クネビン・フレームワーク
今日は、藤沼康樹をエッセイとして読む読書会3回め。
前回は「省察的実践」についての延長で、東大教育学部の佐藤学さんの論文も読み合わせたのだが、今回は臨床問題の複雑性と生涯教育の話。
臨床で生じる問題を複雑性の順に単純、複合、複雑、混沌と分類して、それぞれに学習方策を立てる。
コツコツ独習できるのは単純な問題に限られる。
それも一生続けなくてはならない難物なのだが、複合以上は一人では対処できないので、支援を調達しないといけない。複合はスペシャリストで足りるが、複雑は病院内外の幅広い人的資源が必要だ。
さらに混沌問題となると、それに対峙することで傷を負うチームメンバー(自分も含めて)のケアが大切となる。それが事後の集団での省察ということである。
おそらく特異経験significant eventというのは担当することでトラウマを負うようなものを言う。
診療していてネガティヴな気持ちになることが貧困発見や、複雑事例の複雑さの認識となるのに似ている、こういうのは主観的な認知による客観的な判断への糸口把握と言うべきか。
ところで、上記の「単純、複合、複雑、混沌」の4分割は、経営学由来の「クネビン・フレームワーク」という用語で表現されるらしい。クネビンはカネビンというのかもしれないが、ウェールズ語で「棲息地」という意味とのこと。なぜウェールズ語が出現するのかは知らない。
医療現場も製造・販売(営業)の企業現場もぶつかる問題は共通することが多いのだろう。役に立つなら何でも使うという姿勢が臨床ということなのか。
**クネビン・フレームワークの続き。
棲息池について考える。
フナの棲む池。そこでの学習はフナに始まってフナに終わる。
ザリガニの鳴く池。意外性に満ちているが後味は爽やか。
車や家電ゴミが沈む池。時にすでに亡くなっている人の第一発見者になって驚く。
ゴジラの棲む池。こんな狭い空間にこんなものが潜んでいるのかと腰を抜かす。
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