2023年8月21日 (月)
医師を増やせ
ローカル政治新聞 9月の寄稿
ごく最近も神戸の基幹病院の専攻医(26歳)が1ヶ月の時間外労働200時間以上という苛酷さのなかで自殺したことを労災認定したという報道を見た。頻発する事態解決のため来年には「医師の働き方改革」が施行されるが、それでも時間外労働の上限は年間960時間まで認められる。平均にすると月80時間、これはすでに過労死ラインだ。その上、大学病院の場合、派遣先を合わせて年間1860時間まで許可される。これは過労死しないほうがおかしいというレベルである。新型コロナ下に溢れたような医療崩壊が二度と生じないために勤務医はじめ医療従事者を保全しながら地域医療を充実させることは、気候災害激甚化のいま、極めて急がれる課題である。
雑誌「世界」9月号掲載の高久玲音氏の『「聖域」に求められる改革の論点 それでも若者は医師をめざす』はこの問題の要領の良い解説となっているが、一方ではおそらく支配側の政策だろう一見ユニークな提案が示されている。それは「男性に独占されたエリート職業・医師」の解体である。主張は二部からなる。一つは医師をエリートでなくすことである。中年からの開業で安定的に収入が増える旨味を規制し、中年以降の医師を地域密着の中小病院勤務医に誘導する。将来の高収入が約束されなくなれば医学部は難関ではなくなり、いまより低い収入で高齢者中心の地域医療を目指す地道な青年に医学部を開放することができる。もう一つは医療界から男性優位をなくし、女性活躍の場にすることである。それは低収入でフレキシブルに働くことと対をなす。
しかし、この提案が実現しても問題は解決しないし、そもそも解決を目的としない惨事便乗主義的なものに思える。第一の主張は他産業に成績の良い青年を誘導するという要請に応えるだけのもの。第二の主張には男性優位主義が長時間労働を生むという観念論が潜む。男性優位主義批判は利用されるだけで、被害が女性医師に広がる可能性が高い。
必要なのは、住民が分断されず、地域主権・ケアの自給の一環として医師と医療従事者を増やすこと、資本の要求で進む人口の大都市集中を是正して、大都市生活での健康劣化と人口減少地方からの医療資源取り上げをなくすことである。そのとき、現代の最重要産業となった医療から男性優位主義をなくすことが社会全体にとって意義のあることになる。
2023年8月15日 (火)
夏休みの宿題
お盆の宿題。
読書会を始める
野田浩夫(山口民医連 宇部協立病院)
雑誌「世界」2020年1月号から2021年8月号にかけて向井和美という人の「読書会という幸福」という連載があった。最近一冊にまとめられて岩波新書になった。この連載を詳しく読んだのは、同じく2021年の「世界」のどこかで、高校生と一緒に「世界」の読書会を続けている高校教員の記事を見たからである。
このころ地方の民医連の後継者対策の肝要に地元の高校生との交流を置く必要を痛感していて、その際自分にできることがあるとすれば読書会の企画くらいではないかと思い、そのノウハウを学ぼうとしたわけである。
向井さんの連載を読んでいるうちに手っ取り早く実際に読書会を始めてみたくなった。県連の奨学生である医学生と医学生係の職員、地域福祉室の職員とで齋藤幸平「人新世の『資本論』」を読んでみることにした。ベストセラーで入手しやすく安価でもあったからである。学生用は県連が購入して配った。しかし、これが散々な失敗だった。朗読でもなく、要約でもなく、感想を雑談で語り合うという形式にしたが、予定した1章1時間を終えるのが苦痛になってしまった。マルクスや「資本論」についての予備知識があまりにばらばらで意見交換にならなかったわけである。結局2回目を終えて自然消滅してしまった。
というわけで、社会科学系の読書会は僕の周辺では難しいという教訓を得た。
向井さんの本を見ても、全部が文学というか、小説である。小説からしか始まらない気がした。
そこで小説といえば、最近驚くべき作品に出会った。数十年ぶりに、あぁこれはすごいと思った。
しかし、それをすぐに語る前に、これまで僕が忘れられない小説を三つ挙げておきたい。いずれも政治小説というべきもので、今ではあまり語られることもないものだ。
第一はガッサン・カナファーニー「ハイファに戻って」。NHKの過去の番組表を検索すると1982年7月29日夜と分かるのだが、NHK教育テレビの「マイブック」に小田実が出演してこの作品を紹介した。41年も前だが、今も勤務している宇部協立病院を開設してまだ2ヶ月経たない時で、僕は30歳だったわけである。
小田実の話をメモして、北九州市小倉北区の老舗書店 金文堂に探しに行った。小熊英二に似た繊細な感じの店員が「あそこだったら自分の出した本を大切にしているから手に入りますよ」と出版社を褒めながら注文伝票を書いてくれ、まもなく購入できた。蒼樹社 「アラブ文学選」(野間宏編集、1974年)という本だった。
小説の舞台はパレスチナである。1948年イギリス軍とユダヤ人部隊が大砲と銃でパレスチナ人から土地と家を奪いイスラエルを建国した。20年後の1967年イスラエルは突然に難民として暮らすパレスチナ人に故郷訪問を許可する。自分たちの国家経営の成功を見せつけるためである。その機会にハイファという街を訪れた夫婦にはそこに残してしまった赤ん坊がいた。生死も分からないまま20年が経ってしまったのだ。家は昔のままに残り、ナチスによる迫害経験もあるユダヤ人女性が夫婦を温かく迎え入れた。なんと子どもはこの女性に大事に育てられ、名前も変わって成人していた。勤務先から帰ってきた彼はイスラエルの軍人だった。それから先の緊迫した場面はここでは省略するが、作者カナファーニーが1972年イスラエルの特殊部隊によって若くして暗殺されていることもあって、いつ読み返しても鋭い痛みを感じる作品である。
第二は野上弥生子「迷路」。作者が20年間(1936~56)もかけて書いたものなので、僕も数年に亘って厚い上下の岩波文庫を持ち歩いていたが、読み終わった日ははっきりしている。1991年4月10日に祖母が亡くなって、急遽帰った西中国山地の古い実家の暗くカビ臭い座敷でコートを羽織ったまま所在なく葬式までの過程を過ごしていた時だったからである。小説の中に現れる大地主の屋敷などとは比べようもないが、戦前がそのままに生き残っている空間という点では似ていた。その後の火葬場で、雪の中で満開に咲くコブシの花を眺めていると、祖母の死とともにこの本を読み終わったという感銘があった。加藤周一によると、この小説は「一世代の日本の知識人の内面史として、おそらく比類のない作品」、「天皇制を、一方ではマルクス主義の立場から、他方では徳川体制の立場から、挟撃して相対化して批判するという仕組み」、「その意味でも日本近代文学史上の一つの記念碑」である。だとすると、日本文学の中で最高の政治小説と評価して誤りはないのではないか。
第三は李恢成「見果てぬ夢」(1977年完)。これは早逝した後輩の呼吸科医 吉野邦雄に1983年ごろに教えられたものである。全6巻をこれまで5人くらいの人に貸したが、一気に読み終えなかった人はいなかったくらいである。さらに2013年8月の自分のブログを見ると、東京に来た韓国の医師と深夜まで話し込んでこの小説についても意見交換している。作者の主張する「土着の社会主義」といえば、大邸市の喫茶店で「韓国独自の社会主義政党が必要だね」と話し合っただけの数人の学生が逮捕され、見せしめのためあっという間に死刑となった1975年の事件もその時昔話ではなかった。
余計なことを書いて本題から逸れたが、驚くような作品というのはハン・ガン(韓江)という1970年生まれの女性の作家による『少年が来る』である。
2023年6月23日の朝、少し早く目が覚めてたまたま放送大学を見ていたら 「世界文学への招待」という講義が始まり、チョン・セランのベストセラー「フィフティ・ピープル」の翻訳者でもある韓国文学翻訳家 斉藤真理子さんがこの作品を解説していた。それがとても感動的で新鮮だった。
ハン・ガンは世界から最も注目されている作家の一人で、1980年の光州事件を描いたこの作品もすでに世界的にも高く評価されており、2016年には日本語に翻訳・出版されているということなので、こちらが無知というほかはない。
光州市出身とはいえ、当時は10歳で国外にいた作者が、40歳過ぎて光州事件を題材とする小説を書いたのは、事件の死者の代弁という側面も当然あるが、それだけではない。韓国人道主義実践医師協議会代表のウ・ソッキョン先生から紹介された韓国マスコミのインタビュー記事を見ると、作者は生き残った当事者の自殺率が11%という圧倒的な高さに驚き、彼らに「死なないで」という声を発したかったからだと語っている。
作品は7章からなる短編集の体裁をとっているが、第1章は聞き慣れない人の名前がたくさん出てくるのでなかなか入り込めなかった。しかし章を読み進める度に必ず第1章に戻って来ざるを得ず、改めて名前を確認することを繰り返して次第に登場人物が立体化されていく。光州事件の記憶がこうして定着され伝えられていくことに興奮した。
そこで読書会の話に戻るが、この小説こそぜひ読書会で病院職員と共有したくなった。一回1章ごとに読み進めて、1年近くかかったとしても、朗読し感想を交換して自分のなかにこの作品を埋め込みたくなった。
思い切って呼びかけると、意外な喜びというか、60歳代から20歳代まで5人の職員参加者があった。2023年8月4日に第一回を開いた。登場人物一覧表と、韓国近現代史年表は僕の方で用意した。文 京洙『新・韓国現代史』 (岩波新書2015年)がとても役立った。明治維新時の吉田松陰の主張、「征韓論」、その後の日韓併合、1945年の日本敗戦くらいまでさかのぼって知っておかないと、光州事件の背景は理解できないからである。
読書会で「幼い鳥」と題された第1章をゆっくり読んでいくと、その幼い鳥が飛び立ち僕たちの顔を覗き込んでくるようだった。それが『少年が来る』ということなのだった。
2023年8月 8日 (火)
8月5日の午後
8月5日の午後は広島に行き、川本隆史先生に案内してもらって己斐(こい)小学校の原爆遺体集団火葬跡を見た。1945年8月6日から始まり一週間は続いた火葬の臭いは谷間にこもり、夜は周囲の山の野犬そのほかの獣を呼び寄せた。
もちろん今はただの学校のグラウンドで、比較的最近設置されたモニュメントがあるだけである。
夕方の僅かな時間の散策だったが、軽い熱中症になったようだ。
元の己斐駅、今の西広島駅の北口はごく最近に南北通り抜け通路ができ、アストラムラインのここまでの延伸見越して再開発中で、ここの住民でもあった那須さんにちなんだ「ずっこけ3人組」の像がある。作品の舞台花山町のモデルはこの町らしい。花山小学校はもちろん己斐(こい)小学校。
検索すると以下のような記事が。蓮照寺の清原さん。この寺も幼稚園も川本先生に教えてもらっていた。
https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=100924&fbclid=IwAR0di_oeSud20BKjTQ3BdPI5hX16fGK3fzShYXuok5DLKs5VAVjGokewG8k
Woo先生に紹介されたハン・ガンのインタビュー
Seoc-Kyun Woo先生に 「少年が来る」の作者ハン・ガンのインタビュー記事を教えてもらったので、ここに収録。自動翻訳では意味の通じないところを直しておいた。
https://l.facebook.com/l.php?u=https%3A%2F%2Fnews.kbs.co.kr%2Fnews%2Fview.do%3Fncd%3D5313630%26fbclid%3DIwAR03YufmLcQke3CQSTkYD940M7Z_iHX-lWD06UGG0ugWQa-C-9c2ROW6r_0&h=AT2sGHf4jd97jaObxRq2_hoBDf0MAQZI34fyyGkJhbN7q6r54oRsqpgmPohf_EzBPpR-ZW3ThJwqdBB5PuvYC8skmHzIcY3Nh6q59JZxRHjdbDUJ3uCx5bbo18cdsaO9fHMU&__tn__=R]-R&c[0]=AT3xw8LkKgNOr0kTXrXQJZSbxkIJNUNxFeTc_HwQAQx8QQzo2CP8qRXE19Bj1aw-RDarQ1ASf52-4GCvQ7-f72f52S-xglrIvQCn1wY_CyUEdXV67jE0hc-QYdZ8NpBfsxkLnV36SxeSEtO1PE1rNs5-E69Dwf3BJcqhl8NQ97DNtQ
このインタビューを読むだけでこの昨品を読む重要さがよく分かる。
한강/소가 韓江/作家
Q1. <소년이 온다>는 본인에게 어떤 작품?
<少年が来る>は作家本人にとってどんな作品ですか?
<少年がくる>を書いた期間は私の人生で1年半程度ですが、その期間の密度がとても高くて、そしてその小説を書いてからの余波も長かったし。 だから誰かが私の小説を読みたいと言われれば<少年が来る>を真っ先に申し上げます。
Q2. 왜 직접 겪지 않은 5.18을 다뤘나.
なぜ直接経験しなかった5.18を扱ったのか。
私が光州の写真集を初めて見たのが12歳、13歳頃でしたが、その写真集で見た惨めな遺体の写真、そして重傷者のために献血をしようと病院の前で並んで立っている人々の姿、この2つが解けない謎 のように感じられました。 人間というのがこんなに惨めに暴力的でもあり、そしてそんなに危険な状況なのに家のなかに閉じこもらず家を出て他人に血を分けようとする人々がいるということ、それがあまりにも両立できない宿題みたいでした。 だから長い時間が過ぎた後も、私の中にかくも解けない謎があるので、私が人間について話そうとするとき、「5月の光州を結局は突き抜けなければならないのだ」という考えが湧いてきて、それで書くことになったんです。
Q3. 소설에 '망자의 목소리'를 등장시킨 이유는?
小説に「死者の声」を登場させた理由は?
この小説の構成を組んだとき、第1章でこの小説に出てくるすべての人物を一旦登場させたいと思いました。まるでビッグバンのように遠くで破片が飛び出して、近づいてきて、それが現在まで来るようにしたかったんです。
それで第 2章に出てくるチョンデの死者の声についてですね。さきほど光州写真集と申し上げましたが、その写真集にとても残酷な重傷死者の顔写真があった理由は、そうしなければ誰も信じないから、その顔自体を事件の証言にしようとしたのです。 しかし、それでも証言ができなかった行方不明者が存在するでしょう。 その人かも知れない。 それで一つの章はそう行方不明になった人の声で書きたいと思いました。
Q4. 제목은 왜 <소년이 온다>인가.
タイトルはなぜ<少年が来る>なのか。
「この小説は書き終えられない」と思われたとき、その時見た資料が(抗争の)最後の日5月27日の夜明けに亡くなった夜学校のパク・ヨンジュン先生の日記でした。 彼がまるでトンホのような性格の方だったというのですが、最後の日記に「神さま なぜ私には良心があって、こうして刺すような痛みを覚えるのでしょうか。 私は生きたいです。」と書かれていました。 その日記を見てこの気持ちを持った人が結局はこの小説では最も重要だと思われ、その時浮上したのがトンホという少年のイメージでした。 そしてこのトンホが第1章で惨めな遺体に白い布を覆い、その枕元にろうそくを灯すでしょう。 それで、この小説の初めと終わりにろうそくを灯し、白い布に覆われて死んだトンホが私たちのもとに来る小説であればと思いました。 それで、80年5月から5年後、10年後、20年後、30年後、ゆっくりとこのように精神的に歩いてくる歩き方を想像し、それでタイトルも<少年が来る>になりました。
Q5. 집필 과정에서 어떤 점이 가장 힘들었나.
.執筆過程でどんな点が最も大変でしたか。
最も感じた感情は「痛み」だと思います。 圧倒的な痛み。 この小説を書いている間はほぼ毎日泣きました。 そして特に第2章を書く時は小さな作業室を使ったのですが、そこで1-3行書いて1時間泣いて、何もできず何時間もして帰ってくることがよくありました。 続いて各章で「君」という呼称が出てきます。 トンホを呼ぶんです。 それに集中しようとしました。 君というのはもう死んでいても「君」と呼ぶ時はまるで生きているときのように呼ぶんじゃないですか。 そのとき暗闇の中で誰かが現れて前にいるのです。 そんな心? だから呼び続ける心? 呼んで生きている心? 私はそれを小説の最後の部分を書いたときに感じたと思います。
Q6. <소년이 온다>를 통해 가장 하고 싶었던 말은?
Q. <少年が来る>を通じて一番表現したかったことは?
当時、生存者の自殺率が11%だというのですが、それは普通の人々の自殺率と比較できないほど高い数値であり、まだ終わっていません。 だからその話をしたかったでのす。 それがどれだけまだ続いているのか、生存者が自殺と戦うこと、その過程を書きたかった。 そして第5章に達すると、似たような苦しみですが、生存者のソンジュが最後にする言葉があります。 「死なないで」という言葉です。 私がこの小説を書いたときに1年半書き続けましたが、第5章は最後まで完成しないでいました。 事実上、この小説で最後に書いた言葉がそれです。 「死なないで」という言葉、その言葉を書きたかったです。第 4章にそのように苦しんでその道を行った人の話の次に、第5章で別の生存者の声で「死なないで」と最後に必ず言わせたいと思いました。
유성호/문학평론가
ユ・ソンホ/文学評論家
この小説は、死者を呼んで招魂祭をささげ、死者に呼びかけることによって切実な証言になるような構成をとっています。 またその時、惨めに亡くなった方々が、事件の単純な被害者ではなく抗争の偉大な主体だったことを証言しています。 このような内容を作家 韓江の美しい文章で私たちに伝えて、5月の光州を証言し表現した最も代表的な作品ではないかと考えています。
Q7. 앞으로 어떤 소설을 쓸 계획인지.
.これからどんな小説を書く計画なのか。
ただ本当に人生の美しい部分について書きたいです。 暖かくて美しい、人が人を愛するということ、人が人生を美しく感じるということ、そのすべてにもかかわらず私たちの中にそのような力があるということ、そんな話を今後は書くでしょう。
2023年8月 4日 (金)
ハン・ガンの小説「少年が来る」の読書会
今夜は6人でハン・ガンの小説「少年が来る」の読書会。病院内。
光州事件を多角的に捉えた短編集。
第一章「幼い鳥」をなんとか終えた。「幼い鳥」が何であるかも分かった。
ゆっくり読むと、改めて気づくことが多い。章の最後は胸を衝かれるようで、朗読しにくくなる。
ところで2020年暮れにハン・ガンが来日して平野啓一郎と話したというのは推測で書いたことで、実はZoomでの話だった。
https://k-bookfes.com/2020/information/repo_han_kang_talk/
最初に読んでほしい本として韓国の読者には「少年が来る」を、日本の読者には「ギリシャ語の時間」を挙げていた。3冊めとしてはそれを読むかな。
ストーリーと関係ないところで30ページの「植物の呼吸」のところが、記述としてはどうかなと思ったが、光合成をしていない夜は、植物も普通に酸素を吸って炭酸ガスを吐き出しているだけなので間違っているわけではない。
というか、当時は植物の呼吸をこう教えていたという歴史的な記述なのかもしれない。
2023年8月 1日 (火)
ローカル政治新聞寄稿
1918年、日本中に蔓延していた精神病患者「座敷牢」の全国調査の後、近代日本の精神医学・医療の祖である呉秀三(くれ・ しゅうぞう、1865-1932)は「我が国の数十万の精神病者はこの病を発病した不幸の上に、この国に生まれたという二重の不幸を背負っている」と喝破した。
しかし、これは100年前の昔話でなく、1983年に看護職員の暴行によって患者2名が死亡した栃木県 宇都宮病院事件、2023年患者への虐待で看護職員数名が逮捕された東京都 滝山病院事件を氷山の一角として今日まで連綿と続いていることである。
そして、その不幸は私達自身の医療の中にもなお色濃く浸透している。例えばアルコール依存症への支援において。3年間に19回も入退院を繰り返し、治療意欲を見せず排泄物にまみれたアパートに暮らす患者への支援のあり方は職員の深刻な分断を生んだ。継続的に食料を支援し、部屋を掃除し、関係を断つまいとする地域サイドの部署に対し、独特の「底付き体験」論から、衰弱し果てた先の患者の断酒決意を待つことが治療の定石で、支援はその妨害だとして譲らない専門家がいた。
それは、山口民医連の中のソーシャル・ワーク委員会で何度討議してもなかなか乗り越えられないものだった。
思い立って、この7月28日に山口民医連としては画期的な学習会を開いた。金曜日の夜にも拘らず、全職員の2割が集まり、事例検討会の後、沖縄協同病院心療科の小松知己(こまつ・ともみ)先生の講演に聴き入った。過酷な幼少時逆境体験が成人後の生き辛さと孤独の相乗効果に連なり、その自己治療が依存症となっていく。飲酒に代わる依存先を作らないで解決はありえない。「底つき体験必須論」は患者を死なせてしまうこともある過去のツールであり、「依存症を生き延び、人生を生き直す」ための病院や地域あげての支援が自分たちに課せられた責任だと分かると、その場が一つになった気がした。大半は一方通行の知識伝達に終わる学習会が、講師と聴衆一体の「生涯忘れられない」体験になったのも初めてのことだった。
こうしてみると、民医連の今後の方向は、人間を「弱いもの、他者に依存するもの」として再定義しケアを社会の中心に置くことである。それは自律した個人が果たす「正義の倫理」から、繋がり合う「ケアの倫理」への枠組み転換とも言える。
ハン・ガン「少年が来る」
山口裕之「「みんな違ってみんないい」のか? ─相対主義と普遍主義の問題」
これは相当に面白かった。マルクス・ガブリエルがなぜ「世界は実在しない」といっているかも、その本はだいぶ前に読んだにもかかわらず、この小さい本で初めて理解出来た。
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480684301/
『正しさは人それぞれ」でも、「物体の側や自然界に人間と関わりなしに自然法則が実在している」というわけでもありません。人間は物をいつでも同じように扱う方法を工夫し、その工夫を他の人間と共有することで、「より正しい正しさ」へ向けて合意を作っていくのです。』
ある画一的で暴力的な主張が「朝日」、「赤旗」、「世界」、「前衛」、「現代思想」 つまり僕が考えている世間の全体、を吹き荒れている中、この姿勢は本当に大事だ。
『近年、「正しさは人それぞれ」と手をたずさえて広がっている風潮に、「感情の尊重」があります。第3章で見たように、人間は不正に対して怒りを感じる感情的な傾向があります。感情は眼前の状況に対する反射的な反応です。自分でも理由がよくわからないままに、「やつは不正だ」という思いが自分の心に到来します。自分自身の正しさの客観的な根拠や理由を考えない人は、この感情を正しさの根拠だと思ってしまいます。「自分が正しいと感じるから、自分にとっては正しいんだ」と。
しかし、そのように思ってしまうことは極めて危険です。感情、とくに不正に対する怒りの感情は、人間を暴力に駆り立てるからです。感情に従うと、相手のことを理解する前に攻撃することになりかねません。 ある一人の人に知覚される状況は、一面的なものにすぎません。相手がどういう思いでそう言ったのかとか、そう思うに至った背景や経緯は何なのかといったことは直接目には見えません。感情は、そうしたものに思いをいたすことなく反射的に作動してしまいます。それゆえに、自分の感情だけを根拠にして正しさを決めることはできないのです。
にもかかわらず、近年「感情の尊重」という風潮が広がっています。これは、感情が、自分の主張の客観的な根拠を示すという面倒なことをしなくても、ラクに自分の考えの正しさを保証してくれるように思えるからです。』
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