外的な強制と見えるものも、実は自らが生み出した必然
民主主義革命から社会主義革命に急速転化する二段階連続革命論から、400年間くらいも続く緩やかな民主主義革命という方向に認識が変わっていったのだが、その分、究極の目標が遠くなり、動機づけが難しくなった。売上を競う商社風で安易な数値目標競争は無理になったのだ。
そこでふと思い指すのは田中光春さん事件。
彼が「働くものの医療機関」とは「労働者階級の医療機関」ということだ、したがって我々の使命は労働者階級の使命である社会主義革命だと言って講演して歩き、一部から(僕を含む)喝采を浴びたのは40年くらい前。
すぐに、それは誤りだとされたが、なんとなく閉塞感を感じ始めていた人たち(僕を含む)には「一服の清涼剤」、今風にいえばアヘンだったのだろう。
閉塞感も行き詰まると、昨日よりは今日、今日よりは明日の改善に意義を見つけたくなる。「微力だが無力ではない」という自己鼓舞、あるいは自己暗示。這ってでも前に進むという決意。
それも難しいとき、たとえ襤褸のごとく忘れ捨て去られても、誰かのためになろうと思った唯一無二の経験の、自分とともにある記憶は残ったと思うしかなくなる。
そのように年齢を重ねていくことの悲しさを老いというのだろう。
しかし、ここからが大事なのだが、変化は、もはや強制的な力として、そこにあるのだ。
マルクスが言っていたのもそのことで、資本主義が自ら作り出してきた必然的な環境変化なのだが、その中に暮らす人類にとっては外的な強制として、資本主義を廃絶するしか生き延びる道がなくなったのである。
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