岩波現代新書「現代(いま)を生きる日本史」の結語部分を読みながら思ったこと」
◯誤解を呼びやすい名称の代表として、社会構築主義、社会構成主義を挙げたい。それは何かを構築、構成しようというのでなく、人為的・社会的に構築・構成されたものは一旦は壊されるべきだとするものだからである。
社会を論じるときはそれが有効である場合もあるだろう(例えば資本主義を解体しようとか)が、話が自然に及ぶと危うくなる。
気候変化や性別など客観的に存在しているとしか言えないものを否定しようというときに濫用される。
社会を論じるときにも危険になる。日本の朝鮮侵略や、従軍慰安婦の存在など自明な歴史的事実をなかったことにする歴史修正主義にも社会構築主義は簡単に応用される。つまり「それってあなたの感想ですよね」って奴。
◯診断は病名だけではない、患者を含むチームが納得できる説明(物語)でなくてはならないというのは脱構築の一種だろう。
行き過ぎとは、診断は病名を必要としないという主観主義に陥った時をいうのだろう。
◯医学の一部も実学ではない。明日のための教養なのである。
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