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2024年2月28日 (水)

2024.2.28 山口民医連理事会挨拶

もう2月が終わろうとしていますが、夜間の会議参加ご苦労さまです。

ロシアのウクライナ侵略から2年、イスラエルのガザ侵攻から5ヶ月、能登地震から2カ月を経過しようとしていますが、いずれも解決や復興の見通しが立たないままであることに気持ちが暗くなります。

そういう中で2月22日から24日まで全日本民医連第46回総会が開かれ、今後2年の方針が決まりました。それについては、あとで代議員の報告をお聞きしようと思いますが、冒頭に述べた懸案も含め、いろんなことにとって決定的な2年になるだろうと思います。
無為に過ごす2年にしてしまうか、画期となる2年にするかの決断を今問われていると思います。

今日は何をさておいても、そのような危機意識を共有することを目標にしたいと思います。

経営問題も深刻ですが、後継者問題、とりもなおさず将来の医療活動の展望において民医連全体も山口民医連も未曾有の危機にあると言っていいのではないかと思います。

僕が漏れ聞いたところによると、若手職員のなかでは「辞めるなら35歳までに決意しないと次がない」と囁かれているといいます。はっきりいうと沈む泥船に乗ってられないという意識が芽生え始めているのではないでしょうか。

いや、泥船ではないと経営幹部の皆さんは証拠をあげて反論できると思いますが、株価や景気と同じで、問題は気分なのです。ここで浮足立つと、できるはずのことができなくなって、本当に泥船になります。

若い職員の心理的安全性を向上させることを第一義的課題として、職員間の連帯を強くし、地域からの信頼を得るために学びあう県連にするにはどうすればいいかを、全日本民医連総会方針学習の中で、しっかり討論していただきたいと思います。

私自身として、いま3つくらいしたいことがあります。

一つは「山口民医連医報」を復活させることです
全日本の学運交、県連の学運交 、看護・介護症例検討会をはじめとして
外部に発表された学会報告、文章、講演記録を集めて一冊にしたものです
それを地域の皆さんにお配りして、私達のしていることを正確に知ってもらいたいと思います。

第二は山口民医連 宇部協立病院「医局」報をこれも復活させることです。
2ヶ月に一回くらい、「医師の肖像」として医師の皆さんのロングインタビューを中心にして発行したいと思っています。自分の生い立ちからスタートして、この困難な時期にどういう希望を持って働いているのかを、ありきたりな言葉でなく、その人の深いところから発する言葉によって語ってもらえれば、医学生や多くの関係者に大きい影響を与えることができると思います。問題は、そのような言葉を引き出すインタビュワーの発見、育成なのですが、ぜひ皆さんのお知恵をいただきたいと思います。
苦悩する医師の時代的証言としても貴重なものになると思います

3つ目は袋小路に入り込んだかのように閉塞している状況を突破していく県連機能強化の設計図を改めて書き直すことです。

お配りしている資料に「コミュニティ・ホスピタル」の連合会のようなものができたという文書があります。つい最近、医学書院の雑誌「病院」にほぼ1年間コミュニティ・ホスピタルの連載があったのをコピーしてお配りしたばかりですが、そこに執筆していた人たちを中心にコミュニティ・ホスピタルを目指す病院の組織がもう出来上がり、民医連の病院も一条通病院と上戸町病院の2つ加わったところで、活動を始めようとしています。HPHに対抗するものなのかもしれませんが、私達の外では、すでに中小病院を巡ってなにか激しい動きが起きているのです。もっと敏感にそれを捉える努力も必要だと思います。

以上を申し上げて、いつもより短い私の挨拶を終わります。

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2024年2月27日 (火)

ローカル政治新聞への寄稿の準備



「患者中心の医療技法」は家庭医療の核となる技法だが、それとは別のありきたりな「患者中心の医療概念」が世間には広がっている。例えば慶応義塾大学病院のホームページには「患者中心の医療」の説明図がある。患者さんを中心に20人ほどの各職種が円になって手をつないでいる絵である。確かに病衣を着た患者が中心にいる。しかし、これは単にチーム医療の図示でしかない。チームと患者の関わり、チーム内での協働のあり方について示すものは何もない。取り柄とすればメンバー間の平等が表現されているというところだろうが、その実態は疑わしい。

これに対して「患者中心の医療技法」は起源も命名者も明確なものである。誰しもが認める優れた南アフリカの家庭医レーベンスタインの診療をつぶさに観察した、マックウィニー率いるカナダの研究者たちが1986年に定式化した。その内容は①疾患を理解することと患者心理を理解することの二重の課題を遂行する、②患者の社会的背景を把握する、③共通の理解基盤のもとに医療行為を現実的に進める、④患者―医療者の結びつきを深めるという4要素からなるものである。

これが2000年頃に日本に紹介されたとき、特に①は「なぜ他でもない、今このとき、ここに、この患者は現れたのか」を問うものとして衝撃的だった。ただの感冒に見えても、受診する理由は無限にあり、それを知ることなく診療がありえるのかということである。あまりに衝撃的だったので患者の解釈を訊く図式的な問診法も現れて後に反省されることになる。そして中心に置かれるべきものは③の共通基盤の形成にあると考えられるようになった。意思決定を患者と医師が共有する方法とも言われる。よくインフォームド・コンセント「情報を与えられた上での同意」が大切というが、情報の提供だけで合意が形成されることはない。①、②、④が揃わなければニセの合意にしかならないからである。

このように「患者中心の医療技法」は、慶応病院の「患者中心の医療」とは全く別物である。この事態は十分予想できたので、やはり訳語の当て方の戦略的失敗だったとしか言えない。訳語一つで、革命的な技法がありきたりの物言いの中に紛れ込んで普及しなくなってしまった。「共通基盤医療」とでも言えば良かったという意見がある。

それはそれとして、その後の新自由主義蔓延のなかで、僕としては中心を④に移すべきと考えている。その転換については字数が尽きたので、次回に。

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2024年2月26日 (月)

井上隆史『大江健三郎論 怪物作家の「本当ノ事」』光文社新書

昨日、書店でたまたま見かけて購入、今朝には読み終えていた。

https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334102234

井上隆史という人の本は初めて読むが、大江健三郎の一生をわかりやすく俯瞰できる面白い読み物として評価できる。大江健三郎を読む上での一人の視点による案内本として今後も重宝されるだろう。

大江の作品のだいたいのものは読んできたつもりだったが、高校生の頃に読んだものは記憶が薄れているし、作品相互の関係などは考えたことがなかったので、全体の配置の解説はありがたい気がした。「沖縄ノート」裁判の解説が公平かどうかはよくわからない。大江攻撃側寄りのようではある。

川端康成のノーベル文学賞受賞が極めて国際政治性が高かったものであること(p204)や、大江が自らの受賞講演でそれを攻撃したこと、及び同時期の文化勲章拒否によって、保守勢力の攻撃の標的になったことなど、これまであまり意識したことがなかった。愛媛県が大江の顕彰に消極的に見える理由も分かった気がする。ほぼ同じ理由で杉村春子も文化勲章を辞退し、大岡昇平も芸術院会員にならなかったが、彼らが格別右派勢力の攻撃を受けて受けていないこととの違いも考えさせられる。

しかし、大江の到達点が、「三島に対する敗北宣言」(p265) 裁判などの影響を受けて「西洋的ヒューマニズムの価値観をナショナリズム=天皇主義の観点から乗り越えようとする」ものだった(p309)、混迷の世界の中で「民主主義も平和主義ももはや従来のままでは全く通用しない」、「いったん民主主義と平和主義を否定し」混迷の「底にわだかまっているおぞましきものと向き合う必要がある」(p318)となっていくという結論には全く賛成できないし、カオスの前で立ち止まって省察するという必要な行為を、原則放棄、思考停止に誤誘導することにならないだろうか。

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2024年2月21日 (水)

困窮者の訴えを疑う行政に文殊菩薩は有効か

『目の前の人間が、何百年も前の他の人間の反映である、という「見立て」「やつし」構造も(江戸文化の影響の強い現代作家)石川淳作品の基本的方法である』と江戸文学研究の田中優子が解説している。
もともとは能という芸能の構造の話かもしれない。
語り手の目の前に偶然いる人が、語り手の仮の眠りの中で昔のある人物として登場し、知られざる真実を語り始めるというような。
つまり、「やつし」や「見立て」はむかしの誰かが目の前の人の姿を借りて現れているわけである。
中でも「やつし」とは、「日本の文化の基底にある美意識のひとつであり、日本の芸術の表現方法のひとつである。 やつしは、見すぼらしい様にする,姿を変えることを意味する」(ウィキペディア)。 
こんなことを言うのは、困窮者・被害者の申し立てが支援を業務とするものからどんなに疑われやすいかを嘆いているからである。
支援にあたって、解決法の選択肢を示して、原則として当事者の選択に任せることは技術的中立性と言って支援上の常識である。しかし、支援を要する原因となる事実が本当かどうかを疑ってかかるという中立性は、道徳的中立性と呼ばれるもので、支援そのものを成り立たせなくする悪習だと言える。
この悪習から逃れることがどんなに難しいかは、行政窓口の担当者の大半がそれに陥っていることからもわかる。
これは古来からそうだったようで、そこで発明されたのが文殊菩薩信仰である。
文殊菩薩信仰は、文殊菩薩が 貧窮者 、孤独者、病気や苦悩を背負う衆生に身を「やつして」支援者の前に現われ、支援者自身の救済の機会を与えるというものである。あるいは相談者を文殊菩薩と見立てて大事に扱う。
目の前のずるそうな、嘘ばかり言っていそうな、貧しい身なりの者が、実は文殊菩薩ではないかと思ってみることができれば、正しい支援に少しは役に立つか。というより、古来こんな方法しか偏見克服の技術は発展してこなかったのである。
江戸時代以前のこの方法を現代日本で使うにはどうしたらいいだろう

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2024年2月17日 (土)

ローカル政治新聞への投稿 家庭医療

ローカル政治新聞への投稿。いや、こんな面白くないものを読まされる人のことを考えると内心忸怩たるものがある。医療現場に題材をとった心暖まるエッセイが期待されているのだし、それを書くのはそう難しくはないのだが、それでは僕自身のなかに発見がない。

前回、和歌山・新宮の医師大石誠之助(1910年処刑)が目指した医療は、今日的な「家庭医療」ではないかということを書いた。では家庭医療とはなんだろうか。最近の街には「ファミリー・クリニック」を名乗る開業医も少なくない。「何世代にも亘る家族まるごと、どんな健康問題でもお世話しますよ」という理想を掲げているわけだが、単身高齢世帯が増え、家庭が消えつつあるときに、なぜファミリーなのか?

実は家庭医療はもともと「一般医療」と呼ばれて20世紀前半まで医療の主流だった。しかし20世紀中頃の科学技術革命のなかで医療技術も急速に高度化し、医療には「大病院の世紀」が訪れた。医師は臓器別・疾患別に専門化して大病院に集まり、医師を補助する職種が次々生まれた。その影で一般医療は廃れた。

しかし、「大病院の世紀」の使命は細菌感染症の制圧であり、その成功が時代を終わらせることになる。細菌感染症以外の病気、公害病、職業病、成人病が重要性を増した。さらに新自由主義がおしつける健康自己責任論に対抗する現代衛生学によって病気の原因の大半が資本主義下の社会格差にあるということが証明されると、再び一般医療への注目が強まった。大病院における患者の無権利状態も同時に問題となり、これらの克服を自らの役割と自覚した一般医は、主流の専門医と対等な自らの専門性を探り始めた。

その時、彼らが選んだのが古臭い「一般医療」でなく新鮮な「家庭医療」という名称だった。その心意気は、大病院の外に広がる人々の日々の生活や労働、産業、つまり社会という海に命綱一つで飛び込もうというものだったのである。その例が大石誠之助の「太平洋食堂」のような社会的活動(ソーシャル・アクション)であり、その命綱が実は町場の中小病院だった。

しかし、社会の変化は名称を追い越してしまう。家庭機能が失われた時代に挑もうとするのが家庭医療だという奇妙な事態が出来してしまった。これを「解釈改憲」で乗り切るなら「医療が人々のファミリーになる」、「中小病院が人々のメディカル・ホームになる」世紀が来るということになるのだろう。つまりファミリーから「ホーム」への切り替えである。そこで、その柱になるのが「患者中心の医療」なのだが、この言葉も実はより微妙な矛盾に直面している。次回はその問題を論じたい。

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2024年2月16日 (金)

準備無しに、命綱なしに、『困窮の海』に飛びこむ

『サバルタンは語ることができるか』のスピヴァクが学習者や支援者の心構えとして
「準備無しに命綱(いのちづな)一つで『他者の海』に飛びこむ」
ことの必要さを説いているという記述を深夜に読む。

僕のような医者は陸地からロープを投げているだけだが(いや、それさえも怪しい)、
アウトリーチに特化した我々の勇敢なソーシャル・ワーカーたちはスピヴァクを笑うだろう。

どこの困窮者支援に命綱が保障されているのですか?

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ハン・ガン『少年が来る』第4章「鉄と血」

(1)読書会のためハン・ガン『少年が来る』第4章「鉄と血」を読み直してみると、ザワザワと悪寒が来る。
この文章を、さほどの感情の動揺なく平然と朗読できるだろうか。

知らない人のブログを引用:
https://s-taka130922.hatenablog.com/entry/2017/02/19/210849
民主化運動に関わったとして逮捕、拘禁された学生や市民への拷問は、それ以上に苛烈を極めた。ボールペンを指の間に挟んで痛めつける。肉が破れ、指の白い骨が見えるほどに責めつけられる。食事は一握りの飯とわずかに具の浮いた汁と少しばかりのキムチ。その少ない食事をふたりの受刑者が分け合う。高まる飢餓感はやがて、同志であるはずのふたりに互いが猜疑心に満ちた眼で見るように変えていく(「第4章 鉄と血」)。

読みどころはここではなく、章の最後に来る。泣かずに朗読し終えるか心配だ。

 

(2)読書会。いつものように、オーディブルのごとく僕が朗読して行くのだが、ベテランの皆さんだけでなく、新人男性看護師の読みも的確で感心する。
僕が死んだ後、誰かが「すでに随分高齢だった先生が韓国の小説を一冊だけ取り上げて朗読してくれたことが記憶に残っています」と言ってくれる場面をふと想像した。全然高齢じゃないのだが皆さんの記憶の中ではそうなっているわけ。

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2024年2月13日 (火)

医局報を再刊するアイデア


しばらく廃れている医局報を再刊するアイデアを思いついた。

①メイン記事は一つ。「医師の肖像」。
これはある人材派遣会社の雑誌のパクリである。
10人少ししかいない医師の掲載を一わたり終われば、1シリーズ終了でふたたび医局報は長い休刊に移行する。

②インタビュワーは公募の医学生。おおよその医師略歴を示された上で、この医師の越し方、行く末、日々の喜びや悲しみはどんなものだろうという想像力と好奇心を中心に質問を考えてもらう。
「歴史的使命を終えつつあるかに見える高齢者医療中心の中小病院の医師の複雑な思いの研究をプロジェクトにして、できれば社会医学系の学会で発表したい」と思う野心的な医学生を見つけられればこれ以上のことはない。

③あくまで医学生目線で、本人の無駄な自慢話と思える部分は容赦なくカットする。全部がカットされる医師がいるかも知れないが。ともかく時代に翻弄され、不安に震えながら、明日への希望を持ち続ける医師像、その死生観、人生観を浮き彫りにしたい。やぁどこか演歌調だなぁ。
④インタビューの方法については、当院の産業医を委託している県立病院の精神科医から講義を受けることにする。
なお、これは相当額の有料の委託にする。

なお、このアイデアを採用された医局があればご一報ください。支払先は僕になっている請求書をお送りします。

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2024年2月 7日 (水)

deserve

deserveという単語は「〜に値する」という意味だが、うまく訳しにくいことがある。
マーモットさんの本を訳すとき、そこは苦労したななどと考えていて、書き付けておこうと思ったことがある。
世の中に支援に値しない人間などいないというのは、対人援助に当たる者の原点である。そこに疑いを持つのなら対人援助職にいてはならない。
それが原点であることは、例えば人間であれば誰にも人権があることが原点であるのと同じである。もし、これに疑いを持つのであれば、少なくとも行政職にいてはならないだろう。
自分を他人の承認に値しないものだと考える人がいることを人さまざまと言って済ませてはならない。

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青空文庫で大石誠之助

今日、青空文庫で大石誠之助の文章が読めることを発見した。
医師が料理の腕を振るうコミュニティ・レストランが1904年に和歌山県新宮市に誕生したのである。
「太平洋食堂」 大石誠之助
私事先月の初から急に思ひ立ち、当地に太平洋食堂と云ふ一つのレストラントを設けんとて、俄かに家屋を新築、器具装飾の買入等非常にいそがしく、目下夜を日についで働いて居ります。尤も自分の本業を捨てゝと云ふ程の勇気もまだありませんが、薬売りにしんにゅうをかけた様な今日の医者の仕事があまりに単調にして、面白くなきに厭き果て、何とかしてより多き利益を地方人に与へんものと、図らず之を思ひ附いたのです。茲にレストラントと云ふも、普通の西洋料理店と違ひ、家屋の構造、フヲルニチユーアの選択、内部の装飾等、一々西洋風簡易生活法の研究を目安として意匠をこらし、中に新聞雑誌縦覧処、簡易なる楽器、室内遊戯の器具等を置き、青年の為、清潔なる娯楽と飲食の場処を設くるにつとめつつあります。其他日を定めて貧民を接待する事、家庭料理の稽古をさせる事なども重なる仕事の一つとする筈です。右等の設備も目下九分通りまで出来、ウエター、コツク抔の練習中にて、おそくも本月一日には開業の予定に成りました。雇人に一通りの事を教へる迄は自分がカウンターに立ち、テーブルに侍し、又レンジの前に働かねばならぬ訳で、茲三四ヶ月は八人芸をやらねばならぬ事と思ひます。
〔禄亭君『家庭雑誌』第二巻第一〇号・明治三七年一〇月二日〕

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岸田智史「君の朝」の歌詞

ある人の投稿で、おやと思って確かめたのだが、1979年のヒット曲で、朝のTVショーでもずっと流れていた岸田智史「君の朝」の歌詞。
確かに朝に永い別れをする自死の話だった。心で繋がろうと思っても身体がなくなれば無意味だというような。
「体中輝きながら旅立っていけ 朝に 」と言っていたとしても、大学に行くとか就職するとかというわけではなく、決して爽やかな朝の歌ではなかったが、世間全部がそう思ってしまったのだな。
「『きみの朝』を聞きながら、では行ってらっしゃい」とかTVで叫んでいたような気がする。いや、どこに行くというのだろう

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2024年2月 3日 (土)

我々は瞬間芸あるいは一発芸の芸人ではない

急患を引き受けるのも瞬間芸ではない。
金曜に重症急性膵炎と診断すれば、その日のうちの高Kや高血糖の補正、抗菌剤や補液量の決定だけでなく、土曜、日曜には治療方針の調整が続く。転院の決意をして交渉することもある。次の月曜、火曜も。
中小病院で「重症に関わる」というのはそういうことだが、「少しは重症救急に関わっておきたい」という人と、どのように役割分担をすればいいのだろうか。

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21世紀の森鴎外

COVID-19とインフルエンザの病棟での集団発生を契機に あまりこまめに回診しなくなったので、電カル上の自分の作業が他職種の人の記録の編集作業になっているのに気づく。

例えば、「家族から病棟に電話があり、それを本人につなぐと一生懸命『はーい』と答えている」との看護記録を見つけると、医師記録のほうにも必ず整理して引用しておくということ。

物語の発見に重心が傾き、用語も文学的になりすぎているかもしれない。SOAPのAにある自分の叙述を見直して、簡潔な雄渾さに感嘆することもある(鴎外か?)。

これは、科学的な記録を残す上では問題があるが、なにか突発時があったときに一瞬で全体を把握するには良い気もする。

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勤務医の不幸の当事者研究

僕が睡眠導入剤服用をやめにくい理由は、翌日が休日の日の夜に、自然に眠くなるのにまかせ服用せずにいたときの経験による。

(つまり、平日に睡眠導入剤を使用するのは、帰宅する深夜に持ち越している緊張状態を強制的に解いて、翌日の業務がなんとかこなせるようにポンコツの自分を修理するためなのである。 だから広義の労災にあたる)


①入眠時に頭の中で大音量が鳴り響き、続いて金縛りのような状態になる。ただし熊本の池上先生にそれはすでに報告されていることだと指摘されたあとから、生じる頻度が少なくなった。なんとなく安心したからだろうか。

②どこかリアルな悪夢が延々と続く。その大半が記憶に残り、その影響で(悪夢を反芻することで)翌日の精神状態がやや悲惨になる。ただ、夢の中では何回も出会うのに現実ではありえない鮮やかな風景やシチュエーションの奇妙さに惹かれて自ら沼にハマっている側面もないではない。
これは睡眠導入剤により、日頃何かを抑制して生きることを可能にしていることを示すものだろうか。
しかし、そうだとすると、抑制していたものが夢の中で処理されて、翌日気分爽快になるのではないか。
そうならないのだから、悪夢は単純に薬の離脱症状の可能性が高い。

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2024年2月 1日 (木)

もう一度、「ケアの倫理」とクソ「正義の倫理」について

もう一度、「ケアの倫理」と「正義の倫理」について、その関係を整理してみた。政府用語の互助、共助、公助を用いているのがミソである。

①互助と共助のなかで働いている心理や道徳が「ケアの倫理」。男性支配の中ではケアは女性に押し付けられ、女性が「ケアの倫理」を育んできた。女性のものだというので不当に無視・軽視された。女性は援助や思いやる力をそのなかで搾取されてきた。
②公助の中で働く理屈がクソ「正義の倫理」。本来は政府や制度を運営して行くための社会契約理論。男性が独占したため硬直、形骸化、功利主義化してクソになった。なのに、女性はクソ「正義の倫理」を使いこなせないので発達が低いとされた。
③クソ「正義の倫理」をその中から打破しようとしたのがロールズ「『公正』としての正義」やセン「ケイパビリティ・アプローチ」。
④互助と共助が運動の中で公助に昇華するとき、ケアが地方自治の中心に位置づく。ケアの倫理がクソ「正義の倫理」を解体し、正義の倫理がロールズ・センの方向で一新される。
⑤ケアの倫理と正義の倫理が一体化する。ジェンダー差別も消えていく

ミソやクソが飛び交うこれを口にして主張するのは若干憚られるが、デヴィッド・グレーバーの「ブルシット・ジョブ つまりクソつまらない仕事」という用語の先例もあるので、まあいいのではないか。

ところで、ここで「正義の倫理」とされていいるものは、ロールズやセンの正義、つまり「公正としての正義」とは、関係がない。大きく社会契約論の中に含まれるという点で共通するくらい。

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