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2024年1月31日 (水)

地域福祉戦略部長

僕は2022年から自ら提案して設置された「医療生協健文会 地域福祉戦略部長」を務め、そのもとに「地域福祉室」があるが、

46回全日本民医連総会の議案にも「広い視野で総合的な地域戦略を担当できる部署を設けることも検討課題です」とある。

いやいや、検討課題なんかではなくてすでに現実化しているし、喫緊の課題だと思う。

成果を問われると少し心もとないが。








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共助が公助に昇華・飛躍することは可能だ(関 耕平 島根大学)

簡単に言うと、互助・共助の場面に働く規範・道徳が「ケアの倫理」。
公助のシーンで用いられるのが「正義の倫理」。家父長的な頑迷さで排除的な形式論に陥っていることが多い。

私達は共助を国から強制されているが

それでも、今の努力を続ければ共助が公助に昇華・飛躍することは可能だ(関 耕平 島根大学)。

それを「地方自治の中心に『ケア』が位置付けられる」と呼ぶ。(全日本民医連46回総会議案)

ここでは正義の倫理が、形式的な頑迷さから脱して、ケアの倫理と一体化する。
ロールズやセンの「正義」もそのことを目指していたはず。

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2024.1.31 県連理事会挨拶 

2024年最初の理事会になります。遅ればせながらあけましておめでとうございます。

しかし、単純におめでとうと言えないのが、一つはイスラエルのガザ攻撃の続行です。死者2万7千人、ガザ全体の人口が220万人ですから人口の1.2%が亡くなっています。負傷者はだいたいその5倍以上というところでしょうか。イスラエルのネタニヤフ首相はハマス全滅まで攻撃を続けると行っています。ハマスと住民の間に歴然とした境界があるわけではありませんから、まさに文字通りの民族皆殺しを意図したジェノサイドが進行中です。
これについては報道の量も多いのでこれ以上言うことはないのですが、問題は、アメリカが、ウクライナにしろパレスチナにしろ、国際紛争を武力で解決するという姿勢を変えることなく強めていることです。発端は何であれ、戦争を解決手段にしないという原則を超大国が守らない限り、悲劇がずっと続く21世紀になってしまいます。県連としても、ガザ、そしてウクライナでの即時停戦を求める集会を再度企画したいと思います。

おめでたい気持ちにならないもう一つが元日に起こった能登の地震です。人口減少の激しい過疎地を大災害が襲うと、救助・支援・復興がどんなに難しいものかが、山口県という過疎高齢県に住むものとしては他人事でなくわかります。被災地ではない東京でなぜか防災服を着た6党首が集まって現地入りを控えると申し合わせていたのは政治的パフォーマンスとしても異様に思いました。
報道はしても助けないのか、と言いたくなります。報道の中で聞いた言葉としては、元気で人助けをお願いしたい人は早々と地元を離れ、人に頼るしかない者だけが被災地に残されるというのがあります。少しづつですが、全国から支援が向かっているようですので、県連としてもなるべく早い時期に、支援と現状把握のための人を出したいと思います。

その他の情勢としてはこの春の診療報酬改定の中身が次第に分かってきているということがあります。救急を若年者と高齢者に分けて、高齢者救急搬送は「地域包括医療病棟」と「地域包括ケア病棟」で受けさせるという方向です。つまり協立病院の2階が前者、3階が後者ということになりますが、高齢者救急の質をさげるものではないか、受け取る現場に厳しい負担を課すものではないかという懸念がありますが、まだ詳細はよくわかりません。
しかし、否応なく政府の医療改革、医療再編に私達がこうして巻き込まれていくことだけは確かですので、ぜひ情報を早く職員全員で共有して、患者を守る、職員を守る方向で、深く検討するようにしないといけないと思います。このあたりでも、議論において誰一人放置しないという姿勢が求められると考えます。

さて、全日本民医連は2月22日から沖縄で第46回定期総会を開きます。議案も配られていますが、今回の議案の特徴は創立60周年に当たる2013年から創立71周年の今年2024年初頭までの10年間の振り返りが記述されていることです。
2010年に59年ぶりに綱領が改定され、その9年後の2019年に新綱領初の解説パンフレットが出されましたが、その後5年をカバーしていますので、ぜひそのパンフレットと合わせて読まれたらいいかと思います。

議案の内容については今後議論していくわけですが、中小病院の機能とアウト・リーチやソーシャル・アクションについて述べてあるところを少し注意して読んでいただければと思います。
中小病院の今後について、日本病院会という老舗病院の集まりが言い出した「地域密着多機能病院」が一つのモデルとして示されているのですが、どこか新味があるでしょうか。最初に述べた高齢者救急は基幹病院から排除するというのと似た方向性が感じられます。
むしろ医学書院の雑誌「病院」で10ヶ月連載された「コミュニティ・ホスピタル」のほうが新しい提案を含んでいたと思います。
またアウトリーチ、ソーシャル・ワーク、ソーシャル・アクションは、今後、日常診療と並ぶ2つの大きな職員活動領域になるものですが、それについて十分な記載がなされているでしょうか。そのあたりを念頭に活発な議論がなされることを期待します。

新年ですので、なるべく短い挨拶になるよう気をつけました。熱心なご参加をお願いして私のご挨拶といたします。

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2024年1月30日 (火)

カート・ヴォネガットとデヴィッド・グレーバー

人類学の本、デヴィッド・グレーバー「万物の黎明」を読んでいて、それに関連してカート・ヴォネガット「猫のゆりかご」を読み直さなければと思うことがあった。
それで、小説「猫のゆりかご」の最重要登場人物「ハニカー博士」のモデルについて検索すると、一番自分の問題意識と重なり、内容も確かそうなものを見つけたが、よく見ると、それは自分の古いブログだった。2011年にこんなものを書く余裕があったのが不思議だ。

http://nodahiroo.air-nifty.com/sizukanahi/2011/03/1979-bd13.html?fbclid=IwAR1fm4NNqZmrd-2EaLoMNI2O5klx5EV6tx-KAXP8alsYCR3Dk9hjcdq950I

しかし、そこには書かなかったことだが、戦争が終わってシカゴ大学の大学院修士課程に進んだヴォネガットが、その時は論文が通らなかったのに、シカゴ大学は後に小説『猫のゆりかご』の人類学的記述をヴォネガットの論文として受理し、1971年に修士号を授与したとの話である。(ウィキペディア)

「猫のゆりかご」とは、日本でいう「あやとり」であり、20世紀初頭は、その分布から人類の移動経路を推測するという冗談みたいなことが、人類学で本気で研究されていたことが「万物の黎明」に書かれてある。

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走るよ

同じ話を繰り返すようだが、「この空を飛べたら」という歌の中で、「走っていく」「走るよ」というのがよく分からなかった。
今夜ふと、デモが警官隊に追われて走るのかと考えた。
それなら、歌詞全体が理解できる。

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「社会福祉」と「社会保障」という用語がどのようにして生まれたか

歴史的な経過を確認しようとしていたら、東方淑雄さんという名古屋学院大学の研究者(後に大妻女子大)の論文に「社会福祉」と「社会保障」という用語がどのようにして生まれたかというヒントになる文章があった。
以下の引用は、だいぶ改変しても読みにくいものであるが、
①ケインズ主義での国家の市場介入による雇用拡大・貧困解消・消費拡大政策が「社会福祉」、
②ルーズベルト政権がすでに実施していた生活保護,失業手当,老齢年金が「社会保障」だというのである。
そして
③これを憲法25条で「生存権」と呼んだのは、鈴木義男ら福田徳三に学んだドイツ社会政策学派(ワイマール憲法と密接に関連)に影響された学者たちだった
という複雑な話。
これをまるで初めて読んだつもりでいると、検索にまた僕の古いブログが引っかかる。2012年9月11日のものである。
どうやら、何も進歩がなく、同じところぐるぐる回っている自分の姿が見えた気がする。
ところでブログに書かせてもらった鈴木頌先生はお元気だろうか。もう80歳くらいになられているか。
「ニューディール時代にはじめてアメリカンケインジアンによって造語されたSocial Welfare Function=「社会福祉」と,同じ時期(1935年)にローズベルト政権が世界ではじめて成立させていた生活保護,失業手当,老齢年金の3社会的施策を柱とする“Social Security Act”=「社会保障」が,生存権を保障する政策の名称として規定づけられている。
これが生存権保障という用語を当てられたのでねじれ現象を起こすことになっていたのであった。おそらく森戸辰男氏等の日本側の憲法改正委員たちは草案の社会福祉,社会保障という用語は同じに社会が冠せられているので,第2次世界大戦前から使われていた社会政策や社会事業と同類の貧困救済の機能をもつ概念と考えられて草案のなかの概念からえらんで記入したのであろう。
貧困・失業・高齢を救助する社会保障の方はともかく,社会福祉はまったく異質な領域の用語だったのであるから,もともと日本国憲法第25条はドイツ的社会政策理論とアメリカ的ケインズ理論およびニューディールの理念という3種の異質な理論が混合されて成立した論理的矛盾をもった条項だったのである。」

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2024年1月28日 (日)

この空が飛べたら

ふと、中島みゆきの或る歌詞を思い出す。「空を飛ぼうなんて 悲しい話をいつまで考えているのさ」と。

なぜこれを恋愛の話だと思っていたのだろう?例えば、これがレーニンに投げかけられた言葉だったら?

ぼくは王様ではないけれどアイスクリームを食べるし、レーニンではないけれど空に憧れる。


排除を申し渡す声はきっと凍りつくようなものだろう。SNS禁止を言い渡すK.Mさんへの電話の話を昨日読んだ。


で、当面は明日のことだけ考えようという日もある。

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発展史というものがありえるのか

民医連理念の歴史をたどることからソーシャル・ワークの今後を展望するという話を引き受けて、最初はそう難しくはないと思っていたのだが、実は相当難しいことがあると分かって来た。


まず、何かの発展史のようなものがあるのかということ。

変化はあるが、状況依存的、つまり偶然性が高く、その中に必然的、法則的な発展方向は見出せないのではないか。

たまたまかってなく右肩上がりに人口、生産力が増えた2、3百年の中に生きているから、直線的な発展史があるように思えただけで、それを保証するものはどこにもないのではないか。


次に、資本主義が産業生産力を次第に失いながら、資本の支配と富の独占はどこまでも強固になって行くのではないかということ。気候変動が地球の居住可能性を侵食しても、居住可能地が支配層に独占されるだけということになるのではないか。

つまり、人類が落ち込んだ罠として資本主義があるので、そこから抜け出す道が必然的に浮かび上がり、自由の王国が見えて来るわけではないのではないか。

おそらくエンゲルスはそう考えていなかったが、マルクスにはそれが分かっていたのではないか。


そんな話に悩み始めると、だからみんな頑張りましょうという結びは語れなくなってしまう。

もちろん、今だけに視野を限り、明日の目標を近似的に語ることはなんとかなるが。

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祖母の名前を忘れる

平仮名ばかりが並んだ、母方の祖母から母に来た葉書を見て小学低学年の自分が驚いたことはよく覚えている。

そんな葉書でも寄越さないではいられなかった母の切迫した事態があったのだろうが、それは自分がこの年になって推測するだけのことである。

しかし、もっと驚くのは、祖母の名前がしばらく思い出せなかったことである。

思い出せたので安心してこんな雑文を書いた。

祖母から母、そして僕や妹にしっかり伝わったものがあるのは確かだ。

糖尿病の傾向。

うん、深夜にトーストを焼くのはやめておこう。明日からは。

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2024年1月22日 (月)

1月も終わろうとするころに、新年の挨拶をごく内輪向けに書いてみる

 遅ればせながら新年あけましておめでとうございます。
元旦午後に突然襲った能登半島地震の甚大な被害が日々拡大しながら、今日に至るまで支援が遅々として進まないことに心が痛みます。山口県もその中に含まれる人口減少過疎地域に生じた災害の対処困難さを考えさせる典型例としても、まさに自らのことと捉えて注目して行きたいと思います。災害において人口減少の過疎地域が切り捨てられるという前例にならないことを切に願うものです。
 地域福祉室は2021年11月にスタートして満2年を経過しましたが、アウトリーチと伴走的支援に特化した部署として十二分に存在意義を示しえたと思います。独自の「友の会」もできて、生活困難者の当事者運動と一体化する側面も備えつつあります。若手職員、医学生、看護学生、福祉学生が社会の実態に生で触れることのできる貴重な教育の場とする点でも準備が進んでいます。
 患者・利用者の生活支援はすべての医療・介護活動の土台として、貧困・格差・孤独の深刻化、社会保障削減政策の進む中でますます重要となっています。生活と健康を守る会、働くもののいのちと暮らしを守る山口センターなどの外部の諸団体や、県連内各部署との協力を深めて前進したいと思います。
それらの点で今年は一層の飛躍が必要な年となりますので、職員・組合員のみなさんのご協力を心からお願いするものです。
 さらに個人や世帯の支援を超えて、地域の抱える脆弱性そのものにアプローチするコミュニティ・ソーシャル・ワークは「地域共生社会」の幹となるものです。地域共生社会について国の政策が掛け声だけに終わっている現在、私たちにこそその実現が委ねられているものと捉えて、そのためにも必要な「地域主権」やFEC自給圏の実現にむけ大胆な構想力を養いたいとも考えています。
 私個人としては、民医連に先行する鎌倉時代の僧 忍性(にんしょう)や明治時代の医師 大石誠之助の事蹟など歴史的な探求と合わせて、未来を指し示す「ケアの倫理」と民医連の合流、さらに「自然と人間の共存を切り拓く新しいマルクス主義」と民医連の合流などの検討を新たに始めたいと考えています。どのようなものになるか、まだ見当がつかないところですが、少しばかりご期待いただきたいと存じます。
             地域福祉戦略部長  野田浩夫

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2024年1月10日 (水)

書きたいこと

下宿生活をしていた高校1年の頃、急に小説が書きたくなり、毎日原稿用紙1枚づつを箱の中にためて行ったことがある。その少し前におそらく結核の初感染が発症して、説明もされないまま田舎の診療所から送られて来る3種類の薬を服用し続けてようやく体調が良くなった頃だった。

それを書き終えた後は詩の方が面白くなり、受験勉強もややおろそかになって、引っかかった大学に進んで今日に至っている。

と、余計なことを書いたが、あの高校1年の秋が想像力ではピークにあった気がする。

しかし、何か書きたいことが形を成しているという意味では、今がその再現のようでもある。

これまでは、なにか読んだことの感想を忘れないために書いて来たのだが、ようやく自分が書き残さなくてはならないことが見つかったというところ。

もちろん、それが出来上ったものの価値とは何の関係ないもないというのは、あの時書いた小説と同じである。

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2024年1月 9日 (火)

大石誠之助

ローカル政治新聞の今月分の寄稿を締め切り3日前に書き上げたので、気が早くも次回寄稿分の下書きを書いてみた。今日注文した、幾分か研究書のようである本を読み終えて、訂正していくつもり。 
・・・
先に鎌倉時代の抜きん出た社会福祉活動家であった僧 忍性について書いたが、忍性の活動拠点であった鎌倉の極楽寺の鎮守社は1269年(文永六年)に忍性自身が熊野本宮から勧請した熊野新宮社である。忍性と熊野信仰を結びつける両者の共通点は、庶民・貧民・被差別者に開かれる平等性にあったように思える。熊野信仰のそういう特異さは多くの人が指摘しているから間違いのないことだろう。

そこで連想が飛躍するのは、1911年大逆事件という大謀略・冤罪事件で処刑された12名の中の唯一の医師、大石誠之助のことである。大石は和歌山県新宮市の人で、「アメリカ帰りの新しい医術が光っている上に、患者には至って優しく、貧しい人々に対しても極めて気安く診察する上、診察料も薬代も積極的には請求しない」医師だったとされる。当時の熊野川の河口近くの河川敷に集まっていたホームレスの群衆の治療や健康管理に当たったともされており、それは時を越えて忍性を想起させるものがある。
大石誠之助と熊野信仰について述べている人はいないようなので、若干無理筋の展開のように思えるが、大石誠之助をもうひとりの民医連の先行者としたい。

大石誠之助については、読みやすくて面白い二つの小説がある。辻原 登『許されざる者』2009年と、柳 広司「太平洋食堂」2020年である。
辻原 登は芸術院会員として著名だし、柳 広司も瀬長亀次郎と山之口貘に題材を取った『南風(まぜ)に乗る』2023年で注目を浴びたので、上記2作品もよく知られていると思える。
これらを参考にしながら、著作も多くない大石の思想を推測すれば、明治期のまだ分裂が明瞭でなかったマルクス主義・アナキズムだったと思える。
つまり、日本の医療をおおう土着的風土がアメリカ風の医学やマルクス主義・アナキズムと結びついたとき何が生まれるかという実例が大石誠之助だったということができるような気がする。
大石自身は思想よりは実践が目立つ人だったようであるが、それは仏教とりわけ文殊菩薩信仰の影響の強かった忍性とも共通する。

ごく乏しいこの2例で何かを言うのは無謀だが、その後、レーニン流のマルクス主義との合流で生まれる無産者診療所運動の特徴も、この時代が大きく違う二人の先行者の特徴と共通しているのではないかという気がする。

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ローカル政治新聞への寄稿

すでに一度書いたことなのだが、鎌倉時代の真言律宗の僧 「忍性(にんしょう)」による医療・福祉活動に現代の民医連の700年前の先行者というべき姿を感じて、10年くらい前から時々ネット検索して資料を探している。それが何の役に立つというわけでもないので、初老期男性から増える郷土史愛好趣味の一ヴァリエーションに過ぎない気がするのだが、「ケアに基礎をおく協同組合的社会」という自分の目指す未来社会像と無関係ではないとも思う。

最近、出版社名もなく自費出版と思える浜 立月(はま たつき)という人の『忍性の極楽寺』という歴史小説を読んだ。小説の手触りとしては、井上 靖の歴史小説、例えば『天平の甍』や『風濤』を粗くしたようである。旅行記「十六夜日記」の作者阿仏尼が冒頭から現れるし、元寇に関わる執権時宗、忍性や法然を激しく非難する日蓮など多彩な人物が配置されて、忍性が活動した時代の社会背景が要領よく分かる。

しかし、この読書の成果は、「病者、貧者、孤独に苦しむ人は文殊菩薩の化身なのだ。あなたに救済の機会を与えるために菩薩が身をやつして現れる」という考えが早くも平安時代初期の僧 行基にあり、鎌倉時代の忍性はそれを450年後に復活させたということである。「文殊会」(もんじゅえ)は現代にも伝わっている。普遍性を求める仏教が、日本土着の何かと合わさって現実化したのだろう。

また、忍性の協力者としての僧医 梶原性全の存在を知った。彼は技術革新が著しかった当時の中国王朝 南宋由来の最新医学に通じながら臨床経験も豊かで、世間の医師が利己に走るのを嘆きつつ、すべての人のためにカナ書きの医書『頓医抄』を著した。「誠実に治療すれば、技術が拙くても必ず効果がある」と書いてくれているのは現代の私の慰めになるものである。

合わせて日高洋子『忍性と福祉の領域に関する一考察』(埼玉学園大学紀要)という論文も読んだが小説と大きく違うところはなかった。忍性が梶原性全の協力を得ながら作り上げた実践組織は、その財源の求め方や運用の考え方、活動の多方向性からいうと現代の協同組合に似ている。それは歴史家 網野善彦のいう「無縁の場」、つまり身分社会を否定して成りたつ平等な場だった。

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