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2023年5月31日 (水)

9条における事実問題と権利問題

今夜の山口民医連理事会では、リモートながら山口大学の松原幸恵先生から「最近の『防衛』問題と改憲論~軍拡は私たちを守るのか」の講義を受けた。

詳細は省略するが、それを聞いて最後に僕が思ったのは、平和も基本的人権も、それに向かい合う僕たちの姿勢は同じだということ。

憲法25条に書いてあるので私達には生存権があるのだというレベルでなく、なぜ憲法25条がそのように書かれたのかを問うレベルからでないと生存権を守ることも発展させることもできない。

同じように9条にこう書いてあるというレベルでなく、なぜ9条のような奇跡の条文が他でもない日本国憲法に現れたのかを問う姿勢でないと、もはや憲法論議自体が無意味というような自民党に対抗することはできない。

そういう意味で青井未帆さんが今必要なのは「憲法を超えた平和構想力」と言っているのだろう。

支配層レベルで物事を考えるのでなく、世界の草の根の平和運動との交流や協同なくして9条を守り発展させることはできないのではないか?

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2023.5.31 山口民医連理事会 挨拶

台風2号の影響で例年になく早い梅雨入りと水害の心配されるところですが、皆様ご苦労さまです。
数日前、東南アジアも記録的な熱波に襲われているという記事を読みましたが、今年の日本もかってない猛暑になることはほぼ確実と思います。
そのさなか中国電力が6月1日からの26.1%の電気料値上げを決めています。これは猛暑の中の高齢者や生活保護世帯をまさに直撃します。また在宅酸素療法をしている人などは酸素濃縮器を動かすのにかかる電気代がいまでも月1,500円~5,000円かかりますがさらに負担が重くなります。病状が重い人ほど酸素が大量に必要なので負担が増え、治療中断の理由となります。
この電気代のほか住居確保困難、小児虐待の事例が蓄積しているので自治体との緊急の話し合いを県連として準備しようと思っていますが、同様の事例に気づかれた方はぜひご協力をお願いします。

新型コロナは5月8日から全体的な実態が見えにくくなっていますが、いくつかの老人施設ではクラスターが発生している模様です。宇部協立病院でも5月以前はなかった新規の入院受け入れが数件あり、それに関連するかどうかは不明ですが、職員にも散発しており、全体として緩やかに増えている印象です。「コロナはもう終わった」ことにしないで、必要な自治体要求は直ちに行うという姿勢で望んでいきたいと思います。

 3月から始動している医療生協健文会「山口市事務所」ですが、6月24日の開所式が決まりました。福祉の拠点を先行させて「医学モデル」よりも「生活モデル」をもって民医連運動を事業所空白地域に広げていくという先進的な試みでありますので、ぜひ成功させたいと思います。

さて、5月19日から21日にかけて開催されたG7広島サミットは、広島の地で核廃絶でなく、逆に核抑止力を肯定することで被爆者を冒涜する結果となり、話し合われた内容は一種の軍事会議になりました。

2022年12月16日にいわゆる「安保3文書」が示され、米軍がどこか他所の土地で攻撃されたとき、あるいは攻撃が準備されたときにも日本側から敵基地にミサイルを先制的に打ち込むことが可能になりました。
その反撃を受けて沖縄+奄美156万人や岩国基地を抱える山口県140万人や首都圏3000万人が大混乱に陥るのは目に見えています。
まさに「日米同盟」の強化こそが国家の最優先目標となり、それが憲法9条や国際法に違反するかどうかの議論にはもはや政府が憲法に縛られる素振りをまったく見せない、議論にも取り合わない、それが世間を騒がせることもないという事態が生まれています。これは2014年7月1日に閣議決定で集団的自衛権行使を容認したことの帰結でもあります。
こういうときに、あくまで憲法を掲げてどういう運動をするか、真剣な議論が必要と思います。
最近読んだものでは5月3日の朝日新聞の蟻川 恒正 日本大学教授インタビューと 雑誌「世界」5月号の青井未帆 学習院大教授の論文「私たちの平和構想力」に注目しました。
ふたりとも同じことを言っています。蟻川さんの話の一部を資料1としています。
憲法に遡る議論は国民の側から投げかける以外にもはやなされることはないという点で、憲法が反故にされているのは間違いがないが、それでも死んだわけではない。憲法9条があることは今後極めて大きな役割を果たしていく。
それは憲法9条がそれ自体が目的というより、そもそも私達一人ひとりの「個人の自由」を守るためにあるものだからです。徴兵検査用の体力検査を受けさせられたり、徴兵されたり、無理やり避難を強いられたり、戦地で殺されたり、自分の土地や建物を軍事目的で接収されたり、日々情勢について議論したり発信することを制限されたりしないために欠かせないものだからです。9条は「個人の自由を下から支える」ためにこそあるものなのです。
すなわち私という「個人」が平和の中で人生を全うする権利は、どんな美名に隠された国家の意図によっても決して妨害されないと皆が考え始めるとき、9条はものすごく強力な足がかりになるからです。こうして個人を当事者として考える「人間の安全保障」を青井美帆さんは、重層的に憲法をも超えていく「私たちの平和構想力」だと言っています。
 これについては広島サミットが終わって、ますます戦争に傾いている今こそ考えないといけないことであり、そのため今日は特別に、理事会の日程も変え、山口大教育学部の松原幸恵先生にお願いして憲法と平和についてお聞きします。
そのお話も踏まえて、気候危機、戦争、貧困と格差、いずれも一歩も後退できないこの時期にふさわしい熱心な議論をお願いして、私の挨拶を終わります。

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2023年5月27日 (土)

民医連理念の素描

富永仲基もいた江戸時代からある「加上」という考え方を使って、民医連の理念の変遷を説明しようと考えていた。

仏教や儒教にあったヒューマニズムを背景に、マルクス主義、日本国憲法、ロールズやセンのリベラル民主主義が次々に加上されて行く過程としてその時々の民医連の理念は理解しうる。

そして現在の特徴はフェミニズムの中で発見された「ケアの倫理」が自らのものとして「加上」されていることである。

それを言いかえれば、徹底的に他者に寄り添う、伴走的支援ということになる。


これはつまり、柄谷行人が言う「向こうから世界宗教としてやって来るD」ではないだろうか。

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2023年5月22日 (月)

『南風に乗る』柳広司 小学館、「太平洋食堂」


芸術院会員を含む有名な小説家によるもので、庶民に向かい合う医師の伝記あるいは沖縄問題に正面から挑んだ作品という、どことなく民医連向きの以下の3冊。

『夜明けの雷鳴ー医師高松凌雲』吉村昭 文春文庫、
『許されざる者 』辻原 登 集英社文庫、
『南風に乗る』柳広司 小学館。

だが、この3冊の文章の違いが僕には分からない。のっぺりと同じに見える。人間が立ち上がって来ないと言うか。

3冊とも「どう書くか」ではなくて「何を書くか」が主眼の作品で、満たされるのは断片的知識欲だけという気がする。
もっとも最近の「南風(まぜ)に乗る」は瀬長亀次郎、山之口貘、中野好夫を扱っていて、歴史的事件の事情は整理されるものの沖縄について何かを知る、考えるというものではなかった。
つまりこういう作品を読むことを読書というのかという疑問が残る。

そう言いながら、辻原登「許されざる者」と同じ、大逆事件のでっち上げで殺された和歌山県新宮の創意あふれる医師・大石誠之助を扱っているらしい柳広司「太平洋食堂」を注文した。

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2023年5月10日 (水)

Ah! mio cor

夕方からもう4時間も付き合っている頭部打撲の一件に疲れ果てて、検査結果待ちの間になにか音楽を探していると
Ah! mio cor, schernito sei・・・(https://ameblo.jp/velvettino/entry-11885682890.html)
というヘンデルの歌曲に出会った。
これだけが今日の収穫かな。

少し前にアンソニー・ホプキンス主演の The Fatherという映画を見て、「真珠採り」の歌曲を何度も聞くようになった。素養がないのでこういう出会は少ない。

 

ファーザー

 

 

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努責する排便時の血圧は300くらいになる

努責する排便時の血圧は300くらいになる。歴史的に実測された数字は280(24時間血圧計を使えば簡単に測れる)。
仕事を終えた深夜、その血圧に挑むときはそのままの形で孤独死を発見される姿が脳裏をよぎる、というよりその覚悟が必要となる。
入浴と排便は一見健康な高齢者の日常に潜むリスクである。両者同時はいやだ。
何故こういうことになるかというと、仕事場のトイレが利用しにくいからである。個室の数が少なく需要は多い。新任の管理職がいるときは特にそうだ。

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5月3日 蟻川恒正 青井未帆

5月3日 朝日新聞 蟻川恒正さん。青井美帆さんとほぼ同じ主張。9条は僕らの自由の最後の盾だ。

 

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5月の晴れた日に






診察室の外の明るい空を見ていると、(5月だなぁ)という気がしてきて、石原吉郎「ペシミストの勇気」を急に読みたくなり、院内の自分の書棚を急いで往復した。シベリアにもこんな明るい日はあったのだろう。

「昭和二十七年五月、例年のようにメーデーの祝祭を終わったハバロフスク市の第六収容所で、二十五年囚鹿野武一は、とつぜん失語症に陥ったように沈黙し、その数日後に絶食を始めた。」
「人間が自己を最終的に加害者として承認する場所は人間が自己を人間として認識しはじめる場所である」




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2023年5月 2日 (火)

空耳 モーツァルト「レクイエム」 「守りたまえ、興味津々」

何十年か前からモーツァルト「レクイエム」の中で日本語が繰り返し聞こえるところがあり気になっていたが、今夜偶然に歌詞を確認できた。
繰り返される以下の歌詞が「守りたまえ、興味津々」としか聞こえないのである。
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