« 2024年2月 | トップページ | 2024年4月 »

2024年3月27日 (水)

2024.3.27 県連理事会挨拶

2024.3.27 県連理事会挨拶
                                   
2023年度末の県連理事会になりました。
この間の情勢としては、イスラエルのガザ侵攻が更に激しく継続され、死者3万人、負傷者7万人を超えました。これは明らかになっているだけのもので実際にはそれをはるかにに超えると推測されています。最南部の都市ラファにガザ全体から150万人が追い詰められているところにイスラエルの攻撃が迫る中、国連安全保障委員会は3月25日に停戦を要求する決議を採択しました。アメリカが拒否権を発動しなかったので、ようやく採択にこぎつけられたというものです。この決議に拘束力がないというアメリカの主張もあり、停戦に向けて前進するかどうかは不透明ですが、私達も停戦を求める世界の世論に連なるものとして、できることを探していきましょう。

「山口県医師会報」の3月号に、山口県の医療行政のトップとみなされる岡 紳爾山口県立病院機構理事長の論考がありましたので、資料として添付しています。2020年1月に厚労省が突然424病院(山口県では13病院)を名指しで廃止検討対象としたので、僕なども県庁に行って抗議したことを思い出しました。
しかし、それも新型コロナ事態が勃発、そのなかで公立・公的病院の果たす役割がとても大きかったので、公立・公的病院は大切だと見直された経緯も書かれています。必要なのは公立病院「改革」でなく「機能強化」だと変更したと最後の方に書いてあります

それでも国は2015年に125万床だった病床を2025年に119万床までに減らす、つまり6万床を減らすという計画を変えたわけではありません。人口比でいうと、山口県は全国のちょうど1/100くらいですので600床減らせばいいわけですが、実際は2015年の22273床から 2022年19596床へ、2677床、600床の4.5倍も減っているということが書いてあります。高度急性期、急性期の減少が合計1250床と約5割です。救急車が現地に行っても病院に搬送せず引き上げる、取り返しがつかないほど重症になってようやく搬送されるという事態が頻繁に起こっていますが、その背景はここにあろうかと思えます。
問題は、その実態を述べたあとの「地域医療構想をすすめるにあたっての考え方」の部分にあります。「基本は病院の自己判断に委ねるしかない」としていますが、ある病院が地域のニーズや状況を研究して自院の機能変更の青写真を描いても医師供給は全く見通しがたたない。その中で地域医療構想の調整会議を各圏域で開いて行くのだが、その中で県に調整役を求められてもその能力はない。結局、各医療機関のトップの人たちの経営手腕や病院間の同調圧力に頼るほかはないとして、県としては責任が取れないという告白に至っています。まあ、無責任なことだとは思います。
 そして、急性期医療が縮小するにつれて、残っている中小病院に高齢者救急や感染症、災害時対応を引き受け、これまで培ってきたケアミックスを生かして、いわば病院完結型でやっていってほしいという期待を述べています。地域完結型になるように環境整備をすることなどは半ば諦められているように感じられます。
 私達はここでも県の役割を期待できないわけですが、そのあたりを踏まえて、今後の自分のポジションを見直す、つまりリポジショニングするということが急がれていると思います。
そのとき全日本民医連が経営委員長・経営幹部会議を開いて
「総合的な外来機能強化と外来戦略」
「さらにその外回りの機能の強さ」
「室料差額のないこと、無料定額の実施などの対外的周知」
「安心して住み続けられるまちづくり運動の中での経営安定化」
について詳しく述べていることは大いに参考になると思います、「民医連医療」の4月号に特集されていますので、ぜひボロボロになるまで読みこなしていただきたいと思います。
*実は僕自身は、以上の呼びかけでは具体性に欠けると思っています。実際にはどういうことなのかは、また別の機会に述べることにします。
さて、来週4月1日には2024年度の新入職員を迎えます。コロナ禍のなかで、アルバイト先もない、家族の生計も苦しくなるという中で学生時代を過ごしてきた人たちです。暖かく迎えたいと思います。
 そこで新入職員を歓迎する挨拶をみなさんも依頼されていると思いますが、実はそこで何を述べるかに、今後の民医連をみなさんがどう考えているが現れてくるような気がします。
僕としては、民医連は職員一人一人が平等の権利を持って参加する、いわば自治組織ですあること、自治的に労働し、経営を考え、運動もするユニークな組織を目指していることを強調したいと思います。資本主義制度の中の一企業として職員に企業の規範を身に着けてもらうという傾向が強くなるのは仕方がないのですが、50年前 山口民医連がスタートしたときは職員自治という平等思想が原点にあるのです。これを強調したいと思います。
それから心理的安全性が少なくとも建前としては重視されていることを伝えたいと思います。心理的安全性は医療安全の基本中の基本ですから、なにか言えば人間関係を悪くするのではないかという心配なしに、気づいたこと、言いたいことを自由に言えることは職員の基本的な権利だということを伝えたいと思います。
それから、「あなたが困る患者は、実は本人自身が困っている人」「職員自らの中に湧く陰性感情をリトマス紙にして隠れた貧困に気づいていく事ができる」ということも付け加えたいですね。まぁ、こんなふうに上げていくと、挨拶だけで日が暮れてしまうので、適当に済ませるつもりではあります。では、今日も熱心なご討議よろしくお願いします。

| | コメント (0)

2024年3月23日 (土)

日直にはエッセイ

一日中雨が降り続いた今日は、ワンオペ二次救急の日直だった。数時間は気も狂わんばかりの忙しさだったが、夕方は2時間ほど手が空いた。

そこで連載予定の2回めのエッセイ2500字の原案を書いてみた。ただの思い出に過ぎないところが多く、言いたいことは最後の一段落だけだったので苦労なく書いてしまった。掲載は数ヶ月先だから、その間不測の事態もあるかもしれないと思い、ここに仮にアップしておくことにした。


前回、日本版ヘルス・プロモーション「健康日本(第二次)」の最終評価結果について東北大学公衆衛生学教室の辻 一郎さんが述べたことを紹介した。「生活習慣や基礎的病態の悪化傾向が2014年頃から顕著になっていることについて驚きを隠すことができない。収入や雇用の安定度,労働時間・労働強度,余暇などのさまざまな要因が国民の生活習慣・基礎的病態にどのような影響があったのかについて,今後検討を深める必要がある」と彼は記している。社会経済の変化により生活習慣の悪化が生じ、大規模な健康破壊が起きてくることを予見し、危惧したものと思う。
この発言に影響しているのが健康の社会的決定要因(以下SDHと略)にほかならない。

2008年以降、民医連が国内の諸組織に先駆けて全力で受容しようとしたのは、SDHに基づく健康戦略だった。WHOは2005年にイギリスのマイケル・マーモットを委員長とし、アマルティア・センを特別委員とする「SDH委員会」を立ち上げ、2008年に最終報告「この一世代で健康格差をなくそう」を発表した。これを起点に展開されていく実践が新しいヘルス・プロモーションとしての新しい健康戦略である。
 2008年の時点で10点のSDHが挙げられている。順不同にいうと ①差別と貧困 ②小児期の逆境 ③失業 ④劣悪な労働態様 ⑤薬物乱用 ⑥孤立 ⑦食生活の不良 ⑧公共交通の不備 ⑨住居・好環境の不足 ⑩医療・保健の欠乏である。
よくSDHに数えられる社会格差とストレスはこれには含まれない。総論としての社会格差が上記10点の各論に現象して健康格差を生むという構造だからである。ストレスはセリエのストレス学説であって各SDHが最終的に健康破壊を生んでいく医学生物学的説明である。ストレスに加えて、その後SDHが遺伝子を修飾して発病・発癌に至るエピジェネティクスも医学的説明として加えられている。

 民医連がSDHを受容して合流して行く過程は、ごくごく近い記憶である。SDH委員会最終報告「この一世代で健康格差をなくそう」のエグゼクティブ・サマリー(冒頭要約)を内部資料として日本語に訳して普及し始めたのは、民医連のほうが日本福祉大の近藤克則先生のグループより早かったし、後にWHOに公認された彼らの翻訳の参考にもしてもらえた。また、マーモットの主著である『The Health Gap』(健康格差)を民医連有志他で翻訳して日本評論社から出版する際にもいろんなドラマがあった。有志「他」の中に、来日して民医連を研究していたワシントン大学大学院生ヘイムス・アーロンさんを加えられたのは本当に幸運だった。アカデミーの側に、診療に専念している勤務医グループの翻訳力に率直な疑問が湧き上がったのも無理はないと思ったが、ほぼほぼ読めるものに仕上がったのではないかと思っている。
民医連独自の理念と思われていた「労働と生活の視点で疾患を捉える」が世界的な統計で裏付けられて科学的な根拠を得たと思った私は、「これが21世紀の『空想から科学へ』だ」と主張して、大半の人から怪訝と不審の顔で迎えられたが、それなりに当たっている表現だと今でも思っている。
 しかし、生々しい思い出も多いので、これ以上は割愛しておきたいと思う。とはいえ、一点だけ、個人的な思い出を付け加えておきたい。

 一橋大学の後藤玲子先生がアマルティア・センと、マイケル・マーモット他を同大学に呼んで規範経済についてのシンポジウムを開いた際、後藤先生を知る東大の川本隆史先生の伝手を頼って、マーモットさんに無理やり面会して翻訳の許可をもらったときのことである。私はお土産として岩波文庫の吉野源三郎「君たちはどう生きるか」を持って行った。軍国主義日本の下、治安維持法違反で逮捕され自殺未遂も図った吉野のこの本は、暗い時代の人間の「正気」を恐れず示したものだった。マーモットさんの新著『The Health Gap』(健康格差)を現代の『君たちはどう生きるか』として若い世代に提供したい。ついては、主語を「僕」にして、文体も若い人向けにしたい(つまり「『ライ麦畑で捕まえて』ふうに)という希望を述べた。ところがマーモットさんは渋い顔で「読者はニューヨーク・タイムズを読む層を想定している。私が若者言葉を使うのも想像できない」という返事でこれは拒絶された。「お孫さんはいないのか」と聞くと「成人した娘がいるだけ」とにべもなかった。せっかくの内容だったのに、こちらが思うほどにはベストセラーにならなかった原因はこのあたりにあると思う。岩波文庫も、日本語は読まないとのことで受け取ってもらえなかった。じつはマーモットさんのもとに日本人学生が多数留学しているのを知っていたので、彼らに私達の意図が伝わることを期待していたものだったが実らなかった。

「君たちはどう生きるか」が漫画本になり、さらに内容は直接関係ないが宮崎駿の同名のアニメになって大ヒットしたのはその後のことだった。
  
 閑話休題、振り返ってSDHに基づくヘルス・プロモーションと民医連の合流の本質がどこにあったのかと改めて考えると、戦後世界の平和構想や日本国憲法を超えた世界規範としてのリベラル平等主義、言い換えれば「『公正』として正義」との合流だったと思える。それはジョン・ロールズやアマルティア・センに代表される実践的な思想である。

 実はロールズ「正義論」は民医連理念に早くから取り入れられている。1961年の民医連綱領に採用された民医連造語「働くひとびと」を「資本主義社会のなかで最も困難な状況に置かれている人びと」に代表させて「その立場に立つ」という文言は度々使用され、2006年の新綱領原案に織り込まれた。これがロールズ正義論の格差原理「不平等何もし許容されるとするなら、それが最も不遇な人々の期待に寄与するものでなければならない」の遠い反映であることは元会長の高柳 新さんに確認した。その後.2010年の民医連新綱領ではこの文言が姿を消すが、その詳細な経緯についてはよく分からないでいる。


 以上、やや、不十分な叙述に終わった気がするが、SDHに基づくヘルス・プロモーション、ひいては「『公正』として正義」との合流は、2020年以降の「フェミニズムに基づく『ケアの倫理』」との合流の際により大きな意味を持ってくるのである。それは次回に。

| | コメント (0)

2024年3月19日 (火)

社会的処方とアウトリーチに特化した社会福祉士配置は医療と地域経済の改善に役に立つ

二木立さんの観察によると、イギリスで社会処方を担っているのは医師ではなく、NHS(イギリスの国民皆保険)から雇用されているソーシャルワーカだとのことである。医師と協働する専門家として位置づけられている。

そこで日本でも各自治体は、最低限として自治体立の病院、さらに手揚げをした病院・クリニックに、社会的処方とアウトリーチ専に特化した社会福祉士を正規雇用して配置したらどうだろうか。

確実に地域の健康は向上し、川下の医療費総額は減少し、地域の雇用が増える契機になる。

| | コメント (0)

2024年3月15日 (金)

民医連のビジネスモデル

医師が民医連に来たり、居座ったりする理由を3類型に分類してみた。
①こんなだめな自分でも安心できる居場所であること。つまり暖かい職員集団があるということ。

②ここだから初めて可能になる技術的課題があること。今なら在宅とか家庭医療だとかコミュニティ・ホスピタルという類い。これは力量の高い優秀賞な職員集団がいるかどうかにかかる。

③自分の価値観、正義感と組織の目標が一致すること。これは同じ方向を見て献身的に活動する職員集団によって支えられる。

これまで③が主で①、②は従となんとなく思ってきた。
そしてそういうビジネスモデルの選択に自分たちはある程度成功し病院を作ることが出来た、しかし今後はその可能性はないと絶望感も感じていた気がする。

しかし、考えてみると、誰しもこの3つを持っているのではないか。
僕も正義感のおもむくままに民医連を求めただけでなく、医学部のクラスの俗な雰囲気が嫌いで、そういう世間からは外れていたいと思うところがあって民医連に来たのだろう。
また歴史の浅い民医連の病院では若い医師の意向が尊重されて、手技も早く上達することに満足していた時もあった。

つまり上に挙げたのは3類型ではなく、3要素というべきものである。

そして、僕が何気なくそれらが上手くいく条件に挙げたのは、全て成熟した職員集団が必須の前提条件だった。つまり医師にとって、自分が何者であるかは自分の考えというよりは職員集団によって決まるものなのである。

③に絶望するより、いまの①、②はどういうものになっているのかを良く検討した方がいいのではないか。
さらに③について言えば、若い時の正義感はなんとも浅薄で恥ずかしいものである事が多い。

| | コメント (0)

鴎外と熊沢蕃山

森鴎外「カズイスチカ」はいろんな点で面白い。
例えば、鴎外が江戸時代初期の陽明学者 熊沢蕃山を読んでいるところなど。蕃山の説く日常生活へのマインドフルネスが父のresignation諦念と同じに見えて、急に父を尊敬する気持ちになるところは、この小説の主題である。
熊沢蕃山とは誰だったろう?
検索すると岡山藩に使えた儒者で、1654年の備前地方の大水害の際、被害者の救済にあらゆる手段を講じて奔走した人とある。
これを見ると、氾濫した川は違っても、2018年の真備町を襲った西日本大水害を思い出さない人はいないだろう。

「初めは父がつまらない、内容の無い生活をしているように思って、それは老人だからだ、老人のつまらないのは当然だと思った。そのうち、熊沢蕃山くまざわばんざんの書いたものを読んでいると、志を得て天下国家を事とするのも道を行うのであるが、平生顔を洗ったり髪を梳くしけずったりするのも道を行うのであるという意味の事が書いてあった。花房はそれを見て、父の平生へいぜいを考えて見ると、自分が遠い向うに或物を望んで、目前の事を好いい加減に済ませて行くのに反して、父はつまらない日常の事にも全幅の精神を傾注しているということに気が附いた。宿場しゅくばの医者たるに安んじている父の resignationレジニアション の態度が、有道者の面目に近いということが、朧気おぼろげながら見えて来た。そしてその時から遽にわかに父を尊敬する念を生じた。]

| | コメント (0)

森鴎外「カズイスチカ」



「マインドフル・プラクティス」の訳者序文で引用されていた森鴎外「カズイスチカ」(症例報告という意味)を青空文庫で読んでみた。読んでいなかったのですか!などと言われるのが怖いが。

例によって言葉が難しい。しかし、鴎外の自験例を並べた後半になるとがぜん面白いので我慢が必要である。

もちろん前半にはマインドフル・プラクティスに関する、父親の思い出やcontemplation瞑想やresignation諦念の事が書いてある。
そこでは、何をしていてもそれがすべて次にすることの準備のようで常に落ち着かない鴎外の自省がとても身近に感じられる。どんな患者もいつか受けるだろう試験の学習材料に見えているようではだめなのである。野球でも「一球入魂」というらしいので誰でも気づいていることかもしれない。

後半で、農家の少年の破傷風を大量のクロラールで治療するという話を読んでいて、そういえば、小児科研修(1977年)で「エスクレ座薬」というのを使っていたということを思い出した。抱水クロラールの製剤でごく初期の抗けいれん剤・鎮静剤である。
1977年は鴎外死後55年だが、何となく同時代人という気がしてきた。
同じく青空文庫で、妹の小金井喜美子「鴎外の思い出」に目を通すと。鴎外は家族からは「林(りん)さん」と呼ばれていたようだ。
なお北海道 空知医師会の方波見康雄さんの以下のエッセイも参考になる。鴎外の父のような石見津和野の僻地の医師もオランダ語のメディカル・エッセイを読んでいたのだ。昔の人のほうが学ぶ意欲が大きかったということか。

http://www.hokkaido.med.or.jp/cmsdesigner/dlfile.php?entryname=medical_report&entryid=00024&fileid=00000499&/1223-10.pdf&disp=inline

| | コメント (0)

2024年3月11日 (月)

「健康日本21」(2013-2022)最終報告の矛盾ー今後大きな健康悪化が日本を襲う

2ヶ月前の正月の影響か、今日の予約外来は、いつもより予約数少なく、非営利・協同総合研究所「いのちとくらし」会報用の2600字のエッセイを書くのに使った。

その中で、日本版「ヘルス・プロモーション」である「健康日本21」の厚労省最終報告(2022年)が健康寿命の若干の延伸を成果の第一に挙げたことについて触れてみた。

とくに、「健康寿命」の提唱者であった東北大の辻一郎さんが、それは健康日本21の成果というより、ずっと前の生活や医療の変化、例えば水洗トイレの普及によってピロリ菌感染が減少して胃がん罹患・死亡が減るなどの、過去の遺産のせいで、むしろこの間の様々な政府施策にもかかわらず、生活習慣指標は不変・悪化が目立ったことに「驚きを隠せず」、将来の大規模な日本人の健康悪化に「危機感を持つべきだ」、さらにこの間の社会経済状況が生活習慣悪化に関連あるはずだと述べたことについては、大切な指摘なので強調しておいた。
もとの論文は以下に。
https://www.niph.go.jp/journal/data/71-5/202271050002.pdf

しかし、この程度のものを書くのにも随分疲れてしまうようになった。

| | コメント (0)

2024年3月 3日 (日)

雑誌「現代思想」2月号

で、自分が一知半解で小説「ハイファに戻って」を読んでいた事がわかった。
主人公が追放された故郷ハイファを再訪できたのは、1967年第3次中東戦争で勝利したイスラエルが、1948年のナクバの際に主人公が逃れた先のヨルダン川西岸地区の中心都市ラマッラーを占領したからだった。
行政的に統一されたので、イスラエルが自らの繁栄を誇示するためにアラブ人に故郷再訪を許可した。
その時の主人公のたどる経路は、ラマッラーからまず南に向かい、まだ東西に分割されていたエルサレムを窓口にして経由して、遠回りしながらイスラエル本土内を通って北上しハイファに着いたはずだ。
乗っていた車がヨルダン・ナンバーだったのは、イスラエル建国の1948年から第3次中東戦争の1967年までは、ラマッラーはヨルダン領であり比較的平穏に経過していたからである。

| | コメント (0)

2024年3月 2日 (土)

空を飛ぶ

中島みゆき「この空を飛べたら」(1978年)について何回か書いたが、2023年10月7日、空を飛んで壁を越えたハマスの兵士の行動を予言したものになったと今日気づいた。イスラエルが作ったフェンスに囲まれて生きる若者のたちの思いを語るものだった。
「今日も走っていく」という謎の部分は、飛行への助走のことだった。

似たような詩がある。
パレスチナの詩人マフムード・ダルウィーシュ「世界の果てに辿り着いたとき、われらはどこへ行けばよいのか。
最後の空が終わったとき、鳥はどこで飛べばよいのか」

https://www.middleeastmonitor.com/20231110-where-should-the-birds-fly-after-the-last-sky/?fbclid=IwAR0ZrTr1svmQSJ_Jm5HX3aB4eOzYFtETHydNViIdON1okfJk3jIz5gRCiXw

| | コメント (0)

« 2024年2月 | トップページ | 2024年4月 »