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2023年9月 2日 (土)

昭和世代のチャブ台返し

僕が小学生になる頃の父親はまだ20歳台で、通信教育で代用教員から正規の教諭に移行する過程にいたと思うが、ちゃぶ台返しは日常茶飯時で、ある時などは酔って裏口から帰ってきたと思うと、台所のかまどや引き戸や重い火鉢を座敷で寝ていた僕と母に向かってどんどん投げつけて来て、二人は布団をかぶって恐怖に震えていたものである。
朝起きると、家の中の壊れ様はひどいもので、母屋からやって来た祖父が黙々と片付けていた。その時に親指に刺さったガラスの破片のせいで40歳くらいまで固いしこりが僕の指にはあった。
遊びに行って夕方家に帰って母親に最初に尋ねるのは父親の機嫌だったことも覚えている。
最近どこかで読んだのだが、この様な行動は第2次大戦帰りの男性に特有なもののようであった。
満州に行こうとして内原の訓練所にも行ったあと、海軍少年兵として呉市で終戦を迎え、その直前までには防空壕を開けてみると大量の焼死体、蒸し焼き死体が重なっていたり、8.6には原爆雲も目撃した、帰郷した後は、陸軍演兵場だった荒れ地の「開墾団」に入ったという話をしてくれる頃になると、ちゃぶ台返しには縁のない人になっていた。その代わり、学校の人間関係から強い抑うつ傾向が、長期続いたのであるが。

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