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2024年2月26日 (月)

井上隆史『大江健三郎論 怪物作家の「本当ノ事」』光文社新書

昨日、書店でたまたま見かけて購入、今朝には読み終えていた。

https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334102234

井上隆史という人の本は初めて読むが、大江健三郎の一生をわかりやすく俯瞰できる面白い読み物として評価できる。大江健三郎を読む上での一人の視点による案内本として今後も重宝されるだろう。

大江の作品のだいたいのものは読んできたつもりだったが、高校生の頃に読んだものは記憶が薄れているし、作品相互の関係などは考えたことがなかったので、全体の配置の解説はありがたい気がした。「沖縄ノート」裁判の解説が公平かどうかはよくわからない。大江攻撃側寄りのようではある。

川端康成のノーベル文学賞受賞が極めて国際政治性が高かったものであること(p204)や、大江が自らの受賞講演でそれを攻撃したこと、及び同時期の文化勲章拒否によって、保守勢力の攻撃の標的になったことなど、これまであまり意識したことがなかった。愛媛県が大江の顕彰に消極的に見える理由も分かった気がする。ほぼ同じ理由で杉村春子も文化勲章を辞退し、大岡昇平も芸術院会員にならなかったが、彼らが格別右派勢力の攻撃を受けて受けていないこととの違いも考えさせられる。

しかし、大江の到達点が、「三島に対する敗北宣言」(p265) 裁判などの影響を受けて「西洋的ヒューマニズムの価値観をナショナリズム=天皇主義の観点から乗り越えようとする」ものだった(p309)、混迷の世界の中で「民主主義も平和主義ももはや従来のままでは全く通用しない」、「いったん民主主義と平和主義を否定し」混迷の「底にわだかまっているおぞましきものと向き合う必要がある」(p318)となっていくという結論には全く賛成できないし、カオスの前で立ち止まって省察するという必要な行為を、原則放棄、思考停止に誤誘導することにならないだろうか。

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