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2023年12月 1日 (金)

2023.12.2 山口民医連 看護介護症例検討会 挨拶

熱のこもった抄録集を拝見して、大変楽しみに参加しました。

多くは困難事例の中の困難事例というべきもので、まとめてくださった皆さんの努力に頭が下がる思いがしました。ありがとうございました。

それから、この集会の名前が、看護介護「症例検討会」となっていることについて少し考えました。つまり、なぜ看護・介護 「研究会」ではないのだろうかということです。そこに大事な意味が隠されて気がします。

ちょうど今、私は中くらいのベテランの先生2人で、藤沼康樹さんという日本の家庭医療のパイオニアにあたる人の文章を、学習するというよりあえてエッセイとして読む読書会を始めたところです。松本翔子先生のように家庭医療の専門医になるというような目的とは遠いところで、家庭医療のエッセンスを嗅いでみようという程度の気軽なものです。良ければ皆さんも是非途中からでもご参加ください。

その中で、職業人としての成長には、振り返り、家庭医療学の用語で言えば「省察」というものが大事だ、そしてそれは、事のさなかの省察、一段落した直後の省察、少しあとになってみんなで教訓を共有する省察の3段階に分かれるのだということなどには共感しました。このことは山口民医連学運交・TQMの終わりの挨拶でも紹介したことなので繰り返しませんが、この集会も省察を共有する貴重な会になることを願っています。

今は、家庭医療の生涯学習のあり方について読んでいます。
遭遇する問題を4つに分類して、それぞれ対応の仕方を意識的に変えるというのがキモになります。
第一は単純な問題。マニュアルやガイドラインがあれば対処できる問題です
こういうことは職場環境を整えることが重要で、例えば業務用スマホをみんなに配って、誰もがマニュアルやガイドラインをすぐ読めて、さらに自分なりのコツを書き込めるようにしておけばより早く達成されます。

第二が複合的問題です。いくつも病気があって、関わる医者や介護事業所も多いが、うまく連携できれば解決する問題です。
ここでも、業務用スマホを介して関係者がLineで結ばれていれば垣根低く教えたり教えられたりすると思えます。
ここまではテクノロジーが役に立って、目標を「解決」におけることです。

しかし第三は複雑な問題です。
貧困があり、狭心症・糖尿病・うつ病の治療がうまく行かず、アルコール問題・法的問題、・家族問題を抱えているという事例を想像してもらえばよいというものです。

さらに第四は混沌とした問題と呼ばれます。コントロール不可能な問題が無秩序にからみあっているため、今後の展開を予測することができないというものです。

この第三と第四は解決は難しく、とりあえず状況をおちつかせる、あるいは破滅に陥らせないことが目標になります。つまり、今日の事例検討会に出てくる演題の殆どがこの第三、第四に当たるものだと思います。
その対処はテクノロジーでは無理で、実は今日のような症例検討会を多職種で続けるしか方法がないということになります。第三は、徹底に聴くことを通じて症例検討会でなんとか合意を作れるもの、第四はそれもできなくて「ともかく関わりを続ける、見捨てない」行動を続ける、としかいえないものということもできます。

思うに、私たちの前に現れる患者さん・利用者さんは、全員が第三、第四の問題を抱えている人たちばかりで第一、第二の問題と見えるものは、私達が解決可能な部分を切り取って、残りを見ないで済ませているだけなのだとは言えないでしょうか。たとえ本人にはなくても家族の問題としてあるのに気づかないでいるということもあると思います。

つまり、複雑・混沌とした問題に直面するというのは、患者・利用者の人生そのものに向かい合っているということであり、向かい合うことが私達が職業人としての自分の人生を生きているということにほかならない、いわば対称的なものではないかと思います。
症例検討で問題が解決したり、いつかはその経験が役立つことが約束されているわけではまったくない、しかし事例を経験すること自体が職業人として生きていることそのものであり、経験の記憶を薄れさせない、より確かなものにするために集まって症例検討会を開くと言い換えてもいい気がします。
少し気障に言えば「症例検討会の本当の目的は記憶のケアだ」ということにならないでしょうか。
そこで症例検討会参加の作法とは、「どう解決した?どう成長した?」と思って聞く評価的態度をとるのでなく、一人の仲間の職業人生にしばらく伴走するつもりで最後まで黙って聴き切るということになるような気がします。
もちろん指導者側の人はそんなことも言っていられないのでしょうが、症例検討会そのものが無限の価値があるということをのべて、県連会長としての挨拶といたします。

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