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2023年10月29日 (日)

マイノリティのそういう未来

いま書こうとしている長めのエッセーの終わりの部分を思いついた。たいていはどう終わるかわからないままに書き始めるのが常だったが、この休みにブラッド・ピット「バビロン」という映画をNetflixで見ていて、いま書こうとしていることなら、最後から書いたほうが面白いと気づいたのである。

:人口集中した大都市部に住む人たちがどう生きるかという問題と、地方の過疎地域に住む人たちの同じテーマは、もはや相対的に独立した問題である。80年前まではこのように分裂してはいなかっただろうが、いまは画然と違う。
近代の歴史を振り返るときはまだ同じ立場で語ることができるが未来の議論になると共通基盤は消失している。

たとえば、地域主権、ミュニシパリズムという目標になる言葉は同じでも、実践の戦略は全く違う。

連帯は欠かせないとしても、闘う主体はそれぞれである。

全国的に見て圧倒的に重要なのは前者だが、後者も当事者にとっては絶対的なテーマであり、福島に典型に現れたように東京に利用された挙げ句に自らの生存条件を奪われるということを繰り返し続けることはもう止めにしないといけない。

マイノリティのそういう未来を指し示すものがどこから出てくるかは、いまのところ見当がつかない。準備されているだろうが見える条件にないのである。

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