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2023年12月 1日 (金)

事例検討会の本当の目的は記憶のケア

今はそうでもないのかも知れないが、指導医もいない中で手探りのように内視鏡をしていると、偶然に生検したものが早期胃癌だったりする。それを何度か繰り返している内に、急に胃の形態が見えるようになり、もう偶然ではなく、そこに早期癌があるから生検して確かめるという時が来る。
その時の物の見え方の変化というのは、例えば同じものを角度を変えて撮った写真を左右に並べて凝視していると突然立体画像が立ち上がる、という経験に似ている。
こういう単純な作業の繰り返しから階段を上がって行くのは面白いし大事なことだ。
初心者からレギュラーメンバーになるというのはそういうことだが、それだけでは齢を重ねていくことはできない。
実は、単純なことの繰り返しによる習熟では歯が立たないことでこの世界は出来ている。
他には似たようなことはなくて、その一件と付き合うことが、そのまま自分の人生であるようなことの連続が、職業生活の真相ではないだろうか。
その経験が何かに応用出来る保障もなく、ただむき出しの経験としてそこにあることに気づくとレギュラーからベテランになっているのだろう。人によっては嘔吐をもよおすような話かも知れないが。
その経験をすること自体が人生に意義を与えてくれる。
しかし経験の記憶は薄れて行くから、記憶を守るためには語らなければならない。
事例検討会の本当の目的は記憶のケアである。
そのような記憶の発表を黙って最後まで聴くこと自体がまた別のかけがえのない経験になる。
個別事例を多数集めて帰納して、なんらかの一般的教訓を導き出すという目標は多くの人にとっては嘘くさい。
そもそも、母の介護を上手にやってのけるために、先に死ぬ父の介護を経験するという人はいない。二番目の子の子育てを上手にやるために最初の子の子育てをするという人もいない。一件一件が人生そのものという経験である。
しかし、中には経験からのパールを結実させる人もいて、それをエキスパートというのかも知れない。尊敬し、学ぶ対象だが、決してめざすものではない気がする。

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