私事がそのまま共有物になるという幸福
同じく古雑誌atプラス30号(2016年)に、こうの史代インタビュー「記憶の器として、日常を描きとめる」がある。
こうのが何も大上段に自らの社会的使命として「記憶の器」たる漫画を作成しているというわけではない。
漫画家はまさに自分の記憶の器として漫画を使う、しかしそれが漫画であるがゆえにそれはそのまま他の人との共有物になる、というだけのことである。
医師はまさに診断治療の手段として他人の生活のなかに入り込まざるをえない、しかしそれが苦しむ人間の生活であるがゆえに、そこでの見聞は他の人との共有物になるというのと同じである。

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