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2023年7月26日 (水)

それは共産党の非合法化を意図した発言だったのか

戦前の1925年から31年まで、立憲政友会と立憲民政党という保守二大政党制が成立した時がある。

野上弥生子の「迷路」という小説は僕にとって最も面白かった作品の一つ(並ぶものは李恢成「見果てぬ夢」)だが、その中に、九州の臼杵という田舎でも人々が二つに分かれて対立し、海水浴場でさえ別々にするという場面がある。

維新の馬場代表の第一自民党と第二自民党の二大政党制という発言はこれを思い出させるが、実はそうではない。彼らが考えているのはむしろ大政翼賛会である。

それが成立すると共産党は当然非合法化されるし、立憲にも弾圧がかかることは予想されるが、そんな漏らしてはならぬことを軽々口にしてしまうというのは、あまりにも間抜けで、政治屋のただの妄想という気がする。

一方、戦争を前にして着々となされている準備が一瞬垣間見えたと見ると、政党の非合法化などそもそも許さないという緊密な連帯を作り出す必要性が切実になる。

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2023.7.26 山口県民医連理事会 挨拶  

今年の6月は世界的に史上最高の暑さだったようです。世界の暑さは「未知の領域」に入ったと科学者が警告しているという記事を読みました。
2023年6月は、北アメリカ・地中海沿岸・東南アジアが熱波に襲われ、これに続き7月も世界各地で猛暑が続き、これまでもっとも暑い年だった2016年と2020年を超えて観測史上最も暑い年になるという予測です。
水害もますます過酷となっており、このままでいくと、お互い相当の確率で災害死する覚悟を固めないといけないということになりますが、それでも私達は抵抗していく以外にありません。職員高齢化のなかで民医連の存続をどうするかというより、世界全体が崩壊しないために民医連は何ができるかという問題を立てないと行けないのだと思います。そのさきに民医連の存続や発展が見えてくるのだと思います。

その問題の有力な答えの一つに地域主権主義=ミュニシパリズムがあります。市立病院をミュニシパル・ホスピタルというようにミュニシパリズムは「地方自治体主義」という日本語になりますが、もともとの言葉で呼ぶのは、一つはいまある地方自治体を変革してボトムアップ型=直接民主主義型=市民直接参加型の自治体に変えていくという意味合いによります。

もう一つはそう変身した自治体を拠点に、全地球的観点で現代の資本主義=新自由主義にあらがっていくというという展望も持っているからです。
ミュニシパリズムが有力な答えの一つだというのはそういう構造を持っている事によります。
7月22日に開かれた「自治体学校 in 岡山」の岸本聡子杉並区長の講演要旨(資料1)からミュニシパリズムをもう少し深めてみると、3つの側面があることがわかります。
一つは、生活者あるいは労働者としての要求運動です。非正規労働者の待遇改善からはじまって国への気候危機対策要求に至るまでの幅広い運動が、ミュニシパリズムの名のもとに行われています。被害を被る当事者の運動であることが特徴的です。

二番目は 地方政治の権力を握ることです。中でも女性の政治参加を進めて、女性首長、女性議員を増やして、政治の中心に人を大事にする姿勢を打ち立てる、つまり政治を「ケア」化すること、さらに少数者の人権擁護、電力・水・食糧・景観など住民の「コモンズ」を拡大するという方向性です。
意外かもしれませんが、これを政治の「フェミナイゼーション」と呼びます。文字通りいえば「女性化」ということになりますが、意味するところは「競争ではなく共有を、妥協ではなく共同を、かけひきではなく協力を、支配や恫喝を排して、少数者の声や慎重意見をすくいあげる、そのためのやり方や文化そのものを変えていこうという提案」だとされています。これらのこと自体が、政治の表舞台を占領する男性によって支配され、家族のケアに閉じ込められ続けてきた女性が育んできた生活・行動様式だからです。その様式をこれからの世界のあり方にしようという立場からは、フェミニズム」はマルクス主義と並ぶ二つの解放思想と言われたりもします。

それを目指す政党を既存の大政党でなく、地域に根ざした小さな政党として構想するところに具体性と新しさがあります。

三番目は地域経済の民主化です。政治権力を握るということに密接に関連していますが、内橋克人さんの提唱したFEC(食糧・エネルギー・ケア)自給圏構想に代表されるように、脱炭素化産業で成り立つ豊かな地域経済を創造することです。住居の確保とすべての住宅の高レベル断熱化などは新しい課題だと思います。

そういう3つの主側面を持つミュニシパリズムですが、これは結局、時代の大きな変化としてのフェミニズムが、これまでの民主主義・社会主義運動と合流したものだろうと考えます。
民医連も同じです。1990年から2020年の間に成し遂げた日本国憲法との合流に引き継いで、次はフェミニズムとの合流、反気候危機運動との合流が、民医連を大きく揺るがし、世界の崩壊に抵抗する運動の柱に成長させているのだと思います。
そのときのキーワードがまさに「ケアの倫理」なのではないでしょうか。

全日本民医連は医師の絶対数を増やすという運動に本気で足を踏みだすとしていますが、これもフェミニズムの前進、日常の労働のケアの倫理への飛躍なしには可能にならないと思います。今ある職種構造、職種関係はそのままにして、それに無批判でいて医師数だけ増やすというのは誤りだろうと思います。

しかし、見方を変えれば言えば、「ケアの倫理」は人の弱さ、脆弱性を直視し、支え合いの中にささやかな希望を見出すものです。連日、北海道の事件が報道され、わからないことが多いなかで気分の失調を起こす人も多いと思います。僕もその一人ですが、人間は誰でも大きな闇を抱えてしまう、それをケアする人も脆弱な立場に追い込まれていく、その連鎖をどう断ち切るかということも改めて考えてみたいと思います

それをケアする人も脆弱な立場に追い込まれていくという連鎖を改めて考えてみたいと思います。
大軍拡の進む中で、もうすぐみんなで戦争経験を考える8月を迎えるときに、今日はやや大局的すぎる話になりましたが、8月の運動課題含めて、今月も熱心な議論をよろしくお願いします。


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2023年7月22日 (土)

7月22日岸本聡子さんの短い講演要旨から


今日の「自治体学校in岡山」は個人参加費がやけに高いため会場を一箇所だけ設定して遠隔での団体参加で申し込んだ。
その視聴会場に出てきたのだが、計画されていた病院の停電でネットのサーバーが落ちて、突如中断。
奈良女子大 中山 徹さんの特別講演の後半、杉並区長 岸本聡子さんの特別講演全部が視聴できなかった。
明日の企画が残っており、それはアーカイブ配信もされるので、会計上の不適切支出にはぎりぎりならないと思うが。

やむなく、岸本聡子さんの短い講演要旨を読んでいるとミュニシパリズムには三つの要素があるという箇所が目に止まった。

①労働・住民運動 特に労働者の新自由主義に抗議するストライキ

②地方政治での権力獲得
 既存の大政党でなく地方に根ざした小さな政党がエネルギー、水、住宅の権利を主張しながら、女性の政治参加=「政治のフェミナイゼーション」を目指す。
つまり男性政治に特徴的な競争、秘密主義、力での弾圧をなくし、女性が得意な協調、対話、当事者参加の政治である。

③地域経済 詳しくは書かれていないが、おそらく食糧、エネルギー、ケアの圏域内自給を中心とした地域循環経済。

ケア=生活の領域におけるフェミニズムが「ケアの倫理」(ケアを普遍化する倫理)と称されるのに対し、政治の領域のフェミニズムは「ミュニシパリズム」という表現されているのではないか。
それは、いわゆる正義論、「正義の倫理」の限界を超え包含するものとなっているように思える。

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7月15日

4年振りに東京に出たのを機会に、やはり5年くらいは会ってない妹に会いに一時間かけて八王子市まで出かけた。
夕方は歩行中に実際にふらついてしまうような暑熱と東京の混雑ではあったが、夫の入院という人生の危機にも直面しでいる妹にはぜひ会っておかなければならなかった。

蕎麦屋で短時間の食事をしながら話していると、ふと自分の声が亡くなって3年目の父にそっくりであるように思えてならなかった。

まだ僕の家に遺骨が置いてある父が、僕の身体を借りて妹に会っていたのかも知れなかった。

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2023年7月13日 (木)

恐れを知らない(フィアレス)ソーシャル・ワークに未来はある


微小県連の長計を論じる演題が民医連の学術運動交流集会で採用された。これから本気で構想しよう。
久しぶりにレーニンを思い出した。つまり「量は少なくても、質のよいものを」。
山崎 亮の言葉で言えば「縮充」である。
どういう機能を手放し、そのかわりにどういう機能を実装するのか。

SDHの視点、患者中心の医療(=家庭医療学)、恐れを知らない(フィアレス)ソーシャル・ワーク(=フェミニズムつまり「ケアの倫理」の実践)の3つしかない。

なにしろ、この20数年で45歳未満の若手医師が3割以上も少なくなっている県にある民医連なのだから。下の赤い線が山口県、青が全国、緑が大都市部。
、「130 120 45歳未満医師数の推移 H10=100 110 大都市6都府県 100 100 100.1100.4 90 105.108.0 110.8 110.8112.3112.7113.81172 112.7.113.8117 103.8 80 100.2 95.7 92.9 88.1 83.9 70 全国 60 80.7 77.7 70.5 76.1 67.3 72.0 山口県 H10 H12 H14 H16 H18 H20 H22 H24 H26 H28 H30 R2」というテキストの画像のようです

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2023年7月10日 (月)

知らないうちに、みんなヘーゲルの影響下にある

今日は斎藤幸平『100分de名著 ヘーゲル「精神現象学」』を読みながら、「あ、そんな単純なことだったのか」と思うことがあった。
ヘーゲルのいう「精神』とは、「私」を超えた「私たち」、つまり社会を作って生きて行く人間ということであり、それは相互に助け合いながら平等であることを本質とするのである。
人間はその全歴史で自分たちをそのようなものとして作り上げていく。
知らないうちに、みんなヘーゲルの影響下にあるのだな。

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2023年7月 8日 (土)

7.7のしんぶん「赤旗」。犯罪学の小宮信夫さん

7.7のしんぶん「赤旗」。犯罪学の小宮信夫さん。これまで赤旗に掲載された諸記事とは逆の主張だが、僕はこれが正しいと思う。ようやく正気を取り戻しつつあるのだろうか。

 

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2023年7月 6日 (木)

ひとりでいいんです

評論家 加藤周一が「一人でいいんです」と言っている。
何も高齢男子の独居生活のやせ我慢的ススメではない。
外国に友人を持つことが平和への感性を強めるうえで大きな効果を持つ、そしてそれはたった一人でもいい、ということなのだ。
これは青井未帆さんがいう、9条を超えた、国家を超えた平和構想の具体化かもしれない。

僕はウ・ソッキョンSeoc-Kyun Woo先生(韓国人道主義実践医師協議会共同代表)を宇部に講演会に呼んで長い知り合いとなったので一応合格していると思う。通訳のファン・チャへ(黄慈恵)さんは向こうの職業的な関わりだからただの一方交通かもしれない。

そこで思うに、僕の周囲のそういう機会のない人に、機会を提供するのは、僕のサーバント・リーダーシップなのではないか、わずかに残った。

例えば、韓国随一の女性小説家 ハン・ガンの読書会を続け、韓国の照応するグループと合同読書会に行き着くなど。

 

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2023年7月 4日 (火)

ヒロシマの位置づけは変わった

7月1日の朝日新聞 異論のススメ。
日本のコミュニタリアンの代表格である佐伯啓思(京大)が「他でもない広島でG7を開きゼレンスキーを参加させたことは、ロシアに核での敵対を表明したことになる」旨述べている。
つまり、広島と同じ破壊をロシアの都市に加えるぞ、というアピールだということ。
第二次大戦終結のための原爆投下を肯定しているアメリカであることを考えれば、当然この解釈も成り立つだろう。同じ理屈が対ロシアでも有効だと思っているだろう。

今回のことでヒロシマは平和のシンボルから引きずり降ろされ、いまや核兵器使用への決意表明の地であることが明らかになったと佐伯は言いたい。

アメリカの支配とそれに対抗する中ロとの軍事的対立から抜け出す道を日本の伝統は持っているのではないかと佐伯は言うのだが、求めるものは正しくて求める先が違う。
もはや国家を当てにすることなく、国家を超えた市民連帯による平和構想という困難な道しか残っていないことから目を背けてはいけない。

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2023年7月 3日 (月)

民医連を民主運動の一典型として

ローカル政治新聞 山口民報。ここに民医連のことを書いているのは、民医連を民主運動の一典型として、普遍的に問題を論じることができるという思い。

チケットの半券、テキストの画像のようです

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韓江「少年が来る」CUON2016年


できれば韓江「少年が来る」CUON2016年の読書会を病院内でしてみたい。

表紙のろうそくは韓国軍に虐殺された学生や市民の死体を保管した講堂で、主人公の少年がニオイ消しにと灯し続けたロウソクだが、魂となって読者を訪れる少年のようでもある。
少年が来る (新しい韓国の文学)

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2023年7月 2日 (日)

豪雨の日

土曜日の午後、積み上げられたレセプトの注記をコツコツやっていると、大雨で交通網分断されて、遠くからくる当直医が間に合わないとのことで、しばらく当直代行することになった。今日は晴れるはずだったのだが、再び激しく降り出している。

その間に従弟から久しぶりの電話。
「今日は叔父さんの3回忌だよね」と言う。叔父さんとはつまり僕の父である。
昨夜来の大雨ですっかり忘れていた。2年前の今日の早朝、主治医として看取った。
子どもと2人で葬儀を挙げたが、それがずいぶん遠いことに思われる。父は一代限りの神道の宮司だったが、墓は浄土真宗の一族の墓に入ることになっている。しかし、まだ親戚集まっての納骨の予定も立てられないでいる。

従弟は、積雪の多い西中国山地の生育環境のなかで、僕とは違ってスキーに熱中し、その指導員資格も得たが、それが昂じて、ごく最近に長野の安曇野に引っ越したとのことである。
僕のことを思い出すと、早くに亡くなった僕と同い年だった彼の兄のことも思い出すと言ったあと「もう会うこともないだろうが元気で」と付け加えた。確かに互いの葬儀では会うことはないだろうが、えらく早い挨拶である。
今月、別の従弟が何も知らせない闘病の末になくなったことを自然と思い出す。

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