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2024年10月30日 (水)

2024.10.30 山口民医連県連理事会挨拶

能登豪雨から1か月経って支援第二陣を送ることができました。2011年東日本大震災の時と同じく今回も研修医に災害現場の体験を与えられたことは大きな意義があったと思います。今回は皆が息を飲むような被災地に立ち入ったとのことです。現地でお世話になっている庄見さん提供の写真を添付します。

今後何十年か食い止められない気温上昇の中で、激甚化する一方の災害対策に精通すること、また能登や山口と言った人口減少地域が災害にあたってどう見捨てられるかをリアルに把握することは私たちにとって死活的に重要です。

私たちの方針として、大都市集中、周辺地方切り捨てから脱していく将来のミュニシパリズムの日本や世界の在り方を模索すると同時に

どんなに苦しい状況にあっても、相互扶助や連帯の中に無限の喜びを見いだしながら日々を生き延びることの両面が必要です。

幸いにして日々の相互扶助や連帯についての私たちの経験は厚く積み上がりつつあると言えます。

そういう中で、新たな課題もまた見つかりつつあります。今、世帯の中で圧倒的に多いのは「単身世帯」ですが、身寄りのない人が亡くなった時の遺体の保管、葬儀なども視野に収めなければならなくなっています。
単身世帯になる前の一人親の場合も困難が多々ありますが、これについては、最近山口市事務所主催の勉強会で、ドット・スタイルという活動団体を始めた小西さんという40歳代の女性から話しを聞き、協同していく道を探らねばと思いました。
山口市事務所を作って良かったと思うのは県都山口の、宇部に比べれば一歩進んだ市民活動に触れていけることですが、こうやって相互扶助、連帯の環を回りに少しづつ広げていくのが、県連の方針の中核に位置づけられるべきだと思います。

さて、10月27日に総選挙がありました。結果はご存知の通りですが、民意とはかけ離れていた自公圧倒的多数の議席数を、ある程度リアルなところに近づけたという意味で重要でした、
安倍的政治の12年間に対して国民が下したまさにノーという結論だったように思えます。
国民特に若い層の希望をリアルに捉えられない、力で異論を押さえ込む、思いつきを押し付ける姿勢が国民に見えてしまった党が後退したと言えます。
今後、予定されている参議院選挙やその後の県知事選、統一地方選選では、国民とともにというよりも、国民の苦しみの真ん中に飛びこんで泥まみれになりながら、やはり市民連合の勢いを強くして行きたいと考えます。

今年のノーベル文学賞は韓国のハン・ガンさん、ノーベル平和賞は被団協が受賞しました。
いずれも素晴らしいことでしたが、それぞれ私たちに重い課題を突きつけるもので、例年のノーベル賞に比べて格段に意義の大きなものだったといえます。

被団協は私たちにとってはまず、「ゆだ苑」です。
原水爆禁止協議会が分裂した後、分裂しなかった山口県被団協が中心になり1968年に建設されたのが「山口県原爆被爆者福祉会館ゆだ苑」です。私たちは年に一回程度の被爆者検診くらいしか協力していませんが、被団協が中心になり国連で採択された核兵器禁止条約を日本が批准するよう、今後最大限の努力何求められています。

韓国の作家、ハン・ガンについては光州事件を扱った『少年が来る』を取り上げて昨年からささやかな読書会を協立病院の中で続けていますが、韓国人道主義実践医師協会のウ・ソッキョン先生から提供されたものを資料につけました。元は韓国語だったの正確かどうかは保証の限りではありません。(資料2)
韓国の悲劇の大半は1910年から1945年まで大日本帝国に植民地支配され、その結果戦後には東西冷戦の最前線に置かれたことにありますから、私たちにとってはまさに自分たちの国の悪業の結果として責任をとって行くべきものです。
ぜひ、第一章だけでもお手にとってご覧いただきたいと思います。

話が多方面にわたってしまいましたが、以上で挨拶を終わります。熱心な討議をよろしくお願いします。

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2024年10月22日 (火)

医療生協の未来

これは、いつかは言っておかなければならないと思ってきたことである。

消費生協法に則った医療生協は市民や職員の統合において大きな限界にぶつかっている。消滅、実質的消滅もありうる。

ではどうすれば良いのか。


利用者協同組合と労働者(提供者)協同組合のあいまいな混在でなく、分離した上での新たな契約が必要かつ可能だと思う。


こうすることで、お互いのパートナーシップと未来計画が改めて確認される。


さらに、場合によっては利用者側は生協でない医療機関とも部分的な契約を結ぶ事が可能になる。


労働者側は、より民主的な内部意思決定を発展させることができるだろう。労働組合も同じだが、今ほここが致命的にダメだ。

しかし、権威勾配の頂上に医師がいてそんなことができるのかと多くの人には思えるかもしれないが、医療の世界の宿痾であるこの問題に挑戦できるのは労働者協同組合以外にないのではないか。

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2024年10月21日 (月)

選挙と暴力

下のエッセイは2022年7月に『山口民報』の「まち医者雑記」に僕が書いたものである。
これを読み直して自分でも思い出せなかったのは「しかし、考えれば21衆議院選挙も22参議院選挙も終盤は陰惨な暴力に塗れた。それもまた一つの出発点である。」とむすんでいることである。2022年参議院選挙終盤では安倍元首相が奈良市で銃撃され死亡した。それは容易に思い出せるが2021年10月の衆議院選挙では何があったのか?
しばらく検索してようやくわかった。
まさに衆議院選の投票が終了した2021年10月31日の20時頃、「東京都調布市を走行中の特急列車の車内で、乗客の24歳の男が刃物で他の乗客を切りつけた上、液体を撒いて放火し、18人が重軽傷を負った。」のだった。
・・・・・・
2022年7月17日の参議院選挙は新潟で野党統一候補が敗れたのが衝撃的だった。新潟では前年10月31日の衆議院選挙で6選挙区中4つで統一候補が勝利し、雑誌「前衛」22年1月号佐々木 寛(市民連合@新潟 )インタビューでは市民連合がボトムアップで政策作成を担い野党を牽引する「新潟モデル」が鮮やかに語られていたからである。
地方自治においても新潟は先駆的なところだった。例えば07年に政令指定都市になった新潟市においては行政区単位の「区自治協議会」が作られた。大合併の上越市では合併前の区域ごとに公募公選方式の28地域自治区が設置された(「日本の科学者」22年5月号 岡田知弘)。私はこれらを知って、地方自治体の最小単位が「基礎自治体」という従来の定義を超えて、地域自治区や医療生協、消費生協、企業グループなどが「基礎自治体」群として自治体のあり方を大きく変える動的な構造を心に描いた。開かれた形態で民主的な運営がなされ非営利指向であれば「基礎自治体」と呼んでいいのではないか。
しかし、雑誌「民医連医療」22年7月号の岡田知弘さんの連載によると新潟市の自治協議会は相当大きく後退している。類似の浜松市も同様である。
何事も直線的には進まないというが私の今の気持ちだが、明るい話題もある。6月19日に杉並区長に当選した岸本聡子さんの著書「水道、再び公営化! 欧州・水の闘いから日本が学ぶこと」(集英社新書20年)を読むと、グローバル権力を恐れず「ミュニシパリズム」(市民の直接参加と国際連帯に重点を置く地方自治体運動)を掲げて前進するヨーロッパの実態がよく伝わる。また「前衛」8月号の印鑰(いんやく)智哉さんの「食糧危機のその真相と解決策」を読むと病院や学校も参加する市民参加の「地域食料政策協議会」が提案されている。すでに「気候市民会議」がエネルギーを見据えて世界各所でスタートしている。今後、水・食料、ケア・教育・災害などをともに考える各種市民会議が加わってより広範な「基礎自治体」群を形成し、地域循環経済を回す未来が見えてくる。
しかし、考えれば21衆議院選挙も22参議院選挙も終盤は陰惨な暴力に塗れた。それもまた一つの出発点である。
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ローカル政治新聞への寄稿

9月21-22日の能登地方の大水害にあたって山口民医連は25日の県連理事会ですぐに現地支援を送ることを決め、27日には第1陣3人を送り出した。

医療生協会健文会専務理事、宇部協立病院事務長のベテラン2人に若手事務1人の合計3人は片道10時間かけて羽咋市に設けられた能登地震被災者共同支援センターにたどり着き、バンの荷台一杯の救援物資を届けるや、翌日は徒歩で孤立集落に向かい、被災家屋の泥の掻き出しにあたった。なお災害ボランティア車両として届け出れば高速道路通行料金が往復無料になる制度を利用した。本号が発行されている頃には第2陣が到着しているはずである。それに次ぐ第3陣も計画されている。

振り返って、阪神大震災、東日本大震災、広島水害、熊本地震でも私たちは可能な限り早く現地に行った。私自身は2011年3月20日深夜にヘドロが覆う宮城県松島町の「松島海岸診療所」にたどり着いたことを覚えている。「困窮・災害あるところに民医連あり」は私達のいわば骨絡みのものである。

それはなぜなのか。何がそれを求めてくるのか。実は、その疑問をずっと考えてきた。2011年にはレベッカ・ソルニット『災害ユートピア-なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』 (亜紀書房)を読んでいた。ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』(岩波書店)が災害を利用して悪事を働く資本家の話であるのに対し、災害時に実に自然に庶民の無私な助け合いが成立することに人間の本質を見る気がした。

その続きで、今は、『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店)や『万物の黎明』(考古学者デヴィッド・ウェングロウとの共著、光文社)を書いた人類学者デヴィッド・グレーバーの『負債論 貨幣と暴力の5000年』(以文社)を読んでいる。これは「各人は能力に応じて他者を支援し、必要に応じて他者から支援される」関係が人類史のどこの時点でも機能してきた「普遍的コミュニズム」だとする。


それは資本主義を補完し延命させるものではなく、むしろ、この過酷な資本主義社会においてさえ人間の生存を保障する根拠なのである。アナーキズムの頂点のような主張だが、マルクス主義陣営からこれに共感する本も見つけて勇気づけられた。松井暁『ここにある社会主義;今日から始めるコミュニズム入門』(大月書店)である。

本の名前ばかり列挙して恐縮だが、次回は、この問題と憲法の関係について触れたい。

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2024年10月18日 (金)

カスタマー・ハラスメント

ハン・ガン『少年が来る』井出俊作訳の朗読会・読書会を続けているのだが、やりにくいのは、女性の語りが今ではありえない女性言葉の語尾になっていることである。
「だわ」「なのよ」なんてしゃべる人にはまず出会わない。
方言ではそれはオジサン専用なのである。

で、できたら改訳してほしい。

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今朝の思いつき DWIBSの活用法

今朝の思いつき

新規に購入した全身用のMRIを小病院で使いこなすのに苦労中。

全身がんスクリーニングが売り物のDWIBS(ドウイブス)という検査機能も、日常臨床のなかに組み込むのは意外に難しい。
結局、僕の診療の中では大腸の進行がんと骨転移、リンパ節転移の発見器にとどまりそうだ。

そこで、便潜血検査陽性と全大腸内視鏡検査の深い谷間の中にDWIBSを置くという方法を考えついた。

もちろんDWIBSの所見が陰性でも全大腸内視鏡検査を勧めるのは当然だが、苦しいからという理由で全大腸内視鏡検査を受けないで済ませる人のなかでの進行がんを見落とさないためである。

実は、全大腸内視鏡検査を受けてくれる人が地域で一巡して、検査屋の僕としては手持ち無沙汰になっている。
一方で大腸がん発症・死亡は相変わらず多い。

これが少しでも解消されるかもしれない。
この方法で、どれだけの人が救われるか、反対にどれだけ医療費が高くなってしまったかを明らかにできると意義深い。

とはいっても、手指の変形性関節症で、検査前には2か所テープを巻かないとスコープ操作ができない加齢現象に悩んでいる者の考えることではないかもしれない。

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1年前の読書会

ちょうど1年前、「山口民報」というローカル政治新聞に月一回連載させてもらっている短いエッセイ(「まち医者雑記」)では、以下のようなことを書いていた。このとき、すでに今年の事件を予想していた気がする。
・・・・・

少し前の雑誌「世界」に向井和美『読書会という幸福』という連載があった。これを詳しく読んだのは、人口激減地方の民医連の後継者対策として、たとえば高校生相手に自分にできることがあるとすれば読書会くらいではないかと思い、その方法を学ぼうとしたわけである。

読んでいるうちに手っ取り早く実際に読書会を始めてみたくなった。医学生2人と病院職員数人で齋藤幸平『人新世の「資本論」』を読んでみることにしたが散々な失敗だった。社会科学系の読書会は僕の周辺では難しいという教訓を得た。やはり小説からしか始まらない気がした。

そこで小説といえば、最近驚くべき作品に出会った。僕にとってはガッサン・カナファーニー『ハイファに戻って』、野上弥生子『迷路』、李恢成『見果てぬ夢』以来のもの。

それはハン・ガン(韓江)という1970年生まれの韓国の作家による『少年が来る』である。

6月のある日、少し早く目が覚めて放送大学を見ていたら 「世界文学への招待」という番組で翻訳家 斉藤真理子さんがこの作品を講義していた。それがとても感動的だったので、すぐに検索したが、ハン・ガンは世界で最も注目されている作家で、1980年の光州事件を描いたこの評価の高い作品も2016年には日本語に翻訳・出版されていた。隣国の文学への無知を恥じた。

光州市出身とはいえ、当時は10歳で国外にいた彼女が今になって事件と正面から向き合ったのは、数千人という虐殺犠牲者の記憶のためという理由も当然あるが、それだけではない。韓国の友人から紹介された現地のインタビュー記事では、おそらく深刻なPTSDによるだろうが、自殺率が11%に達している事件生存者に対し「それでも死なないで」と訴えたかったということである。

そして読書会の話に戻るが、この小説こそぜひ読書会を開いて病院職員と共有したくなった。全7章を1年近くかかっても朗読し合うのは貴重な体験になるのは間違いなかった。

呼びかけると、意外な喜びというか、60歳代から20歳代まで5人の職員参加者があり、すでに3章までを終えた。

ゆっくり読んでいくと誰かが顔を覗きに来る気がする。それが事件で殺された『少年が来る』ということなのだった。

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2024年10月 8日 (火)

軽躁状態のすすめ

午前中はある種の子どもっぽい全能感があって過ごしやすいのだが、
午後から夕方にかけて湧いて来る年寄りくさい悲哀感が苦痛だ。

新しい患者さんが絶えず供給されていれば、そんなことも思わないのだが、人口減の中、同じ患者さんがこちらの老いに合わせて、ただ老いてやって来るだけ。

やはり、好きなことに集中して
「面白きこともなき世を おもしろく」(高杉晋作)という軽躁状態で過ごす術を身に着けないといけない。

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