はある。
そのような民医連の医療理念が誕生する可能性はあるし、そうなれば絶望的な未来図に民医連はどう反撃するかという設問への回答もありえるのである。
そのあたりを展望して、5回に亘った連載を終了する時期が来ているが、なお今後の中心的理念になるだろう「ミュニシパル・ソーシャリズム」(municipal socialism 地方自治体主導の社会主義)その他についてはホロンが必要と思えるので、次回もお付き合い願いたい。
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