二次救急輪番病院グループになんとか参入できて、分野によっては独自性も打ち出せていた地方の中小病院の位置づけがいよいよ危なくなっている。このままでは、最低限の病院機能を失う可能性もある。
医師数不足・残っている医師の高齢化が主体的な理由だが、地域の経済的衰退・加速する人口減少、地方まるごとの急性期病院削減、がより根源的な原因になっている。
比べてみるのに最も良いのは、多くの病院が現在の病床数に達した1990年頃である。その頃は若手医師が「国内留学」して新しい医療技術を身に着けて帰ってくれば、それがそのまま医療活動の拡大や質向上につながり、経営規模も大きくなった。その競争が地域を支配していた。
しかし、いまはまさにその対極にある。例えば、夜間の当直業務の大半が紹介会社からの派遣医師で担われている。ここにはその病院の「特色」というものがありようはずもない。外来も短時間勤務の医師に多くを託している。病棟は少数の高齢医師による24時間対応という過酷な勤務態様で支えられている。
つまり、地方の中小病院は推進力を失った飛行機の状態で、良くても高齢救急患者増という上昇気流を捉えているに過ぎないグライダーになっていると言って良い。それに加えて、話題になるあれやこれやが目くらましの上昇気流に見えてしまうというのも困難の一因になっている。曰く、早期認知症の薬物治療、MRIの新機能の宣伝などなど。
こういう状態で、地方中小病院の「経営戦略」をこれまで通り医師中心の技術力をもとに構想するのは全く無理である。
それと逆に、高齢医師の病気などの自然発生性に拝跪する「ダウン・サイジング」でなんとか乗り切れるのではないかという幻想を抱いているのであれば、早晩墜落するのが必然的だろう。
しかし、この地域で生きていかなければならない人々の期待が消えることはないし、その期待こそ、気候危機・格差拡大・人口減少に直面した社会を変革する力の源なのである。
だとすれば、その期待に応え、そのことによって将来に亘る存在意義を獲得しようとする地方の中小病院は、自己像を変える必要がある。それを大げさに「経営戦略」といえば、そういうことになる。
医師の技術をエンジンにした飛行機だと自らを思いなさないことが肝要である。
中小病院として当然要求されるだろうありふれた疾患に対する標準的な医療技術、安全、倫理は、特別に有能な医師の能力を必要とするものではない。たとえ、紹介会社から派遣されてくる医師が多くても、彼らにマニュアルを提供し、しっかり守ってもらえるよう働きかけることはできるだろう。最低限、かかりつけの患者の救急車受診を断らないような。
自前の医師が行なっている業務も医師任せにしないで、標準的水準を維持できるよう支援することなど、全て組織的集団的に努力すれば可能である。
それは基本的な走行機能とメインテナンス機能を備えた堅実なローカル鉄道のイメージだろうか。
そして、新たに備える技術もそのイメージの中で生まれてくる。
アウトリーチに徹したソーシャル・ワークで住民に生活に肉薄し「素直に『困った』といってもらえる」関係を作ること、その中にはいま朝日新聞にも連載されている身寄りのない人のための支援、死後事務なども含まれる。
しかし、最も重要で決定的なのは、個人の尊重と尊厳を守り切る家庭医療学・ケアの倫理をBASSにして、日常診療を再編成することである。
こうして部厚く、地域の支持を集めたものこそ生き残れるし、生き残ったことを反撃の拠点に、新しい地域を創造する展望を獲得するのである。そこにパースペクティブの広いリーダーが、たとえば今の医学生の中からだって現れてくることは確信を持って期待して良い。
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