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2023年9月26日 (火)

2023.9.27山口民医連理事会挨拶

暑さも、夜はようやく和らいできたここ数日ですが、長く続いた史上最高の酷暑に皆様殊の外消耗されていることと思います。そういう中の会議参加ご苦労さまです。

御存知の通り、情勢は様々に緊迫していますが、それぞれ議題に反映していますので、重複は避けます。熱心なご検討をお願いするものです。

今日は私の近況を述べて挨拶に変えたいと思います。
昨日、病棟担当患者数が36人になりました。一般病棟15人、地域包括ケア病棟13人、つまり急性期と亜急性期合計で28人、それに、慢性期=療養病棟8人という内訳ですが、これは私の47年間以上の勤務医生活の中でもかってなかった高負担状態です。北九州健和会での研修医2,3年目に担当患者数が極端に多かったのですが、それでも30人台後半にはならなかったのです。それにこのときは25歳でした。宇部協立病院創立後も15-20人で推移してきましたから、最近がいかに苛酷かは想像していただけると思います。
来年1月で72歳になります。まだまだ元気に診療できるというのは、それはそれで結構なことなのですが、すでに最終コースに入ってこういう状態であるとすれば、私の職業人生活は結局は実らなかった、失敗だったのではないかという気持ちがよぎります。同時にそうであってはならないとも痛切に思います。
先日、1977年の山口民医連創立時の初代会長だったY先生が、パートでまだ宇部協立病院の外来に来られていたのですが、急に引退されることになりました。高齢医師はこのように急に姿を消す可能性も高いことも考えて、私は思い立って、読書会をいくつか始めることにしました。
最近は病院の中でも一人で仕事をすることが多く、人と話すことが極端に少なくなっているのですが、読書会なら参加者は少なくても、まだ存分に語り残すことができるのでないかと思ったからです。

昔から、東京民医連のみさと健和病院の医局報を見ると、小説の読書会が盛んに開かれていることが窺われて、羨ましく思っていました。「小説の読書会がある病院」、そういうものを自分は求めていたんだと思います。そこで読書会の一つには小説を選びました。作品は、韓国のハン・ガン、世界でももっとも注目されている若い作家の書いた「少年が来る」です。1980年の光州事件という韓国現代史の原点となるべき事件、民主化で立ち上がった市民に対する韓国軍による大虐殺事件をきちんと記憶に残そうという作品ですが、1年間くらいかける予定でゆっくり読んでいくと、泣き言をいわず歴史と現実に向かい合おうという気持ちが自然に湧いてきます。今日の「宇部学」のテーマにも関連がありますが、沖縄のこと、原爆や原発のことも自分のこととして向かい合う気になるにはこういう読書体験が一方で必要だと思います。

読書会のもう一つは、藤沼康樹先生という、東京民医連にいながら、日本に家庭医療学を根付かせた人の文章を一人の思想家のエッセイとして読んでみようという趣旨のものです。昨日9月26日にその第1回を開きましたが、藤沼先生のキーワードである「省察的」=振り返りをする 実践について読みこみました。そこで気づいたのは、3段階ある振り返り、①診療の中で遭遇した事件の最中のもがくような振り返り、②一旦事件が終わって集団で行なう振り返り、そして③それに基づいてこれから先の目標を決めていくような振り返り、これら3段階のうち②、③をきちんと組織化、習慣化、制度化することがなかったので、いつの間にかそのこと自体を忘れていたということです。振り返りを習慣として行えば、それはナラティブ=物語となって、他の職員や研修医に経験を伝えることになったのですが、それが欠けていました。
藤沼先生の一つの特徴として、医師の職業としての自己研鑽・自己完成と若い医師の教育を、方法論としても実際としても一体化しているということがあると思いますが、私としてはその双方を疎かにしてきたことになり、その結果としての今の高負担があるようにも思います。
というわけで、後悔しきり、というところなのですが、こういう気持ちをみなさんと共有することが、今の自分にできる県連への貢献なのかと考えましたので、こんな暗い挨拶をするに至りました。ご容赦ください。

残暑というのもおかしい時期のまだまだ昼間の暑さの厳しい折ではございますが、皆様のご自愛を祈って挨拶を終わります。

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