吉島の巨大なごみ焼却場
ケアを考える関連で「忘却の記憶 広島 広島学を起動する」を久しぶりに手にとって東琢磨さんの文章を読みなおした。そこで思ったこと。
原爆ドームと原爆慰霊碑を結ぶ直線を軸とする直線的な丹下健三の設計が、1942年に構想された富士の裾野の巨大な戦死者忠霊塔と帝都東京を直線で結ぶという彼のプランの転用であることはよく知られていることである。
爆心地にあっても強固な国家支配を連想させる直線への固執という凶々しさはまだ生きていて、この直線の南への延長先に吉島の巨大なごみ焼却場(広島市環境局 中工場)を置くことに結実している。
最近ヒットした映画「ドライビング・マイ・カー」でもこの施設はなにかヒロシマの象徴的なものとして扱われていたが、そこまで遡るとどこか疑わしさを帯びてしまう。
つまり、巨大なごみ焼却場は海に向かって開いた凱旋門のようであり、宇品港を擁する軍都だった広島の記憶を呼び起こそうとするかのようである。
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