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2023年10月31日 (火)

日本医療のベクトル

もしかすると小さな会報に連載できるかもしれないので、やや長めのエッセイを書き始めた。どう結ぶかはもう考えたが、中間部分は書いてみないとわからない。
下の写真は、参考にせざるを得なかった2冊である。

1:2008年春から2018年春までの10年間5期、私は全日本民医連の役員を務めた。新任理事としての56歳は当時としては最高齢だった。後の6年間3期は副会長となったが、異例の遅い出発と、4役を送り出すこともありえないような全国最小規模の県連出身という立場に、私の自意識は少しだけ複雑だった。加えてもともと「1を知って10を語る」ことを学習のモチベーションとするような性質だったのが災いして、「10を調べて1を語る」手堅さが喜ばれる組織では、何気ない発言も自己流発揮と受け止められがちだった。この小文もその続きのように思われるかもしれない。それは仕方がないのだが、誰か手堅い人がいつか取り上げてくれて、厚みのある論証にしてくれるのを期待して書き始めることとする。

2:新任理事に選出された第38回総会には、2年後の39回総会で決定される、全日本民医連の新綱領の草案が提案された。草案と新綱領の間にどういう違いがあったかは興味深いところで後に触れることにもなるが、2010年の新綱領提案の最大のポイントは、日本国憲法の全面的評価だった。日本国憲法の理念が民医連の目標となったのである。
それから10年以上を経て、私はこの綱領改定を民医連の理念と日本国憲法の「合流」という言葉で考えるようになった。
それは新綱領改定を民医連の歴史だけでなく、日本や世界の文脈のなかに置いて、やや距離をおいた視点で眺めなおそうということだったし、そのようにものを考える方法に「合流」という概念を用いる方法を思いついたということである。
自発的にそういう作業を私に課してきたものが何かというと、自分にとってはやはり特別な出来事 significant eventだった10年間の全日本民医連役員の経験そのものだったことは間違いがない。私はそれを省察することなしに、自らの70歳代も、私が存在しなくなったあとの民医連も考えることができかったのである。

3:省察の途中で生まれた言葉が「合流」だった。それを手がかりにすると民医連の歴史が過去にも未来にも向かって少し見通せた気がした。その発想についても説明しようと思う。しかし、全ては素人の思いついたことである。結局、断章を重ねていくエッセイとしてしか叙述することはできない。それによってむしろ気軽な読み物になりうるワクワク感を自分のなかに感じる。

、「源流から引き継ぐもの 50年の歴史から民医連の機軸を考える 阿部 阿部昭一 Abe Syoichi エイチ・エム・メディカル協同組合 メディカル協同組合」というテキストの画像のようです


 

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