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2024年2月27日 (火)

ローカル政治新聞への寄稿の準備



「患者中心の医療技法」は家庭医療の核となる技法だが、それとは別のありきたりな「患者中心の医療概念」が世間には広がっている。例えば慶応義塾大学病院のホームページには「患者中心の医療」の説明図がある。患者さんを中心に20人ほどの各職種が円になって手をつないでいる絵である。確かに病衣を着た患者が中心にいる。しかし、これは単にチーム医療の図示でしかない。チームと患者の関わり、チーム内での協働のあり方について示すものは何もない。取り柄とすればメンバー間の平等が表現されているというところだろうが、その実態は疑わしい。

これに対して「患者中心の医療技法」は起源も命名者も明確なものである。誰しもが認める優れた南アフリカの家庭医レーベンスタインの診療をつぶさに観察した、マックウィニー率いるカナダの研究者たちが1986年に定式化した。その内容は①疾患を理解することと患者心理を理解することの二重の課題を遂行する、②患者の社会的背景を把握する、③共通の理解基盤のもとに医療行為を現実的に進める、④患者―医療者の結びつきを深めるという4要素からなるものである。

これが2000年頃に日本に紹介されたとき、特に①は「なぜ他でもない、今このとき、ここに、この患者は現れたのか」を問うものとして衝撃的だった。ただの感冒に見えても、受診する理由は無限にあり、それを知ることなく診療がありえるのかということである。あまりに衝撃的だったので患者の解釈を訊く図式的な問診法も現れて後に反省されることになる。そして中心に置かれるべきものは③の共通基盤の形成にあると考えられるようになった。意思決定を患者と医師が共有する方法とも言われる。よくインフォームド・コンセント「情報を与えられた上での同意」が大切というが、情報の提供だけで合意が形成されることはない。①、②、④が揃わなければニセの合意にしかならないからである。

このように「患者中心の医療技法」は、慶応病院の「患者中心の医療」とは全く別物である。この事態は十分予想できたので、やはり訳語の当て方の戦略的失敗だったとしか言えない。訳語一つで、革命的な技法がありきたりの物言いの中に紛れ込んで普及しなくなってしまった。「共通基盤医療」とでも言えば良かったという意見がある。

それはそれとして、その後の新自由主義蔓延のなかで、僕としては中心を④に移すべきと考えている。その転換については字数が尽きたので、次回に。

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