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2024年10月21日 (月)

ローカル政治新聞への寄稿

9月21-22日の能登地方の大水害にあたって山口民医連は25日の県連理事会ですぐに現地支援を送ることを決め、27日には第1陣3人を送り出した。

医療生協会健文会専務理事、宇部協立病院事務長のベテラン2人に若手事務1人の合計3人は片道10時間かけて羽咋市に設けられた能登地震被災者共同支援センターにたどり着き、バンの荷台一杯の救援物資を届けるや、翌日は徒歩で孤立集落に向かい、被災家屋の泥の掻き出しにあたった。なお災害ボランティア車両として届け出れば高速道路通行料金が往復無料になる制度を利用した。本号が発行されている頃には第2陣が到着しているはずである。それに次ぐ第3陣も計画されている。

振り返って、阪神大震災、東日本大震災、広島水害、熊本地震でも私たちは可能な限り早く現地に行った。私自身は2011年3月20日深夜にヘドロが覆う宮城県松島町の「松島海岸診療所」にたどり着いたことを覚えている。「困窮・災害あるところに民医連あり」は私達のいわば骨絡みのものである。

それはなぜなのか。何がそれを求めてくるのか。実は、その疑問をずっと考えてきた。2011年にはレベッカ・ソルニット『災害ユートピア-なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』 (亜紀書房)を読んでいた。ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』(岩波書店)が災害を利用して悪事を働く資本家の話であるのに対し、災害時に実に自然に庶民の無私な助け合いが成立することに人間の本質を見る気がした。

その続きで、今は、『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店)や『万物の黎明』(考古学者デヴィッド・ウェングロウとの共著、光文社)を書いた人類学者デヴィッド・グレーバーの『負債論 貨幣と暴力の5000年』(以文社)を読んでいる。これは「各人は能力に応じて他者を支援し、必要に応じて他者から支援される」関係が人類史のどこの時点でも機能してきた「普遍的コミュニズム」だとする。


それは資本主義を補完し延命させるものではなく、むしろ、この過酷な資本主義社会においてさえ人間の生存を保障する根拠なのである。アナーキズムの頂点のような主張だが、マルクス主義陣営からこれに共感する本も見つけて勇気づけられた。松井暁『ここにある社会主義;今日から始めるコミュニズム入門』(大月書店)である。

本の名前ばかり列挙して恐縮だが、次回は、この問題と憲法の関係について触れたい。

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