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2024年11月25日 (月)

「美しい花がある、花の美しさというものはない」の馬鹿らしさ

「美しい花がある、花の美しさというものはない」というのは小林秀雄の有名な言葉だが、どうしてこんなふうに物事を一面的に言い捨ててしまうのか分からない。

最近読んだ解釈では、これは能に関するエッセイ(「当麻」)で述べられたもので、能の美しさは舞う人の鍛錬した身体に宿るものであり、身体と離れた抽象的な美はないのだということらしい。年をとって身体が思うように動かないとそれが切実になってわかってくるという。

そうだろうか?

そこでこう言い換えてみよう。
「正しい診断がある、診断の正しさというものはない」
つまり、診断は鍛え抜かれた医師の身体や、その拡張としての医療機器、病院組織に宿るもので、それらを離れた診断の正しさなんてない。

どうだろう、一見妥当なようで、一瞬騙されないだろうか。

しかし具体的な診断行為と、その抽象的な「省察」の間を無限に行き来することでしか診断はありえないのである。

「正しい診断と、診断の正しさはおなじことではない」と僕なら言う。

小林秀雄に感心するというのは、小林秀雄に騙されるということである。

具体的なことと抽象的なことの2面に限らないが、僕らは絶えず多面的に対話し、あえて結論を出さず、対話を維持するという中でしか正気を保てない生き物なのだ。




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コメント

花はモノです。診断は行為です。
診断行為は、医学知識を用いつつ行われます。
花は、美しさ(の基準など)を気にせず咲きます。
花は、種の保存の効率性を意識してではなく、結果的に
体現するかもしれませんが。

なので、小林秀雄とは違う意味で、唯物論的に言って
美しい花はあるけど、花の美しさというものはない、は正しいと思えます。

投稿: | 2024年12月15日 (日) 13時10分

 この場合の「花」は一般名詞としてある概念(意味)を持ってますから日本において「花の美しさはある」のです。アラスカの先住民には無いかもしれません。
 
 小林秀雄の評論文章のお粗末さは、言語的には通用しません。これは、かつて松本清張さんが厳しく批判した小林秀雄のハッタリ文の典型です。

投稿: | 2025年1月23日 (木) 04時05分

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