青空文庫で大石誠之助
今日、青空文庫で大石誠之助の文章が読めることを発見した。
医師が料理の腕を振るうコミュニティ・レストランが1904年に和歌山県新宮市に誕生したのである。
「太平洋食堂」 大石誠之助
私事先月の初から急に思ひ立ち、当地に太平洋食堂と云ふ一つのレストラントを設けんとて、俄かに家屋を新築、器具装飾の買入等非常にいそがしく、目下夜を日についで働いて居ります。尤も自分の本業を捨てゝと云ふ程の勇気もまだありませんが、薬売りにしんにゅうをかけた様な今日の医者の仕事があまりに単調にして、面白くなきに厭き果て、何とかしてより多き利益を地方人に与へんものと、図らず之を思ひ附いたのです。茲にレストラントと云ふも、普通の西洋料理店と違ひ、家屋の構造、フヲルニチユーアの選択、内部の装飾等、一々西洋風簡易生活法の研究を目安として意匠をこらし、中に新聞雑誌縦覧処、簡易なる楽器、室内遊戯の器具等を置き、青年の為、清潔なる娯楽と飲食の場処を設くるにつとめつつあります。其他日を定めて貧民を接待する事、家庭料理の稽古をさせる事なども重なる仕事の一つとする筈です。右等の設備も目下九分通りまで出来、ウエター、コツク抔の練習中にて、おそくも本月一日には開業の予定に成りました。雇人に一通りの事を教へる迄は自分がカウンターに立ち、テーブルに侍し、又レンジの前に働かねばならぬ訳で、茲三四ヶ月は八人芸をやらねばならぬ事と思ひます。
〔禄亭君『家庭雑誌』第二巻第一〇号・明治三七年一〇月二日〕
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