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2025年1月29日 (水)

2025.1.29 県連理事会挨拶  

2025年最初の県連理事会になります。遅ればせながら、改めて あけましておめでとうございます。

アメリカの大統領の交代に伴う混乱があまりにも大きく、未来への不安が広がっています。

私達としては、戦争反対を始めとして、生存可能な環境の維持、生活可能な社会の維持のために、いまこそ協同を強くするべきときに来ていると思います。「トランプの世界」に対する不安ばかり口にしないで、いま考えるべきこと、いまするべきことに集中して行きたいと新年にあたって思います。

2025年1月公開のイギリスの医学雑誌「ランセット」に発表された論文によると、イスラエルの攻撃による死者の数はパレスチナ当局の発表よりも2倍近く多く、24年10月の時点で7万人を超えたとされています。死者の6割は女性と子ども、高齢者で占められます。

https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0140673624028101

さらに医療崩壊による死亡、衛生状態の悪化や飢餓による死亡など戦争関連死はこれに含まれないため、合計すると20万人近いと推測されます。
ガザ全体の人口が220万人ですから人口の1割近くが2023.10.7以降に失われたと思えます。
その結果、ランセットの論文では戦争開始から1年で平均寿命が30年短縮し、戦争前の半分になったとしています。
トランプ政権はガザ住民の隣国エジプト・ヨルダンへの移動を計画していますが、これはパレスチナ国家確立の展望をなくし、住民を本来の居住地から追放することにほかなりませんから論外の話です。

県連としても、正確にパレスチナやウクライナの情勢を掴み、戦争反対の声を上げる機会を持ちたいと思います

次に、環境問題も重大な曲がり角に来ています。アメリカが再びパリ協定やWHOから抜け、気候危機やパンデミックに対する対策が進められない事態に至っています。
振り返ると1990年頃、「これからは成人病、生活習慣病だ」とすっかり内向きになった医療者の目を、ぐいっと外側の格差社会に向けさせたのが、SDH(健康の社会的決定要因)だったろうと思います。しかし、いまからはそれだけでは足りないと思います。
「人新世」が健康に及ぼす破滅的影響、つまり巨大な外因性健康破壊が急に顕著になると予想されるからです。

2024年3月にアメリカの医学雑誌「NEJM」には、頸動脈プラークの6割にマイクロ・ナノプラスチックが認められ、認められた人たちは脳血管、心臓事故が多かったという論文が掲載されました。マイクロプラスチックの健康被害が証明され始めたと思えます。PFASによる水道汚染も広がっていますが、小児の発達障害など神経系への影響が指摘されており、重大に捉える必要があると思えます。

家庭医療の権威でもある藤沼康樹先生の述懐によると、1980年代に民医連に入ってきた青年医師の関心を捉えていたのは主に公害問題だと言えます。

健文会50周年記念誌が編まれ全国の関係者に送付されましたが、京都民医連中央病院の名誉院長で『七三一部隊と大学』(2022年 京都大学学術出版会)という重厚な著書もある吉中丈史先生から連絡がありました。記念誌の初めの方に山口健康文化会に先行する周南診療所が「徳山水俣病」に取り組んだという記載があるが、詳しく知りたいという話でした。実は吉中先生は熊毛南高校の卒業生(整形外科の小野先生も同じ高校ですが)で、父君は光の日新鋼管に勤務されていたということで関心があるとのことでした。

「徳山水俣病」について最も精力的に報道したのは、他ならぬ『山口民報』で、縮刷版にあたることができれば分かるだろうと答えましたが、あわせて急にいろんなことを思い出しました。

1973年6月に徳山曹達・東洋曹達から合計508トンの水銀(これは未回収量としては 水俣を上回る)が徳山湾に放出されたままになっていると行政当局が発表し、さらに周辺漁村に数人の水俣病類似の患者がいるということで山口県は緊張に包まれたのです。その頃の夏の日、櫛ケ浜にあった周南診療所事務長の中村さん―後に新南陽市会議員になりました―から、患者さんの一人が熊本大学医学部神経精神科の立津政順教授の診察を受ける機会を得たので、医学生として立ち会わないかと言われました。立津先生は、水俣病では最も有名な原田正純医師や、後に新設の熊本民医連・水俣診療所に赴任する藤野糺医師の恩師に当たる高名な教授でした。(なお藤野糺医師も後継者の高岡滋医師もなぜか山口県の出身なのです)

 夜行列車で熊本駅に着いたのは午前3時くらいで。街外れの熊本駅から中心部の熊大病院に歩き、当時は出入り自由の広い待合室のベンチに寝て中村さんと患者さんが現れるのを待った。優しそうな立津教授は、午前10時に始まった教授回診が午後10時にも終わらない丁寧さの人であったとは後で知りましたが、この日に何らかの結論を与えられたのは遅くなり、熊本に後泊することとなりました。中村さんが安い宿探しに苦労しました。熊本の平和診療所に泊めてくれと頼みに行きましたが、流石に断られました。

 歴史的には徳山水俣病などのいわゆる第三水俣病は新潟大の椿教授が国側・企業側の立場で高圧的にもみ消し、さらには水俣病本体の診断基準が狭められることにも利用されました。その後、立津先生の新たな示唆で、1991年に藤野先生が徳山の再調査に乗り出したが実りませんでした。

しかし、改めて人類の工業生産物が地表を覆い尽くすという「人新世」において、今後顕著になるだろう様々な外因性健康障害を予想するとき、振り返るべき経験だと思うので、少し長くお話しました。

今後医療の領域に入ってくる若い人たちとの協同のためにも、SDHを超えて広く外因性の健康障害にいま注目することの大切さを改めて強調したいと思います。

いま考えるべきことの第三に、医療機関の経営困難を含めた、医療崩壊の危機が深くなっていることがあります。

 「医師を増やせ」の運動はもちろん本気で取り組みますが、ここ10年、20年極端な医師不足の中で、地域医療を構想して行かなければならない現実は変わりようがないと思います。

私達について言えば、たとえ常勤医は少なくても、パートやスポットなどさまざまな形態で勤務してくれる多数の医師との協力を格段に深め、高齢者救急の機能を維持しながら、アウトリーチ含めた住民生活支援で群を抜く特徴を持った医療・介護活動、つまりコミュニティ・ホスピタル的存在はどう実現できるか考えないと行けないと思います。MRIやDWIBSの上手な使い方はここに入ってくる課題です。

地域医療全体を見ても、高度救急・救命医療にアクセスできない人を作り出さず、かつプライマリ・ケアの充実を図るにはどうしたらいいかの両側面を考える必要があると思います。
島根県で始まっているコミュニティ・ナースの発想、つまり、コ・メディカルの活躍に期待するなども吟味しながら、山口県の状況に合わせた地域医療構想を市民の立場から進めていくべきときに来ているのではないでしょうか。

新年ですので、なるべく短い挨拶になるよう気をつけました。今日は 第2回評議員会決議案の討議が中心です。
熱心なご参加をお願いして私のご挨拶といたします。

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2025年1月28日 (火)

医療の発展方向について 重複を避けずに

①医療への信頼回復運動でもあった家庭医療のめざすものは、患者の深い人間的な理解と質の高い共同関係だった。
それを踏まえて、その先にあるのはより高い、または深い次元=社会的な次元と魂の次元、での共同の営み(莇昭三)だろう。共同の営みの再発見を必要とする時代が始まっている。
これまでの過程の画期的な認識と言えばSDHがある。SDHが内因化された外部への注視であり、それは公衆衛生学者や経済学者が発見に深く関わり、より高い次元としての政策立案上の枠組みを与えるものとなったが、家庭医療学においては患者理解をより深い魂の次元までに画期的に深める視点を生んだ。幼児期の逆境体験の探索などはその典型だろう。
しかし、SDHを超えた新たな課題が私たちを捉えている。これこそが共同の営みの再発見を求めるものである。
つまり、SDHよりももっと直接的な、人新世の特徴としての外因性健康障害の発見や確認が今再び大きな課題となっている。その発見は共同の営みとしてしか現実化しないだろう。
すでに経験した感染症、原爆症、水俣病、大気汚染喘息などだけでなく、今後の災害死傷、戦争死傷、マイクロプラスチック汚染、PFAS汚染など、つまり発達した資本主義が深めた自然と人間の間の代謝断絶の結果をどう受け止め、回復をどう図っていくのかという課題である。
その先には脱成長コミュニズムが根本的的な解決法として見えてもいるようだ。
その具体的な実践が人口減少、超高齢化の日本のルーラル医療のあり方を言い当てているものではないか。
今の医療の課題はおそらくこのように図式的に理解できる。
1:従来の資本主義の束縛となってきた人類の平等志向を抑圧した新自由主義のグローバル化によって深刻性を増した、資本主義社会の持つ健康障害性の発見=SDH(健康の社会的決定要因)対策
2:それと重なりながら、それとは比較にならない規模の被害を明らかにし始めた、人新世資本主義の環境破壊による直接的な外因的健康障害性=まだ名前はなく、何の工夫もなく名付けるとすると人新世的総合外因対策とでも言うべきか。
原爆症研究、水俣病研究をその早期のものとして、マイクロプラスチック、PFASなどを氷山の一角とする広い範囲を対象とする。
個人への深い注目・家庭医療路線 ❌ 外因への広い注目・脱成長路線=明日の民医連医療
書くと、あまりに分かりやすくツッコミどころ満載になるのだろうな。
とはいえ、ツッコミどころ満載で蜂の巣になりながら、全力前進してきたのが自分ではないかとも思う。

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再び外因の時代

「これからは成人病、生活習慣病だ」とすっかり内向きになった医師の目を、ぐいっと外側の社会に向けさせたのが、SDH(健康の社会的決定要因)の存在の強調だったろう。
だが、いまはそれだけでは足りない。人新世の医療の特徴は、資本主義の生産物と自然破壊による巨大な外因性健康破壊への挑戦にある。
コロナ、マイクロ・ナノプラスチック、PFAS、気候災害の問題は、そのごく一部に過ぎない。

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生活支援加算 

「地域医療支援病院」は並みの中小病院を支援する一段格の高い病院だとされる。病院の発展方向として、その地位を守るとか目指すとか、あるいは協力するというのはあるのかもしれない。
しかし、いま病院に求められるのは、「地域医療」で支援したりされたりするというより、地域住民の生活や生業を支援する大きな環に入っていくことである。
健康増進病院ヘルス・プロモーティング・ホスピタルの目指すものもやはりそうだろう。
「生活支援」ライフ・プロモーティング加算というのはどうだろう。
医療の枠を破って、環境・災害・貧困・格差・教育などに多方面に活躍する姿勢を持つ病院を育てる加算である。

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感情

感情は家庭医学の中でも重要なものだが、改まって感情とはなにかと考えるとわからなくなるのに気づく。
感情の土台になると思われる意識や心にしても同じである。感情を島のように浮かべている「無意識」に至っては学者の妄想のように思える。
目的論的に考えると、不安や恐怖という感情は生存していくために不可欠だから、そういう感情が誰にでもあるとするのは妥当と思える。
実際的には「いまどんな気分ですか」と聞いて得られる返事や、本人が自発的に語る内容が、表情やしぐさ、その人の置かれた状況から推測できるものとほぼ一致するので、客観的に扱い、対処することも可能になる。
それに慣れてくると、問いかけてはかばかしい返事がない場合でも感情を推測して治療のプランをたてることができるようになる。
そこで、僕たちが詳しくなるべき感情は、不安と恐怖と悲しみと怒りだけである。
この4つだけに鋭敏であれば、あとはなんとかなるのではないか。

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個人

家庭医療の基本は、患者であることを抽象的・一般的な人間に疾患が加わった状態として捉えるのでなく、個人の人生に於けるある状態として捉えることである。

抽象的・一般的な人間でなく、かけがえのない個人であるという捉え方は、日本国家憲法と共通する。
13条 個人の尊重、24条 個人の尊厳がそれである。

これは両者が、ヨーロッパ、とくにフェビアン社会主義あたりに共通起源を持つからだろうと思っている。

もちろん、個人は抽象的・一般的な人間であることの上に成り立つわけで、等しく誰にでもある健康権は25条に定められている。

25条が医療の土台で、その上に家庭医療が構築されるのである。




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徳山水俣病

ローカル政治新聞への寄稿

1974年に医療生協健文会の前身である(人格なき社団)山口健康文化会・見初診療所が開設され、2024年はその50周年にあたるというので、記念誌が編まれ全国の関係者に送付された。出張先で「先生にも若い頃があったんだ」などと言われる中で、京都民医連中央病院の名誉院長で『七三一部隊と大学』(2022年 京都大学学術出版会)という著書もある吉中丈史さんから連絡があった。山口健康文化会に先行する周南診療所が「徳山水俣病」に取り組んだという記載があるが、詳しく知りたいという話である。実は吉中さんは熊毛南高校の卒業生で、父君は徳山の工場に勤務していた。同時期に全日本民医連副会長だった縁もあり、依頼には応えたい。
「徳山水俣病」について最も精力的に報道したのは、他ならぬ『山口民報』である。縮刷版にあたることができれば分かるだろうと答えたが、急にいろんなことを思い出した。
1973年6月に徳山曹達・東洋曹達から合計508トンの水銀が徳山湾に放出されたままになっていると行政当局が発表し、さらに周辺漁村に数人の水俣病類似の患者がいるということで山口県は緊張に包まれた。その頃の夏の日、櫛ケ浜にあった周南診療所事務長の中村さんから、患者さんの一人が熊本大学医学部神経精神科の立津政順教授の診察を受ける機会を得たので、医学生として立ち会わないかと言われた。立津先生は、水俣病では最も有名な原田正純医師や、後に新設の熊本民医連・水俣診療所に赴任する藤野糺医師の恩師に当たる高名な教授だった。(なお藤野糺医師も後継者の高岡滋医師もなぜか山口県の出身である)
 夜行列車で熊本駅に着いたのは午前3時くらいだった。街外れの熊本駅から中心部の熊大病院に歩き、当時は出入り自由の広い待合室のベンチに寝て中村さんと患者さんが現れるのを待った。痩身長躯で優しそうな立津教授は、午前10時に始まった教授回診が午後10時にも終わらない丁寧さの人であったとは後で知ったが、この日に何らかの結論を与えられたのは遅くなり、熊本に後泊することとなった。中村さんが宿探しに苦労した。
いわゆる第三水俣病は新潟大の椿教授ら国側・企業側の医師によってもみ消され、水俣病本体の診断基準が狭められることにも利用された。1991年に藤野先生が徳山の再調査に乗り出したが実らなかった。しかし、改めて「人新世」において顕著になるだろう様々な外因性健康障害を予想するとき、振り返るべき経験だと思う。

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2025年1月14日 (火)

利他主義

ル・グィンの小説で唾棄すべきものとして描かれる「利他主義」は宗教のことであるように思える。

利他主義のどこが悪いのかと考えると。

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共苦主義

共に生産し所有する前に、共に苦しむしかない時代が来るのはほぼ間違いがない。
しかし、「共苦主義」に集まってくる人はいないだろうなぁ。

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新しい診断機器 MRI「DWIBS(ドウィブス)」

売り込みのときは「PETまがいの機能」と言われていたのだが、実際に使ってみると全身MRI=DWIBSは、撮影の簡便性からみてプライマリ・ケアに親和性が高い。
保険適応の範囲も大きく拡大されている。
何の前触れもない飛び込みの患者さんでも、初診後30分-1時間で、全身転移した盲腸癌の画像を困惑しながら眺めていたりする。
ヤブ医の大いなる味方である。
救命にはつながらなくても、全身画像から直感的に問題の箇所が見えるので、多職種でイメージを共有すれば末期ケアの適切さが向上する可能性がある。
治療可能な癌への対応はゆっくりでもいいが、進行した癌患者の残された日は少ないからその診断は速い方が良い。
人口100万人あたりのMRI台数が日本は57.4台で世界1位(2位は米国38台)という特殊な状況だから言える話ではある。
放射線科の画像診断専門医の数は逆にアメリカの1/4と先進国で最下位に近いから、非専門医のごく粗い診断に終わり、貴重な情報は捨てている可能性もある。
上記の数字から言うと宇部山陽小野田圏域25万人でも15台あると言うことになるから、まもなく中小病院の大半でDWIBSが使われることになるだろう。そうなると診断の景色が少し変わる。
電子リニア走査の超音波診断装置が普及したときくらいの意味はあるだろう。(メカニカルなセクター走査の心臓用の機械で、僧帽弁狭窄と胆石!を見つけることから僕の超音波検査歴は始まっているー誰もわからないだろうなぁ)
ということで、多職種画像診断学習会の資料を少し作ってみた。

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ル・グィンの世界

惑星テラを出発し、惑星ハインで大いに栄えた人類はさらに、ゲセンや、ウラス、アナレスという惑星に居住していく。
ゲセンでは人類は両性保有に進化していく。
ウラス、アナレスは同じセティという太陽を回る兄弟惑星だった。そのウラスの反乱で演説されるオドー主義者の主張。
荒廃する環境と資源を共有し、苦悩で結束する、相互扶助を唯一の原理として生きる人類。
気候危機のテラにあって、僕もオドー主義者になろう。

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ル・グィンとレーニン

ル・グィンは、道路の向こう側の暗がりから「私は誰?」と呼びかけて来る人を描くために小説を書くと言っている。

深夜の病院からの帰り道の自転車の上で、いま僕に向かって誰がそう言ってくるのだろうかと考えると、やはりレーニンしか思い浮かばない。
だとすると何も書けないのが当然である。

しかし、こんなことを思うのは、実はル・グィン自身が、レーニンを描きたい時があったことに暗示されたのだと気づいた。
長編『所有せざる人』に先行する短編『革命前夜』(自選短編集『風の十二方位』の最後)を読むと、そこには脳卒中後のレーニンをモデルにしたと思える主人公がいたからである。
長編の方はオッペンハイマーから着想を得たものらしいが。

カート・ヴォネガットは『猫のゆりかご』で、ジョン・フォン・ノイマンをモデルにしたが、これらがアメリカにおける原爆開発の小説に与えた影響だろうか。あまり知らないことを書くものではないが。

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