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2023年4月23日 (日)

今月のエッセイの原稿

ローカル政治新聞連載の5月分の原稿を書いてみた。
これから推敲。

『今年も宇部協立病院に研修医2名が入職してきた。山口県で最小の研修病院で2年間のお付き合いが始まる。研修後も残る人がいないのが最大の悩みだが、ここで良い医師への第一歩を歩みださせるのは病院の社会的な義務でもある。
そこで思うのは、研修医こそ医師の特権意識の出発点だということ。先月までは学生だったのに突然「先生」になってしまう。
医師が特権的地位を持つのは単純な病気を治療する上では格別な支障とはならない。たとえば肺炎に使う抗菌剤の種類は医師が一人で決めるのが当然である。
しかし、人口減少が激しく社会資源も欠く中で、孤立、貧困、障害、老衰さらに女性差別が絡み合ったような複雑な事例に対処する上では医師の特権が最大の障害になる。必要なのは、多くの人の語りに耳を傾け、よく話し合って集団的な合意を一つの「物語」として形成することなのだが、特権に染まった医師には人の語りを聞くことができない。何一つ自分の考察を持たないのに影響力は絶大だから最大の障害になる。
特権を解体して再出発する。それが複雑事例の前に立った医師には求められる。将来のため、研修がスタートする時点でこれから自分に染み付く特権意識に目を向けてもらう必要がある。項目にすれば「地域医療と多職種協働」というありきたりなことだが、お互い痛みが伴う話である。

さて、複雑事例において皆が納得する共通の物語を求める流儀は、主として女性が男性優位の社会の片隅で育んできたものであり、「ケアの倫理」と名付けられている。21世紀の医師の学習の半分は「ケアの倫理」の習得にあるといってよい。
この連載の最初に触れたロールズの「正義論」は極めて精密であるが、基本的に自立した男性間の平等の枠内にとどまり、自立を妨げられた弱者、障害者、女性にまで視野を広げてはいない。これに対し目の前で苦しむ人にためらうことなく手を差し出し、必要であればどこまでも支援することによって実質的平等に迫っているのが「ケアの倫理」である。
前回は1980年代の哲学者 鈴木 茂さんがマルクスの中心的人間観を「生まれついての社会的共同性」だとしたことを紹介した。21世紀になってみると、それは「正義論とケアの倫理を統合」を予感し、両者の対抗しつつも相補的である関係をいち早く捉えた先駆性があった。

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