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2024年2月17日 (土)

ローカル政治新聞への投稿 家庭医療

ローカル政治新聞への投稿。いや、こんな面白くないものを読まされる人のことを考えると内心忸怩たるものがある。医療現場に題材をとった心暖まるエッセイが期待されているのだし、それを書くのはそう難しくはないのだが、それでは僕自身のなかに発見がない。

前回、和歌山・新宮の医師大石誠之助(1910年処刑)が目指した医療は、今日的な「家庭医療」ではないかということを書いた。では家庭医療とはなんだろうか。最近の街には「ファミリー・クリニック」を名乗る開業医も少なくない。「何世代にも亘る家族まるごと、どんな健康問題でもお世話しますよ」という理想を掲げているわけだが、単身高齢世帯が増え、家庭が消えつつあるときに、なぜファミリーなのか?

実は家庭医療はもともと「一般医療」と呼ばれて20世紀前半まで医療の主流だった。しかし20世紀中頃の科学技術革命のなかで医療技術も急速に高度化し、医療には「大病院の世紀」が訪れた。医師は臓器別・疾患別に専門化して大病院に集まり、医師を補助する職種が次々生まれた。その影で一般医療は廃れた。

しかし、「大病院の世紀」の使命は細菌感染症の制圧であり、その成功が時代を終わらせることになる。細菌感染症以外の病気、公害病、職業病、成人病が重要性を増した。さらに新自由主義がおしつける健康自己責任論に対抗する現代衛生学によって病気の原因の大半が資本主義下の社会格差にあるということが証明されると、再び一般医療への注目が強まった。大病院における患者の無権利状態も同時に問題となり、これらの克服を自らの役割と自覚した一般医は、主流の専門医と対等な自らの専門性を探り始めた。

その時、彼らが選んだのが古臭い「一般医療」でなく新鮮な「家庭医療」という名称だった。その心意気は、大病院の外に広がる人々の日々の生活や労働、産業、つまり社会という海に命綱一つで飛び込もうというものだったのである。その例が大石誠之助の「太平洋食堂」のような社会的活動(ソーシャル・アクション)であり、その命綱が実は町場の中小病院だった。

しかし、社会の変化は名称を追い越してしまう。家庭機能が失われた時代に挑もうとするのが家庭医療だという奇妙な事態が出来してしまった。これを「解釈改憲」で乗り切るなら「医療が人々のファミリーになる」、「中小病院が人々のメディカル・ホームになる」世紀が来るということになるのだろう。つまりファミリーから「ホーム」への切り替えである。そこで、その柱になるのが「患者中心の医療」なのだが、この言葉も実はより微妙な矛盾に直面している。次回はその問題を論じたい。

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