ローカル政治新聞への寄稿
すでに一度書いたことなのだが、鎌倉時代の真言律宗の僧 「忍性(にんしょう)」による医療・福祉活動に現代の民医連の700年前の先行者というべき姿を感じて、10年くらい前から時々ネット検索して資料を探している。それが何の役に立つというわけでもないので、初老期男性から増える郷土史愛好趣味の一ヴァリエーションに過ぎない気がするのだが、「ケアに基礎をおく協同組合的社会」という自分の目指す未来社会像と無関係ではないとも思う。
最近、出版社名もなく自費出版と思える浜 立月(はま たつき)という人の『忍性の極楽寺』という歴史小説を読んだ。小説の手触りとしては、井上 靖の歴史小説、例えば『天平の甍』や『風濤』を粗くしたようである。旅行記「十六夜日記」の作者阿仏尼が冒頭から現れるし、元寇に関わる執権時宗、忍性や法然を激しく非難する日蓮など多彩な人物が配置されて、忍性が活動した時代の社会背景が要領よく分かる。
しかし、この読書の成果は、「病者、貧者、孤独に苦しむ人は文殊菩薩の化身なのだ。あなたに救済の機会を与えるために菩薩が身をやつして現れる」という考えが早くも平安時代初期の僧 行基にあり、鎌倉時代の忍性はそれを450年後に復活させたということである。「文殊会」(もんじゅえ)は現代にも伝わっている。普遍性を求める仏教が、日本土着の何かと合わさって現実化したのだろう。
また、忍性の協力者としての僧医 梶原性全の存在を知った。彼は技術革新が著しかった当時の中国王朝 南宋由来の最新医学に通じながら臨床経験も豊かで、世間の医師が利己に走るのを嘆きつつ、すべての人のためにカナ書きの医書『頓医抄』を著した。「誠実に治療すれば、技術が拙くても必ず効果がある」と書いてくれているのは現代の私の慰めになるものである。
合わせて日高洋子『忍性と福祉の領域に関する一考察』(埼玉学園大学紀要)という論文も読んだが小説と大きく違うところはなかった。忍性が梶原性全の協力を得ながら作り上げた実践組織は、その財源の求め方や運用の考え方、活動の多方向性からいうと現代の協同組合に似ている。それは歴史家 網野善彦のいう「無縁の場」、つまり身分社会を否定して成りたつ平等な場だった。
| 固定リンク
コメント