2024.11.27 山口民医連県連理事会挨拶
夏が突然冬になるというような気候の激変ですが、皆さん秋を満喫されているでしょうか。
今月は挨拶でお知らせしておきたいことが多数あるので、順不同の箇条書き風になりますがご了承ください。
①経営困難が病院界全体に広がっています。全日本病院協会は10月に病院の経営悪化に関して政府に緊急要望を出しています。資料1
民医連も例外ではなく、健文会も年末の賞与を引き下げるとしていますが、長野中央病院では昨年の半分以下となったのでストライキが行われ、これは全国ニュースになりました。資料2
このほか宮城などストライキをするところは増えそうです。このままでは医療界そのものが経営的に壊滅するというのは決して大げさではないので、政府の支援が切実に求められていくと思います。
②しかし、病院側の自己点検が不要というわけではありません。この間、他県の看護職場の事実上の崩壊に遭遇して、山口県からも支援を出しましたが、そこで知ったこの病院の看護労働の常識外の過酷さと、その県の看護幹部の発言を照らし合わせてみると、その県の医療・経営活動方針に問題があるのではないかという思いが湧き、率直にその県連に伝えました。それなりに反響はあったようです。
全国的に、困難は宇部協立病院より一回り大きい300床前後の急性期病院に集中しているようです。それは自分たちに本当に必要な技術体系、つまり医師の技能というだけでなく、病院の設備、法人の組織形態にまで及ぶものですが、それを今一度、地域の実情に照らし合わせて見直す必要を強く迫っているものです。
③そしてそれは山口民医連も他人事ではありません。資料3は昨日の県内重大ニュースです。山口県、山口大学、山口県立総合医療センター、山口県内の自治医科大学医師が連携し、山口県全域で総合診療医を育成する協定が締結されたということなのですが、これが山口県に若手医師を残すことの決め手になるのか、それを山口民医連としてどう受け止めるか議論が必要です。
また同時に、宇部山陽小野田二次医療圏での二次救急が大きく変わります。宇部中央病院と山口労災病院がセンターとなり、それ以外の中小病院がそれぞれの立地地域に責任を持った、まさに20年前はそうだった状態に形式上はもどります。むしろ、僕としては、今の2次救急当番持ち回り型にはずっと反対してきたので、その推進者である当局抗議したいくらい ですが、しかし20年前の状態が復活・発展できるのかということについては、医師態勢も大きく変わった今、とてもうまくいくとも思えず、今後も長い議論が必要なことだと思います。
④ところで『宙わたる教室』というNHKのドラマを知っている人はいますか。写真はその原作の一節です。ドラマでも最も反響を呼んだディスレクシアという障害について語っているところです。
病院の技術体系、つまり病院機能建設の魂となるところは、やはり職員の学ぶ気持ちだと思います。それなしに高額機器を導入しても、経営危機に直結するだけです。
僕自身は病院を『宙わたる教室』にするつもりで、メロス主催の看護師学習会をはじめました。輸液や酸素療法など、最も基礎的な話ですが、それは、夜間高校の科学部で、なぜ空は青いか、雲は白いか、夕焼けは赤いか、そして火星の空の色は、火星の夕焼けの色は?と考えていくのに似たことだと思います。
そうこうしているうちに立石先生が「自分にも話させろ」と言ってきて、緩和ケアの話をしてくれました。
自主的な勉強が広がる山口民医連になることの中に未来を見たいと思います。
それに関連して、冒頭の写真があります。2年半前に開設した山口市道場門前の健文会山口市事務所で医学部1年生5人と山口市在住の松林健文会理事が、森山さんが手作りしたクッキーを持って記念写真に収まっているところです。
単なる記念写真でなく、ようやく山口市事務所が、学生、組合員、職員の学び合いの場として、期待された本来の機能を発動しはじめた記念すべき写真としてご紹介しておきます
⑤なお今日は、今月目立った雑誌記事を資料に取り上げています。とくに非営利・協同総合研究所「いのちとくらし」研究所報の最近号に掲載された京大の岡田知弘先生の能登災害復興に関する講演会記録は、同様のものが「民医連医療」12月号にもありますが、どうぞ合わせて読んで理解を深めていただきたいと思います。
1995年阪神淡路大震災を契機にして強くなった「個人の住宅再建にも支援を」という声は1999年に「被災者生活再建支援法」の成立をうみ、その後、大災害のたびに拡充されていきました。
それを実現したのが、私達が作る全国災害対策連です。その歩みの先にあるのが、もう一つの資料としてつけた、「月間保団連」11月号特集にあった森川すいめい先生の「ハウジング・ファースト」運動です。
災害対策は、日常生活における人権を強化するうえで必須の跳躍板なのです。
その一方に、能登地震を契機に、能登の4つの病院を一つに集約してしまうというようなショック・ドクトリンが繰り返されている現実があります。
以上言いたいことがたくさんあって、今月は困っているのですが、挨拶はここまでとします。今日は能登支援で大変お世話になった庄見二三男さんの学習講演もあります。熱心な討議参加をお願いするものです。
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