デビッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』(以文社2006年)に刺激された断章
○きっとマルクス主義的にしか変革できない領域と、アナーキズム式にしか変革できない領域があり、それは変革の相補性と呼ばれるのだ。
これはおそらく正義の倫理とケアの倫理の関係。
○7月14日号の赤旗日曜版一面は、選択的夫婦別姓制度推進を提言をした経団連本部へのインタビューである。経団連としてはビジネスサイドから通称名使用では難点が多いためとしているが、赤旗と経団連の意見の一致から考えさせることが多かった。
世界中の極右台頭は、新自由主義側の遭遇した困難の解決のためだった。つまり新自由主義国家が、グローバル・サウスの貧困を深め、先進国でも社会保障を削減する一方で、多国籍大企業には莫大な援助を惜しまないという、誰の目にも明らかな「不正義」を行なっていることが明らかになって糾弾される中で、その反撃のためには、事態をごまかす、民衆操作に有効なイデオロギー的支援を必要としたということである。
それが移民排斥、男性優位、宗教差別の温存というイデオロギーを持つ極右との同盟だった。
そのイデオロギーは新自由主義にとって本質的なものではないので、あくまで政治的支援の取り付けに過ぎない。一部は「トロイの木馬」となるリスクは承知の上だろう。そこまで「不正義」の批判は新自由主義を追い詰めるのにある程度は成功したということでもある。
そういうなかでも、上記のように新自由主義はビジネス上必要であれば夫婦別姓だって肯定する。同時に巨大な性産業からの要請があれば、買春の合法化にもためらいはないだろう。
しかし、一旦舞台に上げてもらった極右は、この間、結局は新自由主義を受け入れてきた欺瞞的左派や中道エリートへの反感の組織をてこに勢力拡大に成功する。性自認法制度化を左派エリートが肯定していることへの反発はその中核に位置づいて、彼らの大きな武器になる。
世界中の極右台頭は、新自由主義側の遭遇した困難の解決のためだった。つまり新自由主義国家が、グローバル・サウスの貧困を深め、先進国でも社会保障を削減する一方で、多国籍大企業には莫大な援助を惜しまないという、誰の目にも明らかな「不正義」を行なっていることが明らかになって糾弾される中で、その反撃のためには、事態をごまかす、民衆操作に有効なイデオロギー的支援を必要としたということである。
それが移民排斥、男性優位、宗教差別の温存というイデオロギーを持つ極右との同盟だった。
そのイデオロギーは新自由主義にとって本質的なものではないので、あくまで政治的支援の取り付けに過ぎない。一部は「トロイの木馬」となるリスクは承知の上だろう。そこまで「不正義」の批判は新自由主義を追い詰めるのにある程度は成功したということでもある。
そういうなかでも、上記のように新自由主義はビジネス上必要であれば夫婦別姓だって肯定する。同時に巨大な性産業からの要請があれば、買春の合法化にもためらいはないだろう。
しかし、一旦舞台に上げてもらった極右は、この間、結局は新自由主義を受け入れてきた欺瞞的左派や中道エリートへの反感の組織をてこに勢力拡大に成功する。性自認法制度化を左派エリートが肯定していることへの反発はその中核に位置づいて、彼らの大きな武器になる。
○フェミニズムつまり「ケアの倫理」に裏打ちされた家庭医療学との合流を果たしたあとの民医連は、何に直面するのだろうか。
それはフェミニズム的視点から資本と国家の馬鹿馬鹿しさを浮き立たせる(同じ土俵に立たない)世界変革戦略の様式であるアナーキズムと、資本と国家に正面から同じ土俵で階級的にぶつかっていくマルクス主義ーそれの今の課題は機構危機の解決に他ならないーとの、統合を医療という現場で実現させる問題である。
国家を無意味化させる自己統治的地方政府主義ミュニシパリズム路線と、戦争放棄を守り抜く国家路線の統合が、医療の場でも必要になっているのは現実の話である。
極右の政権獲得や勢力伸長で新自由主義が生き延びてしまえば、新自由主義はさらに力を増し、もはやどんな批判も許さず、日本で言えば対中国への臨戦態勢を口実に被支配階級の階級的抵抗の基盤を根こそぎ破壊することになるだろう。沖縄米兵の性犯罪隠蔽への転換もそれを目指した一環だろう。
それは、第2次大戦後の自由民主主義体制への反動を超えて、日本で言えば完全に戦前の復活。ロシアやアメリカなどでは大統領制から皇帝制への変質、21世紀のナポレオン3世とでもいうべきもの。
それはフェミニズム的視点から資本と国家の馬鹿馬鹿しさを浮き立たせる(同じ土俵に立たない)世界変革戦略の様式であるアナーキズムと、資本と国家に正面から同じ土俵で階級的にぶつかっていくマルクス主義ーそれの今の課題は機構危機の解決に他ならないーとの、統合を医療という現場で実現させる問題である。
国家を無意味化させる自己統治的地方政府主義ミュニシパリズム路線と、戦争放棄を守り抜く国家路線の統合が、医療の場でも必要になっているのは現実の話である。
極右の政権獲得や勢力伸長で新自由主義が生き延びてしまえば、新自由主義はさらに力を増し、もはやどんな批判も許さず、日本で言えば対中国への臨戦態勢を口実に被支配階級の階級的抵抗の基盤を根こそぎ破壊することになるだろう。沖縄米兵の性犯罪隠蔽への転換もそれを目指した一環だろう。
それは、第2次大戦後の自由民主主義体制への反動を超えて、日本で言えば完全に戦前の復活。ロシアやアメリカなどでは大統領制から皇帝制への変質、21世紀のナポレオン3世とでもいうべきもの。
○マヤ文明のなかの平等志向の生命力はサバティスタ人民解放軍とその蜂起(1994)の中に生きていた。
○マルクスが展開し、もはや周知のこととなっているいくつかの事柄の中で、売りになりそうな一点を取り出し、あたかも自分が発見したかのように騒ぎ立てるのはいかがなものだろうか。
いまこの領域で焦点となっているのは、マルクスが考えるヒントとしたエンゲルスの発想を、逆にエンゲルスがマルクスの大発見のように教条化した史的唯物論を、エンゲルス当時のものではない人類学や考古学の最新の成果から見直すことや、地球的な物質代謝の視点でマルクスが考えたことの再発見を知ることではないのか。
対抗側の非暴力では決して退治できない怪物が自重で崩壊するのをただ待つのではなく、なんらかの方法で攻撃的に無力化しようと思えば、思いつきだけでは無理なのである。
いまこの領域で焦点となっているのは、マルクスが考えるヒントとしたエンゲルスの発想を、逆にエンゲルスがマルクスの大発見のように教条化した史的唯物論を、エンゲルス当時のものではない人類学や考古学の最新の成果から見直すことや、地球的な物質代謝の視点でマルクスが考えたことの再発見を知ることではないのか。
対抗側の非暴力では決して退治できない怪物が自重で崩壊するのをただ待つのではなく、なんらかの方法で攻撃的に無力化しようと思えば、思いつきだけでは無理なのである。
○
マッチョな医師による患者支配を廃止して、すべてを恒常的な対話の状態に留め置くとすれば、決め打ちのような「診断」は姿を消して「その人に合わせた説明」と呼ぶべきものになるだろう。
つまり、家庭医療学はアナーキスト医療、あるいはフェミニスト医療というべきものなのである。
○ある日、女性権力が男性権力を打倒して自らの政府を樹立するということは考えられない。
変革とは、ゆっくりと男性権力のバカバカしさを証明して、それを解体していくだけのことである。
そう考えると、フェミニズムはアナーキズム以外のものではありえないのではないか。
男尊女卑の偽物アナーキストがこれまで山積みになるほど存在したとしても。
変革とは、ゆっくりと男性権力のバカバカしさを証明して、それを解体していくだけのことである。
そう考えると、フェミニズムはアナーキズム以外のものではありえないのではないか。
男尊女卑の偽物アナーキストがこれまで山積みになるほど存在したとしても。
○私達が作り出そうとしているものは、資本主義あるいは新自由主義の中の、非資本主義的、非新自由主義的な大小の島のようなもの、及びそのネットワーク網状組織である。
こういう存在を意味する言葉があるのを知った。「包領」である。
ウィキペディアによると
「包領(ほうりょう、enclave)は、ある1つの別の領域に四方を完全に囲まれた領域である。 レソトは、南アフリカ共和国に囲まれた包領である。 国の場合は、1つの外国に完全に囲まれた国となる。 現在の独立国では、レソト(南アフリカ共和国による包領)、バチカン、サンマリノ(共にイタリアによる包領)があたる」
こういう存在を意味する言葉があるのを知った。「包領」である。
ウィキペディアによると
「包領(ほうりょう、enclave)は、ある1つの別の領域に四方を完全に囲まれた領域である。 レソトは、南アフリカ共和国に囲まれた包領である。 国の場合は、1つの外国に完全に囲まれた国となる。 現在の独立国では、レソト(南アフリカ共和国による包領)、バチカン、サンマリノ(共にイタリアによる包領)があたる」
○フェミニズムつまり「ケアの倫理」に裏打ちされた家庭医療学との合流を果たしたあとの民医連は、何に直面するのだろうか。
それはフェミニズム的視点から資本と国家の馬鹿馬鹿しさを浮き立たせる(同じ土俵に立たない)世界変革戦略の様式であるアナーキズム、資本と国家に正面から同じ土俵で階級的にぶつかっていくマルクス主義ー今の課題は戦争防止と気候危機・食糧危機に際しての国家的強制の発動に他ならないーとの、統合を医療という現場で実現させる問題である。
国家を無意味化させる自己統治的地方政府主義ミュニシパリズム路線と、戦争放棄・生命の維持を守り抜く国家路線の統合が、医療の場でも必要になっているのは現実の話である。
それはフェミニズム的視点から資本と国家の馬鹿馬鹿しさを浮き立たせる(同じ土俵に立たない)世界変革戦略の様式であるアナーキズム、資本と国家に正面から同じ土俵で階級的にぶつかっていくマルクス主義ー今の課題は戦争防止と気候危機・食糧危機に際しての国家的強制の発動に他ならないーとの、統合を医療という現場で実現させる問題である。
国家を無意味化させる自己統治的地方政府主義ミュニシパリズム路線と、戦争放棄・生命の維持を守り抜く国家路線の統合が、医療の場でも必要になっているのは現実の話である。
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