鴎外と熊沢蕃山
森鴎外「カズイスチカ」はいろんな点で面白い。
例えば、鴎外が江戸時代初期の陽明学者 熊沢蕃山を読んでいるところなど。蕃山の説く日常生活へのマインドフルネスが父のresignation諦念と同じに見えて、急に父を尊敬する気持ちになるところは、この小説の主題である。
熊沢蕃山とは誰だったろう?
検索すると岡山藩に使えた儒者で、1654年の備前地方の大水害の際、被害者の救済にあらゆる手段を講じて奔走した人とある。
これを見ると、氾濫した川は違っても、2018年の真備町を襲った西日本大水害を思い出さない人はいないだろう。
「初めは父がつまらない、内容の無い生活をしているように思って、それは老人だからだ、老人のつまらないのは当然だと思った。そのうち、熊沢蕃山くまざわばんざんの書いたものを読んでいると、志を得て天下国家を事とするのも道を行うのであるが、平生顔を洗ったり髪を梳くしけずったりするのも道を行うのであるという意味の事が書いてあった。花房はそれを見て、父の平生へいぜいを考えて見ると、自分が遠い向うに或物を望んで、目前の事を好いい加減に済ませて行くのに反して、父はつまらない日常の事にも全幅の精神を傾注しているということに気が附いた。宿場しゅくばの医者たるに安んじている父の resignationレジニアション の態度が、有道者の面目に近いということが、朧気おぼろげながら見えて来た。そしてその時から遽にわかに父を尊敬する念を生じた。]
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